(一)
農業が盛んだった頃の一風景が、段差のある家の構造自体の中に残っているのだ。
論点収集
問いは「どういうことか」であり、傍線部の論理関係は、「SーOーP」のシンプルなものである。
したがって、解答方針は主に次の3点になる。
農業が盛んだった頃の一風景が / 段差のある家の構造に / 残っている
(S)どんな風景か? (O)どんな構造か? (P)何のことか?
(S)
「農業が盛んだった頃」の「頃」については、文中に「戦前」と書かれているので、答案には「戦前」と書き込みたい。
また、直前の内容から、「農業に関わるたくさんの人たちがこの家に集まっていた」ということがわかるので、その内容も答案に書き込みたい。次の〈②段落〉には、「(今は)ほとんどがらんどうの空間」とあるので、そことの対比で考えると、「人がひしめいていた」とか「人でにぎわっていた」などと書くことができる。
したがって、「主語S」については、
当主をはじめ、小作人、手伝い人、若い者たちがひしめいていた戦前の農家の一風景が
などのように書くことができる。
「家の段差」が「複数」に仕分けられていることを考えると、当主を筆頭として農作業者たちの立場によって居場所が異なっていることに言及できるとよいので、
当主をはじめ、農作業者たちが立場に応じた場所に集まった戦前の農家の一風景が
のようにまとめておこう。

当主も含めて、一気に「米作りに携わる者たち」とまとめることもできますが、当主がちょっと別格であることが示せると「家の構造」を伝えやすいので、字数に余裕があるなら「当主と農作業者たち」くらいにしておくのがいいですね。
こんなふうに、「A、B、C、D」といった関係で、「B・C・D」を「x」という表現でまとめられるのであれば、「Aとx」「Aやx」などと表現してOKです。
(O)
(S)でふれたように、「段差」は「複数」ある。もう少し実態にふみこむと、「高い座敷から低い土間まで複数の段差で仕切られた空間」のことである。
実際には、その高低差は「身分」を示している。答案に「身分」と書いてしまってもよいが、本文にきっぱり書かれているわけではないので、ここでは「役割」「立場」「関係」などが違うということまで言えればよい。
したがって、〈目的語O〉は、次のようにまとめられる。
高い座敷から低い土間まで複数の段差によって立場(役割・関係)が仕切られた家の構造
(P)
「述語P」については、「残っている」と表現されているが、「昔の風景」が「人も含めてそのまま残っている」はずはないので、これは比喩的な表現である。
また、傍線部の直前には、「あったという」という「伝聞」の表現が使われているので、「筆者自身の思い出」ではない。
したがって、この「(かつての)風景が残っている」という比喩表現は、
(かつての風景が)思い浮かぶ/しのばれる/想像される
などのように表現できるとよい。
答案化(簡潔化)
以上のことから、次のような〈答案〉が成立する。
〈答案〉
当主を筆頭に、農作業者たちが立場に応じた場所で集う戦前の農家の風景が、奥座敷から土間に至る複数の段差がある家の構造から想像されるということ。

市販の問題集や各予備校の解答例をみると、「上下関係」を中心的な論点にして書いているものが多いです。
ただ、「本文全体」を見渡した時に、ここで「上下関係」をクローズアップする必要性が見えないんですよね。筆者の思いとして「戦前の家には、構造そのものに上下関係があったんだぞ」と言いたくてここを書いているわけではないんじゃないか、ということです。
このあと(二)では、「祖霊に見守られているように感じてさみしくない」という話題が出てきます。本文全体としても、この「祖霊とともに生きる時間」というものが主題となっています。
ということは、設問(一)の時点で私たち(答案作成者)が中心的に答えておくべきことは、「上下関係がどうのこうの」ということではなくて、「この家に人がたくさん集まっていた」という「活気」についてなのではないでしょうか。
つまり、「家人だけでなく、農作業を手伝う人たちがたくさん出入りしていた」ということをここで述べておくことによって、「かつては、個人ではなく、多くの人が互いに関係しあう生活があった」という「テーマ」に言及できることになります。
そう考えると、「上下関係」の話題は薄めにして、「たくさんの人がいた」という論点のほうに力を入れて答案を練ったほうがよいと判断できます。
〈さらに簡潔な答案〉
奥座敷から土間に至る複数の段差をもつ家の構造から、家人だけでなく様々な立場の農作業者たちで家の中がにぎわった戦前の農家の様子が想像できるということ。
〈論点チェック〉
当主をはじめ、農作業者たちが ① 「当主」は「家人」などでも可
立場(役割)に分かれて集まる ① いくつかの立場や役割があることがわかれば可
戦前の農家の ①
一風景が (ないと減点) 「様子」などでも可
奥座敷から土間に至る ① または「高低」のニュアンスがあれば可
複数の段差のある家の構造から ① 「複数」の意味合いがあれば可
現在でも想像できる ① 「思い浮かぶ」「しのばれる」なども可
(二)
それはどこか怖いような夜に思えるが、長く生きて沢山の人の死を看取ったり、一生という命運を見とどけてきた山羊小母にとっては、温とい思い出の影がその辺いっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである。
論点収集
「温とい思い出の影」は、「たくさんの祖霊たち」のことを言っている。主題は「家(の中)」なので、「主題主語」として「家(の中)」が必要である。
また、「安らかに感じている」のは「山羊小母」であるので、「施事主語(行為主語)」としての「山羊小母」も必要である。「叔母」と書いてもよい。
「温とい思い出の影」の「影」は「姿」のことである。文脈上、「祖霊たちの姿」を指すので、「温もりを伴って思い出す祖霊たちの姿」などのように説明できる。
「かえって」という表現については、直前の「なあんもさびしかないよ」というセリフや、「怖いような夜に思えるが」という逆接表現から考えると、「さびしくなく、怖くもなく、かえって安らかである」という説明ができる。
以上により、次のような〈下書き ver.01〉が成立する。
〈下書き〉
山羊小母にとって、温もりを感じさせるものとして祖霊たちを思い出す家の中は、さびしくも怖くもなく、かえって安らかであるというということ。
答案化(簡潔化)
「安らか」という語は、「本文未読者にも十分伝わる語」なので、そのまま出してもかまわない。ただ、以下の複数の意味があるので、〈多義語〉と考えて意味を規定しておこう。
1 穏やかで変わったことのないさま。平安なさま。
2 何の心配も悩みもないさま。
3 わかりやすいさま。平易なさま。
4 気楽なさま。
5 穏当でわざとらしさがないさま。
この文脈では「1」または「2」の意味に近いため、「平安」「安心」などといった意味で答案に書き込めるとよい。少し前にある「毎日守っていて下さるんだ」というセリフの内容を補足すると、「守られている安心感」などと説明できる。
「かえって」はそのままで伝わるので「かえって」のまま使用しても問題ないが、傍線部中の語句をそのまま使うことに抵抗があれば、「むしろ」などに言い換えてもよい。
以上により、次のような答案が成り立つ。
〈答案〉
山羊小母にとって、温もりを感じさせるものとして祖霊たちを思い出す家の中は、さびしくはなく、怖くもなく、むしろ守られている安心感があるということ。
〈さらに簡潔な答案〉
山羊小母にとって、祖霊たちの温もりある姿が思い出される家の中は、さびしくも怖くもなく、むしろ守られている安心感があるということ。
〈論点チェック〉
山羊小母にとって、 (ないと減点) 「叔母」でもよい。
温もりのある ① 「あたたかな」「なつかしい」なども可
祖霊(祖先)を思い出す ①
守られているように感じる ①
家(の中)は (ないと減点)
さびしくない(孤独でない) ①
怖くない ①
むしろ安心できる場所 ① 「安らか」のままは加点なし
(三)
長男でもなく二男でもない私の父は、こんな村の時間からこぼれ落ちて、都市の一隅に一人一人がもつ一生という小さな時間を抱いて終った。
論点収集
「主語S」は「筆者の父は」になる。
「こんな村の時間からこぼれ落ちて」という「キーワードを導く要約系指示語」があるので、直前の複数の論点をまとめる。
命を継ぎ、命を継ぐ、そして列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らかな人間の時間なのだということを、私は長く忘れていた。
「命を継ぎ」というのは、前代から生の時間を受け取ることであり、「命を継ぐ」というのは、後代に生の時間を引き渡すことである。一言でいえば「世代を超えて引き継がれる」ということになる。
「列伝のように語り伝えられる」というのは、「かつてそこに生きた人々の相貌を物語として伝承していく」ということである。
以上により、次のような〈前半の下書き〉が成立する。
〈傍線部前半の下書き〉
筆者の父は、祖先たちの生の相貌を伝承し、世代を超えて生を継承していく長く安らかな村の時間から外れて、~
さて、傍線部後半は、「小さな時間を抱いて終った」というところが比喩的であるので、解決したい。
「抱いて終った」は、具体的に事態をクリアにし、「(一生を)過ごして死んだ」「(生を)送って亡くなった」などとすればよい。「小さな時間」は、先に述べられた「村の時間」との対比を参考にすれば、「個人として区別(分断)された時間」などと言える。
答案化(簡潔化)
以上により、次のような答案が成り立つ。
〈答案〉
筆者の父は、祖先の物語や逸話を語り伝えることで、生を継承していく感覚を持つような、長く安らかな村の時間から外れて、都市で分断された個人の生を過ごして死んだということ。
〈さらに簡潔な答案〉
村では、祖先の人生が伝承され、人の間で連綿と生が継承されるような安らかな時間があるが、筆者の父はそこから離れ、都市で独立した個人の生を終えたということ。
〈論点チェック〉
筆者の父は、 (ないと減点)
祖先の人生が語り継がれ ① 「伝承」など同趣旨なら可
世代を超え ① 「何世代にもわたり」など同趣旨なら可
人間が命を継承する ①
安らかな村の時間から外れ、 ①
都市で (ないと減点)
つながりを失った ① 「区別」「分断」「独立」なども可
個人として生を終えた ①
(四)
それはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのであろうか。
論点収集
傍線部内の「それ」が指している内容は、
山羊小母たちが持っている安らかな生の時間
のことであるので、傍線部の論理関係は、
山羊小母たちが持っている安らかな生の時間は、 【主語S】
↓
昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまった。 【述語P】
ということになる。
ただし、「問い」は、「『私』がそう思うのはなぜか」というものであるので、文全体の主語は「私」になる。
つまり、次のような構造になる。
「私」は、 【大きな主語S】
山羊小母たちが持っている安らかな生の時間が 【小さな主語s】
昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまった 【小さな述語p】
と思っている。 【大きな主語P】
これは、「原因・きっかけ」を問う「cause型」の「なぜか」だと判断できるので、答案の構文は、次のようになる。
「私」は、【 】から。 ←答案はここまで
(→ 山羊小母たちの生の時間が「昔語り」「伝説的時間」になったと思う)
傍線部内の「昔語り/伝説的時間」というのは、「現在の時間」からは手の届かない、実感しえない時間と読解できる。
したがって、「私」にとって、「山羊小母たちの生の時間」が、「今とは区別された実感できない時間」に思えてしまう理由についてつきとめればよい。
まず「私」は、
長く安らかな人間の時間を私は長く忘れていた
と述べている。「長く安らかな人間の時間」=「山羊小母たちの生の時間」である。
では、どうして忘れていたのか。
最終段落で筆者は、
私も都市に生れ、都市に育って、そういう時間を持っているだけ
と表現している。
つまり、「私」自身が「都会の時間を生きている」から、「山羊小母」の時間を忘れてしまっていたのである。「私」が「都会」で生きているということについて、〈⑦段落〉にもう少しくわしく言及されている。
私のような都会育ちのものは、どうかすると人間がもっている時間というものをつい忘れて、えたいのしれない時間に追いまわされて焦っているのだが、山羊小母の意識にある人間の時間はもっと長く、前代、前々代へと遡る広がりがあって、そしてその時間を受け継いでいるいまの時間なのだ。
「えたいのしれない時間に追いまわされて」というところは、比喩表現であるので答案に拾いにくいが、「焦っている」という心情表現は「私」の様子として拾うことができる。
またここには「山羊小母の時間」についても言及があるので、「幾世代にもわたって引き継ぐような時間意識」ということも論点として拾える。
以上により、次の3つのポイントをまとめれば、〈答案〉が成立する。
(a)戦後の変遷を経て、都会は個別的な生の場所になってしまった
(b)それは、山羊小母の時間(幾世代にもわたり生きる時間を受け継ぐような時間)とは異なる
(c)「私」自身、その都会において、焦りながら生きている
*「昔語り」「伝説」という語から考えると、「戦後の変遷を経て」といった論点を入れておけるとよい。「昔」は「あった」ということになるからである。
答案化(簡素化)
〈答案〉
戦後の変遷を経て、都市では祖先から生を継承するような安らかな時間は遠い過去のものとなってしまい、「私」はその都市で個人の生を焦りながら生きているから。
〈さらに簡潔な答案〉
「私」は、戦後の変遷を経た都市で、個人として焦りながら生きているため、幾世代にもわたり生きる時間を受け継ぐような安らかな時間を実感できないから。
〈論点チェック〉
戦後の変遷を経た ①
都市で (ないと減点)
個人の生を焦って生きる ①
「私」は、 (設問に明示されているのでカット可能だが、書けるなら書く)
祖先から連綿と生を伝承する ①
昔の農村の安らかな時間を ①
実感しにくいから ①