「いえるのはなぜか」≒「そう考えたのはなぜか?」
「いえるのはなぜか」という設問形式は、「ある表現」に傍線が引かれ、「その表現に至った理由」を問うている。「表現」は基本的に「考え」なので、「考えに至った理由」ともいえる。
答案の「核」は、「論拠・判断材料」である。

「いえるのはなぜか」の問題は、「原因」や「意図」を問う「なぜか」とは異なります。「いえるのはなぜか」は、「現象としての前後関係」ではなく、「考え」の前後関係を聞いていることになります。
この種の問題は、実際に答案を仕上げると、「どういうことか」に対する答案とずいぶん似たものになります。
「答案のどの部分に配点の重さがあるか」というところは異なるのですが、「どういうことか」と「いえるのはなぜか」では「答案に必要な情報」がほぼ同じになると考えて問題ありません。
「述語」が実質上「主題の名称・たとえ・状態・性質」になっている。
傍線部の論理を簡素化した際、次のような構造になっている場合、「論拠・判断材料」を問うているケースが多いといえます。たとえば次のようなものです。
彼は ≒ 大納言だ。 (述語が主語に対する呼称・たとえになっている)
彼は ー 誠実に働く。 (述語が主語の状態や性質になっている)

こういう場合の「述語」は、「主語」の「中身そのもの」に言及しています。
仮に「述語」の「表現」が「行為」であっても(たとえば「行く」「隠れる」「疑う」など)であっても)、実質上は「主語」の「状態・性質」を意味している場合が多いのですね。
「いえるのはなぜか」と問われている場合は、基本的にこのパターンです。

ああ~。
たしかに、「よしおは泣いた」とか「ジャイアンツが1位になった」といったような場合、それは「主張」ではなくて「事実」だから、「いえるのはなぜか」って聞かないよね。

たしかに、「傍線部のようにいえるのはなぜか」っていうのは、言いかえると、「傍線部のように主張できるのはなぜか」っていうことだよね。
つまり、傍線部は「事実」ではなくて「筆者の判断」であるわけだから、「事実としての前提条件」ではなくて、「筆者がそう考えた論拠・判断材料」を答えるべきなんだね。

そうですね!
たとえば、「よしお選手が引退した」というのが事実であれば、それに対して「いえるのはなぜか?」と問うことはできません。
でもこういう場合はどうでしょう。
よしお選手の不振が続き、24打席すべてがピッチャーゴロだったとして、それを見ていた観客が「よしお選手はもう引退だ」と言ったとします。
これには「いえるのはなぜか?」と聞くことができますよね。

ああ~。
実際は引退していないのに、「もう引退だ」と言うというのは、「主張」だから、「どうしてそんなふうに考えるの?」と問うのは不自然じゃないね。

そういう意味では、「いえるのはなぜか?」という問いの形式は、「なぜそう考えるのか?」ということなんだね。

そうですね!
「観客」がそう考えた理由は、「よしお選手のバッティングが24打席連続ピッチャーゴロだったから」です。それが答案の「核」です。
あとは「引退」というワードにつながるように、
「よしお選手のバッティングが24打席連続ピッチャーゴロであり、選手を続ける水準に達していないから。」
などと書けば答案は完成です。

たしかにこの答案って、「どういうこと?」と聞いた場合でも同じ情報になるよね。

ほぼ同じですね。
ただ、配点の軽重は異なります。
「よしお選手は引退だな・・・」というつぶやきに対して、「どういうこと?」と聞いた場合、それに対する「返答の核心」は、「つまり、選手を続けるレベルではないってことさ」です。
一方、「よしお選手は引退だな・・・」というつぶやきに対して、「なぜそういえるの?」と聞いた場合、それに対する「返答の核心」は、「だって、24打席のすべてがピッチャーゴロなんだよ」です。

「どういうことか」であれば、発言の意味内容そのものを説明しているところに「重さ」があって、「いえるのはなぜか」であれば、その「前提的情報」に「重さ」があるということなんだね。

そういうイメージです。
だから、センター試験や共通テストのような「選択肢が長い試験」の過去問を見ると、「どういうことか」と「いえるのはなぜか」の「正解」って、かなり似たものになるんですよ。異なるのは、文末が「~ということ。」なのか「~から。」なのかくらいですね。
いま見てきたように「核」の部分は異なるのですが、長い字数で書くと、結果的に似たような返答になります。
「論拠・判断材料型」の典型的な例
〈傍線部〉
言語は ー 記号である。
↑ ↑
主 語 述 語(主語に対する何らかの名称)
〈答案〉
言語は、 ー 物体や現象の代替として機能するから。 (記号であるといえる)
↑ ↑ ↑
主 語 論 拠 答案には不要
ここでの「論拠・判断材料」は、「主語」の意味内容を説明しているとも言えますし、「述語」の意味内容を説明しているとも言えます。
「物体や現象の代替として機能する」という「内容」が、「言語」についても「記号」についても当てはまるからこそ、この「論拠」を介して、「言語はー記号である」と言えるわけです。

ということは、この構造は、丁寧に書けば「三段論法」であるといえます。
言語は、物体や現象の代替として機能する。
物体や現象の代替として機能するものは、記号である。
よって、言語は ー 記号である。

もう一例見てみましょう。
〈傍線部〉
戸締りは ー 完璧だ。
↑ ↑
主 語 述 語(主語の状態や性質)
〈答案〉
戸締りは、 ー すべての窓とドアを施錠したから。 (完璧であるといえる)
↑ ↑ ↑
主 語 論 拠 答案には不要
この例でも、「論拠」は、「主語」の意味内容を説明しているとも言えますし、「述語」の意味内容を説明しているとも言えます。

そういったことから、この「論拠・判断材料」型の問題は、多くの場合「主語」の意味内容を「述語」に沿うかたちで説明する問題になります。
ちょっとしたコツがありまして、このタイプの問題は、
主語は、 論 拠 という点で、述語である。
という構文に放り込むと考えやすくなります。
発展型
このタイプの発展型として、
「AはBではない」といえるのはなぜか。
「AはBとは違う」といえるのはなぜか。
と問われることがあります。
この場合、「A」が「B」と「逆」であることを説明すればよいことになります。つまり「相違点」を説明するということです。

たとえば、
「入試において、国語は重要ではない」といえるのはなぜか。
という問題があり、本文において、
国語は ー 合否に影響しない
≠
合否に影響するものが ー 重要である
という関係が読解できる場合、答案は、
「国語は合否に影響しないから。」というものになります。
「論拠」型の問題は、「2つのもの」の「類似性」を説明することが基本姿勢なのですが、逆に「相違性」を説明させる場合もあるということですね。