死と宗教

(一)

「主語S」ー「述語P」という基礎的な論理構成を持つ傍線部です。

傍線部そのものが非常に短いので、答案には「補充」が必要になります。「補充」には主に次の(ⅰ)(ⅱ)があります。

(ⅰ)論拠の補充をする。
(ⅱ)対比の補充をする。

ただし、傍線部が短ければ常にやみくもに「補充」をするのではなく、構造的に「補充」が求められているのかどうかを考える必要があります。

くわしくは別の回で説明しますが、(ⅰ:論拠)は、傍線部の論理関係が「主語S ≒ 述語P(Sの状態・性質)」になっているときに求められやすく、(ⅱ:対比)は、傍線部と密接にかかわるところに明確な対比が認められるときに求められやすいと考えましょう。

実際に問題を見ていきます。

「主語S」の「意味規定」/「述語P」の「言い換え」

傍線部では、「死者は消滅などしない」と述べています。

「消滅」「しない」ということですから、「消滅」の反対の語を意識して探すと、本文には「実在」というワードが出てくるので、そこに着目します。

本文〈①段落〉には、こう書かれています。

先行者は生物学的にはもちろん存在しないが、社会的には実在する。先行者は今のわれわれに依然として作用を及ぼし、われわれの現在を規定しているからである。

ここを利用し、次のような〈下書き ver.01〉を作ることができます。

〈下書き ver.01〉
先行者としての死者は、生物学的に存在せずとも、社会的に実在しているということ。

さて、この答案では、傍線部の「死者は」という「主語S」に対して、「先行者」という意味の規定をしています。

こうしたほうがよい理由は次の通りです。

主語の規定

傍線部の「主語S」である「死者は」は、十分に「客観的かつ一般的」な語なので、答案にそのまま出すほうがよいです。

ただし、その「死者は」という主語に対して「先行者」という「付け加えによる意味規定」をしたほうがよりよい答案になります。

「もともと傍線部内にある客観語」は、「意味広範な表現(多義的な表現)」になっている可能性がある。そのような場合、文脈に即して「一義的表現(一つの意味に規定できる表現)」にできるといっそうよい答案になる。

たとえば、「日本人」について述べている文章で、傍線部の主語が「人」であったとする。その際、その「人」が「日本人」を差しているのであれば、答案では「日本人」と書くほうがよい。なぜなら、「人」とだけ書くと、「アメリカ人」「フランス人」「中国人」など、あらゆる人を意味するからである。

さて、ここでの「死者」ですが、この文章を先まで読んでいくと、「現在・過去・未来」の死者について話が展開していきます。

この〈傍線部ア〉で述べられている「死者」は、「現在からみた過去の死者」のことです。それが端的に表現されているのが「先行者」というワードです。

何度も繰り返し登場することからも、「先行者」は、筆者にとって重要な語句〈キーワード〉だと判断できます。

したがって、

◆ 死者は、先行者であり、~
◆ 死者は、過去を生きた者であり、

というようなかたちで、「死者」の「意味の枠」を文脈に応じて規定できるとよいのです。

〈下書き ver.01〉は字数が短いので、まだまだ書き込むことができます。冒頭での話題に戻り、補足事項を考えていきましょう。

論拠の補足

ここで「傍線部の論理関係」における「述語P」が、「動作・行為」などではなく、「状態・性質」であることに着目しましょう。つまりこれは「主語S ー 述語P(Sの状態・性質)」型の傍線部になっているのです。便宜的にこれを「主題主語型」と呼びます。

この「主題主語型(述語が主語の状態や性質になっている)」の論理関係には、次のような「三段論法」が内在していて、「S」と「P」をつなぐ「論拠w」が見えなくなっているからこそ、問題になっていることが多いのです。

主語Sは  w である
      w であるのは、 述語P である。

 →  よって、 主語S  述語P である。

この形式の場合、「いえるのはなぜか」と問うことが多いのですが、今回は「どういうことか」と問われています。この2つの問いの違いはまたどこかで言及するとして、ここでは図における「wである」を代入した解答例を作ってみましょう。

先ほど着眼した「社会的に実在する」の直後に、「~からである」と述べているところがありますね。

先行者は生物学的にはもちろん存在しないが、社会的には実在する。先行者は今のわれわれに依然として作用を及ぼし、われわれの現在を規定しているからである

そこを「論拠w」として補充すると、次のような〈下書き ver.02〉が成立します。

〈下書き ver.02〉
先行者としての死者は、生物学的には存在せずとも、現在の生者に作用を及ぼし、現在を規定している点で、社会的に実在するということ。

文中にあった「われわれ」という語は、そのままでは客観的に誰を指すのかわからないので、答案内では「現在の生者」「現成員」などと表現する必要があります。

ここまで書ければ提出してよい水準ですが、あと一歩考えてみましょう。答案内の「社会」という語も「意味広範」な語であるため、文脈に応じて少しでも「意味規定」できると、いっそうよい答案になります。

そこで、もう少し先を読んでいくと、次のような複数の重要構文が発見できます。

③名、記憶、伝統、こうした社会の連続性をなすものこそ社会のアイデンティティを構成するのであり、社会を強固にしてゆく。言うまでもなくそれは個人のアイデンティティの基礎であるがゆえに、それを安定させもする。したがって、個人が自らの生と死を安んじて受け容れる社会的条件は、杜会のこうした連続性なのである。

④人間の本質は社会性であるが、それは人間が同時代者に相互依存しているだけではなく、幾世代にもわたる社会の存続に依存しているという意味でもある。換言すれば、生きるとは社会の中に生きることであり、それは死んだ人間たちが自分たちのために残し、与えていってくれたものの中で生きることなのである。その意味で、社会とは生者の中に生きている死者と、生きている生者との共同体である。

〈③段落〉では、「こうした」という要約系指示語のあとに、「連続性」という語が2回出てきます。

さらに、〈④段落〉では、「生きるとは社会の中に生きること」と定義されており、その「社会」についても、「生者の中に生きている死者と、生きている生者との共同体」と定義されています。

あくまでも「補足」なので、あまり字数は割かないほうがよいのですが、「社会」というものが、「過去を生きた先行者と現在の生者との連続性によって成立している共同体」であることに言及できると、答案の充実度がいっそう増すことになります。

「社会は過去と現在でつながっている」あるいは「社会は過去の人間と現在の人間の共同体である」ことについて言及できれば、「社会」という「意味広範な語」を、少なくとも傍線部よりは「意味規定」したことになります。答案の表現的には、「連続」「共同」のどちらかがあればよいです。

〈答案〉
先行者としての死者は、生物学的に存在せずとも、現在の生者に作用し、現在を規定するため、過去と連続する社会に実在するということ。

〈さらに簡潔な答案〉
先行者である死者は、生物としては存在しないが、現在の生者に作用し、現在を規定するため、過去と連続する社会に実在するということ。

〈論点チェック〉
先行者としての死者は  ① 
生物学的に存在しない  ① 
現在の生者に作用する  ①
現在を規定する     ①
過去から連続する現在  ① 「死者と生者の共同体」なども可
社会(的)に実在する  ① 

(二)

(一)のように、傍線部そのものが短い場合は、〈論拠〉や〈対比〉といった「補充」をしていく必要がありますが、本問のように傍線部が長い場合、傍線部内の各要素の「意味内容」を説明すれば、答案のほとんどが成立します。

さて、傍線部の〈各要素〉は、

(a)人間 は
(b)自分が死んだあともたぶん生きている人々 と
(c)社会的な相互作用を行う。

というものです。

さて、主語の「人間」は、十分客観的な表現ですので、そのまま答案に出せますが、「人間」というのは意味の広い語であるので、もう少し限定的に規定できないか考えてみましょう。

(要素b)に「自分が死んだあともたぶん生きている人々」とあるのですから、そことの対比で考えれば、主語の「人間」は、すでに話題にされている「先行者」のことであると判断できます。

さらに言えば、傍線部周辺には、

以上のような過去から現在へという方向は、現在から未来へという方向とパラレルになっている。(イ)人間は自分が死んだあともたぶん生きている人々と社会的な相互作用を行う。ときにはまだ生まれてもいない人を念頭に置いた行為すら行う。

と書かれています。

つまり、ここまでの〈①②段落〉の話題が、「過去から現在へという方向」の話であったことに対し、この〈③段落〉では、その「過去 ⇒ 現在」の方向は、「現在 ⇒ 未来」にも当てはまると述べているのです。

つまり、ここでいう「パラレル」とは、下図の〈線A〉と〈線B〉のように、「過去と現在」の関係性が、同じように「現在と未来」にも認められるということです。

 過去ーーーーーー現在
    〈線A〉
         現在ーーーーーー未来
            〈線B〉

そのため、この傍線部の(a)(b)については、

先行する現在の生者は、想定される未来の生者と、(社会的な相互作用を行う)

などと説明することができます。

では、「相互作用」とは何でしょうか? 

「現在から未来」への作用は、わりとスムーズに見つけられます。傍線部の2行後に「働きかける」と書いてあるからです。これは「作用」の換言表現であるとみなせます。

死を越えてなお自分と結びついた何かが存続すると考え、それに働きかける。
その存続する何かに有益に働きかける

ここは解答の根拠になります。

ただし、「何か」という表現が曖昧ですね。文脈上、この「何か」は、「未来の社会/未来の生者」のことでありますから、代入すると、

死後も自分と結びついた社会が存続すると考え、想定される未来の生者(or社会)に有益に働きかける

などと説明することができます。

以上のことから、次のような〈下書き ver.01〉が成立します。

〈下書き ver.01〉
先行する現在の生者は、死後も自分と結びついた社会が存続すると考え、想定される未来の生者に有益に働きかけるということ。58

ただし、傍線部には「相互」と書いてあります。ということは、「現在⇒未来」のことだけを解答化しても、「相互」を説明しきったことにはなりません。

そのため、反対に、「未来から現在(未来の生者から現在の生者)」に及ぼされる作用について、何らかの論点を拾ってこなければなりません。

では、それは何でしょうか? ――傍線部の2行後には、ズバリ「意義」と書いてあります。つまり、想定上の「未来(の社会・生者)」からは、「意義」が与えられるのです。それこそが「相互作用」だと考えられます。

一見するとおかしいことと思うかもしれません。まだ生まれていない人間まで、こちら側に意義を与えてくるとは、奇妙なことに思えます。しかし、次のように考えてみればどうでしょう。

私たちは、過去の遺産に対して、「ありがとう」と思うことがあります。言語も、生活環境も、習慣も、周囲の人々も、社会のすべては、過去の誰か(先行者)がいたおかげで、ここにあるのですから。そのことを「現在―未来」の関係に当てはめれば、「未来の生者たち」も、「現在の生者たち」に対して、「ありがとう」と思う可能性がありますね。その推察に基づき、私たちは、未来へ働きかけることそのものに「意義」を見出すのです。

つまり、未来の生者という〈相手〉が存在することによってはじめて・・・・・・・・「意義」が生成されるわけですから、ここでの「意義」は、未来の生者から与えられたようなものだといえます。したがって、この解答において「意義」はとても重要です。これがないと、「相互作用」を説明しきったことになりません。

以上のことから、次のような答案が成立します。

〈答案〉
先行する現在の生者は、死を越えてなお自分と結びついた社会が存続すると考え、想定される未来の生者に有益に働きかけ、そのことに意義を見出すということ。
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〈さらに簡潔な答案〉
先行する現在の生者は、自身の死後も続く社会への関与を想定し、未来に生きる生者への有益な働きかけに意義を見出すということ。

〈論点チェック〉
(先行する)現在の生者は、    ①
死を超えてなお自分と結びついた  ①
社会が存続すると考え、      ①
(想定される)未来の生者に    ①
有益に働きかけることに      ①
意義を見出す           ① 

(三)

「なぜか?」という理由説明問題は、主に次の3つに分類できます。

(a)原因c (先行条件・きっかけ)
(b)影響e (目的・意図・動機)
(c)論拠w (判断材料)

傍線部の論理関係に応じて、(a)(b)(c)は概ね判断できるので、今回もまずは「論理関係の把握」をしましょう。なお、傍線部ではよく「倒置や省略」などが起きているので、できるだけ論理を簡素化して考えるとよいです。

(1)論理の簡素化

傍線部の論理関係は、論理関係を簡素化すると、次のようにできます。

先行者の世界は ー 象徴化されなければならない。
(主語S)        (述語P) 

「象徴化する・される」というのは一種の「行為」であり、これによって「何か」が期待されるから「象徴化」が目指されるわけなので、この「なぜか」は「影響e(意図・動機)」型の「なぜか」であると判断できます。

「影響e」型の「なぜか」は、「傍線部そのもの」を「前提(先行条件)」とし、その「次」にくるものが「理由」になるので、答案の構文は、たとえば以下のようになります。

〈答案の構成例〉
先行者の世界が象徴化されることで【          】から。
      ↑              ↑
   傍線部のSーP         影響e(意図・動機)

*傍線部の「SP(SOP)」は、状況次第でカットするが、「主語S」「目的語O」は適切な表現に修正しつつ保存したほうがよい。

「先行者の世界が象徴化される」ことで、「次」に何が成立するのか(期待されるのか)、それを探しましょう。

そこで、〈傍線部ウ〉の文末が「~ということである」と表現されていることに着眼すると、〈傍線部ウ〉とその直前の文は、ほぼ同義であるとみなせます。

さらにその文の先頭には「それゆえ」とあり、さらにその前には「あってこそ」があります。

この縦の連続性=伝統
 あってこそ
  社会は真に安定し、強力であり得る
   それゆえ
    先行者は象徴を通じてその実在性がはっきり意識できるようにされなければならない。
      = 先行者の世界は、象徴化される必然性を持つということである。

こここそ「影響e(意図・動機)」としての「理由」になるとみなせます。したがって、次のような〈下書き ver.01〉が成立します。

〈下書き ver.01〉
先行者の世界が象徴化されることで、縦の連続性=伝統が生まれ、社会は真に安定し、強力であり得るから。

(2)「傍線部のSーP」の説明不足の解消

前述の〈下書き ver.01〉における「先行者の世界」「象徴化」といった表現は、そもそも傍線部に存在する語句なので、「言い換え」または「補足」をして少しでも説明を充実させましょう。

また、「縦」という表現も、答案に残さないほうがよい「比喩的な表現」であるので、答案には登場させないような工夫をしましょう。

先行者の世界

まず、「先行者の世界」については、直前で「先行者は象徴を通じてその実在性がはっきり意識できるように~」と述べられていますので、「実在」という語を拾っておくと、「先行者の世界」の説明を少しでも充実させたことになります。

そのため答案では、「実在としての先行者の世界」とか「先行者の実在性」などのように書けるとよいです。

縦の連続性

次に、「縦」は、具体的には「歴史を先に行っている者」と「現成員」の関係です。

たとえば、学校生活でいえば「先輩後輩関係」です。俗にこういう関係を「縦社会」などと言うこともありますね。つまり「縦」とは、「先に生きた者」と「今(未来)を生きる者」の「つながり」の性質のことです。

いわば「縦」という表現は「比喩」なのです。過去と未来が「縦」につながっているという表現は、年表的世界観による「図表」的イメージにすぎません。

したがって、「縦の連続性」という表現は、「(先行者と)現成員との連帯」などと示したほうがよいことになります。

ただし、ここでは「縦の連続性=伝統」というかたちで、「伝統」という語に言い換えているわけですから、比喩表現ではない「伝統」のほうを使う手段でもよいです。

象徴化

次に「象徴化」です。

「象徴」の意味は次のとおりです。

〈象徴〉
 知覚できない観念を、知覚可能な具象で示すこと(もの)。
 抽象的な物事を、それを連想させる具体物で代表させて表すこと(もの)。

「象徴化」とは、このように、「意味広範な観念を、知覚可能な具象で表現すること」です。

たとえば「極楽」は、知覚することが不可能ですが、それを「曼荼羅」や「極楽図屏風」などを通して「イメージ」することはできます。そのとき「曼荼羅」や「極楽図屏風」は、「極楽」の「象徴」であるといえます。

では、その「象徴」の意味として機能する表現は、本文にあるでしょうか? ――あります。

本文の表現を用いれば、傍線部2行前の、「表現され、意識可能な形にされ、それによって絶えず覚醒される」という部分が、まさに「象徴」の説明にあたります。

そこを答案に取り入れると、次のようになります。

〈解答例〉
先行者の実在性が、表現され、意識可能な形にされ、絶えず覚醒されることで、現成員との連帯が生まれ、社会は真に安定し、強力でありうるから。68

〈さらに簡潔な答案〉
先行者の実在性が、意識できる表現で覚醒され続けることで、現成員との連帯が生まれ、社会は強固に安定するから。

〈論点チェック〉
先行者の世界の実在性が      ① 
意識、表現、覚醒されることで   ② 「意識」「表現」「覚醒」は意味としてすべてほしい現成員と連帯が生まれ       ① 「伝統」も可
社会は真に安定し、強力になるから ② 「安定」「強力」はどちらもあるほうがよい

(四)

傍線部の論理関係は、

他者のために死の犠牲を払うことは ー 評価の対象となる
   (主語S)            (述語P)

となります。

これは、「評価される」という「結果」に至る「原因c」を問う「なぜか」であると判断できます。

したがって、

他者のために死の犠牲を払うこと は 【       】から。(→評価の対象となる)
      ↑               ↑
     主語S             原因c

における「原因c」を見つけ出せば「答案の核心」となります。

理由①

ではまず、「評価される」という結果を導く「前提(先行条件)」を探しましょう。

同段落の冒頭を見ると、このように書いてあります。

年老いた個体が順次死んでいき、若い個体に道を譲らないなら、集団の存続は危殆に瀕する。

ここには「仮定条件」がありますね。

多くの場合「条件句」は「前提」としてはたらくので、「仮定条件」を「因果関係」に言い換えられるケースは少なくありません。

〈ポイント〉

仮説・仮定法・条件法において、「前提」と「結果」の関係がある場合、それを因果関係として説明することができることが多い。

特に、「 x でなければ、 y でない」という条件構文の場合、「 x であるから、 y である」という因果構文に置換しやすい。

逆に、「 x であれば、 y である」という条件構文の場合、「 x でないので、 y でない」という因果構文に置換しやすい。

たとえば、「勉強していれば、もっといい点とったのになあ」という場合、実際には、「勉強していなかっから、もっといい点をとらなかった」のである。

「昨日雨降ってなければ、家にいなかったのになあ」という場合、実際には、「昨日雨が降っていたので、家にいた」のである。

このように、「理由」を説明する問題においては、

から・ため・ので・よって・により・ゆえに・それゆえ

といった「因果」のラベルを探すことが重要ですが、同様に、

すれば・ならば・するなら・なるなら

といった「仮定・条件」のラベルにも注目しておきたいものです。

その観点で、さきほどの条件文因果関係として書き直せば、次のようにすることができます。

年老いた個体が死ぬことで若い個体に道を譲るからこそ、集団は存続しうる。

「年老いた個体が死ぬことで若い個体に道を譲る」という情報は、傍線部の「主語」であった「他者のために死の犠牲を払うこと」内容的に一致しますので、「主語の言い換え」という観点で答案に取り込めるとよいです。

さらに、「(そのことによって)集団が存続する」という論点は、「結論に至る先行条件」であるといえるので、「解答の核心」になります。

したがって、次のような〈下書き ver.01〉が成立します。

〈下書き ver.01〉
老いた者が死に、若い個体に道を譲ることで、集団は存続できるから。(→評価される)
(先行者が) (後継者に)

「年老いた個体」は「先行者」のことであり、「若い個体」は「後継者」なのですから、答案はそのように書いてもよいです。

理由②

一方、傍線部の直前には、「ゆえの」というラベルがあります。

人は死を選ぶのではなく、引き受けざるを得ないものとして納得するだけであり、生を諦めるのである。それは他者の生を尊重するゆえの死の受容である。これは、他者の命のために自分の命を失う人間の勇気と能力である。(たとえ客観的には杜会全体の生がいかに脆い基盤の上にしか据えられていなくとも、また主観的にそのことが認識されていても、それでも)(エ)他者のために死の犠牲を払うことは評価の対象となる。

(たとえ~ても、それでも)の部分は、「ても」「でも」が逆接表現であり、筆者の主張に含めるべきポイントではないので、そこを飛ばして考えると、文脈的には〈傍線部エ〉の直前に、

生を諦めることは、他者の生を尊重するがゆえの死の受容であり、そのことには、人間の勇気と能力が必要となる。

という説明が存在することになります。

ここでの、「他者の生を尊重するがゆえの死の受容」という表現は、傍線部で「主語」とみなした「他者のための死の犠牲」と内容的に一致するので、「主部の言い換え」という観点で答案に取り込めるとよいことになります。

さらに、「勇気と能力」があるからこそ「評価」につながるといえるので、「勇気と能力」は「結論を導く前提(先行条件)」であるといえます。

したがって、次のような〈下書き ver.02〉が成立します。

〈下書き ver.02〉
他者の生を尊重するがゆえの死の受容には、勇気と能力が必要だから。(→評価される)

つまり、この問題には、

(1)集団が存続するから → 評価される
(2)勇気と能力が必要だから → 評価される

というように、結論に至る飛躍を埋める「理由」が「2つ」存在しているといえます。

なお、この「勇気」というキーワードは、傍線部の直後でも繰り返されています。

これこそ宗教が死の本質、そして命の本質を規定する際には多くの場合前面に打ち出す「犠牲」というモチーフである。それは、全体の命を支えるという、一時は自らが担った使命を果たし終えたとき、他の生に道を譲り退く勇気であり、諦めなのである。それは、自らの生を何としてでも失いたくない、死の不安を払拭したい、死後にも望ましい生を確保しておきたいという執着の対局である。

傍線部の直後では、「これ」「それ」「それ」という指示語でつながり、「犠牲」のモチーフについて述べられています。ここで語られている、

他の生に道を譲り退く勇気であり、諦めなのである。それは執着の対局である。

といった情報は、とても重要なものであるものの、傍線部の「前」にあった、

他者の生を尊重するがゆえの死の受容には、勇気と能力が必要

という意味内容と、大きくみればほぼ同じことを述べているので、傍線部の「前の情報」と「後ろの情報」は、どちらかをうまく使えればよいことになります。つまり、「どちらも使わない」ということを避ければよいのです。

ただし、明確に繰り返されている「勇気」については、取りこぼさないように注意しましょう。

以上の考察により、次のような答案が成立します。

「道」は比喩的なので、「生存する社会」などと言い換えておきましょう。

〈解答例〉
他者の生を尊重し、死を受容する(生への執着を捨てる)という勇気と諦めの能力を発揮し、老いた者が若い個体に生存する社会を譲ることで、集団は存続できるから。

〈別解〉
先行者が後継者に生存する社会を譲ることで集団は存続するが、そのためには他者の生を尊重し、生への執着を捨てる(死を受容する)勇気と諦めの能力が必要だから。

〈さらに簡潔な答案〉
他者の生を尊重し、死を受容するという勇気と諦めの能力を発揮し、老いた者が若い個体に生存する社会を譲ることで、集団は存続できるから。

〈論点チェック〉⑥
老いた者が若い個体に  ① 「先行者が後継者に」なども可
生存する社会を譲る   ① 「道」のままは加点なし
集団は存続する     ①
他者の生を尊重     ①
死の受容        ① 「生への執着を捨てる」「生を諦める」なども可
勇気と能力が必要    ① 「勇気」のみも可   

(五)

a.沈殿 

b.厳然 

c.要請  

d.従容  

e.克服

以上です!

(以下余白)

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