記述解答における「言い換え」の本質について

「傍線部」があって、「どういうことか」という問題があると、「傍線部の各要素を言い換えよう(同義置換しよう)」って言われることがあるよね。

「ある」というよりも、「最もポピュラーな方法」と言えるよね。

実際に手元の現代文の問題集をいくつか開くと、「傍線部の各要素を言い換える」という指導方針を採用しているものが多いよ。

方法論としては一般的ですし、正攻法なのですが、「言い換える」という行為の「実際」は、「語句を同じ次元で取り換えること」ではないと考えたほうがいいですよ。

どういうことだ?

たとえば傍線部に「尊敬」という語があるとして、これを「畏敬」などとしても、「わかりやすく説明」したことにはなりません。

同じレベルの「同義語」などに取り換えても、「説明」したことにはならないのです。

たしかにそうだね。

「傍線部とあるが、それはどういうことか」という問題においてしなければならないことは、「傍線部の表現において筆者が言いたいことは何か」という「中身」を書くことなのです。

傍線部はたいてい「不明瞭」なので、それを「ダイレクトに(直接的に)」表現することが重要なのだと考えましょう。

つまり、「どういうことか」という問題の本質は、「言い換え」というよりは、「内容面」に「次元を変える」ことなんですね。

語句のレベルの「言い換え」は、できていたほうがいいこともありますが、「問題 ー 答案」の「応答関係」においては、本質的なことではありません。

語句のレベルで類義語とかに言い換えても意味ないってことなんだな。

中心的な作業ではないですね・・・。

たとえば、「きみと毎朝一緒にコーヒーを飲みたい」というセリフがあるとします。

この「セリフ」によって「話者がいいたいこと」は、「一緒に暮らしたい」ということだとしますね。

ああ~。

「きみと毎朝一緒にコーヒーを飲みたい」に傍線が引かれ、「どういうことか」と問われた場合、答案の「核」は、「一緒に暮らしてほしいということ。」となるね。

この「答案」の「核心部分」に、「毎朝」の言い換えも「コーヒー」の言い換えも「飲みたい」の言い換えもいらないね。

なくていいですよね。あっても減点はされませんが、「核心」ではないので、解答欄を無駄に圧迫してしまいます。したがって、省いたほうが自然です。

その表現における「言いたいこと」の「中身」を書くことが重要であって、「語句」のレベルでの「類義語的な言い換え」は、重要度が低いってことなんだね。

そうですね。

たとえば「どういうことか」という問題への対応は、言いたいことの「内容」に踏み込むことが「最重要」であって、「語句の水準での類義語的な言い換え」は「二の次」なのです。

よく「比喩や具体例はカットする」という指導方針がありますが、それは「あってはいけない」ということではなく、「中身」のほうに踏み込めれば、「あえて存在する必要がない」ものであるといえます。

したがって結果的に答案には残らないのです。