ここは、基礎事項の確認ページです。
最初に簡素化した基本方針を貼ります。基本方針にまつわる細かい考え方については、そのまま下に続きます。
答案作成の基本方針
特別な場合を除き、以下の①~⑥が基本方針となります。
① 指示語は答案に持ち込まない。(指示対象のほうを書く)
② 比喩は答案に持ち込まない。(実態のほうを書く)
③ 例示は答案に持ち込まない。(一般化する)
④ 傍線部内の熟語はそのまま答案に出さない。(言い換える or 補足する)
⑤ 傍線部外の熟語は答案に使用できる。(言い換えない)
⑥ 客観的かつ一般的な名詞は、その語句そのものを言い換える必要はない。
(「背中」「旅」「人」「猫」「建物」など)
補足
①については、答案内を指示する指示語は使用可能です。ただし、多用は避けましょう。
②③④については、基本的には課題文中から「言い換え表現」を拾うことになりますが、適当な語句が存在しない場合、文脈を根拠とし、自身の語彙力で説明します。
⑤については、傍線部と強い連関がある場合、キーワードとしてそのまま取り込むことになります。
⑥については、傍線部内の一般名詞をそのまま使用すると「意味が広すぎる」場合があります。可能な限り、「~としての旅は、」「背中とは~であり、」など、傍線部の文脈に沿って意味を限定するとよいでしょう。
各項目の説明
上記の基本方針は、記述答案を作成する際の姿勢を可能な限りシンプルにしたものです。
この基本方針に至る考え方については、下記のリンク先を参照してください。
設問の前提
「記述」に限った話ではありませんが、現代文のメインの問い方は、「傍線部問題」です。「どういうことか?」でも「なぜか?」であっても、共通して重要になることをまとめておきます。
① 説明をすべき相手(採点者)は、「問い」と「傍線部」しか見ていないと仮定する。
模範解答を作成するスタッフが課題文を読んでいないことなどありえませんが、答案を読む相手が「設問」と「傍線部」しか見ていないと仮定することは、答案作成の基本姿勢を固定することに役立ちます。
② 課題文中、筆者の言いたいことは、表現を変えて何回か繰り返される。
傍線部内の意味内容を、課題文中の異なる表現を用いて、よりわかりやすく(よりイメージ可能なかたちで)説明することを目指します。
③ 傍線部には必ず「わかりにくいところ」がある。
「わかりにくいところ」とは、主に次の4点です。
A.指示語が傍線部の外部を指している(傍線部内で意味が完結していない)
B.比喩が含まれている(主張の実態ではない)
C.説明が不足している(論理の飛躍がある)
D.傍線部内の語句の意味が広すぎる(一意にならない)
*難問になるほど、A~Dが複合的に問われています。
答案作成者の仕事
上記①②③の前提にしたがい、〈設問と傍線部しか見ていない第三者〉に対し、少なくとも傍線部よりはわかりやすく述べている箇所(傍線部よりは具体性がある箇所)をいくつか探し、その論点を組み合わせたものを答案として成立させるのが解答作成者の仕事です。
*なお、「傍線部よりは具体性のある箇所」と述べましたが、「例示」は答案に出しません。「例示」は、「違う例で取り換え可能なもの」であり、筆者の主張そのものではないからです。
傍線部(を含む一文)の内部には、多くの場合、「指示語」や「比喩的表現」があります。説明問題のほとんどは、つきつめれば「指示語の問題」か「比喩の問題」になると言えるほどです。
論点収集
細かいことをあげれば非常に多くのことを気にすることになりますが、まずは何よりも「指示語」と「比喩的表現」を意識することが重要です。
指示語
傍線部(を含む一文)内の指示語は指示している対象のほうを過不足なく書きます。
指示している対象に「比喩」や「例示」がある場合、そのまま書くことは避け、さらに広い視野で説明表現を探します。それでも説明表現が存在しない場合、自身の語彙力で説明します。
比喩的表現
傍線部(を含む一文)内の比喩的表現は、「何らかの事実や現象」をたとえたものなので、答案には、その「何らかの事実や現象」のほうを書きます。
答案に書くべき「語句」は、原則的に本文内に存在しますが、以下に該当する比喩的表現は、答案に持ち込むべき表現が本文内に存在しない場合があります。
a.辞書的または慣用的に理解可能
b.本文全体の主旨または前後の文脈的に理解可能
たとえば、「頭を抱える」といった表現は比喩ですが、われわれはこれが「悩む・困惑する」ことだということを、辞書的・慣用的に理解できます。したがって、この場合は、仮に本文内に説明表現が存在しなくても、「悩む」「困惑する」などのように、比喩を解除した表現に言い換えられるとよいと考えましょう。
表現吟味
原則的には本文内の語句を使用する。
答案の表現は、原則的には本文内(傍線部とは別箇所)の語句を利用します。特に、傍線部と密接なつながりのある説明表現に使用されている「熟語」はキーワードとして処理し、そのまま答案に書き込みましょう。
設問には、多くの場合、複数の設問意図が融合されていますが、そのひとつに「答案に必須の語句を指摘できるか?」という設問意図が混入しているケースは少なくありません。ここをいちいち言い換えるとかえって失点する危険もあるので、次のように考えておきましょう。
答案に必須の論点であるとみなした、傍線部「外」の熟語は、そのまま書き込む。
そのように考えていくと、本文内の語句を合理的に組み合わせただけで答案が完成するケースも出てきます。そして、そうなることは決して少なくありません。
では、常に本文内の語句を組み合わせているだけで高得点が取れるかというと、そういうわけにもいきません。
以下の場合は、「自分のことば(本文に存在しない語句)」を使用することになります。
課題文中に存在しない語句を使用するケース
①「必須」の論点を集めたら、制限字数を超えてしまう。
冗長な部分を「圧縮」するうえで、自身の語彙力を必要とします。
②比喩的表現を「解除」した実態の説明表現が本文中に存在しない。
文章を広く読解し、その文脈判断により、比喩を解除する必要があります。
③例示的列挙を「まとめた」説明表現が本文中に存在しない。
自身の語彙力で例示的列挙を一般化する必要があります。
設問に複数配置されている設問意図
先ほど、設問には複数の設問意図が融合していることがあると述べました。
30字程度の短い問題であれば、設問意図もひとつということがありますが、40字を超えてくるような場合、たいてい2つ3つの「基礎項目」をクリアしてくることが求められてきます。
特に国公立の長い記述などは、根本的に「基礎の寄せ集め」です。「基礎」が何を意味するのかというと、たとえば、次のようなものです。
① 主語と述語が対応しているか。
② 指示語の指す対象を過不足なく指摘しているか。
③ 比喩表現をそのまま使用せず、実態のほうを説明しているか。
④ 具体例をそのまま使用せず、一般化した表現で説明しているか。
⑤ より客観的、説明的な表現を選択しているか。
⑥ そもそもの辞書的な語彙力があるか。
たとえば東大ではひとつの小問が5点程度と考えられていますが、問題を分析すると、上記の①~⑥のうち、3つから4つの基礎事項が集合して設問になっているケースが少なくありません。
したがって、そのうちの2、3に気づき、答案に示すことができれば、十分に合格点に近づいていきます。
年度にもよりますが、多くの国公立大学の国語の合格点は6割程度です。「現代文・古文・漢文」を課す大学においては、受験生のほとんどは、「古文・漢文」のほうが得点を取りますから、「現代文」の領域に関していえば、「5割」を超えることが当面の目標になります。
国公立の記述問題の現代文は「5割超え」がひとまずの目標
もちろん、6割7割得点できたほうがよいことは言うまでもありませんが、現実的には、部分点を積み重ねて、このラインを突破することが重要です。「賭けに出たような冒険心あふれた自己流の答案」を書くと、ほぼ零点になる可能性があります(そもそもそういう受験生の得点によって現代文の平均点は下がっています)。とにかく「部分点で5割超」が記述現代文の基本的な態度です。
あらゆる問題で5割を取れるようになると、おのずと、6割、7割取れる小問が出てきます。
現実的には、
小問1 3/6点 (基本達成)
小問2 2/6点 (ミスで失点)*主語の書き忘れなど
小問3 4/6点 (基本達成+α)
小問4 3/6点 (基本達成)
というような点の取り方で、合格していく受験生が多いものです。
このように、記述現代文は、「ざっくり」考えて、「ざっくり」書いても決してうまくいきません。
採点者から見ても、採点項目に一致している語句を採用している答案は減点できませんから、小説家のような美文でないほうが、かえって得点は高くなります。
まとめ
「ざっくり難しい問題」というものは存在しません。「複数の基礎の寄せ集め」のいくつかに、制限時間内で気づかないからこそ、総体として「難しい問題」として取り扱われるのです。まずはそのうちのいくつかに気づくことが大切です。
問われ方の3パターン
現代文の傍線部問には、基礎となるパターンがあります。ここでいう「基礎」とは「簡単」ということではなく、あらゆる問題の土台といえるものです。
具体的には、傍線部問題の「問い」は、次の3種類に分けられます。
a.~とあるが、それはどういうことか。
b.~とあるが、それはなぜか。
c.~とあるが、そのようにいえるのはなぜか。
では、それぞれについて細かく見ていきましょう。
a.どういうことか。
「どういうことか」であれば、主に傍線部の各要素を、より具体的に表現している箇所を探し、そちらの表現を解答に取り込むことがファーストステップです。
その際、傍線部内の表現が「比喩」であれば、実態のほうを書きこみ、比喩そのものは答案から除外します。
傍線部内の「熟語」は、「どういう点でその熟語のように言えるのか」というほうを突き止め、そちらを補充します。熟語そのものは、理想的には言い換えますが、現実策としてはそのまま書き込んでも問題ありません。
傾向として、「どういうことか」の問題は、特に〈述語〉を取り替えることが重要になることが多くなります。とはいえ、〈主語〉の説明が重要ではないというわけでありません。〈主語〉が傍線部の外部にあっても、答案には取り入れるくせをつけておきましょう。
b.なぜか。
「なぜか」であれば、まず、「なぜ」が直接係る箇所を「結論」と位置付けます。多くの場合それは〈述語〉です。
たとえば、次のような文章があるとします。
雨が降ってきた。
(ア)よしおは濡れてしまった。
~ 傘を持っていなかったのである。
ここで、「傍線部(ア)とあるが、それがなぜか」と問われた場合、「なぜ」が直接係る箇所は「濡れてしまった」です。
その際、「なぜ」を入れたところの「前」に来るべきものを答案に持ち込むことが重要です。 主語の「よしおは」は、必ず書き込みます。そのうえで、 「雨が降ってきた」と、「傘を持っていなかった」という「前提」を書き込みましょう。
すると、答案は、
雨が降ってきたとき、よしおは、傘を持っていなかったから。
となります。
このように、原因やきっかけを問う「なぜか」の問題は、「なぜか」の直接係る箇所〈主に述語〉を答案に含める必要はありません。書いてあっても減点はされる可能性は低いと言えますが、字数を圧迫するので、他に書くべき論点を落としてしまう危険があります。
また、単純な「なぜか」の問題が、70字、80字といった長い字数を求めてくる場合、「前提」が二つあり、事実上三段論法のようになっている可能性があります。常に「前提」を二つ探すくせをつけておきましょう。
最後に、答案をまとめるにあたって、比喩や例示を解除することは「どういうことか」と同様でありますから、いったん「書くべき論点」を収集したら、あとは「どういうことか」と同じように、わかりにくい表現を変換していく表現努力をしましょう。
c.いえるのはなぜか。
「いえるのはなぜか」の問題の場合、「前提に言及しつつ、意味内容を説明する」タイプだと判断します。なお、「いえる」と書かれていなくても、〈主語〉と〈述語〉が同じものを指している場合は、「意味内容を説明する」タイプになる可能性があります。
〈意味内容を説明するタイプの「なぜか」の2パターン〉
①言える系のなぜか。
(傍線部)とあるが、そのようにいえるのはなぜか。
②S≒P系のなぜか。
「S(主語)はP(述語)である」とあるが、それはなぜか。
このようなタイプの問題の場合、高確率で、「傍線部を含む一文」に「意味不明瞭な表現」があります。だからこそ、「いえるのはなぜか」という問い方になります。
その「意味不明瞭な表現」を説明すると、そのまま「答案の核」になる問題も少なくありません。
「なぜか」と問われている以上、多くの場合、何らかの「前提」も付け加えていく必要がありますが、「いえるのはなぜか」と問われている設問は、「①まず傍線部を説明」してしまって、次いで「②前提」を探す、という方法論が有効です。場合によっては、①の作業だけで答案が完成してしまうこともあるからです。
たとえば、次のような文章があるとします。
みんなからもらったチューリップが咲いた。この花は僕の(ア)宝物だ。それは、かけがえのない、大切なものなのだ。
ここで、「傍線部(ア)とあるが、宝物といえるのはなぜか」と問われた場合、
「僕」にとって、かけがえのない大切なものだから。
というものが本質的な正解になります。
そのうえで、「前提」も入れる努力をすると、
友達からもらった花なので、(前提)
「僕」にとって、かけがえのない大切なものだから。(「宝物」の意味内容説明)
という答案になります。
まとめると、「いえるのはなぜか」というタイプの問題は、「どういうことか」と「なぜか」を合わせたような問題であり、そのぶん、答案に盛り込まなければならない論点が増える傾向にあります。
そのため、「難しい」と感じることが多くなります。しかし、「やらなければならない作業」をあらかじめ定めておけば、制限時間内に「基礎点」を取っていくことはできるのであり、その「基礎点」だけでも合格点を超えることは可能です。
傍線部内の客観的な語句や熟語について
傍線部を説明する問題においては、傍線部内の語句はいちいち言い換えていく姿勢が基本です。
特に、指示語や比喩的表現は、言い換えて説明することが必須であり、指示語や比喩表現を答案に残すべきではありません。
では、たとえば、次のような語句はどうでしょうか。
客観的語句について
たとえば、傍線部内に次のような語があるとして、答案では言い換えるべきでしょうか。
人 国 時 島 ・・・・・
これらは、すでに明確な客観語であり、一般的に意味が了解できるものです。
したがって、これらをいちいち言い換える必要はありません。
たとえば、「人」に対して、辞書的意味を援用し、「 霊長目ヒト科ヒト属の哺乳類であり、直立二足歩行し、手で道具を使う……」などと説明する必要はありません。
しかし、次のような場合はどうでしょう。
西欧では、自然を支配しようとする歴史が~
それに対して、日本では、~
~ ここでは、人は自然との調和を重んじて生活している~
かりに、「人は自然との調和を重んじて生活している」に傍線が引かれ、「どういうことか説明せよ」と言われた場合、「人」という語句を「言い換える」必要はありません。
しかし、「どういう」人であるのかを「追加」することができれば、答案はいっそう充実します。
この文脈では、傍線部の「人」は「日本の人」であることになりますから、「日本人は~」などと、意味を付け加えて説明することが重要です。
このように、傍線部内の「一般的、客観的語句」は、「語句そのもの」を言い換える必要はありません。ただし、そこまでの文脈において「意味の限定」があるのであれば、その情報を追加したほうがよいと言えます。
熟語について
さて、では、「普遍」「特殊」「錬成」「克己」「当惑」などといった「熟語」についてはどうでしょうか。
「熟語」も、原理的には、「語そのもの」の意味は了解可能です。そのため、「客観語」と同様に、「言い換え」よりも「付け加え」のほうが重要です。
熟語そのものの言い換えよりも、「どういう点でそのように言えるのか」という情報を本文から探し、それを論点として追加したほうがよいということです。
ただし、単なる「客観語」とは異なる点があります。「熟語」は、多くの意味を含みこんで成立しているところです。
たとえば、「人」は、「人」としか言えないところがありますが、「特殊」は、 「性質が他と著しく異なること」という「辞書的言い換え」をしたほうが、よりわかりやすくなります。 あるいは、本文中にあるのであれば、「類義語」に取り換えることで、相手の理解を深めることができます。
そこで、次のような方法論をとります。
傍線部内の熟語を説明する方法
(ⅰ)本文内別箇所に「辞書的言い換え」があれば、それと取り換える。
(ⅱ) 本文内別箇所に「類義語」があれば、それと取り換える。
(ⅲ)両方なければ、自力で辞書的言い換えを果たす。
(ⅳ)時間がなければ、そのまま書く。
たとえば、こういうケースはどうでしょう。
傍線部内に「例外」という語がある。
傍線部外に、「原則にあてはまらない」などという「意味内容表現」がある。
この場合、「例外」という語を答案から外し、「原則にあてはまらない」という「意味内容表現」を登場させたほうがよいです。
なぜなら、〈設問と傍線部だけを見ている第三者〉にとって、「筆者は、例外という語を、原則にあてはまらないという意味で使用しているのだな」という「理解の深まり」が果たされるからです。
では、次のケースはどうでしょう。
傍線部内に「例外」という語がある。
傍線部外に、「特殊」という語がある。
つまり、傍線部内の「類義語」とみなせる表現が、傍線部外にある場合です。
この場合、「例外」という語を答案から外し、「特殊」という類義語を登場させたほうがよいです。
なぜなら、〈設問と傍線部だけを見ている第三者〉に対して、傍線部内の「例外」を傍線部外の「特殊」に置き換えることで、「○○が△△である現象について、筆者は例外とも言っているし、特殊とも言っているのだな」という「理解の深まり」が果たされるからです。
(もちろん、採点者が本文を読んでいないということなど本来はありえませんから、この「仮想」は演技的仮想なのですが、そのように「仮想」したほうが、方法論を固定できます。)
傍線部内の熟語の類義語も説明表現も存在しない場合
「類義語」も「意味内容表現」も、本文に見当たらない場合は、次のように考えます。
(ⅰ)理想的な作業 ⇒ 自身の語彙力で辞書的意味におきかえる。
(ⅱ)現実的な作業 ⇒ 無理せず、そのまま「例外」と書く。
模範解答は(ⅰ)で作成することが多く、選択肢問題も(ⅰ)になることが多いのですが、記述問題の場合、(ⅱ)を採用してかまいません。
一言でいえば「重要度が低い」からです。
前述したように、傍線部内に熟語がある場合は、「そのものの意味」よりも、「どういう点がその熟語のようにいえるのか」を突き止め、「どういう点」のほうを書くことが重要です。いわば、「換言(エクスポート)」よりも「補足(オプション)」が重要なのです。
傍線部内の熟語をかみくだけば、いっそうわかりやすい説明になるので、「熟語の辞書的かみくだき」は、「うまくできれば満点に近づく」というのは確かです。
しかしその一方で、「自身の語彙力による辞書的かみくだき」に失敗すると、意味そのものの取り違えが起きるので、むしろ減点されるおそれがあります。そのことから、「傍線部内の熟語に対する自身の語彙力による辞書的かみくだき」は、満点水準の得点をゲットしにいく際の「チャレンジ」であると考えておくとよいでしょう。あくまでも、時間的・精神的に余裕のあるときに挑戦してみるべき方法です。
方向性の差異 「必要派」v.s.「不要派」
ある課題文があり、その途中に傍線が引かれ、「どういうことか」または「なぜか」という問いが設置される形式が、現代文の典型的な問題です。
この際、「課題文中の語句を用いる」のか、「課題文中にはない語句を用いる」のか、という異なる二つの態度があります。これについては、指導者によって意見が分かれるところです。
意見が分かれる理由は、どのような答案を作成していくのか、という方向性の違いによります。
「自分のことば生成派」は、答案の核心について「語彙力」を中心に据えています。辞書的語彙力を豊富に用いて答案を充実させようというスタンスです。
「本文の語句使用派」は、答案の核心について「論理力」を中心に据えています。課題文中に分散している複数の語句を拾い、それらをできるかぎり論理的な順序で再構成し、答案に表出することが重要であるというスタンスです。
このように、やや対立的な二つのスタンスがありますが、合格していく受験生の再現答案を見る限りでは、後者が多いのは事実です。つまり、一般的には、本文の語句を使用していくほうが、部分点を取っていると言えます。なぜなら、「自分のことば」にしすぎてしまうと、かえって本文の意味とは遠ざかってしまい、「深読み」とみなされ、減点されることがあるからです。
しかし、その一方で、高得点を取っている受験生の再現答案を見ると、かなり柔軟に〈自分のことば〉を駆使していることがわかります。「課題文中の語句」のみを寄せ集めたように答案を作る方針ですと、たしかに〈論点を収集した〉という観点での部分点は取りますが、やはりそれは部分点の集合に過ぎず、「高得点」には至っていません。
そのことから考えられる最善の方法は、〈自分のことば〉を生成させる状況を特定しておくことです。
大きく分けると、次の4種類があります。
「自分のことば」の4パターン
①圧縮
下書きが長くなったときは、自身の語彙力で〈圧縮〉します。その際、〈課題文にない語句〉を生成する場合があります。たとえば、次のようなケースです。
〈課題文〉つまるところ、言語は一種の記号と判断してよいといえるのではないだろうか。
〈答案〉言語は一種の記号とみなせるということ。
このように「圧縮」する際には、自身の語彙力を駆使した調整は必要です。特に「ひらがな」は削っていく姿勢が必要です。
②一般化
具体的な事例が列挙されている部分が答案に必要であるとき、自身の語彙力で一気にまとめます。たとえば、次のようなケースです。
〈課題文〉ある国、地方、地域といったまとまりの言語、建築、習慣、衣服、働き方、法律といったもののすべてが歴史に規定されている。
〈答案〉ある社会集団の文化はすべて歴史に規定されている。
この場合は、字数があればそのまま書くことができますが、欄からはみ出してしまうのであれば、「言語、建築、習慣、衣服、働き方、法律」といった長い部分は、思い切って「文化」などとまとめる必要があります。この場合は、「文化」という語句が本文になくても、そのように書き換えるべきです。この作業を〈一般化〉と呼びますが、難関国公立大学の中には、この〈一般化〉の力を見たいと繰り返し表明しているところもあるくらいです。
③比喩解読
答案に必要な論点の中に比喩的な表現が混入しており、その具体的な置き換えが課題文中に存在しないとき、自身の語彙力でその実態を書きます。
④語義説明
傍線部内の難語の語句としての意味内容を、辞書的説明を援用して書きます。
実際の合格答案は?
合格していく受験生の再現答案を見る限り、多くの答案が、積極的に本文の語句を使用し、「自分のことば」は必要最小限にしています。
もちろん、入試を総合的に考えた時に、「現代文はとにかく部分点を取る」という態度は、戦略的には正しい場合が多いです。現代文という科目単独で見ても、「課題文の語句を組み合わせる」という作業を徹底したほうが得点を取れる受験生もいます。
出題者の意図は?
では、入試作成側は、「受験生自身のことば」を求めてはいないのでしょうか?
いえ、理想論としては「求めている」と考えられています。正確に言えば、「部分的に求めている」と言えます。
たとえば、東大を例にすると、字数制限のない問題の解答欄は13.4cm×2行です。ここに、常識的な文字の大きさで書き込むと、60字程度になります。文字のバランスから考えると、出題者が「想定」している模範解答は、60字程度であると推測することができます。
しかし、「東進」や「河合塾」といった予備校の解答例を見ると、やや小さめの文字で、75字くらいまでは書き込んでいます。また、高得点を取った受験生の再現答案を見ても、やはり70字は超えて書き込んでいます。平均すると75字くらいです。80字近くまで書き込んでいるものもあります。
とはいえ、「理想的な答案」が80字近くまでいくのであれば、13.4cm×2行はあまりにも小さいものです。せめて15~17cmくらいないと、大きくしっかりとした文字で80字書くことはできません。
この「食い違い」はどうして起きるのでしょうか。
それについては、次のような事情が考えられます。
答案の「理想」と「現実」について
たとえば、「本文」に、「人は集団で生活をする」と書いてあり、少し後に書かれている「このことに例外はない」という箇所に傍線が引かれているとします。
そして、さらに文章を読み進めると、「時代を超えた、広く一般的な現象である」と書かれていたとしましょう。
この場合、推奨される記述答案は、
① 人が集団で生活することは、時代を超えた、広く一般的な現象であるということ。
というものです。「課題文にある語句」をそのまま使用しています。
しかし、この答案が制限字数に入らなかったらどうすればよいでしょう。
② 人が集団で生活することは、普遍的現象である。
といったように、「課題文にはない熟語」を登場させて説明することができます。
このとき、前者と後者の「意味」は同じです。
意味が同じなのであるから、もし、どちらも解答欄に収まるのであれば、得点は同じになります。
旧帝国大学などの難関国立大の入試には、後者のような答案(自分のことばを必要とする答案)を求めてきていると考えられる設問が散見されます。
得点はどうなるのか?
過去問を分析していく限りでは、多くの大学では、②のような答案を「模範解答」として想定しており、受験生にも、そのように書くことを期待しています。しかし一方で、東大、京大などでは、①のような答案も、小さい字でうまく詰め込んでしまえば解答欄に収まってしまいます。その際、「意味」が同じなのであれば、①を減点することはできません。
逆に、②のような答案を目指し、「自分のことば」を生成させようとする受験生が、その「生成」に失敗した場合、その論点にまつわる部分点をもらうことはできません。減点もありえます。
だからこそ、欄に収まるのであれば、本文に存在する語句を使用したほうが、リスクの少ない答案作成になります。
一般化
東北大学などは、出題意図を公表しており、そこでは、「一般化」の重要性が繰り返し語られています。「一般化」とは、本文中に列挙されている例示的な部分を、まるごとひとつの表現にまとめる作業です。そのことから考えれば、「本文中の語句」のみでは答案が完成しないことが推察されます。しかし、それは「答案の全体」ではありません。あくまでも答案の一部分についての話です。そうでなければ、現代文の公平な採点はできなくなりますから、基本は「本文中の語句を使用する」という態度を持っておくことが重要です。
まとめ
以上のことから、次のようにまとめることができます。
① 答案の5割以上は、本文内の語句のつなぎ合わせで構成できる。
② 制限時間内で部分点を取るためには、本文中の語句を用いるほうが安全である。
③ 本格的な記述問題は、部分的に「自分のことば」にせざるをえないところがある。
④ 答案の大部分を「自分のことば」にしようとすると、かえって失点する危険がある。
「本文中の語句」を用いることが基本で、それができないときは「自分のことば」にするというスタンスがよいです。それでも、答案の半分以上が「自分のことば」になる解答というのは、公平な採点の都合から見てもありえません。