(一)「「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理」とはどういうことか、説明せよ。

結論から言うと、この設問の答案には、「詩」「紙」「白紙」などという語句は出しません。
どうしてそうすべきなのか、考えていきましょう。
「傍線部を含む一文」を確認すると、こうなっています。
これは「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理に言及する問題である。

普通の問題は、このように傍線部を伸ばして、「一文」の論理を再構成していくと、正解にかなり近づきます。
今回の問題でも、それについては同じことです。
傍線部に対しては、その傍線部を拡大し、「一文」を確認することがファーストステップですが、今回の傍線部は最後まで引かれていません。

傍線が文の述語(述部)に引かれているわけではないので、漫然と一文を説明してしまうと、「答えるべきこと」がズレてしまうのです。
具体的に言うと、この文の主語である「これ」は、傍線部を飛び越えて、「言及する問題である」に係っているのであり、傍線部の内部に係っていくわけではありません。
もしもこの「指示語」が「この」「このような」といった、連体詞的な指示語であれば、そのまま傍線部に係っていくことになるので、直前との密接性は高いことになります。
ところが、この部分については、「これは、」であり、「は」でいったん切れていることになります。つまり、指示対象と傍線部との密接性が、「この」「このような」などに比べると、比較的弱いということになります。
たとえば、次のような例を考えてみましょう。
ジャクソンは、「グローブはいつも時間をかけて磨いている」と述べた。
これは、一流のスポーツ選手に共通する心理に言及する問題である。
主語である「これ」は、直前の「ジャクソンの発言」を指しているものの、青線部分に関しては、ジャクソンの話だけをしているわけではないことがわかります。
青線部分の「スポーツ選手」というところが、仮に「他の分野で活躍している人間」であっても、文章の意味は通るはずです。
つまり、この文構造における、青色部分は、ジャクソンの話そのものではなく、一流のスポーツ選手全般や、活躍している人間全般の話に拡大されるのです。
場合によっては、この青色部分では、「棋士」や「画家」の話がされることすらあるでしょう。

〈設問一〉を解くにあたってまず重要なのはこの理解です。
「これ」という指示語に着眼するあまり、直前部のみで解答を作成してはならないということです。
とはいえ、直前部分は、文章理解のうえで当然重要です。
ここで言いたいことは、「直前だけで安易に解答化してはならない」ということであり、「軽視してよい」というわけではありません。
「これ」の内容を確認しましょう。
いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せるかもしれない。しかしながら一方で、推すにしても敲くにしても、それほどの逡巡を生み出すほどの大事でもなかろうという、微差に執着する詩人の神経質さ、器量の小ささをも同時に印象づけているかもしれない。
傍線部直前の「これ」は、たしかにこの部分を指しています。
しかし、繰り返しになりますが、ここは〈解答の核心〉ではありません。
傍線部を再確認すると、「人間の心理」とあります。話が大きいですね。しかし、「これ」の指す内容は、「詩人」の話に矮小化されています。
つまりこの部分は、「完成・定着という状態を前にした人間の心理」の「例示」として挙げられている話なのです。ここでは「詩人」の話が語られていますが、筆者の主張を伝えることさえできれば、「絵画」の話でも、「書道」の話でもよかった箇所なのです。

例示は「主題」でも「主張」でもありません。
そのため、解答の〈核心〉にはなりません。
例示がある場合、その「前」あるいは「後」、場合によっては両方に、その例示を挙げてまで言いたかった主張があるはずです。〈解答の核心〉はそちらになります。探しに行きましょう。
この「詩人」の話は、〈②段落〉冒頭から始まっているので、〈②段落〉のほとんどすべてが例としての役割を果たしていると考えられます。したがって、段落をはみ出し、〈①段落〉や〈③段落〉の内容から、〈論点〉を取り出してくる必要があります。
A 〈 例 示 〉 A´
例示がある場合、その直前・直後は「同じ話」になりやすい。「A≒A´」である。ただし、どちらかはカットされることも多いため、必ずそうなるわけではない。
また、文章展開の基本は「抽象⇒具体(Topic sentence → Supporting detail)」の順序になるので、「例示によって言いたいこと」が前か後ろかどちらかにしか書かれていない場合、基本的には前に書いてあることが多い。
以上のことから、基本的には、「もっと前」に着眼しましょう。
白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆な定着をおのずと成立させてしまうので、未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露されてはならないという、暗黙の了解をいざなう。
ここでの「意識」「了解」という語は、「心」の状態であるのですから、傍線部の「心理」と対応しています。答案にはこれらの語句を使用することができます。
言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末に際し、人間は、未成熟で吟味の足りないものを発露してはならないと暗に意識するということ。
もしも、一文全体に傍線が引かれていたら、この答案がほぼ正解となります。しかし、先ほど見たように、傍線は、
「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理
という部分のみに引かれているので、傍線部直前の例示である「詩作」に限定してしまうことは避けましょう。その意味で、主題を「言葉」にしてしまうことも避けるべきです。
課題文を最後まで読んでいくと、「書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道」などと、言語にはとどまらない「表現活動」が示されています。
さらに、「音楽や舞踊における『本番』という時間は、真っ白な紙と同様」と述べられています。さらには「武芸(弓)」の話まで出てきます。筆者はそれらの話題も、「表現を完成させる際の人間心理」の例として扱っています。つまり、課題文全体を読んだうえで述べれば、「定着・完成を前にした人間の心理」の話題は、「言葉」の話題に限定されるべきではないのです。
以上のことから、「完成あるいは定着」という論点が「何について」述べられているのかというと、それは言語活動にとどまらず、「あらゆる表現活動における表現行為」を全般的に意味していると読解したほうが適当です。その典型的な「例」として、筆者は「推敲」の例を挙げたのです。
だからこそ傍線部における「完成」あるいは「定着」という表現には、「 」が付いている、と考えられます。

「 」は、「素直に読まないでほしい」という筆者からの合図なんですよ。
少なくとも傍線部内に「 」があるときは、何かの意図があって「 」が付いていると考えるべきです。
しかも、ここでは傍線部が引かれ、問われていることの内部に「 」があるのですから、単なる強調ではなく、いったん立ち止まってよく考えなければならない「完成・定着」であると言えます。
さて、前段落の〈①段落〉でも、次の段落の〈③段落〉でも、「完成・定着」は、「白い紙に書くこと・印刷すること・押印すること」などを意味しています。
しかし、〈②段落〉においての「完成・定着」は、「白い紙がどうのこうの」という限定的な話題なのではなく、もっと幅の広い「表現行為全般」を意味しています。そういう「意味あいの違い」があります。そうでなければここにだけわざわざ「 」を付ける意味は薄いですよね。
以上の考察から、この設問に答えるにあたっては、「白い紙」「書く」という語句のみならず、「言語」「言葉」といった語もできれば出さないほうがよいと考えます。
人間は、表現の不可逆な定着を成立させる際、未成熟で吟味の足りないものを発露してはならないと暗に意識するということ。
なお、傍線部の終了地点は「体言(名詞)」まで引かれていますが、「どういうものか」ではなく「どういうことか」と問われているので、ある種の運動・状態・行為が問われていると考え、「用言化」して書くほうがよいです。つまり、「動詞化」「形容詞化」「形容動詞化」して解答してよいということです。
本番では、ここまで書ければ次の問いに進んでよい水準ですが。字数としてはもうちょっと書くことができるので、時間に余裕があるのであれば、〈補充〉を考えてみましょう。
【客観表現の抽出】
先に「詩人」の話は安直に使用しない、と述べましたが、「これ」という指示語があることからも、まったく関わっていないわけではありません。「詩」「白紙」「書く」といった具体的すぎる表現を避けたほうがよいのは先に述べたとおりですが、「直前の論点そのもの」を無視することはできません。〈補充〉として「使える表現」がないか探してみましょう。
「詩人」の話として限定されてしまうものではなく、人間の表現行為全般にあてはまる論点があれば、積極的に答案に使用したいところです。「例示的内容」の中に埋まっている「客観表現」を探すのです。
たとえば、この「詩人」の例を、「画家」にしたとても、「写真家」にしたとしても、「逡巡する」「微差に執着する」といった「客観表現」は、そのまま使用可能です。つまり、これらの表現は例示的な話題のなかにあるものの、一定の客観性を保っているのです。
以上により、次のような答案が成り立ちます。
推奨答案
人は、表現の不可逆な定着を成立させる際、微差に執着し、逡巡するほど、未成熟で吟味の足りないものを発露せぬよう暗に意識するということ。

「白」「白紙」「紙」などの語句を使用せずに答案化したいですね。
(二)「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる」とあるが、どういうことか、説明せよ。

(一)の解答と、同じようなものになってしまった人が多かった問題です。
しかし、(一)については、
「表現の完成や達成を前にすると、本当にこれでいいのかな? と迷ってしまう」
とうことが「答案の核」になります。
今回の(二)については、
「白いものに表現を固定するときは、後戻りできないから、より美しく仕上げようとする」
ということが「答案の核」になります。
答案が部分的に似通ってしまうのですが、「核」が異なることは強く意識しておきましょう。
当然、「核」の部分の配点が最も大きいと考えるべきです。

傍線部前半の「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景」という部分は、はっきり言ってこのままでも通じる表現ですね。
そのことからも、この出題の「核(ポイント)」は、「白という感受性が潜んでいる」という部分の説明になります。
白い紙に記されたものは不可逆である。後戻りが出来ない。今日、押印したりサインしたりという行為が、意思決定の証しとして社会の中を流通している背景には、白い紙の上には訂正不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある。白い紙の上に朱の印泥を用いて印を押すという行為は、明らかに不可逆性の象徴である。
思索を言葉として定着させる行為もまた白い紙の上にペンや筆で書くという不可逆性、そして活字として書籍の上に定着させるというさらに大きな不可逆性を発生させる営みである。推敲という行為はそうした不可逆性が生み出した営みであり美意識であろう。このような、達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる。
白という感受性
「白という感受性」を説明するために、本文中から「解答根拠」になる部分を積極的に拾っていきましょう。
ポイントが2つあります。
第一に、「背景に~ある」という表現に着眼すると、〈直前の段落〉には、
~ 背景には、白い紙の上には訂正不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある。
とあり、「背景」という「同じ語句」があります。
ということは、「白い紙の上には訂正不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある」という部分は、「白という感受性」を説明するうえで、かなり重要な部分になります。
語の意味的にも、「イマジネーション」は「想像・想像力」という意味ですから、「感受性」という語との対応関係が認められます。

「イマジネーション」「イメージ」「想像」「想像力」のどれかは、答案に必須と考えましょう。
達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白いものに何かを表現すると、訂正不能な出来事が固定されるという想像力が潜んでいるということ。
達成を意識した完成度や洗練を求める気持ち
さて、傍線部前半の「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ち」については、そもそも比喩的な表現が一切ないので、このまま書いてもよいくらいの部分です。

これをどう答案化するか考えましょう。
まず、無視してはいけないのが「このような」という指示語です。
「このような」は、傍線部に直接係ってくる指示語です。つまり、傍線部と前に書かれている内容との密接性は強いので、「このような」が指すところは、答案に必須になります。
直前には「推敲~という美意識」という論点があります。「推敲」という語は、指示語で直接結ばれている文の主語ですから、工夫して取り込んでおきたいところです。
「推敲」という語をそのまま出してもいいですし、または、「推敲」の意味内容を取り込んで、「何度も考える」とか「逡巡する」とか「熟考する」といったような「説明」にしてもいいですね。

そうすると、
達成を意識した際、完成度や洗練を求めて推敲する(逡巡する・熟考する)美意識
などと書くことができます。
こうすると、「このような」が指す内容を取り込んだことになります。

あとは、「達成」「完成度」「洗練」という「傍線部そのままの語句」が、3つもそのまま答案に出てしまうのは「説明努力が足りない」となってしまうので、せめて2つくらいは言い換えておきたいです。
達成
「達成」は、本文で繰り返されている「定着」が類似表現なので、「定着」のほうを使用するのがいいですね。
完成度や洗練
「完成度や洗練」という「並列表現」は、できれば「一般化」したいです。

「一般化」は、「適切な語句に直す」という手段だけではなくて、「いったん辞書的意味にひらいて、そのうえで混ぜる」という手段があります。
今回はそちらでやってみましょう。
「完成度(が高い)」という語の辞書的意味は、「これ以上ない状態」「改良の手を加える余地がないさま」ということです。
「洗練」という語の辞書的意味は、「よりよいものにする」「練り上げる」ということです。

まとめると、「この上なくよいものに練り上げる」などといった説明が可能です。
以上の考察により、次のような答案が成立します。
定着に際し、この上なくよいものにしようと推敲する美意識の背景に、白いものに何か表現すると、訂正不能な行為が固定されるという想像力が潜んでいるということ。

ここまできたら「背景」「潜んでいる」もなんとかしたいですよね。
こういうときは、「前半」と「後半」を思いきって入れ替えてみてもいいですね。
この傍線部の論理でいうと、入れ替えてしまったほうが「論理の順番どおり」になりますね。
論理の順(時間の順)に並べる

Aの背景に、Bが潜んでいる。
という表現は、
Bに影響されて、Aが発生する。
などと言い換えることが可能です。
ただ、これは、「こうしてもいい」ということなので、もちろん傍線部の構造を変えずに答案を作成してもかまいません。
文法がおかしくなければ、どちらでも得点は変わりません。
推奨答案
白いものへ表現は訂正不能な行為の固定であるという想像力に影響され、定着に際してこの上なくよいものにしようと推敲する美意識が生まれるということ。

この問題のキーワードは「イマジネーション」です。
そのまま書いてもOKですが、字数節約のために「想像」などとすることができますね。
(三)「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」とはどういうことか、説明せよ。

傍線部前半は比較的簡単、傍線部後半は超難問、という設問です。
「この」という指示語があることからも、「推敲という意識をいざなう推進力」は、直前の内容をまとめればよいですね。
傍線部直前の、
白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けることが、おのずと推敲という美意識を加速させるのである。
という箇所と、その二文前の、
取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し続ける呵責の念が、上達のエネルギーとなる。
という箇所は、内容上、同じことを述べています。まずはこのことをおさえておきましょう。
さて、傍線部内の「推進力」と、直前の「加速」とは、意味上の対応が認められます。推進力があるから加速するのですから。
ということは、傍線部内の「推進力」というものは、「白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けること」から発していると読解することになります。
次に、「推敲」という語については、傍線部内の語なので、「言い換え」または「補足」を目指します。
傍線部直後では、「推すか敲くかを逡巡する心理」と言い換えられていますので、そちらを使用しましょう。ただし、「推すか敲くか」という表現自体は、「推敲」の「物語」の中で悩んだ語であり、一種の例示表現ですね。実際には、「好きと言うか愛していると言うかで悩む」ことも、「嫌いと言うか憎いと言うかで悩む」ことも「推敲」という行為を意味するのですから、「推すか敲くか」という部分をこのまま書く必要はありません。
「上達のエネルギー」という内容を加味しつつ、まとめて書けば、「表現の向上を志して逡巡する心理」というようなまとめかたができます。
以上により、次のような下書きが成立します。
白い紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇文化を作り上げたということ。
ここまで書ければ、2、3点が入ると考えてよいです。
どんな文化なのか?
最大の問題は「〇〇〇〇文化」です。
この本文において、「文化」の話をきっぱりしている箇所が他のどこにもないのです。

これは困ったな……

この問題は、次の構造に気づくかどうかがカギになります。
この、推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くかを逡巡する心理は生まれてこないかもしれない。
現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。……
一方、紙の上に乗るということは、黒いインクなり墨なりを付着させるという、後戻りできない状況へ乗り出し、完結した情報を成就させる仕上げへの跳躍を意味する。白い紙の上に決然と明確な表現を屹立させること。不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。またそこには切り口の鮮やかさが発現する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。手の誤り、身体のぶれ、鍛練の未熟さを超克し、失敗への危険に臆することなく潔く発せられる表現の強さが、感動の根源となり、諸芸術の感覚を鍛える暗黙の基礎となってきた。音楽や舞踊における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様の意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。

「紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」
と述べた後で、
「もしも、無限の過失を受け入れ続けるメディアがあったら、推敲の意識は生まれないかも……」
と述べています。
その直後で、「無限の過失を受け入れ続けるメディア」の例として、「インターネット」の話が始まります。
この展開ですと、「インターネット」があると、「推敲の意識は生まれない」ひいては「紙を中心とした文化は生まれない」と述べていることになります。
その後、「インターネット」の話が終わったところで、「一方」という対比関係のラベルを置いて、「紙の上に乗るということは」という「紙の話」を再び始めます。
「紙と対比するもの」として「インターネット」の話を出し、さらにそれを、「一方」という明確な対比のラベルでひっくり返し、「紙」の話に戻ってくるのですから、この段落は、内容上〈傍線部のある段落〉との関連性を強く持っていると言えます。
文章全体を大きな目で見れば、「インターネットの話」は、中心的論点である「紙の話」をより深めるための、「対比の補足」であるという見方もできます。
そのことから、「インターネットの話」をしている段落をいったん( )に入れてみると、その前後では、内容上は、非常に近い話をしていることがわかります。

ただし、ここは傍線部からかなり遠いこともありますから、「長い字数」をかけるのは避けた方がよいです。
(そもそもそんなに入りませんし……)
「ここの論点も拾っていますよ」ということが示せる程度に、うまく圧縮して入れておきましょう。
以上の考察により、次のような答案が成立します。
推奨答案
白紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、未熟さを超克した潔さが感動の根源となる文化を作ったということ。

黄色い線の論点は、「紙を中心とした文化」の説明です。
「インターネット」の話題がある段落の「次の段落の内容」になんとか言及したいですね。そこにある要点に言及できれば、いわゆる「書き賃」として部分点が入るかもしれません。
(三)「文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続ける」とはどういうことか、説明せよ。
基本的な作業で半分以上の得点が取れる問題です。この年の小問の中では最も解きやすいものです。
この問題は、
a.文体を持たない
b.ニュートラルな言葉で
c.知の平均値を
d.示し続ける
という「4ポイント」を、主に同段落内から同義置換していけばよいことになります。
① 主語(主題)の確認
傍線部の主語は「その情報は」であるので、指示語の指示する対象を取り込んだうえで、答案に書き込む必要があります。
無数の人々の眼にふれ、変化する現実に応じていく インターネットの情報は、
という主題が設定できます。
段落全体が「インターネット」の話をしているので、「インターネット」という語も答案には必要です。なお、筆者自身も使用しているので、「ネット」と縮めても問題ありません。
② 傍線部の各要素の置換
a:文体を持たない
これは、意味上「書き手独自の特徴がない」ということであるから、内容的には、「書き手が複数いる」ということになります。すると、「あらゆる人々が加筆訂正できる」という部分があてはまります。
b:ニュートラルな言葉
辞書的には、「どちらにも属さないこと」「中立」「中性」といった意味になります。
〈論点a〉とあわせて書けば、
あらゆる人が加筆訂正できる 中立的な言葉で
などといった説明が可能です。「言葉」は、十分伝わる語であるから、無理して言い換える必要はありませんが、「傍線部の語句はできるだけ言い換える」という〈方法論的一貫性〉に従うならば、「言語」とか「表現」などとしてもよいですね。
c:知の平均値
これは、「情報の内容」において、「あらゆる人々の知性が総合されることによって、結果的に偏りなく表出している」ということです。
たとえば、インターネット上の百科事典において、「読売ジャイアンツ」の項目を「一人」が書けば、「日本プロ野球機構の最も強い球団であり、別名巨人軍である。なお、ジャイアンツに在籍したことのある選手の中で、最も魅力的な選手は上原浩治である」などと、個人的な「思い」が存分に発揮されてしまう可能性があります。
しかし、このインターネット上の百科事典は、それこそ世界の無数の人々の目にさらされているので、「いや、最も魅力的な選手は松井秀喜だ」とか、「そもそも最も強い球団は埼玉西武ライオンズだ!」といった「別の意見」が出てきます。
そういった「個人のつぶやき」がものすごい数で押し寄せてくると、「ジャイアンツに在籍したことのある選手の中で、最も魅力的な選手は上原浩治や松井秀喜や王貞治や長嶋茂雄や吉村禎章や仁志敏久や元木大介や桑田真澄やガリクソンやクロマティや……まあ、みんな魅力的である」といったように、結論に「偏り」がなくなっていきます。その「偏りのない情報内容」が、「知の平均値」ということです。
本文では、「皆が共有できる総合知」という表現が、意味的にあてはまるので、ここを使用できるとよいです。
「平均値」という語を意味的にひらいた表現が存在しないので、辞書的意味を援用し、「偏りがない」などという説明を追加できればよりよいです。
d:示し続けている
「続けている」が重要です。これは、「無限に更新」という箇所がぴったり対応しているので、そのまま使用すればよいです。「無限に更新」は、次段落でも繰り返されているので、そもそも重要視しておきたい論点です。
以上のことをまとめると、次のような答案が成立します。
無数の人々の眼にふれ、変化する現実に応じたインターネットの情報は、あらゆる人が加筆訂正できる(中立的な)言葉で、皆が共有できる偏りのない総合知を、無限に更新し続けているということ。
長いので圧縮をしましょう。
推奨答案
不特定多数の眼にふれ、現実とともに変化するネットの情報は、万人が加筆訂正できる言語表現で、皆が共有できる偏りのない総合知を、無限に更新し続けているということ。

この問題は、「白」の中で最も得点しやすいものです。
できるだけ失点したくない問題ですね。
(五)「矢を一本だけ持って的に向かう集中に中に白がある」とはどういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。

傍線部問題でありながら、「論旨をふまえながら」という付帯条件があるので、
A 本文全体の論旨に言及する。
B 傍線部に応答する。
という両方のことをしなければなりません。
傍線部への応答的解答の中に、「論旨」を織り交ぜて書いていってもよいし、「論旨」を前提として書いたうえで、傍線部に応答するという表現をしてもよいです。
後者であれば、〈A:前提〉と〈B:応答〉を2つの文に分けてもかまいません。ただし、傍線部自体の説明において、本文の論旨そのものとかぶってくる論点があるので、重複を避けながら書く必要があります。
また、設問はあくまでも傍線部に対する説明を求めているので、「論旨」のほうを優先しすぎないことが大切です。「矢」という語をまったく使用せず、「一度きりの行為であることを強く自覚したうえでの決意」といったように、抽象化・一般化した書き方を提示している〈予備校の解答例〉がありますが、それらはやや応用的な書き方であり、受験生がこれを目指すと、かえって失点する危険が出てきます。
もしも、この設問が、
① 「ここで筆者はどういうことを言いたいのか」という「ぼかした」問題である。
② 弓道の話題が傍線部の「外」にあり、傍線部内の指示語でそこを指している。
といったものであれば、「弓道そのものの話題」から、一段階次元を抽象化して書いたほうがよいでしょう。しかし、本問は、傍線部そのものが「弓道」の話をしており、それそのものの説明が求められているのですから、「弓」「矢」「的」といった語をまったく使用しないほうが変です。
さて、本文全体で述べられてきたことは主に4点です。
① 白は、「完成」「定着」の際の、逡巡する(推敲する)感受性である。
② 「推敲(逡巡)の感情」があるから、表現を向上させようとする。
③ 紙がなければ、「推敲(逡巡)の感情」は生まれなかった。
( ⇔ インターネットは無限に未完のメディアであり、「逡巡」はない。)
④ 紙に対する「推敲(逡巡)の感情」を基盤として、諸芸術や武道など表現行為が発展した。
①②③④に言及しつつ、傍線部に答えればよいことになります。あるいは①②③④をコンパクトにまとめてから、傍線部に応答すればよいです。
しかし、この字数の中に「論旨」を詰め込むのであるから、ある程度は自身の語彙力で「圧縮」する必要があります。具体的には、「熟語化」の能力も問われていると考えたほうがよいです。その際、比喩的な表現で圧縮することは避けましょう。それではポエムになってしまいます。
たとえば、〈ある予備校の解答例〉には、「白が鮮やかな輝きを放つようになる」という表現がありますが、何を言っているのかわかりません。比喩的で、読み手に解釈を強いる表現は加点されません。
設問に戻ります。
論旨を「前提」としたうえで、傍線部に「応答」すると、次のような答案が成立します。
推奨答案
白は、個人の表現の痕跡を残す際の逡巡と覚悟の感受性であり、紙媒体を超え、空間への表現行為にまで影響を与える。その美意識は、二の矢への依存心を退けて射るような、行為の不可逆性を自覚したうえで洗練を極めようとする決意の中に見出されるということ。
*「矢」「射る」といった具体的話題に言及しつつも、「弓道」の話題が例示的であることを考慮し、それによって何が言いたいのか、という「主張」のほうを重要な論点として書き込んでいます。

評論の最後の字数指定の設問(いわゆる120字問題)には、次の注意点があります。
① 本文全体を俯瞰する要約的観点が必要
② 傍線部問題であることを忘れない
③ ある程度「自分のことば」にせざるをえない(してよい)
他の設問に比べて、「要は」という視点で答案を仕上げていく必要が出てきます。
そのため、本文には存在しない表現を生成してコンパクトにまとめる場合が多くなります。
他の設問では、傍線部周辺に「キーワード」があることが多く、その「キーワード」をそのまま取り込むことも多いのですが、この「120字問題」は、「キーワードを拾う」というよりは、「要はこういうこと」という観点で、自分が理解した内容を自分のことばで編集することが多いということです。