落語の国

(一)「このこころを凍らせるような孤独」とはどういうことか、説明せよ。

この問題の「主語(主部)」はけっこう長くなるので、書き方に工夫が必要です。

同じ価値をもって並んでいる複数のものを答案に出すときは、「要素を落とさない」姿勢が重要です。

そのため、次の(1)(2)のどちらかの手段で解決します。

(1)複数のものを書ききるか、(枚挙する)
(2)抽象化してまとめる。  (一般化する) 

入試問題では、多くの場合、(2)「一般化」が期待されています。

両方の書き方を見ておこう。

〈枚挙〉
観衆の期待の視線にさらされる落語家も、患者の人生を賭けた期待にさらされる分析家も、~

〈一般化〉
①落語家も分析家も、観衆や患者からの期待に応え、~
②落語家も分析家も、自分に期待をかける他者からの要求に応え、~

「この部分」に関する「部分点」は同等であるが、〈一般化〉を果たしたほうが「他の重要な論点」を答案に取り込むスペースができるので、結果的に高得点を目指しやすい。

比喩の解除

先ほどの作業で「主題(主語S)」は設定できたので、次に「こころを凍らせるような」という比喩を解決しよう。

「こころを凍らせるような」という語感からイメージできることは、「恐ろしい」「ぞっとする」といったニュアンスである。それが表現されている箇所を探そう。

落語家も、分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、客や患者が来なくなるという点で自分の人生が脅かされる

この「自分の人生が脅かされる」という論点に言及できれば、「こころを凍らせるような」という比喩を解除したといえる。常に重要なことは、「論点への言及」なのである。

最後に「孤独」である。「孤独」は、「本文別箇所を読まなくても意味が伝わる客観語」であるので、語そのものは、そのまま出しても問題ない。

ただし、ここで、「設問」が「どういうことか」となっている点に注目してみよう。

「孤独」は「体言」であるので、普通は「どういうものか」と問われるはずだが、ここでは、「~ことか」と問われている。

つまり、「動作・状態」で答えるような問い方になっている。これは、「述語化してよい(したほうがよい)」というメッセージである。

このような設問の場合、「体言」を「述語化(用言化)」して解答化してみましょう!

その観点で「孤独」の言い換えを探すと、「たったひとり(で事態に向き合う)」といった表現がある。これが「孤独」の「動作・状態」的表現であると判断できる。

以上により、次のような答案が成立する。

〈解答例〉
落語家も分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出さなければ、対価を得られなくなり、自分の人生が脅かされるという事態に、一人で向き合わねばならないということ。

〈さらに簡潔な解答例〉
落語家も分析家も、期待に応えて成果を生まなければ客も患者も来なくなるという、人生を脅かすほどの事態に一人だけで向き合うということ。

〈論点チェック〉
落語家も分析家も、       (ないと減点)
観衆や患者の期待に応え、       ①
成果を生み出すことができなければ、  ① 同趣旨なら可
対価を得られなくなり、        ① 「観衆や患者が来なくなる」なども可
自分の人生が脅かされるという事態に、 ① 
一人で向き合わなければならない    ②

参考までに、文科で80点をとった受験生の答案を見てみましょう。
(この小問に何点入っているのかはわかりません)

〈高得点と考えられる再現答案〉
落語家も分析家も、過剰なほどに注がれる他者からの期待にさらされながら、何らかの成果を生み出すという要求に、自身の人生を守るため、たった一人で応えているということ。  

(二)「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」とはどういうことか、説明せよ。

この問題は「隠れ指示語の問題」である。

傍線部と直前の文が「接続詞・副詞」といった「目印」がない状態でつながっており、その「直前文」に「指示語」があります。

こういう場合、「傍線部そのものに指示語がある」ケースと同じ扱いになります。

指示語が指している内容を過不足なく表現しましょう。

指示語の対象を表現し、傍線部を言いかえると、次のような〈下書き ver.01〉が成立する。

〈下書き ver.01〉
落語家の自己は、根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化し、おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者として現れた状態で維持されるということ。

さらなる得点向上のために、次の①②を考えてみましょう。

+αのためのその①

「分裂」というからには、「かわるがわる複数の人間になる」という説明では足りない。

「昨日は熊さんで、今日ははっつあん」という程度であれば、それは「分裂」というよりもただの「変化」である。

そうではなく、落語を演じている落語家の「自己」は「5秒前は熊さん」で、「今ははっつあん」で、「10秒後はまた熊さん」という「目まぐるしい状況」がずっと続くのである。

「複数の他者がいくつも現れた状態でキープされている」からこそ「分裂」といえるのである。その点で、本文中にある「維持」は重要なキーワードである。解答に取り込みたい。

+αのためのその② 主語(主題)の規定(限定)

先ほどの〈下書き ver.01〉と、傍線部の主語を見比べてみよう。

〈傍線部〉落語家の自己は
〈下書き〉落語家の自己は

同じである。ここに「説明不足」が発生している。

現実の事例で考えてみましょう。

たとえば「快楽亭ブラック」は「落語家」ですが、「ブラック」はいつもいつも複数の他者を同時に抱え込み、分裂しているのでしょうか?

朝起きたときや、昼ご飯を食べているときに、「なあ八つあん。なんだい、熊さん」などと話していますでしょうか?

そんなことはありません。

日常生活での「ブラック」は、「ふだんのブラック」です。

あくまでも、「落語を演じているときのブラック」こそが、「複数の他者を同時に内在させている存在」なのだといえます。

このように、主題(主語・主部)の概念を、文脈に合わせて適切に定義したほうが、より説明的になる。

以上により、次のような〈解答例〉が成立する。

〈解答例〉
ひとり芝居を演じる落語家の自己は、根多のなかの人物たちに瞬間瞬間に同一化し、互いが互いの意図を知らない複数の他者として現れた状態で維持されるということ。

〈さらに簡潔な解答例〉
芝居中の落語家は、根多の中の人物たちに次々同一化することで、互いの意図を知らない複数の他者を自己内に抱えたまま維持するということ。

〈論点チェック〉
ひとり芝居を演じる             ①
落語家の自己は、           (ないと減点)
根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化し、   ②
互いが互いの意図を知らない複数の他者として ②
現れた状態で維持されるということ。     ①

〈高得点が見込まれる再現答案〉
芝居を演じる落語家は、根多のなかの複数の人物に代わる代わる同一化し、互いの意図を知らない複数の他者として、そこに現れ続けているということ。

(三)「ひとまとまりの「私」という錯覚」とはどういうことか、説明せよ。

傍線部の結びが、「錯覚」という「体言」であるのに、「どういうことか」と問われている。

これも(一)と同じように、「述語化」して書けるとよい。

〈下書き ver.01〉
人間は自己のなかの自律的に作動する 複数の自己によって本質的に分裂されており、それらと、同一化するなかで新しい自己が形成されるように思い込むということ。

傍線部の直前に、「それらとの対話と交流のなかに」という論点がある。これを落とさないようにしたい。

傍線部の直前にある「対話と交流のなかに」というのは、「ひとまとまりの私という錯覚」が生まれる環境なのであるから、いわゆる「前提(背景)」答案には出しておいたほうがよい。さらに、「それらの」という指示語の指示対象を拾い、「自己の中で自律的に作動する複数の自己」という論点も必要になる。

以上により、次のような〈解答例〉が成立する。

〈解答例〉
人間は、自律的に作動する複数の自己によって本質的に分裂されているが、それらの対話や交流のなかで個人としての欲望と思考をもつ一人の自律的な人間であると思い込むということ。

〈さらに簡潔な解答例〉
人間は、自律的に作動する複数の自己に分裂しているが、それらの対話や交流のなかで、一つの自我をもつ一貫した人間だと思い込むということ。

〈論点チェック〉
人間は             *あるとよいが、省略可
自律的に作動する複数の自己によって  ①
本質的に分裂されているが、      ① *逆接構文になっているほうがよい。
それらの対話、交流のなかで      ① 
個人としての欲望と思考をもつ     ① *「自我」「個性」「一つの人格」などでも可
一人の自律的な人間であると      ① *「一貫した存在」などでも可
思い込む               ① 「錯覚」のままは加点減点なし
                     「錯覚」への言及がないものは減点①点

なお、東大が想定している「模範解答」のレベルでは、

「統合された一つの自我を持つと思い込んでいる」
「統一された一人格であるという誤った自覚をもつ」

など、本文にない語彙を用いて説明することが期待されていると考えられる。

したがって、「自我」とか、「一人格」などといった「文中にない語句」を思いつくのであれば、使用したほうがよい。

とはいえ、「自身の語彙力」というのは、本文に話題がないことを自由に作文していいというわけではない。「本文での冗長な表現を端的に言い換えるうえで、語彙力を発揮できるとよい」というように考えよう。

〈高得点が見込まれる再現答案〉
実際は自己のなかには自律的に作動する複数の自己が存在しているが、それらと対話や交流をおこなううちに一つにまとまった自我が存在するように思われてくるということ。

(四)「精神分析家の仕事も実は分裂に彩られている」とはどういうことか、説明せよ。

まずは下書きを示します。

〈下書き ver.01〉
精神分析家は患者の心の一部分に同化することを通じて、患者を理解しようとするため、患者の自己の複数の部分に同化した結果、分析家の自己が分裂するということ。

より高得点へ

*本文では、「精神分析家の仕事」というように、「も」がついているので、念のため、「落語家同様」という付け加えをしておけるとよい。

*「患者の心の一部分に同化する」という情報と、「患者の自己の複数の部分に同化」という情報が、そもそも重複しているので、「複数」という論点がある後者を活かし、前者はカットしたほうがよい。

*〈⑨段落〉には、「そうして自分でないものになってしまうだけでは、精神分析の仕事はできない」と書かれているので、そこに続く論点も拾っておきたい。そこでは、

分析家はいつかは、分析家自身の視点から事態を眺め、そうした患者の世界を理解することができなければならない。

と書かれている。

つまり、「分裂」している「複数の自己」のなかには、最終的には「分析家自身の自己」も入っていなければならないのである。そのことも含めると、次のような〈解答例〉が成立する。

〈解答例〉
精神分析家の仕事は、患者の理解のために、患者の複数の自己に同化するとともに、分析家自身の視点も必要になる点で、落語家同様、多様な自己に分裂しているということ。

〈論点チェック〉
精神分析家の仕事は、      (ないと減点)
患者の理解のために、         ① 「理解」がないものは加点なし
患者の複数の自己に同化するとともに、 ① 「複数」がないものは加点なし
分析家自身の視点も必要になる点で、  ① 
落語家同様、             ①
多様な自己に分裂しているということ。 ② 
*「彩られている」の言い換えとして、分裂している自己が「多彩」「多様」「豊富」                         であることが示せればよい。

〈高得点が見込まれる再現答案〉
精神分析家の仕事も落語家同様、精神分析を行ううちに分析家自身が患者の自己の複数の部分に同時に同化することを、患者の理解に利用するということ。

(五)「生きた人間としての分析家のありかたこそが、患者に希望を与えてもいる」とあるが、それはなぜか、落語家との共通性にふれながら、100字以上120字以内で説明せよ。

最終段落を見ておこう。

 もちろん、そうして自分でないものになってしまうだけでは、精神分析の仕事はできない。分析家はいつかは、分析家自身の視点から事態を眺め、そうした患者の世界を理解することができなければならない。そうした理解の結果、分析家は何かを伝える。そうして伝えられる患者理解の言葉、物語、すなわち解釈というものに患者は癒される部分があるが、おそらくそれだけではない。分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる(オ)生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいるのだろう。自分はこころのなかの誰かにただ無自覚にふりまわされ、突き動かされていなくてもいいのかもしれない。ひとりのパーソナルな欲望と思考をもつひとりの人間、自律的な存在でありうるかもしれないのだ。                

常に考慮しておくべきことは、「解答者のすべき仕事は、傍線部と設問しか見ていない人に伝わるように書くことである」という前提である。

その前提で考えると、傍線部直前の、

分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる

という表現は、「生きた人間」を詳しく修飾している部分なのであるから、そこを入れたほうが、傍線部そのものがいっそうわかりやすくなる。

次に、傍線部直後の「のだ文」に着眼しよう。「のだ文」は、その前の部分の「追加説明」または「理由説明」になる。

ここでは、

分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる(オ)生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいるのだろう。自分はこころのなかの誰かにただ無自覚にふりまわされ、突き動かされていなくてもいいのかもしれない。ひとりのパーソナルな欲望と思考をもつひとりの人間、自律的な存在でありうるかもしれないからだ。

というように、「のだ」を「からだ」と言い直すことができるので、最終文は、傍線部の「理由」を示しているとみなすことができる。

すると、「理由」としては、

(a)
自分(患者)はこころのなかの誰かにただ無自覚にふりまわされ、突き動かされていなくてもいいかもしれないから。

(b)
ひとりのパーソナルな欲望と思考をもつひとりの人間、自律的な存在でありうるかもしれないから。

という論点を入れたいということになる。

「120字問題」は、一字一句に拘泥するのではなく、「入れるべきだ」と考えた論点そのものを落とさないように、思いっきり圧縮してよい。そうしないと120字に入らない。

以上のことから、答案はひとまず次のようにまとめることができる。

〈下書き ver.01〉
患者に同化した分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる生きた人間としての分析家に接することで、患者自身も、心内の複数の自己の間で惑わされなくてよい、統合された個としての自律的な人間でありうるという望みを持つから。

*「こころのなかの誰か」というのは、「分裂した自己」「複数の自己」を意味しているので、そのように書き換えている。

*「ふりまわされ、突き動かされていなくてもいい」という表現は、「惑わされなくていい」とか。「混乱しなくていい」といった表現で短くできる。

*「パーソナルな欲望と思考」は、一気に短くすれば「個性」でよい。

*「ひとり」「ひとつ」といった表現は、「分裂」と対立する表現であることから、「分裂」の対義語を用い、「統合された唯一の自己」などと表現することができる。

次に、問題には、「落語家との共通性にふれながら」とあるので、答案の前半に落語のことを書けばよい。「希望」というキーワードをヒントにさかのぼると、〈⑦段落〉の最後には次のように書かれていた。

落語を観る観客はそうした自分自身の本来的な分裂を、生き生きとした形で外から眺めて楽しむことができるのである。分裂しながらも、ひとりの落語家として生きている人間を見ることに、何か希望のようなものを体験するのである。

このことを前半部に入れると、次のような〈下書き ver.02〉が成立する。

〈下書き ver.02〉
複数の登場人物に分裂しつつも、一人の落語家として生きている人間を見ることで観客が楽しむように、分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる生きた人間としての分析家に接することで、患者自身も、心内の複数の自己の間で惑わされなくてよい、統合された個としての自律的な人間でありうるという望みを持つから。

このように、最後の「120字問題」は、「これが必要だな」という論点を収集していくと、150字くらいになってしまう。エッセンスを失わないように、圧縮して答案を仕上げよう

〈解答例〉
複数の人物に分裂しつつも一人の人間として生きる落語家を眺めて観客が楽しむように、患者に同化した分裂から立ち直り自分を客観視できる生きた人間としての分析家に接することで、患者自身も、統合的かつ自律的な一個人でありうるという望みを持つから。

〈論点チェック〉
複数の人物に分裂しつつも          ①
一人の人間として生きる落語家を眺めて    ①
観客が                (ないと減点)
楽しむように、               ①
患者に同化した分裂から立ち直り       ①
自分を客観視できる             ①
生きた人間としての分析家に接することで、  ①
患者自身も、         (ないと減点)
統合的かつ自律的な             ①
一個人でありうるという望みを持つから。   ①

〈高得点が見込まれる再現答案〉
落語家も分析家も根多や精神分析の過程で自律的に作動する複数の自我を抱えるが、分裂しながらも分裂から立ち直って、自分を別の視点から見ることができるその存在そのものが、ひとまとまりの自我の存在を期待させるから。

(六)

(a)稼

(b)慰

(c)脅

(d)情緒

(e)契機

以上です!