「いえるのはなぜか」に対する解答方針

「答案作成」の基本姿勢

答案作成の基本姿勢
答案作成の「基本姿勢」を確認しよう。答案の原則答案をつくる際の姿勢として、次のことを意識しておきます。〈記述答案の原則〉(1)答案には「これがなければ…

「いえるのはなぜか」

「いえるのはなぜか」という設問形式は、傍線部のように「表現」できるのはどうしてかと問われているため、表現に対する「論拠・判断材料」が「答案の核」になる。

その点で、シンプルな「なぜか」とは異なり、傍線部の「意味内容」を説明するタイプの問題になります。

「述語」が実質上「主語の名称・たとえ・状態・性質」になっている。

傍線部の論理を簡素化した際、次のような構造になっている場合、「論拠・判断材料」を問うているケースが多いといえます。たとえば次のようなものです。

彼は ≒ 大納言だ。  (述語が主語に対する何らかの名称・たとえになっている)
彼は ー 誠実に働く。 (述語が主語の状態や性質になっている)

こういう場合の「述語」は、「主語」の「中身そのもの」を説明しています。

仮に「述語」の「表現」が「行為」であっても(たとえば「行く」「隠れる」「疑う」など)であっても)、実質上は「主語」の「状態・性質」を意味している場合も少なくありません。

いえるのはなぜか」と問われている場合は、(ⅲ)の「論拠・判断基準」型だと判断してOKです。

ああ~。

たしかに、「よしおは泣いた」とか「ジャイアンツが優勝した」といったような場合、それは「主張」ではなくて「事実」だから、「いえるのはなぜか」って聞かないよね。

たしかに、「傍線部のようにいえるのはなぜか」っていうのは、言いかえると、「傍線部のように主張できるのはなぜか」っていうことだよね。

つまり、傍線部は「事実」ではなくて「筆者の判断」であるわけだから、「事実としての前提条件」ではなくて、「筆者がそう考えた論拠・判断材料」を答えるべきなんだね。

そうですね!

いったん「論拠・判断材料」型の例を見てみましょう。

「論拠・判断材料型」の典型的な例

〈傍線部〉

言語は  ー  記号である。
 ↑        ↑
主 語     述 語(主語に対する何らかの名称

〈答案〉

言語は、 ー 物体や現象の代替として機能するから。 (記号であるといえる)
 ↑           ↑                ↑
主 語         論 拠              答案には不要

ここでの「論拠・判断材料」は、「主語」の意味内容を説明しているとも言えますし、「述語」の意味内容を説明しているとも言えます。

「物体や現象の代替として機能する」という「内容」が、「言語」についても「記号」についても当てはまるからこそ、この「論拠」を介して、「言語はー記号である」と言えるわけです。

ということは、この構造は、丁寧に書けば「三段論法」であるといえます。

言語は、物体や現象の代替として機能する。
    物体や現象の代替として機能するものは、記号である。

よって、言語は ー 記号である

もう一例見てみましょう。

〈傍線部〉

戸締りは  ー  完璧だ。
 ↑        ↑
主 語      述 語(主語の状態や性質

〈答案〉

戸締りは、 ー すべての窓とドアを施錠したから。   (完璧であるといえる)
 ↑           ↑                 ↑
主 語         論 拠               答案には不要

この例でも、「論拠」は、「主語」の意味内容を説明しているとも言えますし、「述語」の意味内容を説明しているとも言えます。

そういったことから、この「論拠・判断材料」型の問題は、多くの場合「主語」の意味内容を「述語」に沿うかたちで説明する問題になります。

ちょっとしたコツがありまして、このタイプの問題は、

主語は、 論 拠 という点で、述語である。

という構文に放り込むと考えやすくなります。

発展型

このタイプの発展型として、

「AはBではない」といえるのはなぜか。
「AはBとは違う」といえるのはなぜか。

と問われることがあります。

この場合、「A」が「B」と「逆」であることを説明すればよいことになります。つまり「相違点」を説明するということです。

たとえば、

「入試において、国語は重要ではない」といえるのはなぜか。

という問題があり、本文において、

国語は ー 合否に影響しない
        ≠
      合否に影響するものが ー 重要である

という関係が読解できる場合、答案は、

「国語は合否に影響しないから。」というものになります。

「論拠」型の問題は、「2つのもの」の「類似性」を説明することが基本姿勢なのですが、逆に「相違性」を説明させる場合もあるということですね。