傍線部について「どういうことか?」と問われた場合、傍線部内の語句はいちいち言い換えていく姿勢が基本です。
特に、指示語や比喩表現は、言い換えて説明することが必須であり、指示語や比喩表現を答案に残すべきではありません。
しかし、たとえば、次のような語はどうでしょうか。
人
国
時
島
これらは、すでに明確な客観語であり、一般的に意味が了解できるものです。
したがって、これらをいちいち言い換える必要はありません。
たとえば、「人」に対して、辞書的意味を援用し、「 霊長目ヒト科ヒト属の哺乳類であり、直立二足歩行し、手で道具を使う……」などと説明する必要はありません。
しかし、次のような場合はどうでしょう。
西欧では、自然を支配しようとする歴史が~
それに対して、日本では、~
~ ここでは、人は自然との調和を重んじて生活している~
かりに、「人は自然との調和を重んじて生活している」に傍線が引かれ、「どういうことか説明せよ」と言われた場合、「人」という語句を「言い換える」必要はありませんが、「どういう」人であるのかを「追加」する必要があります。この文脈では、傍線部の「人」は「日本の人」であることになりますから、「日本人は~」などと、意味を付け加えて説明することが重要です。
このように、傍線部内の「一般的、客観的語句」は、「語句そのもの」を言い換える必要はありません。ただし、そこまでの文脈において「意味の限定」があるのであれば、その情報を追加したほうがよいと言えます。
さて、では、「普遍」「特殊」「錬成」「克己」「当惑」などといった「熟語」についてはどうでしょうか。
「熟語」も、原理的には、「語そのもの」の意味は了解可能です。そのため、「客観語」と同様に、「言い換え」よりも「付け加え」のほうが重要です。
熟語そのものの言い換えよりも、「どういう点でそのように言えるのか」という情報を本文から探し、それを論点として追加したほうがよいということです。
ただし、単なる「客観語」とは異なる点があります。「熟語」は、多くの意味を含みこんで成立しているところです。
たとえば、「人」は、「人」としか言えないところがありますが、「特殊」は、 「性質が他と著しく異なること」という「辞書的言い換え」をしたほうが、よりわかりやすくなります。 あるいは、本文中にあるのであれば、「類義語」に取り換えることで、相手の理解を深めることができます。
そこで、次のような方法論をとります。
(ⅰ)本文内別箇所に「辞書的言い換え」があれば、それと取り換える。
(ⅱ) 本文内別箇所に「類義語」があれば、それと取り換える。
(ⅲ)両方なければ、自力で辞書的言い換えを果たす。
(ⅳ)時間がなければ、そのまま書く。
たとえば、こういうケースはどうでしょう。
傍線部内に「例外」という語がある。
傍線部外に、「原則にあてはまらない」などという「意味内容表現」がある。
この場合、「例外」という語を答案から外し、「原則にあてはまらない」という「意味内容表現」を登場させたほうがよいです。
なぜなら、〈設問と傍線部だけを見ている第三者〉にとって、「筆者は、例外という語を、原則にあてはまらないという意味で使用しているのだな」という「理解の深まり」が果たされるからです。
では、次のケースはどうでしょう。
傍線部内に「例外」という語がある。
傍線部外に、「特殊」という語がある。
つまり、傍線部内の「類義語」とみなせる表現が、傍線部外にある場合です。
この場合、「例外」という語を答案から外し、「特殊」という類義語を登場させたほうがよいです。
なぜなら、〈設問と傍線部だけを見ている第三者〉に対して、傍線部内の「例外」を傍線部外の「特殊」に置き換えることで、「○○が△△である現象について、筆者は例外とも言っているし、特殊とも言っているのだな」という「理解の深まり」が果たされるからです。
(もちろん、採点者が本文を読んでいないということなど本来はありえませんから、この「仮想」は演技的仮想なのですが、そのように「仮想」したほうが、方法論を固定できます。)
「類義語」も「意味内容表現」も、どちらも存在しない場合は、次のように考えます。
(ⅰ)理想的な作業 ⇒ 自身の語彙力で辞書的意味におきかえる。
(ⅱ)現実的な作業 ⇒ 無理せず、そのまま「例外」と書く。
模範解答は(ⅰ)で作成することが多く、選択肢問題も(ⅰ)になることが多いのですが、記述問題の場合、(ⅱ)を採用してかまいません。
なぜなら、前述したように、傍線部内に熟語がある場合は、「そのものの意味」よりも、「どういう点がその熟語のようにいえるのか」を突き止め、「どういう点」のほうを書くことが重要であるからです。いわば、「換言(エクスポート)」よりも「補足(オプション)」が重要なのです。
傍線部内の熟語をかみくだけば、いっそうわかりやすい説明になるので、「熟語の辞書的かみくだき」は、「うまくできれば満点に近づく」というのは確かです。
しかしその一方で、「自身の語彙力による辞書的かみくだき」に失敗すると、意味そのものの取り違えが起きるので、むしろ減点されるおそれがあります。そのことから、「傍線部内の熟語に対する自身の語彙力による辞書的かみくだき」は、満点水準の得点をゲットしにいく際の「チャレンジ」であると考えておくとよいでしょう。あくまでも、時間的・精神的に余裕のあるときに挑戦してみるべき方法論です。