語句の「安易な」変換はしない

現代文の記述問題において、課題文に存在しない〈自分のことば〉をどのくらい使用してよいのか、どのくらい使用するべきなのか、ということが本ブログのテーマの1つなのですが、これに対して、重要な示唆を与えてくれているのが、細水正行先生による書籍です。

以下に、少し引用させていただきます。

 歴史に法則があることは、みな気づいている。歴史の大きな魅力である。だが、それで喜んでいるばかりでは歴史を現代に生かすことはできない。現代には現代にしかない課題が存在するからだ。

〈問〉「歴史を現代に生かす」とはどういうことか説明せよ。

合格答案「歴史法則を、現代特有の課題に応じて再解釈するということ」
拙い答案「歴史を現代に生きるものとして捉えるということ」

 「拙い答案」は、傍線部の「生かす」を似たような語に単に置き換えただけで、内容がない。だが、もっと問題なのは、日本語が変だということである。なぜなら、「現代に生きるものとして」と書いてしまうと、「現代に生きる人間として」とも解釈できるからだ。つまり「曖昧な日本語」なのである。

細水正行『プロが明かす 東大・京大・早慶 突破50の条件』

細水先生は、この紙面で、次のようにも述べています。

 傍線部につられて他動詞「生かす」を自動詞「生きる」に安易に変換してしまったために、まったく的はずれの答案になってしまったのである。

同上

「拙い答案」がいかに拙いかについては、本書で述べられているとおりですが、注目すべきは、「合格答案」に、課題文には存在しない熟語が出現している点です。

・特有
・再解釈

といった語は、与えられている課題文中には存在しません。

しかし、課題文中の「現代にしかない」という表現は「現代特有」とすることが可能です。

また、「現代にしかない課題にに対して歴史を生かす」ということは、歴史の法則を現代にあてはめて考えるという主旨になりますから、「再解釈」という語は、適切な読解として成り立ちます。

これらのことは、制限字数に余裕があり、長めの文で書けるのであれば、無理に熟語化しなくても書ききることはできます。しかし、実際には入試問題の制限字数は短めです。

たとえば、東大では、ある年から解答欄のタテの長さをほんの少し短くしています。これは、「だらだら書かないでほしい」という意思表示ではないかと言われています。(ただし、近年でも、小さい字で長めに書いたきた答案が高得点をとってくる事実もあるので、大学側の意思表示と、受験生個々人の戦略とが一致するとは限りません。)

また、これは別の記事でも示しますが、「自力で語句を考えないと答案が成り立たない」というケースも多く見られます。たとえば、「列挙されている語句をまとめた表現が課題文中に存在しないケース」や、「傍線部内あるいは傍線部と密接に関わるところにある比喩表現に対応する実態的な表現が課題文中に存在しないケース」などです。そのような問題は、意図的であるとしか考えられないほど出題されます。「一般化」「比喩解読」を自力で行うことを求めているのだと判断できます。

資料がなくて申し訳ないのですが、東大の学長は、ある雑誌のインタビューで、「『これでもか』という答案を期待している」と述べていました。また、ある教授が、採点の実際に言及し、「『これでも合っているかな』という表現があると、採点者が集まって審議して、解答に整合しているかどうか審議しているので、採点に時間がかかる。国立大学の中で合格発表が最も遅いのはこういうことをしているから」と述べていました。

また、東北大学などは、公表している「出題意図」の中で、「一般化」の重要性を繰り返し述べています。つまり、課題文のなかで具体的に挙げられている複数のものを「自力で抽象化してまとめる」力量があるかどうかを見たい、と公言しているのです。

いずれにせよ、現代文の記述問題においては、

① 圧縮
② 一般化
③ 比喩解読
④ 辞書的意味説明

において、〈自分のことば〉を必要とします。答案のまるごとすべてが課題文に存在しない語句になることはまずありませんが、課題文の語句をパッチワークのように切り貼りしただけの答案では高得点にはならないことは念頭に置いておくべきでしょう。

①字数を縮めるとき
②複数の具体的事例をまとめるとき
③たとえを実態になおすとき
④語句の意味を辞書的説明になおす

といった際に、〈自分のことば〉を求められることは少なくありません。いや、「少なくない」どころか、高得点のためには必須のことだと言えます。

「仕上げは語彙力」ということを忘れずにトレーニングしていくことが重要です。