送り火

問1

(ア)正解は③

「老成した」は、「年のわりに落ち着いた」という意味であり、辞書的な意味として③しかあてはまりません

直前に「当時四十代後半にさしかかっていた」とあることから、①の「しわがれて渋みのある」や、⑤の「静でゆっくりとした」などを選んでしまうケースが目立ちますが、①や⑤の意味は辞書にないので、文脈に適しているように見えても、不正解です。

(イ)正解は⑤

「不意をつかれて」は「予想もしていないことにあわてる」「思いがけないことにびっくりする」という意味です。

「不意」は「意識していない」ということですから、「考え」「思い」がないところに、何かが起こってしまうことを表しています。

〈選択肢①〉は「突然」が△。一見よさそうに見えますが、「意識していないことが起こること」と「突然」は似ているようで違います。いくら「突然」起こったことでも、それを事前に意識していたのであれば、「不意」にはなりません。たとえば、雨の予報を見ていた日に、突然雨が降り出しても、「不意」とは言えません。また、「困り果てて」も×です。「果てる」は「最後まで」という意味ですから、「困っている状態が果てまでいき、どうしていいかわからなくなる」というような文意になります。その意味だと、ここでの文脈には合いませんし、辞書的意味からも遠ざかってしまいます。

〈選択肢②〉は「見込み違い」が△です。「不意」とは「意識していない」ことです。「見込み違い」というのは、「見込み」そのものはしていたことになるので、「不意」とまでは言えません。また、「不快になって」が前後の文脈に合わないので、その点でも×です。

〈選択肢③〉は、「感心して」が、前後の文脈に合いません。また、「不意をつかれる」という言葉の辞書的意味に、「感心」はあてはまりません。

〈選択肢④〉は、「初めてのこと」が辞書的意味としてアウトです。

(ウ)正解は⑤

体裁ていさい」は「外見上の姿かたち」のことであり、「体裁をなす」で、「見た目が整うこと」を意味します。辞書における意味が、「外見上の姿かたちがそれらしい様子になる」ということですから、あてはまるのは〈選択肢⑤〉しかありません。①の「準備が済んで」や、③の「立派になって」などは、文脈としてはマッチするが、「外見」「見た目」に話題をしぼっていないので、辞書的意味としてアウトです。

余談ですが、「体裁ていさい」は、「読み」「書き」ともによく問題になっているので、漢字問題の観点でも注意が必要です。

問2

〈傍線部A〉は「陽平さん」に対する「絹代さん」の第一印象です。つまり、「絹代さん」の心情表現を問う問題です。

小説の時間の流れには、

きっかけ ⇒ 心情 ⇒ 行為(セリフ)

という論理関係が存在します。

その順番通りに書かれているとは限りませんし、すべて書かれているとは限りません

しかし、論理の流れとしては、

「きっかけ」があるからこそ「心情」がわき起こるのですし、「心情」があるからこそ「行為・セリフ」が発生するのです。

この三者の関係を問う問題は、非常に多く出題されます。

さて、この場面での〈 きっかけ ⇒ 心情 ⇒ 行為 〉は、次のようなものです。

きっかけ 豆大福をお茶請けに三人で話す
   ↓
絹代さんの心情 
 ・陽平さんは勤め仕事に向いていない
 ・まわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きている
 ・なんだかこの人なら信用できそうだ
   ↓
行為  (部屋を)貸してあげましょうよ

少し前には、「老成(年のわりに落ち着いている)」「おだやか」などの言葉もあるので、そのあたりもヒントに選択肢を見比べていきましょう。

〈選択肢①〉には、「泰然自若」という四字熟語が含まれており、これは「落ちついていて、物事に動じないようす」という意味であるため、ちょうど「絹代さん」から見た「陽平さん」の人物像に一致します。したがって、〈選択肢①〉が正解です。

不正解の選択肢

「無為自然」が×です。「無為自然」は、老子の思想による四字熟語で、「人の考えを入れず、自然のままで あること」という意味です。「人間の考えや行動なんてたいしたことないんだ、あるがままを受け入れることがいいんだ」というようなニュアンスであり、「あるがまま(自然)」をよいものとし、「人為」を否定的に取る考え方なのです。

〈選択肢②〉の言い方だと、「陽平さん」が「人為を捨てて、あるがままを受け入れている、隠遁者」だということになりますが、物語のうえでそこまでは言っていないので、「言いすぎ」で不適であると考えます。

「爽やかで」が「老成」とは一致しない語です。

また「謹厳実直」も本文情報からはわかりません。「謹厳実直」は、「真面目で正直なこと」という意味であり、本文全体から受ける「陽平さん」の印象には何となく一致してしまうのですが、この〈傍線部A〉の前後、すなわち「第一印象」の場面で、「真面目」かどうか、「正直」かどうかは、判別できません。

「闊達自在」が本文情報からわかりません。

「闊達自在」は、「小さな物事にこだわらず、自由きままなようす」を意味します。「陽平さん」が、小さな物事にこだわらないかどうかまでは、この周辺では読解できません。

この〈選択肢④〉は、かなり迷う選択肢ですが、「闊達自在(「自由闊達」もほぼ同じ意味)」という熟語は、自由気ままで天真爛漫なニュアンスの強い言葉です。「こまけーことは気にすんない、べらぼーめ」というようなタイプを指すので、やはり「老成」「おだやか」と形容されている「陽平さん」を指す言葉としてはミスマッチですね。


「直情径行」が×です。「直情径行」は、「思ったままの言動をすること」という意味であり、どちらかといえば、あれこれ考えずにしゃべってしまう人に対して使う熟語です。

「陽平さん」は、老成したおだやかな人物像として描かれているので、ミスマッチです。

よく読むと、この〈選択肢⑤〉は、前半の「慎み深く控えめ」という表現と、「直情径行」の意味が逆なので、同じ文の中で矛盾が生じてしまっています。

問3

「心情」に傍線部が引かれています。何らかの「行為」に発展していく場面ではありませんが、「心情」について問われている以上、「きっかけ」はチェックしておきましょう。

また、この設問は「それ」という指示語が傍線部内にあるので、指示内容を必ず追いかけます。

定期試験・模試・入試、どのような試験であっても必ず、傍線部内(または傍線部直前)に指示語がある時は、答案にはそれが指している表現が必要になります。

この場面では、「それ」の指す内容は「子どもたちはぜったいにおねえちゃんとは呼んでくれない」という部分です。そのことが「絹代さん」には「嬉しかった」と感じられたことになります。

子どもたちが「おねえちゃん」と呼んでくれないのはなぜか、というと、それは、「親類の家に遊びに来ているような雰囲気を楽しんでいる」からです。子どもたちは、その雰囲気を楽しみ、「喜んで」絹代さんに対して「おばちゃん」と親しげに呼んでくるのですね。

シンプルに読解すれば、「絹代さん」は、その子どもたちの「楽しい」「喜んで」という感情と、ほぼ同じ感情をここで持ち合わせていたと考えられます。

本文に入る前の「あらすじ」には、「父の死後、老いた母とのふたり暮らしが心細くなった絹代は……」とあるので、そのことからも、ここでの「親戚」のような子どもたちとの関係が、「心細さ」を緩和してくれていたと考えるのが自然です。

現代文・古典ともに、本文に入る前の「あらすじ」「説明」は絶対に読みましょう。

出題者は、「これ、あらすじとか説明とかがないと難しいよね、わかんなくなっちゃうよね」と思っているからこそ、あらすじ・説明を入れます。

逆に言えば、あらすじ・説明がなくても設問に影響がないならば、書かなくてもいいのです。

ということは、あらすじ・説明を読まずに本文を読んで設問を解くということは、出題者がせっかく親切にわかりやすくしてくれたことを無視していることになり、自ら正解へのハードルを上げているようなものなのです。

〈選択肢④〉は、その「あらすじ」にある「心細くなった」という表現を、「寂しく暮らしていた」という言葉に言い換えています。また、「自分になついて遠慮なく振る舞う」という部分は、「ぜったいにおねえちゃんとは呼んでくれない」という指示内容を端的に説明しています。最後の「家族のような親密さ」は、「親類の家に遊びに来ているような雰囲気」の言い換えとして成立しています。したがって、この〈選択肢④〉が正解です。

不正解の選択肢

「おねえちゃんと呼ばれて当然」が本文情報からではわかりません。

また、「仲間意識の高まり」という表現は、×とまでは言えませんが、△です。本文中の「親類」という表現から考えると、「家族」「親戚」「身内」などの言葉に置き換えられていればよかったのですが、「仲間」という表現は、「友達」「友人」のような意味ですから、本文内容とはややズレてしまっています。


「自分を頼りにする」が本文情報からではわかりません。もう少し後まで読むと、子どもたちのために食事をつくってあげたり、遅くまであずかったりする場面が出てきますが、〈傍線部B〉の時点においては、まだそこまでの関係になっていません。したがってこの選択肢は〈時間のミス〉とも言うことができます。

選択肢後半の「保護者になったように感じて」も、もう少し後の本文からは読み取れなくもないが、やはり〈傍線部B〉の時点ではやや言い過ぎです。

小説の「環境」や「心情」は「場面」や「時間」によって変化しますので、その傍線部の「場面」と「時間」そのものに合うかどうかを考えましょう。


「陽平さんに近づいたような気がした」が「時間のミス」です。この場面に陽平さんはほとんど関係ありません。

「書道教室を一緒に経営しているように感じて」も「時間のミス」です。陽平さんに対する恋心のような感情は、この時点ではそれほど芽生えていません。


「以前の活気がよみがえったように感じて」が本文情報からではわかりません。父の生前は、子どもがバタバタ走るほど活気があったかどうかは文中で説明されていません。

問4

傍線部直前に逆接の「しかし」があります。しかも、段落の冒頭に引かれている傍線なので、答えの根拠は後ろにあると考えます。もちろん前を完全に無視するわけではありませんが、前の部分には「匂い」の話題がないので、「答案の核心」に必要な情報は、傍線部の「後ろ」にあるはずです。

ところで、こういう設問を「小説的小道具問題」と呼びます。

登場人物の心情を投影することのできる、一種の「小説的小道具」に傍線を引いて、それに込められている登場人物の「思い」を問う問題です。

たとえば、「水」に傍線を引いて、「安らぎ」を正解にしたり、「ストーブの火」に傍線を引いて、「怒り」を正解にしたり、「踏みしめる落ち葉の音」に傍線を引いて、「せつなさ」正解にしたりするなど、そういう「小説的小道具問題」は、頻繁に出題されます。

今回は「匂い」です。

「匂い」に込められた「絹代さん」の「思い」はどういうものなのか、追ってみましょう。

傍線部に「小説的小道具」とみなせる言葉があるときは、キーワードとみなし、それが別の場所に書かれていたら必ず注目していきます。

絹代さんを惹きつけたのは、独特の匂い
  ↓
甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させる
その不気味な匂いがつよくなり、絹代さんの記憶を過去に引き戻した。   

ここでの「匂い」は、「不気味」という〈マイナス評価〉をされています。

「不気味な匂い」によって「過去」が思い出されるわけですから、絹代さんにとってこの「匂い」は、「過去」において「不気味(マイナス)」なものだったのであると解釈できます。

なぜマイナスだったのでしょうか。続きを追ってみましょう。

まだ小さかったころ、ここにも生き物(蚕・おかいこさん)がうごめいていたのだ。
   ↓
絹代という名前は祖父母がつけてくれたもの
   ↓
白っぽい芋虫の親玉と自分の名前がむすびつけられるのを、あまり好ましく思っていなかった。

生き物とは「蚕・おかいこさん」のことです。

「絹代さん」は、白っぽい芋虫の親玉と自分の名前が結びつくことが嫌だったのですね。

その先にも「匂い」の話題は繰り返されます。

匂いといっしょに、
あのグロテスクな肌(蚕の皮)【マイナス価値】
糸の美しさ【プラス価値】
驚くべきへだたりにも思いを馳せた

似たような構造の文が直後にもあります。

墨の匂いを嗅いだとたん、
かつてのおどろおどろしい記憶 【マイナス価値】が、
なつかしさをともなう思い出 【プラス価値】
すりかわったのである。

ここまで読むと、「匂い」にまつわるポイントは2つあることがわかります。

ひとつは、「蚕」から名前がついたことに対する、あまり好ましくない思いを抱いていたということです。

もうひとつは、その好ましくない過去の記憶が、今こうやって墨の匂いを嗅ぐことによって、なつかしい思い出にすりかわっていった(マイナスからプラスへの変質)ということです。

〈選択肢②〉は、そのふたつをきちんとおさえています。したがって、これが正解です。

不正解の選択肢

「子どもたちと一緒にいる楽しい時間と重なって」が、本文情報からではわかりません。


「かつては蚕に親しみと敬意を感じていた」が「逆」です。

「絹代さん」は、かつては、蚕と結びついた自分の名前のつきかたをいやがっていたわけですから、本文の事実と矛盾していることになります。

「気味の悪いものでしかなかった」という表現が「言い過ぎ」です。「あまり好ましく思わない」という感情と、「気味の悪いものでしかない」という感情には、ズレがあります。「糸の美しさ」にはプラスの感情を持っているのであるから、「気味の悪いものでしかない・・・・」とまで言い切るのは強引です。

また、「陽平さんへのほのかな想い」という説明に「論点のズレ」が起きています。本文では、「かつてのおどろおどろしい記憶」が「なつかしさをともなう思い出」に「すりかわった」とあります。つまり、「かつての記憶そのものへに対する思い」がマイナスからプラスにかわっていったのです。そういう点で、「変質」の内容に「陽平さん」の話題が入ってくるのは筋違いです。

「忌まわしい」が、〈選択肢④〉と同じ理由で「言い過ぎ」です。

また、後半の「そのときの生活をなつかしく思い出した」という説明だと、「悪い思い出」が「よい思い出」に「変質」したという本文の描写を説明できていません。

本文では、「思い出に対する価値観・見方・感じ方」が変化したと述べられていますが、〈選択肢⑤〉はその「変質」に言及していません。

問5

「ここに至るまでの絹代さんの心の動き」ということなので、傍線部付近だけではなく、全体を踏まえて答える問題です。

「絹代さん」から「陽平さん」への感情が特に書かれていくのは後半なので、後半に注目していこう。最後から2番目の段落には、こう書かれている。

陽平さんのこれまでの人生を、あれこれ聞いてみたいとつよく思った。
この不思議な男の人の過去と未来を知りたい気持ちがどんどんふくらんで、それを押しとどめることができなくなっていった。

この描写は、「絹代さん」から「陽平さん」への気持ちを描写している心情表現です。

本文全体の流れから、「絹代さん」から「陽平さん」への恋心を読み取ることはそれほど難しくないが、最大のポイントは、「未来(を知りたい)」という心情です。

「気持ちが固まった」というのは、何らかの「決意」であると読み取るのが妥当ですが、「未来を知りたい」という感情とからめて解釈すると、これは、「これから先、陽平さんと一緒に生きていきたい」という決意だと考えられます。

〈選択肢②〉には、「陽平さんと一緒に生きていこう」という「決意」が述べられています。これだけで正解にはできませんが、他の選択肢が「もっと×」であれば、〈選択肢②〉が正解候補になります。

不正解の選択肢

「名前の意味を教えてくれ」が、本文情報からではわかりません。陽平さんが教えてくれたのは、「墨の生成の仕方」であり、「絹代さんの名前の意味」ではありません。

また、「温かい気持ちになっている」という程度の表現では、陽平さんの人生を聞いてみたいとつよく思った」「(過去と)未来を知りたい」「気持ちが固まった」などのつよい感情に対応する説明としては弱いです。

「これまでの人生を肯定的に受け入れることができるようになっている」が、「言いすぎ」です。

「絹代さん」は、「これまでの人生」を否定していたわけではなく、「名前」に否定的な印象を持っていたにすぎません。

「陽平さんのまっすぐな生き方」が「言い過ぎ」です。「陽平さん」が「絹代さん」に自分の過去を説明する「態度」に関しては、「まじめすぎて」という描写がなされていますが、それを「陽平さんの生き方」にまで当てはめてしまうのはやや拡大解釈です。

また、「陽平さんの生き方を知ることによって」→「(自分の名前が)家族との温かい生活の思い出に結びつくものだと理解する」という因果関係は読み取れません。マイナスに捉えていた自分の名前が、プラスに変容していったきっかけは、「陽平さんに墨の成り立ちを聞いたこと」であり、「陽平さんの生き方を知ったこと」ではありません。

「墨の匂いでよみがえった自分の過去に思いをはせることで」→「自分の名前の意味を肯定的に受け止める」という因果関係は読み取れません。

〈選択肢⑤〉と似ている手違いなのですが、自分の名前を肯定的に受け止めるきっかけになったのは、「陽平さんに墨の成り立ちを聞いたこと」であり、「過去に思いをはせること」ではありません。

問6

全体から読み取れることに関して、最初から消去法を使わざるをえない問題です。

「特異な感性」が不適です。「特異」は「特別に変わっている(一般的ではない)」ということですが、「絹代さん」の感性が一般人と比べて特別に変わっているかどうかはわかりません。少なくとも「強調」はされていません。

本文に適合しています。正解です。

「かぎ括弧を用いずに会話の内容が示されることによって」→「現実感が生み出され~」という因果関係は読み取れません。むしろ、かぎ括弧はあったほうが、地の文と会話文の区別が明確化し、会話を発する人物が「生き生き」と描写されると考えられます。

「登場人物の心理状態と行動との結びつきが明示されている」が不適です。

登場人物がどういう心情によって行動しているのかは、はっきり書かれているわけではありません。

本文に適合しています。正解です。

「子どもの視点が導入」が不適です。本文は一貫して「絹代さん」の視点で描かれています。

また「重層的」も不適です。「重層的」とは「いくつもの層に重なっているさま」という意味ですが、物語は基本的に単純な時系列でシンプルに進んでおり、エピソードが入り乱れたり、様々な人物が複雑に登場したりしているわけではありません。どちらかといえば「単層的」です。