相手依存の自己規定(記述解説)

「相手依存の自己規定」で扱った問題の「解説」です。

「この孤独」とはどういう孤独か。40字以内で説明せよ。

 私がアメリカのある大学に滞在しているとき、日本から、友人の一人が、私の興味をもちそうな話題を選んで新聞の切り抜きを送ってくれた。その中に、近頃の中学生・高校生の悩みとして、「自分の心をすっかり打ち明けてとことんまで話のできる相手が誰もいないこと」が大きな比率を占めているという記事があった。学校の先生は悩み事の相談に乗ってくれない。同級生は皆受験のライバルで、心を打ち明けることなど思いもよらないし、両親はただ勉強白の一点張りで、話にもならない。自分はこの孤独にもう耐えられないというのである。

「この孤独」については、直前に

自分の心をすっかり打ち明けてとことんまで話のできる相手が誰もいない

と書かれているよね。

ここをそのまま取り出して、「~孤独。」とまとめれば40字以内の答案ができる。

〈解答例〉
自分の心をすっかり打ち明けてとことんまで話のできる相手が誰もいない孤独。

ああ~。

でもなんだかこれ「本文表記のまま」すぎて不安になる解答だよね。

基礎的な問題なら、こういった「ほぼ抜き出し」といえる記述問題はありうるよ。

記述問題は、「本文の『ここ』から答案をつくった」ということが「わかるように」書くことが重要なので、むしろ「基本は抜き出し」なんだよね。

ただ、入試レベルでは、ふつう「字数を厳しめにする」んだ。

この問題であれば「30字以内」とか、短めに設定するだろうね。そういう場合には、大きな意味内容が変化しないように圧縮しよう。そういうときに「自分のことば」が必要になることが多い。

〈30字以内の解答例〉
自分の心をすべて打ち明けて深く話せる相手がいない孤独。

つまり、

たいていの記述問題は、「抜き出しをうまく組み合わせれば答案がつくれる」けれど、多くの場合それだと「制限字数」に入らないから、「圧縮」するときに「工夫」が必要になる、という感じなんだな。

そうだね!

だから、「下書き」は制限字数より長めに書いて、「清書で工夫して圧縮する」という考え方がいいね。

「言語による自己把握の相対性」とあるが、それはどういうことか。50字以内で説明せよ。

この人は、話の相手が誰で、自分に対してどのような地位、資格を持っているかを見極めたうえで、その場に最も適切な言葉選びをしている。つまり、相手の性質が自分の自己を言語的に把握する角度に直接反映するのである。「自分は何者であるのか」ということが、「相手は誰か」に依存する構造になっていると言える。このような言語による自己把握の相対性は、少なくとも西欧諸国の言語には全く見られないことは特筆に値する。

「このような」という「要約系指示語」があるね。

「この」「その」という指示語とは違って、

「このような」「そのような」
「こうした」「そうした」
「こんな」「そんな」
「こういった」「そういった」

という指示語は、「前を広く」まとめているんだ。

だから、次のように「一つの文」だけを使って答案を構成するのは、この場合「高得点」にはならない

〈解答例1〉2つ前の文を利用した答案

相手の性質が自分の自己を言語的に把握する角度に直接反映するということ。

〈解答例2〉直前の文を利用した答案

自分は何者であるのかということが、相手は誰かに依存する構造になっていること。

いま述べたように、「このように」という指示語があるから、できれば答案は「前を広く」まとめたいんだ。

その点で、「一文しか用いていない」ことが、そもそもマイナスポイントなんだね。

そのことを度外視しても、この2つの解答には「落ち度」がある。

どのへんを修正すればいいかな。

〈解答例1〉は、「言語的に把握する」というところが、ほぼ傍線部のままで「説明を深めている」とは言い難いし、「角度に直接反映する」というところが比喩的で、意味がわかりにくいね。

そうだね。

〈解答例2〉についてはどう思う?

「自己把握の相対性」の意味内容は出せているけれど、「言語による」の論点が抜けていると思うよ。

そうだね!

そういう点では、どちらの解答例も「とてもよい」とは言えないね。

「このような」が「要約系」の指示語であることを意識して、「広くまとめる」つもりで答案をつくろう。

〈解答例3〉
(日本人は)
相手に応じて一人称の言葉を選ぶ点で、自分が何者であるかの把握相手に依存しているということ。


〈解答例4〉
(日本人は)
自分が何者かについての言葉選びをする際、相手の存在を前提として、そこからみた自己把握をするということ。

字数が苦しければカットして大丈夫だけれど、ここでの主語は「日本人は」になるから、余裕があるなら入れておきたいね。

ただ、「自己把握」って傍線部内の語句だから、できれば使いたくないよね。

意味内容が補充できていれば使用しても問題ないよ。

ただ、〈解答例3〉のように、「自分が何者であるかの把握」としたほうが、「少しでも説明しようとしている」という姿勢は伝わるよね。

あるいは、もっと前のほうにも、もっとうしろのほうにも、「自己同一性の確認(確立)」というフレーズが出てくる。これは「自己把握」とほぼ同じ意味であると考えられるから、それフレーズを使ってもいいよ。

(日本人は)
相手に応じて一人称の言葉を選ぶ点で、相手に依存して自己同一性の確認(確立)をするということ。

(日本人は)
自分が何者かについての言葉選びをする際、相手の存在からみた自分として自己同一性を確認(確立)するということ。

最後に、「角度」という比喩について少し補足しておこう。

もう少しあとを読むと、また「角度」という語が出てくる。

英・独・仏のようなヨーロッパの言語では、話者が自己を言語的に表現する角度は、原則として一定不変であって、用語としては一人称代名詞のみが用いられる。私はこの型の自己把握を絶対的な自己表現と呼んで、日本型の相対的自己表現と区別したのである。

ほんとだ。ここにも「角度」という語が出てくるね。

日本型の自己理解は、「相手」にいっかい飛んで、そこから自分を定義するような「角度」になるから、「相手が社会的上位者」であれば、「上から跳ね返ってくるような角度」になるし、「相手が友達」であれば、「横から跳ね返ってくるような角度」になるだろうね。

それに対して、ヨーロッパの言語は、「いっかい相手に飛ぶ」ということをせずに、「自分だけ」で定義できてしまうわけだから、いわば「0°」の角度とでもいえるだろうね。

そうだね。

ヨーロッパの言語では、相手次第で呼び方が変わるということがないから、「角度」は常に一定であることになるね。

でも、日本は「相手」を一回見て、「自分と相手」の関係性における「角度」に応じて「自分の呼称」を変化させるわけだから、「0°」にはならないよね。

日本人のような、「相手に依存した自己規定」の場合、「相手」の存在からいったん跳ね返って自分を規定することになるから、「さまざまな角度」に応じた自己規定になるんだね。

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