あるいは情報技術における記憶装置(メモリー)の役割さえも、歴史を記憶としてとらえるために一役買ったかもしれない。熱力学的な差異としての物質の記憶、遺伝子という記憶、これらの記憶形態の延長上にある記憶としての人間の歴史を見つめることも、やはり歴史をめぐる抗争の間に、別の微粒子を見出し、別の運動を発見する機会になりえたのだ。量的に歴史をはるかに上回る記憶のひろがりの中にあって、歴史は局限され、一定の中心にむけて等質化された記憶の束にすぎない。歴史は人間だけのものだが、記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている。
〈問〉傍線部「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」とあるが、それはなぜか。説明せよ。

長い傍線部について「なぜか?」と問われると、どう解答していいのか迷いますよね。
結論部の表現がやや冗長なので、論理を簡素化してみましょう。
「なぜか?」の問題は、「主語-修飾語(特に目的語)-述語」の論理関係を突き止めたら、形容詞や副詞にはこだわらずに、思い切って簡素化したほうが方針を立てやすくなります。
まずは、〈ニュアンス〉に拘泥せず、〈論理の骨格〉だけを抜き取り、「要はこういうこと」という水準で考えてみましょう。

「どういうことか?」も「なぜか?」も、まずは微細なニュアンスにこだわらず、「要はどういうことか」という〈骨格〉について、思いっきり簡単にして考えることも重要です。
特に「なぜか?」の問題は、このような「簡素化」自体がややこしいからこそ、「なぜか?」と問われている傾向があります。
さて、この傍線部は、思いっきり簡素化すれば、「記憶は、人間の歴史より、ひろくて深い」と言っていることになります。
ということは、論理図は次のようになります。
記憶は、
(項1)
人間の歴史より、
(項2)
→ ひろくて深い
(結論)
これはまず論理のスタートである「記憶」という抽象的な表現を、本文に即して具体性のある説明にし、次にそれに対立するかたちで、「歴史」の性質を書くと、自ずと「なぜか?」に応答する正解になります。
つまりこの設問は、「記憶」と「歴史」を「二項対立」として解答をつくる必要があるのです。したがって、解答の論理の組み立ては困難ではない設問だといえます。
しかし、傍線部の直前付近を解釈していくところに難しさがあります。
直前の「対比」をあぶりだせば、
記憶は、熱力学的な差異としての物質にもある。遺伝子にもある。
一方、
歴史は、万物に宿る記憶の中で、人間の手で「局限」され、「一定の中心に向けて等質化」された「記憶の束」にすぎない から。
となりります。
このままこれが正解の〈論点〉になります。このまま書けば「論点言及点」として2/6くらいの点が入ると考えられます。

「論点言及点」だけをねらった「守りの答案」としては、次のような答案が成り立ちます。
記憶は、物質や生命現象にまで存在する一方、歴史は、その記憶の中で、人間が局限し、一定の中心に向けて等質化した記憶の束にすぎないから。

「時間がなかったらこのくらいは書いておきましょう」という場合の見本のような答案ですね。
さて、では、「より高得点」のためには、どのようにしていけばよいでしょうか?
「一定の中心に向けて」「記憶の束」といった表現が「比喩っぽい」ですね。これらの表現は除外して、実態のほうを書き込みたいところです。

ところで、設問が「どういうことか?」なのであれば、そのままでは意味が通じない語句からクリアしていくことで基本姿勢になります。
傍線部内に比喩表現があれば、そもそもそこを答えさせたいがために設問化されている可能性が高いので、そこを解読することが、得点の最大化につながります。
あるいは、もう一段階難しい問題になると、「傍線部の〈意味不明〉な表現を言い換えている別箇所をつきとめたら、そこも〈比喩的な表現〉であったため、何らかの手法でさらに言い換えなければならない」というケースもあります。
〈比喩的な表現〉は、傍線部の中であっても外であっても、そのまま使用することは避けるべき表現なのですね。
ただし、どこまでが比喩でどこからが説明に適した表現かについては、明確な区別はできません。現代文の問題では、この「比喩と言えなくもない表現」をどう処理するかというのが、最も頭を使うポイントですね。
一定の中心に向けて
「一定の中心に向けて」とありますが、一体、「中心」とはどこなのでしょうか。
2段落前の最後には、次のように書いてありました。
歴史とは個人と集団の記憶とその操作であり、記憶するという行為をみちびく主体性と主観性なしにはありえない。つまり出来事を記憶する人間の欲望、感情、身体、経験を超越してはありえないのだ。
「操作」「主体」「主観」などと述べられていますね。ここがヒントになります。
要するに、「人間の側」に向けてかき集めてきた記憶が「歴史」なのですね。
この読解から、
歴史は、人間が主体的、主観的に操作できる範囲に局限した記憶の集積である。
といった説明が可能になります。
要するに、人間が勝手に範囲を絞って扱っているということですね。

ひとつまえの設問(二)では、「国や社会が好きなように選択してきたものが歴史だ」という答えにたどり着きましたね。
今回の設問では、それがさらに深まって、「そもそも人間が勝手にかき集めたものが歴史なのだ」と言っていることになります。
筆者は、「(USBメモリーのような)記憶装置」や、「(DNAのような)遺伝子」などにも記憶があると述べていますから、「記憶」と「歴史」では、圧倒的に「記憶」の量の方が多いことになります。
万物に宿っている膨大な「記憶」の中から、人間が操作できる範囲に局限したものが「歴史」なのですから、「記憶」のほうが「広くて深い」ということになりますね。
ところで、上に書いたように「記憶の集積」などとしておけば、「束」という比喩を処理したことになりますね。
「等質化」について
おそらくこの問題で最も処理に迷うのが「等質化」です。
「等質化」という語句自体は、「傍線部の外にある熟語のような語句」ですから、そのまま使用しても問題ありません。こういう語句は、困ったらそのまま書いておけば、「減点」を避ける効果があります。「明らかな比喩」は答案に残すことができませんが、「等質化」は、何を述べているのかわかりにくいとはいえ、語句自体は比喩ではありませんから、答案に書いてあること自体に問題はありません。
(一つ前の設問における「中心化」という語句も、同じような扱いです)

「等質化」の意味内容を説明できればそれが最高なのですが、実際には難しいですよね。
そういうときのテクニックをひとつ覚えておきましょう。
傍線部の「外」にある「熟語」は、答案にそのまま使用してよい。
ただし、それがどのような実態を意味しているのかわかりにくい場合には、「情報を付け足してそのまま書く」という手段が現実的である。
人間が操作できる範囲に「出来事の情報」を集めるためには、「出来事それぞれ」の情報形態にできるだけ差がないほうがいいですよね。
年表をイメージしてみましょう。
「伊藤博文が暗殺された」という情報も、「慶喜が大政奉還した」という情報も、一行で語ることができます。それらの出来事における、関わった人間の数や、熱意の差や、規模の大小や、影響の有無などは、「年表」においてはほとんど考慮されません。
「織田信長の本能寺焼き打ち」と「豊臣秀吉の北野大茶会」は、かかわった人間のモチベーションとか、熱意とか、葛藤とかは、まったく違う種類の出来事ですけれども、「こんなことがあった」という年表的な歴史的記述としては、「同じ程度の字数」で語られることになります。同じ「ひとつぶんの出来事」なのです。
つまり、「等質化」とは、「本来は多様な出来事が、同水準に簡素化される」ことであると読解できます。
しかし残念ながら、「規格をそろえる」とか、「等しく簡易的に変質させる」とかいった表現が別箇所に存在しません。そのため、そのように書くことは困難です。あくまでも本文を入口にできる解釈(本文を根拠にした解釈)を目指さなければなりません。
そのため、ここでは「等質化」という語句に「付け足し」ができないかを考えてみましょう。前段落の最後の文には、こう書いてありました。
歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージとの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉であり、言葉でありイメージなのだ。
という箇所に着眼したい。この「言葉でありイメージである」というのは、等質化した結果の「情報の形態」であると言えます。他の設問における傍線部が引かれている箇所なのでスルーしがちなのですが、この「言葉とイメージ」という表現を使用すれば、このように書くことができます。
歴史は、人間が操作できる範囲に局限し、言葉とイメージで等質化した記憶の集積である。
ちょっと具体的に考えてみましょう。
本来であれば、誰かがくしゃみをしたり、風が吹いたり、かえるがゲコゲコと泣いていたりという、あらゆる出来事が「存在」しています。
それらの「無限」と言ってもよい出来事は、いうなれば「神の視点」でしか一望できないものです。そういった「万物の出来事」を見届けていった「万物の記憶」は、我々人間の記憶機関を超えて、書物や、写真に記憶されています。USBメモリーやフロッピーディスクといった「デジタル媒体」にも記憶されている。生物のDNAという「物言わぬ生命機関」にまで記憶されています。ということは、「取り出す」ことができないだけで、石や、草花にも「何かが記憶されている」と考えるほうが自然なのかもしれません(少なくとも筆者はそう考えていそうですね)。
ともあれ、「万物の記憶」は、あらゆる「形態」に保存されています。しかし人間は、人間が処理できる範囲でそれを扱おうとします。その範囲が「局限」です。そしてさらに、人間が処理できる形態でそれをまとめようとします。例を挙げれば「言語」「書物」「絵」「写真」「動画」といったものになるでしょう。それら諸々の「人間による操作が可能な保存形態」を一般化したものとして、「言葉とイメージ」という語句は、適切な表現として認められます。
設問(二)と同様に、「イメージ」を「表象」などとしても問題ありません。
以上の考察により、次のような解答が成り立ちます。
記憶は、物質や生命現象にまで存在する一方、歴史は、人間が主体的、主観的に操作できる範囲に局限され、言葉やイメージに等質化された集積にすぎないから。

「そのまま使っていいかどうか迷う熟語」に関しては、「情報を追加したうえでそのまま使う」という手段を取ることができます。
その意味では設問(二)における「中心化」という語句も、「主要な項目として中心化され」などのように書けば、「中心化」とそのまま書きつつも、「ちょっとわかりやすくなっている」と言えますね。
おまけ
反則技になるのだが、本文の「続き」を読んでみましょう。そのうえで、この設問に戻ってくれば、よりいっそう理解が深まることと思います。
〈本文の続き〉
かつて私は「歴史に抗して」考えようとした様々な思考を拾い上げ、点検してみようとした。もちろんそのような思考に、多かれ少なかれ共感をもってのことだった。歴史と一体の、ある種の幻想、強迫、制限、拘束、圧力に批判をむけた人々があった。歴史を形成し、歴史によって形成される思考と言説と表象が、時間の中にどんな連続と不連続を生み出し、世界の出来事から何を抽出し、何を排除し、どんな秩序を作ってきたか、どんな統制の装置として機能してきたか、そのことを彼らとともに見ようとしたのだ。そのとき、私はそのような秩序や統制をつぶさに見るよりは、むしろ、そのような秩序や統制に敏感に抵抗した思考や運動の方を見ようとしていた。
歴史とは語られ、書かれたことなのか、あるいは起きたことなのか、という問いに対しては、それ以前にそもそも「起きたこと」とは何か、と問うことができる。起きたことを書くにせよ、書かないにせよ、何かが起きたのでなくてはならない。しかし、起きたことは無限数あって、一つの革命が起きたときにも、風が吹き、あるいは雨が降り、子供が泣き、蟻が地面を這っていた、誰かが道で転んだ等々、出来事は無限に、たえまなく起きていた。歴史は、無制限の出来事から抽出された出来事の表象であり、そのような表象とともにある言説である。実証的、客観的といわれるような歴史も、そのような定義をおこなう主体自身による抽出と構成の結果である。歴史そのものが実証的であり、客観的なのではなく、歴史を記述する主体の過程が実証的とか客観的とかよばれているだけだ。客観化は、ある主観化、中心化、等質化などの操作の結果として、あるいは操作と同時に実現されるのにすぎない。
なぜこの部分を東大がカットしたのでしょうか?
それは、〈答案のコアになる語句〉の宝庫だからです。
もしこの部分が存在していれば、特に設問(三)の記述がヒントだらけになってしまいます。つまり問題の難易度が下がってしまうのですね。
実は北海道大学でもこの課題文は出題されたことがあるのですが、北大はこの部分をカットしませんでした。東大と他大学の「差」はこういうところにあるのでしょうね。
この部分が課題文中に存在していれば、たとえば設問(三)の推奨答案は、次のようになるでしょう。
〈この部分が存在していれば……の推奨答案〉
記憶は物質や生命現象にまで存在する一方、歴史はその記憶を抽出、排除するうえで、人間主体の主観的操作で局限され、等質化された表象と言説にすぎないから。