言語 【重要テーマ雑談】

パーソナリティー

東国武士
東国武士

【東国武士】 司会進行的な役割

みみながいぬ
みみながいぬ

【みみながいぬ】 あしが短くて耳が長い。論理的思考力がなくもない。

さすらいねこ
さすらいねこ

【さすらいねこ】 いろいろさすらっていたねこ。発想力が豊か。

言語

▽■×~!!

どうしたんだ!?

変な声出して。

台所にイニシャルGが現れたと思ったんだけど、どうやら違ったみたいだ。

それにしても変な声だったね。もう一回言ってみてよ。

▲◇●~!!

なんだかさっきとちょっと違うよ。

心の叫びだから、忠実に再現するのは無理かも。

■△×~!!

▽■○~!!

ちょっと! やめてよ、二人とも!

周りの人からへんなふうに思われるよ!

どうりでさっき、小さな子供がこっちを指差していて、そのお母さんが、ゆっくん、近づいちゃいけません!って言っていたわけだ。

どうりでじゃないよ! もう言われてたの!?

手遅れだったね。

でも、言葉って面白いよね。

どのへんが?

■△×~!!ってのは、何か考えて言っている言葉じゃないよね。だから伝わらない。でも、何かを伝えようとして言った言葉は、ちゃんと伝わる。

確かにそうだね。

そもそも、我々が【考えること】そのものも、言語によって行われているからね。

▽◇●~!!って言ったのは、考えないで言った言葉だから、意味になっていなくて、逆に言うと、頭の中で【意味】を生成するためには、言語的な何かが必要になるってことか。

そうすると、【思考は言葉によって行われる】と言ってよさそうだね。目の前にある対象物とか、自分が抱えている感覚を、我々は言葉によって意識できるんだ。

じゃあ、ワンワンしか言わない動物には言語がないということか。

人間からみて「ワンワン」としか聞こえていないだけで、その動物同士は何らかの言語的な認識をしているとは思うよ。

じゃあ、とりあえず人間世界の話として説明を進めてもらおう。

たとえば、僕らが水に触れたとする。僕らは【水】という言葉を知っているから、実に簡単に【自分は今水に触れている】と思考することができる。

ところが、【水】という言葉を知らなかったらどうだろう?

「何か冷たいものにふれている」ということかな。

じゃあ、【冷たい】という言葉も知らなかったらどうだろう?

自分が今触れているものは何だ?

じゃあ、【自分】【触れる】などという言葉を知らなかったらどうだろう?

そんなんじゃ思考できないな。

ああ~。

思考はしにくいね。

どうやら、そうなりそうだね。

思考的には【カオス】だね。

カオス?

【顔酢】のことだな。お肌がすべすべになるんだ。

そんな新発売の化粧水みたいなものじゃないよ!

カオスとは【混沌】という意味であって、【秩序(コスモス)】の対義語になる。

つまり、思考が無秩序で、考えを整理整頓できない状態といえるね。

さすらいねこ、不正解!

【ファイナルアンサー?】って聞かれなかったから司会者のミスだ。

いつからそんな形式になったの!?

でも、その状態は困るよね。

「思考」という点では困るだろうね。

ただ、「感覚」が研ぎ澄まされて、思考とは別の知性が発達するかもしれないけど。

たしかに「言葉」がないと、「考える」ことはしにくいよね。

言葉がなければ、対象物や感覚を思考しにくくはなって、【考える】という活動はしにくくなるね。【痛い】とか【気持ちいい】といった感覚中心の生活になるよね。

ヘレン・ケラーは知ってる?

小さいときに高熱を出したことがきっかけで、目も見えない、耳も聞こえない、口もきけないという三重苦を背負うことになった人だ。

まだ言葉を覚え始めたばかりであったヘレンにとって、その世界はカオス的なもので、感覚中心の生活だっただろうね。

「なんかいらいらする」とか「なんか美味い」とか、言語になる前の状態を身体で受け止めているような感じかな。

そこで、家庭教師に雇われたサリバン先生は何をしたかというと、ヘレンに言葉を教えようとするんだ。人形を触らせて、【doll】と手のひらに書く。机に触らせて【desk】と手のひらに書く。

だけど、ヘレンにとってそれは違いのわからないものであって、「ちょっと何やってるかわかりません」という状態だったと言われる。

そんなある日、サリバン先生は、井戸水に手を当ててその場を離れないヘレンを目にする。自分の感覚を刺激する【明らかなる違和感】をヘレンが抱いているところに、サリバン先生は走りよって、ヘレンの手のひらに【water】と書く。

おお!

その【自分の手を流れていく何か】を【水】と呼ぶということがわかったことによって、サリバン先生が今まで自分の手のひらに書き続けたものが何だったのかということがわかっていく。

【言葉】によって初めて、ヘレンは「これとこれは別のもの」ということがわかっていくんだね。

1962年にアーサー・ペン監督がつくった『奇跡の人』っていう映画があるんだけど、アン・バンクロフトがサリバン先生をやって、パティ・デュークがヘレン・ケラーをやったんだ。これは観たほうがいいよ。

また、すごい映画を観ているね。

ああ。でも、自分があの映画について感動しているのは、たった今だ。

なんで?

あれ、実話だったんだ・・・・・・。

それ知らないで観てたの!? 珍しい観客だよ!

さすらいねこ、残念だったね。

【ファイナルアンサー?】って聞かれなかったから司会者のミスだ。

映画にそんな仕組みはないよ!