身振りの消失

問1

(ア)挙措   ① 準拠  ② 去就  ③ 特許  ④ 虚実  ⑤ 暴挙

(イ)塊    ① 氷解  ② 奇怪  ③ 皆目  ④ 団塊  ⑤ 懐古

(ウ)更地   ① 晴耕雨読  ② 更迭  ③ 恒久的  ④ 厚遇  ⑤ 強硬

(エ)充満   ① 銃口  ② 柔軟  ③ 追従  ④ 拡充  ⑤ 縦横

(オ)家計簿  ① 原簿  ② 規模  ③ 思慕  ④ 応募  ⑤ 墓碑銘

問2

まず「そういうこと」という指示語があるので、この指示内容を確認していきましょう。

直前にはこう書いてあります。

からだはひとりでにそんなふうに動いてしまう

ここにも「そんなふうに」という指示語があって、つきとめないと何を言っているのかわからないね。

そのとおりですね。

さらに前にさかのぼりましょう。

これはからだで憶えているふるまいである。

ここにも「これは」という指示語があって、つきとめないと何を言っているのかわからないね。

しかも、「これは」が指しているのは、「例示」の中身ですね。

「例示」というのは、「何かを言いたくて出すもの」なので、「例示を出してまで言いたいこと」が重要な論点になります。

その点で、例示の中身を指している

「これはからだで憶えているふるまいである。」

という部分は、とても重要な論点になると考えましょう。

( 例示 ) ← この・これ・その・それ 例示をまとめたような一般的表現

*例示に対し、指示語でその内容を受け、その指示語を転換点として、説明表現(一般的表現)にシフトしていく構文は重要である。

「からだで憶えているふるまい」という論点は、答案に必須ということだな。

そうですね!!

また、傍線部直後に、「ラベルなし(逆接や添加といった展開の目印がない)」の文が続き、その文が「~ということだ」と締めくくられていることにも着眼しましょう。

そもそも、論理的展開を示すラベルが存在しないのであれば、基本的には「同じ意味内容の文が続く」ことになります。

さらに、「ということだ」という文は、いわゆる〈のだ文〉と同様に、前文をより詳しく説明している「後置説明文」の可能性が高いといえます。

したがって、次の一文は、傍線部とほぼ同じ意味内容のことを、筆者としてはわかりやすくして述べている文だと判断できます。

からだの動きが、空間との関係で、ということは同じくそこにいる他のひとびととの関係で、ある形に整えられているということだ。

続く、「バリアフリーに作られた空間ではそうはいかない」という話題においても、「バリアフリー空間」に対比されるものとして、「からだが憶えてきた挙措」「空間へのてがかり」「他者とたがいに見られ、聴かれるという関係」といった論点が出てきます。

そのことからも、「からだが家のなかにある」ことの説明としては、以下の論点をまとめればよいことになります。

a. からだが憶えているふるまい  
b. ひとりでに動いてしまう
c. 空間との関係
d. 他者との関係
e. ある形に整えられる

したがって、記述想定答案は次にようになります。

〈記述想定答案〉
人のからだは、家という空間との関係、またそこに存在する他者との関係において、憶えてきたふるまいを自然としてしまうように規定されているということ。

〈採点基準〉⑤点
からだは(人のからだは)  (ないと減点)
(家という)空間との関係    ①
そこにいる他者との関係     ①
憶えてきたふるまい       ①
ひとりでに動いてしまう     ①
(自然としてしまう)
規定される・決定される     ①
*「形に整えられる」の言い換えとして認められればOK

最も近い選択肢は⑤です。

〈選択肢⑤〉
ただ物理的に空間の内部に身体が存在するのではなく、人間の身体が空間やその空間にいるひとびとと互いに関係しながら、みずからの身体の記憶促されることふるまい決定しているということ。

適度に言い換えていますが、〈選択肢⑤〉には、想定した論点がすべて入っています。

理想的な正解です。

「ただ物理的に空間の内部に身体が存在するのではなく」という「対比項目」は、直後の〈⑤段落〉で述べられている「バリアフリー空間」での身体性のことですね。

記述問題であれば、この「対比項目」を入れる必要はありませんが、選択肢ではこういう「字数稼ぎ」がけっこう発生します。

ただ、京都大学や筑波大学の記述問題のように、「解答欄」が大きくてスペースが余ってしまうときなどは、「対比」で補足していく手段は有効です。

不正解の選択肢

① 

「そういうこと」という指示語の内容を拾っていないので、「核心不在」です。(問いに応答しているとは言えません)

また、「身体が侵蝕されている」という表現は、直後〈⑤段落〉での「バリアフリー空間」での身体性について述べられている部分で登場する語句です。

「たちまち」「完全に支配」といった表現が強すぎます。「極端化」されすぎている選択肢であり、「程度のミス」で不正解です。

直後の〈⑤段落〉で述べられている内容なので、傍線部の説明としては「逆」になる内容です。

「ふるまいを自発的に選択できている」という説明が、傍線部前後の説明と矛盾しています。

問3 

〈傍線部B〉がある〈⑩段落〉の直前〈⑨段落〉では、「遊園地」「原っぱ」が対比されています。

 遊園地 ⇒ あらかじめそこで行われることがわかっている建築
 原っぱ ⇒ そこでおこなわれることが空間の「中身」を創ってゆく場所

傍線部でいう〈先回り〉とは、「遊園地」の側の特徴ですね。

ああ~。

「ジェットコースター」では「ジェットコースターに乗る」ことしかできないし、「観覧車」では「観覧車に乗る」ことしかできないから、ある意味で「そこですることがあらかじめ決められている」と言えるよね。

さて、問いは、

「空間がそこで行なわれるだろうことに対して先回りしてはいけない」

という傍線部に対し、「なぜか」と理由を問うものです。

「いけない」というからには、「空間がそこで行われるだろうことに対して先回り」してしまうと、「何が悪いこと」が起こるからですね。

その「悪いこと」を答えればいいことになります。

応用的な「目的・意図」の「なぜか」ですね。

空間がそこで行なわれるだろうことに対して先回りしてしまうと【      】から

( → いけない)

ここでの【     】の中を答えるのが「答案の核心」になりますね。

ただ、上の文でいうと、「先回り」とか意味わかんないよね。

そうですね!

「先回り」というのは明らかな比喩表現なので、本文別箇所の表現を利用して、一般的な表現で説明したいところです。

すると、こんなふうにできます。

〈下書き〉
空間が、特定の行為のための空間になり、あらかじめそこで行なわれることがわかっている場所になってしまうと、【       】から。

ああ~。

傍線部直前の部分と、前の段落〈⑨段落〉にあった「遊園地」の定義の部分を利用したわけだな。

そうすると、【      】の中には、「原っぱ」のほうの特徴を書いて、「(原っぱの特性みたいなものが)生まれない」という感じで書けばいいことになるよね。

そうですね!

そうすると、次のような〈下書き〉ができます。

〈下書き〉
空間が、特定の行為のための空間になり、あらかじめそこで行なわれることがわかっている場所になってしまうと、行為と行為をつなぐものそれ自体がデザインできなくなるから。

うーん。

でも、「行為と行為をつなぐものそれ自体」というのも、ちょっと比喩的でわかりづらいね。

そうですね。

そのため、〈⑨段落〉の内容を補って説明すると、次のような〈下書き②〉ができます。

〈下書き②〉
空間が、特定の行為のための空間になり、あらかじめそこで行なわれることがわかっている場所になってしまうと、たまたま居合わせた人間の行為と行為のつながりによって何をするか決めるような営みがなくなるから。

ああ~。

たしかに『ドラえもん』とかは、「空き地」にたまたま集まったメンバーで「何しよっか~」なんて考えたりするよね。

そうですね!

のび太、ジャイアン、スネ夫たちは、「空き地」を何にでも使いますね。

「野球」であったり、「リサイタル」であったり、「演説」であったり、「ケンカ」であったり、「仲直り」であったり、「恐竜の訓練」であったり……、その用途は決められていないのです。

また、のび太は、「しずかちゃん」と会えば「あやとり」をするかもしれません。「出木杉」と会えば「勉強を教わる」かもしれません。「誰とも会わない」のであれば、「射撃」のトレーニングをするかもしれません。つまり、何をするかは、誰と出会うかによっても多彩に変容するのです。

また、本文で「たまたま」と書かれているとおり、「空き地」で実施される行為の内容は、「人」「状況」に応じて決定されていくのです。もちろん、「今日の放課後、野球やろうぜ!」と予定して集合することも多いでしょうが、ジャイアンの機嫌によって突如「リサイタル」に代わる可能性も大きいのです。「野球」から「リサイタル」への突然の変質を許容できるところも、「空き地」が「空き地」たるゆえんだといえます。遊園地ではこうはいきません。

たしかに『ドラえもん』ってそうだよね。

先ほどの〈下書き②〉を圧縮すると、次のような記述想定答案ができます。

〈記述想定答案〉
特定の行為の場であることがあらかじめわかっている空間では、たまたま居合わせた人間の互いの行為のつながりによって何をするか決めるような営みがなくなるから。

〈採点基準〉⑤点
特定の行為            ①
あらかじめわかっている      ①
たまたま居合わせた人間      ①
互いの行為のつながりによって   ①
何をするか決めるような営み    ①

最も近い選択肢は④です。

〈選択肢④〉
遊園地のように、その場所で行われる行為を想定して設計された空間では、行為相互偶発的な関係から空間の予想外の使い方が生み出されにくくなるから。

「予想外」という表現については、文中根拠が発見しづらいのですが、これは〈反転解釈〉と考えればよいです。

遊園地のほうが、「あらかじめそこで行なわれることがわかっている」場所だと説明されるのであれば、その〈対比項目〉である「原っぱ」は、「あらかじめそこで行われることがわからない場所」と説明することが可能です

対比なのかどうかが不明瞭な場合にこのような書き方をするのは危険ですが、ここでの「遊園地」と「原っぱ」は、明らかに対比されているのであるから、問題ないと考えましょう。

不正解の選択肢

「先回り」してしまう空間は、「遊園地」の特徴なので、「先回り」の説明に「原っぱ」の話題を使用するのは「逆」になります。

また、「手がかりがきわめて少ない」というのも、「先回り」の内容説明になりません。

また、「原っぱのように → 遊びの手がかりがきわめて少ない」という対応もおかしいです。本文では「原っぱ」について、「いろんな手がかりがある」と述べています。

「先回り」してしまう空間は、「遊園地」の特徴なので、「先回り」の説明に「原っぱ」の話題を使用するのは「逆」になります。

「使用規則や行動基準が規定されていない」というのも、「先回り」の内容説明になりません。

「明確に定められた規則に従うことが自明とされた空間」がおかしいです。「遊園地」はたしかに「すべきことが決まっている空間」ではありますが、「規則」が「明確」であり、「従う」ことが「自明」とまでは述べられていません。

また、「主体性」という論点が周辺にありません。

「容易に推測できて」という論点が周辺にありません。

また、「興味をそいでしまう」という論点が周辺にありません。

補足(⑬段落について)

なお、〈問3〉を解くうえではあまり関係がないのですが、「青木の文章の引用」のあと〈⑬段落〉の、一節は非常に興味深い部分です。

このような空間に自由を感じるのは、そこではその空間の「使用規則」やそこでの「行動基準」がキャンセルされているからだ。「使用規則」をキャンセルされた物質の塊が、別の行為への手がかりとして再生するからだ。

なぜここを問題にしなかったのか、もったいない限りですねえ・・・

どういうことなんだ・・・?

青木は「工場をアトリエやギャラリーに改装した例示」を挙げています。

たとえば、本来は工場であるがために、煙突をつけるための「屋根の凹み」や、電源を引くための「ケーブル通路」や、換気ダクトを取り付けるべき「穴」などがあるでしょう。

それらがあり、そのうえで「本来の目的をキャンセルされている」ことが、「自由」の感覚をもたらしているのです。

同じことは、先ほど述べた「ドラえもんの空き地」にも言えることです。たとえば「ドラえもんの空き地」には「土管」があります。「土管」の本来の用途は、当然別にあるはずですが、何かの理由で使用されず、空き地に野ざらしになっています。

子どもたちは、その陰に隠れたり、上に登ってステージにしたり、中に入って風雨を凌いだりします。「本来の用途」がキャンセルされ、実に多彩な使われ方をします。

ああ~。

それは実に自由だねえ。 

「物体」ではなくても、このような感覚はありうることです。

たとえばみなさんも、「急に先生が来なくなって自習になった時間」は、思わぬ解放感をもたらし、結果的にすごく勉強が進んだ、という経験をしたことがあるのではないでしょうか。

「もともと自習」だったのではなく、「もともとは授業」であった時間が「キャンセル」され、その時間を「転用」できたことが、「自由」の感覚をよりいっそう浮き立たせるのです。

いずれにせよ、本文では、「原っぱもおなじ」と述べられています。

原っぱは、単なる無機質な平面ではなく、雑草が生えたでこぼこのある空間です。そのでこぼこは、ある観点では、雨上がりに小鳥が水遊びをする場所かもしれません。しかし、別の観点では、子どもたちがサッカーのゴールに見立てる場所かもしれません。また別の観点では、別の子どもたちが、「ドロケイ」の「牢屋」に見立てる場所かもしれません。

違う目的を持っていたものが、「キャンセル」され、違う目的を持ったものに「変わる」という変身の可能性の幅が、「自由」の感覚を促しているのです。

たしかにそうだな。

これを、「まったくの自由」のために、何もかもを平らにして、すべすべの無機質な空間にしてしまったら、何かをする「手がかり」はかえって失われてしまい、結果的に「多彩な行為」は生成されにくくなります。

すると、逆説的に、「自由」の感覚はむしろ減退してしまうでしょう。

ああ~。

「手がかり」がないとかえって不自由な感じはするよね。

いま読解してきた〈⑬段落〉の内容は、直接的には設問になっていませんが、「問4」を解くうえでは大切な前提になります。

ここをふまえて「問4」に入っていきましょう。

問4 

〈⑬段落〉の内容をふまえて〈⑭段落〉を読んでいきましょう。

「木造家屋」を再利用したグループホームでは、先に述べたような「目的のキャンセル」は行われていません。

「玄関」は「玄関」として使うでしょうし、「台所」はやはり「台所」として使用するでしょう。

わざわざ水道をひいて「物置」を「風呂」にしたり、わざわざ外側に階段を取り付けて、「2階のバルコニー」を「玄関」にしたりするような使い方は、いかにも不都合ですから、そんなことはしませんね。

その意味で、「工場をアトリエとして使う」というものとは異なり、「家屋」を「家屋」として使っている点では変わりがないのです。

そのため、「使用規則」も「行動基準」も、何ら変更されているわけではありません。しかし、「暮らし」は、別の「暮らし」へと再編成されていくのです。

そりゃ住む人が変わればそうなるよね。

たとえば、ある家族が、中古の家を購入したとします。

「台所」は以前の所有者のときから「台所」でしたし、「リビング」は「リビング」でしたし、「屋根裏」は「屋根裏」でした。

以前の所有者も、リビングでテレビを見たでしょうし、台所でお皿を洗ったでしょう。玄関で「行ってきます」と言ったでしょうし、「ただいま」とも言ったでしょう。このように、暮らしの「型」はほとんど同じなのです。

しかし、夕飯のおかずの種類、水道の蛇口のひねり方、扇風機が首を振る角度、その他さまざまな微細な営為が変質していきます。その家屋との「関わり方」が編みなおされていくのです。

そりゃそうだね。

傍線部周辺はこうなっています。

からだと物や空間とのたがいに浸透しあう関係のなかで、別のひととの別の暮らしへと空間自体が編みなおされようとしている。その手がかりの充満する空間だ。青木はいう。「文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか」、と。そのかぎりで高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には「文化」がある

「ある」

を述語とした場合、主語は

「文化」が

になります。

その前にある、

「高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には」という部分は連用修飾節ですね。

連用修飾節には主に「目的語(節)」と「補語(節)」があります。

Aが、○○ 向かう

という文であれば、「○○に」は「対象」になっていて、述語に必須の前提になるので、「目的語(節)」と言えます。

その一方、

Bが、△△ ある/ない

という場合、「△△に」という部分は「場所」を示しています。「場所」は、述語の「対象」ではないので、これは「目的語(節)」ではありません。「補語(節)」のようなものですね。

論理の関係性でいえば「おまけ」になる部分なのですが、「どういうことか」という問題の場合、傍線部内にある「表現のかたまり」は「言い換えて説明する」という方針がありますので、「少なくとも傍線部よりはイラストにしやすい表現にする」というつもりで言い換えましょう。

傍線部の「高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には」の「この空間」というのは、段落の先頭にあった「木造家屋を再利用したグループホーム」を意味していますので、代入すると次のように説明できます。

高齢者たちが住みつこうとしている木造家屋を再利用したグループホームには、「文化」がある。

さて、傍線部内でもっとも「解決しなければいけない語句」は「文化」ですね。

「文化」というのは非常に意味広範な語で、一種の「多義語」ですから、筆者がどういう意味で「文化」という語を使用しているのか、その定義を答案化したい問題です。

そもそも「  」がついている表現は、筆者が「ちょっと立ち止まってほしい」表現になりますので、「普通の意味」ではないケースが多いです。

「   」がついている表現は・・・

(1)強調(目立たせたい)
(2)区別(「 」をつけないと語句の係り受けがわかりにくい)
(3)俗語(いわゆる~ という意味での「  」)
(4)(筆者の)造語(一般に通用している語ではない)
(5)特殊な意味(辞書的な意味とは違う意味で用いている)
(6)皮肉(辞書的な意味とは逆の意味で用いている)

このうち、(1)(2)は単純に「  」をはずしてかまいませんが、(3)(4)(5)(6)であれば、その表現が文脈上どういう意味になるのかを示す必要があります。

ここでも、筆者特有の意味で「文化」という語を用いている可能性がありますね。

傍線部を含む一文に「そのかぎりで」という指示表現がありますので、指示する内容を確認しましょう。

そこに、「文化」の説明が書いてあります。

文化というのは、すでにそこにあるモノと人の関係が、それをとりあえずは結びつけていた機能以上に成熟し、今度はその関係から新たな機能を探る段階のことではないか。

そのかぎりで高齢者たちが住みつこうとしているこの空間には「文化」がある

「そのかぎりで」というのは、「その意味で」とか「その点において」と言っていることと同じだから、直前との密接性がとても高いよね。

しかも直前の文は「文化というのは~」と述べられている。

「AというのはB」という表現は、「AとはB」という表現と同じで、いわゆる「定義文」だよね。少しざっくり言うと、

「モノと人」が、「いままでのつながり方」を超越して、「新しいつながり方」になる

というようなことを言っているのかな。

そうですね!

傍線部の直前に「そのかぎりで」というつなぎ言葉があって、この「文化の定義」が傍線部と連結しているわけですから、めちゃくちゃ重要な部分ですね。

このことに言及している選択肢が〈選択肢しかないので、③が正解になります。

ふむふむ。

でもこれ、身近なことに当てはめて考えるとどういう感じなんだろうね。

このことは、「子どもの遊び」を例にとってみるとわかりやすいでしょう。

子どもは、「目的を持ったモノ」を目的どおりに使用することを好みません

「いかにはみだすか」が重要なのです。

その「はみだし方」にこそ、子どもの遊びの天才性があると言っても過言ではありません。

お箸を太鼓のバチにする。机の下をぬいぐるみたちの家にする。ナベをかぶって取っ手をツノに見立て怪獣になる。そういった「はみだし方」こそが、本当は「文化」なのです。

ああ~。

子どもってそういうことするよね。

文化というものは、「決まりきったモノ」「決まりきったとおり」に使うような営為ではないのですね。

麦わら帽子をさかさまにして、摘み取った花を入れるような「はみだし」こそが、文化なのです。

麦わら帽子を、購入した直後に「花かご」にする人はきっといません。帽子として十分に使用し、帽子としての営みが成熟したからこそ、「花かご」のほうにはみだせるのです。

その「工夫」にはみだす瞬間にこそ「文化」が認められる、と言うことができるでしょう。

さて、そういった営為を「文化」とみなすのであれば、「木造家屋を再利用したグループホーム」には、「それまでの暮らしの型」からはみだそうとする(再編成されようとする)「新しい暮らし」が生成されるという点で、「文化がある」ということになります。

以上のことから、次のような〈記述想定答案〉が成立します。

〈記述想定答案〉
高齢者たちが住みつこうとしている木造家屋を再利用したグループホームには、人と物との関係が従来以上に成熟し新たな機能を探る段階が認められるという点で、文化があるということ。

〈採点基準〉⑤点
高齢者たちが住みつこうとしている     (別表現でも可)
木造家屋を再利用したグループホーム       ①
人と物との関係が従来以上に成熟         ②
新たな機能を探る段階が認められる        ②
(「文化」という語自体はなくてよい)

最も近い選択肢は③です。

〈選択肢③〉
木造家屋を再利用したグループホームという空間では、そこで暮らす者にとって、身に付いたふるまいを残しつつ、他者との出会いに触発されて新たな暮らしを築くことができるということ。

傍線部直前で述べていることは「モノ」と「人」の関係なのですが、それを〈選択肢➂〉では「暮らす者」と「他者」の出会いにしてしまっていますね・・・。

ただ、青木の引用文の直前には、

別のひととの別の暮らしへと空間自体が編みなおされようとしている

と書かれているので、「他者との出会いに触発」と書いても問題はありません。

もちろん、理想的には「そこにあるモノやともに暮らす人との関係において・・・」などと書きたいところですが、×にするほどの「悪表現」とはいえません。

このように、「理想的な選択肢」とは言えませんが、他の選択肢すべてに決定的な×が入るので、結果的にこの〈選択肢③〉が正解となります。

まあ、現代文の世界では「他者」は「人」とは限らないので、広い意味で「モノ」を含んでいる「他者」だと解釈することもできなくはないですね・・・。

不正解の選択肢

「伝統的な暮らしを取り戻す」が「逆」です。

「便宜をはかるために設備が整えられている」「快適な生活が約束されている」が「本文根拠なし」です。

「空間としての自由度がきわめて高く」が「逆」です。

また「暮らしの知恵を生かすように暮らすことができる」が「本文根拠なし」です。

「多様性に対応が可能」「個々の趣味に合った生活を送ることができる」が「本文根拠なし」です。

問5 

住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。リヴィングルーム、ベッドルーム、仕事部屋、子ども部屋、ダイニングルーム、キッチン、バスルーム、ベランダ……。生活空間が、さまざまの施設やゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。当然、ふるまいも切り分けられる。襖を腰を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、歩きながら食べ、ついでにコンピュータのチェックをするというふうに、(注意されながらも)その形をはみだすほどに多型的に動き回らせるのも住宅である。行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。かつての木造家屋には、いろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、からだを眠らせないという知恵が、ひそやかに挿し込まれていた。木造家屋を再利用したグループホームは、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている。

倒置的な言い方をしていますので、シンプルな論理関係にすれば、次のようになります。

現在の住宅は、 行為と行為をつなぐこの空間の密度を 下げている。
〈主語S〉        〈目的語O〉        〈述語P〉

主題は「現在の住宅」です。客観的かつ一般的な表現なので、言い換える必要はありません。このまま答案に書き込みましょう。

この問題の「核心」としては、「この」という指示語、「密度」という比喩的な表現を解決することが重要になります。

傍線部の直前には「多型的に動き回らせる」とあります。

この「多型的に動き回る」ということが、「密度のある空間」の特徴だといえます。

したがって、「密度が下がる」というのは、「多型的に動き回ることがしにくくなる」などと説明することができます。

でも、「多型的に動き回る」って、何を言っているのかよくわからないね。

たしかにそうですね。

傍線部問題になっている以上、「同じ意味内容で、もっとわかりやすく(イメージしやすい表現で)説明している箇所」があるはずです。

さかのぼって探してみましょう。

「暮らし」の空間が他の目的をもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。

何かを見つめながらまったく別の物思いにふけっている。食事をしながら、おしゃべりに興ずる。食器を洗いながら、子どもたちと打ち合わせをする。電話で話しながら、部屋を片づける。ラジオを聴きながら、家計簿をつける……。食事、労働、休息、調理、育児、しつけ、介護、習い事、寄りあいと、暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている。

これが住宅という空間を濃くしている。

さらに「前」を確認していくと、前段落である〈⑮段落〉に、「濃くしている」という語が発見できますね。

「濃くしている」というのは、「密度」という表現と親和性が高いですね。

ああ~。

つまり、〈⑮段落〉から「密度」の話は始まっていたわけだな!!

そうですね!

この〈⑮段落〉は、「これまでの通常の住宅」について語っている部分になります。中盤は例示的表現のオンパレードなのですが、「例示」があるということは、その前後に「例示を挙げてまで言いたいこと」があるはずです。

その観点でさかのぼっていくと、「複数の異なる行為が同時並行でおこなわれる」という「一般表現(説明表現)」があります。

つまり「これまでの住宅」は、「複数の異なる行為が同時におこなわれる」ことで、「空間を濃く」していたのですね。

こういったことが、「現在の住宅」では「減っている」ということを答案化すればいいことになります。

ああ~。

つまり、「複数の異なる行為が同時におこなわれる」ことが「密度が濃い」ことであるから、「それがしにくくなっている」という方面で書けば、「密度が下がっている」ことを説明したことになるね。

そういうことになります!

このように「対比」されている項目を「逆利用」することで、説明していくことができますね。

〈下書き〉
現在の住宅は、複数の異なる行為を同時並行でおこなうことが減少しているということ。

でも、いつもみたいに「70字くらい」で考えるのであれば、もっと論点を入れられるね。

そうですね!

ぜひ「補充」をしましょう。

「補充」をするうえでまず考えることは、「論理の四要素」です。

〈論理の四要素〉
(ⅰ)主題(主語)
(ⅱ)主題の定義(概念規定)
(ⅲ)結論の論拠(結論のようにいえる前提的論点)
(ⅳ)結論(述語)

「何が(主題)ーどうだ(結論)」という「骨格」をつくることが最重要なのですが、それでも字数に余裕がある場合、「何についての話なのか」という部分を文脈にあわせてよりくわしくするといいですね(定義:概念規定)。

さらに、「どういう点で結論のようにいえるのか」という「論拠」を加えられると、いっそう論理的な答案になっていきます。

「主題の概念規定」が、そのまま「結論に対する論拠」として機能することも多いので、(ⅱ)=(ⅲ)になる場合もけっこうあります。

ひとまず「現在の住宅」をいっそうくわしく説明するとしたら、同じ段落の最初にある「目的によって仕切られた」あたりが使えそうだね。

住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。リヴィングルーム、ベッドルーム、仕事部屋、子ども部屋、ダイニングルーム、キッチン、バスルーム、ベランダ……。生活空間が、さまざまの施設やゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。当然、ふるまいも切り分けられる。襖を腰を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、歩きながら食べ、ついでにコンピュータのチェックをするというふうに、(注意されながらも)その形をはみだすほどに多型的に動き回らせるのも住宅である。行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。かつての木造家屋には、いろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、からだを眠らせないという知恵が、ひそやかに挿し込まれていた。木造家屋を再利用したグループホームは、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている。

そうですね!

そこは答案に入れておきたいです。

傍線部の直後には、「かつての木造家屋には、いろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって~」なんていう説明があるから、「現在の住宅」についてはこれを逆に書いて、

現在の住宅にはいろんなことができるという可塑性がない」なんて書き方もできるね。

できますね!!

「目的によって仕切られている」とか、「いろんなことができるという可塑性がない」といった論点を補充すると、「ⅱ:主題の概念規定」としても意味を持ちますし、これらの論点自体が「ⅲ:結論の論拠」として機能しますから、(ⅱ)(ⅲ)を同時に達成していることになります。

ふむふむ。

「可塑性」とは、「力を加えて形が変化したあとに、力を除外しても形がもとにもどらない性質」のことです。

たとえば「塑像」という語があります。粘土のようにかたちを変えやすいもので作る像が「塑像」なのですね。

シンプルにいえば「違う形にできる」ということが「可塑性」の意味であり、本文に照らし合わせていえば「同一空間を目的に応じて違う用途で使用できる」というような内容になります。

意味的にみても、「傍線部との関係性(密接性)」でみても、この「可塑性」を答案に入れない理由がありません。入れておきましょう。

ただ、「いろんなことができる」というのは「口語的表現」なので、「多様な行為をなしうる」などのように「説明口調」にしておきましょう。

〈記述想定答案〉
目的に応じ仕切られた現在の住宅は、多様な行為をなしうる空間の可塑性をもたないため、複数の異なる行為を同時並行で行う営みが減少しているということ。

〈採点基準〉⑤点
現在の住宅          (ないと減点)
目的に応じ仕切られ         ①
多様な行為をなしうる        ①
空間の可塑性をもたない       ①
複数の異なる行為を同時並行で行う  ② *「多型的に動く」は①点
ことが減少している    (*減っている・なくなってきているという趣旨ならOK) 

最も近い選択肢は①です。

〈選択肢①〉
現在の住宅では、仕事部屋や子ども部屋など目的ごとに空間が切り分けられており、それぞれの用途とはかかわらない複数の異なる行為を同時に行ったり、他者との関係を作り出したりするような可能性が低下してしまっていること。

〈選択肢①〉の内容で、「ちょっと、これ合ってるのかな?」と思う部分が「他者との関係を作り出したりするような可能性」という表現です。

「こんなこと言ってるかな?」と思いがちなところですが、前段の例示の中に「おしゃべり」「打ち合わせ」「話し」といったコミュニケーションを示す表現が出てきますので、「ここから作ったのだな」という根拠自体はあります。

つまり、「解釈の入口」自体は本文にあるので、この傍線部で述べていることとは若干遠い印象もあるのですが、この部分を×にはできません。

ふむふむ。

結果的に「他の選択肢がもっと×」になりますので、〈選択肢①〉が正解になりますね。

ただねえ……、現在の住宅だって、電話で話しながら部屋を片づけたりするから、複数の行為を同時に行わないわけじゃないけどな……、と思わなくもないよね。

たしかにそう思わなくもないですよね……。

でもそれは「読者である私たちの感想」であって、「筆者の意見」とは異なります。

それに、筆者は「密度」が「なくなった」と述べているわけではなく、「密度」が「下がった」と述べているのですね。つまり「濃かったもの」が「薄く」なったのです。それはたしかにそうなってきていませんか?

まあ、そう言われればそうだね。

かつての木造家屋は、それこそ部屋を「何にでも」使いました。「書斎」も「応接間」も「寝室」もない家屋が多かったのです。シンプルに空間としての「間」があるのですね。

したがって「間」の数が少ない家屋ですと、「食事」も「就寝」も「団欒」も「勉強」も「読書」も「ままごと」もすべて同じ部屋でおこなった家も少なくありません。

現在のセパレートされた住宅とは異なり、ひとつの「間」を多様な用途使用する家は、そもそも行為が多くなるのです。ふとんを畳んで大きな風呂敷に包み、梁に吊り下げ、その下で膳を囲んだ家もあります。そのような家では、ふとんを畳み、包み、吊り下げ、膳を運び、また戻し、客が来れば座布団を出し、帰ればしまい、箱から書物を引っぱりだし、読み、また箱にしまい、夜になればふとんを下ろし、ひき……といった「作業」が、きわめて多くなります。

現在の住宅のような、「寝室」があり、「応接室」があり、「書斎」がある家であれば、そういった一連の「作業」はだいぶ軽減していることになります。

ああ~。

『巨人の星』の飛雄馬の家みたいなやつかな。

そうですね。

そういった、かつての流れを汲んだ木造家屋では、今なお、「ちゃぶ台を壁に立てかけて、そこにふとんを敷く」といった作業をしています。

テーブルを置きっぱなしでいい家屋とは異なり、そこでは毎日毎日「ちゃぶ台を上げる」という行為が生成されています。だからこそ、複数の行為が並行化するのです。

行為がたくさんあるからこそ、「ちゃぶ台の足を跳ね上げ、壁に立てかけるその勢いを利用し、押し入れからふとんを引っぱりだし敷くとともに、その反動を利用して赤ちゃんのおむつを取り替え、耳ではラジオから流れる明日の天気予報を聴き、明日が雨であることを知るやいなや、あんたー、玄関に傘出しておいてーと叫びつつ、赤ちゃんのおむつのマジックテープを貼っているまさにその右手の肘で、ラジオのスイッチを切る」というような、「マルチタスク」が行われるのです。やることが多いから、「マルチタスク」にならざるを得ないのです。

そして、なぜやることが多いのかというと、部屋が多用途であるからですね。つまり部屋が可塑的であるからです。その部屋の「変身」に多くの行為を伴うため、「寝るときは寝室に行きベッドに横たわるだけ」という家屋よりも、同時にいろいろやらなければならないのです。

ここでみたような、「母親が赤ちゃんのおむつのマジックテープをとめながら、その肘でラジオのスイッチを切る」といったような「身体技法」は、この「忙しさ」が生み出した「ふるまい」なのです。

めんどくさいっちゃあ、めんどくさいね。

そうですよね……。

ただ、筆者は、ここでいうような「マルチタスク」を、肯定的にとらえていますね。

「筆者」が「プラス/マイナス」のどちらでとらえているか、というのは、常に意識して読んでいくようにしましょうね。

不正解の選択肢

「複数の行為が同時並行で行なわれる」という論点がありません。

また、「それぞれが自室で過ごす時間が増える」とまでは述べられていません。

「空間が用途別に仕切られている」という論点がありません。

また、「ひとつの場所で複数の行為が同時並行で行なわれる」という論点がありません。

また、「そのときその場で思いついたことを実現できるように」という論点も根拠がありません。

「複数の行為が同時並行で行なわれる」という論点がありません。

また、「空間それぞれの特性がなくなってきている」が「逆」です。

「複数の行為が同時並行で行なわれる」という論点がありません。

また、「予想外の行為によって」という論点は、この周辺の話題(本問の根拠領域)と無関係です。

問6

(ⅰ)

① 不適当

「新たな仮説」が誤りです。

② 不適当

「これまでの論を修正する」が誤りです。

③ 不適当

「行き詰った議論」とはいえません。

④ 適当

これが正解です。

(ⅱ)

① 不適当

「異を唱えながら」が誤りです。筆者は青木の論に賛同しています。

② 不適当

「それぞれの作業ごとに切り分けられた現在の暮らし」の話題は最後のほうにありますが、そこでは青木の論は引用されていません。

③ 適当

これが正解です。

④ 不適当

「批判的に検証」が誤りです。筆者は青木の論に賛同しています。

以上です!