問1
(イ) 発酵(醗酵)
(ロ) 分節
(ハ) 隆盛
(二) 貪(る)
(ホ) 凹凸

(二)「貪る(むさぼる)」の「貪」は、「貧乏」の「貧(びん)」とは別の字なので、気をつけましょう。
「貪」の音読みは「どん」で、熟語だと「貪欲(どんよく)」に使用されています。
(ホ)「凹凸(おうとつ)」は、「凸凹(でこぼこ)」とは漢字の並びが異なるので気をつけましょう。
問2 オ

なんかこれ、「ひとつめの空欄」には、選択肢の語句のどれでも入りそうだね。

たしかにどれもきっぱりと✕にしきれないですよね・・・。
こういうときって、わりと「ふたつめの空欄」のほうが入れやすかったりするものなので、そっちを見てみましょう。
(文あ)口から口へと語り伝えられてゆく物語は、はるかなところに【 】をもっている。
↑
(文い)物語の語り手たちは、空間的にも時間的にもはるかなところで起こった出来事を人びとに語り聞かせる。

空欄【 】のある文の直後の文が、「ラベルなし(接続詞などの論理の標識なし)」でつながっているから、「文い」は、「文あ」に対する「類似的な後置説明文」だと言えるね。
ということは、「起こった出来事」に近い「起源」を入れるのがよさそうだ。

そうですね!
直後の文との明示的な対応がありますので、「起源」が「最もよい」と言えそうです。

よし、じゃあ「ひとつめ」の空欄にも入れてみよう。
遠くのものをいまここに電送してくるメディアは、ものを歴史的な時間の流れからひき抜いて、【 起 源 】を奪い、アクチュアルな現在のなかに移しおく。そのとき、作品は〈権威〉を失う。

「アクチュアル」というのが意味わかんないけど、「アクチュアルな現在」って言っているから、「現在」と親和性が高い言葉なんだろうね。

そうですね。
「アクチュアル」は「実際の」「現実の」「本物の」といった意味です。
したがって、「アクチュアルな現在」というと、「今ここにある現在」みたいな意味になりますね。

ということは、「ひとつめの空欄」に入れる語としても、「起源」は問題ないね。

そうですね。
「ふたつめの空欄」の周辺の文脈でいうと、「起源」というのは「はるかなところで起きたこと」なんですよね。
つまり、「起源」は、「今・ここ」から「遠く離れたところに存在するもの」です。
けれども、メディアをとおして、たとえば「100年前の映像」を見ると、本来「はるかなところ」にあるはずのもの」が、「今・ここ」にあるかのように手元にやってきます。要するに「本来はるかなところにあるもの」が打ち消されてしまうんですよね。そういうことが「ひとつめの空欄」の周辺で述べられていることです。
このことを「起源を奪う」と表現することは可能ですから、「ひとつめの空欄」に入れるものとしても「起源」は適切です。
不正解について

どれも「決定的な✕」とまでは言い難く、「正解の〈起源〉に比べると弱い」という判断にはなりますが、ケチがつく根拠をみておきましょう。
〈選択肢1〉伝統

そもそも「過去から続いて今なお継承されているもの」を「伝統」というわけですね。「伝統」は「昔」と「今」の両方につながっているのです。
そのことから、「はるかなところに伝統をもっている」という表現は不適格です。「伝統」は、「はるかなところ」から「今」に続く「線的」な概念なので、「はるかなところ」だけに「点」として存在しているわけではないということです。
〈選択肢2〉時間

「ふたつめの空欄」の直後に「空間的にも時間的にも」と述べられています。もしも後文で「空間的にも」という話題を足すのであれば、文の先頭に「さらに」とか「しかも」といった「添加の接続詞」がほしいところです。

それに、「時間をもっている」という表現の抽象度が高すぎて(曖昧すぎて)、何を述べているのか不明瞭だよね。
〈選択肢3〉経験

「ひとつめの空欄」に「経験」を入れると「メディアは経験を奪い」となります。
入りそうな気もしますが、ここで筆者が言いたいことは「はるかなものが失われてしまう」「はるかなものが歴史的コンテクストから離床してしまう」ということですね。

ああ~。
「奪われる」ものは「はるかなもの・はるけさ」であるという「周辺の文脈の中心的話題」を考慮すると、やはり「遠くにある」というニュアンスをもつ「起源」を入れるほうがよさそうだね。

空欄が5つも6つもあれば別ですが、「空欄に適語を入れよ」という問題の空欄が「1つ」とか「2つ」の場合、「入れるべき語句」の「文章全体における重要度」はかなり高いです。つまり、「キーワード」である可能性がけっこう高いのです。
この文章の「主題」は、「メディアははるかなものを奪う」ということですよね。その見解でいうと、「はるかなもの」に最も近い選択肢としても「起源」を選ぶのが適切です。
〈選択肢4〉権威

「ひとつめの空欄」の直後に、「権威を失う」という表現がありますね。
ということは、「ひとつめの空欄」に「権威」を入れると、
メディアは、(ものの)権威を奪う。そのとき、作品は権威を失う。
という関係になります。

論理的には別に間違っていないだろう。

「論理的な間違い」とは言えないのですが、「繰り返す価値がない」とみなすことができます。
メディアは、(ものの)権威を奪う。そのとき、作品は権威を失う。
というのは、トートロジー(同語反復)的なのです。トートロジーは「論理が発展しない」ので、「エラー」ではないのですが、「論が進む」ものではないのです。
たとえば、
よしおは、かつ丼の、かつをひときれ食べる。そのとき、かつ丼は、かつをひときれ失う。
という文は、論理的に破綻しているわけではありませんが、前文の内容が、すでに後文の内容を語りきっているので、わざわざ後文を繰り返す価値がありません。

ああ~。
たしかに、
私は、宿題をやりきった。そのとき、宿題は完成したのである。
って、まあそのとおりなんだけど、2つめの文を述べる必要がないよね。

もうひとつ注目してほしいのは、「そのとき、作品は〈権威〉を失う」という文の直後に、「~から。」という「理由の文」がついていることです。
もし、
メディアは、(ものの)権威を奪う。そのとき、作品は権威を失う。
という文脈になるのであれば、この関係についての理由を述べる必要はないですよね。

たしかに、たとえば、
ーーーーーーーーーーーーー
ⅰ よしおは、きのこの山のチョコのところだけを食べた。
ⅱ そのとき、きのこの山はチョコのところを失う。
ⅲ (なぜなら) からである。
ーーーーーーーーーーーーー
ⅰ タマが子猫を産んだ。
ⅱ そのとき、子猫は生まれた。
ⅲ (なぜなら) からである。
ーーーーーーーーーーーーー
なんていう文があるとして、(ⅲ)のところに「理由」を書く必要ってないよね。

そうですね。
(ⅰ)(ⅱ)の関係がトートロジー的である場合に、その関係についての理由を書く必要はないですね。
このように考えていくと、〈選択肢1・2・3・4〉は、どれも単独で「決定的な✕」にできるほどではないのですが、「起源」と見比べたときに、どれも「弱い」と言えます。
選択肢問題はあくまでも「最もよいもの」を答えるものですから、比較のうえで「起源」を正解としましょう。
問3 ① 2 ② 3 ③ 1 ④ 2 ⑤ 3 ⑥ 1
① 「複製技術」は「近い」の属性。 ⇒ 2
② 「わたしたちの生の感覚」はどちらの属性も持ちうるので、「どちらともいえない」 ⇒ 3
③ 近さが「作品のアウラ」を破壊するのであるから、「作品のアウラ」自体は「近さ」とは逆であり、「はるかなもの」の属性。 ⇒ 1
④ 「アクチュアルという時制」は「現実の時制」という意味であるから、「近さ」の属性。 ⇒ 2
⑤ 「出来事の伝達」は、仕事的な「物語」でも、メディアによる「情報」でも行われるので、どちらにもあてはまる。 ⇒ 3
⑥ 「物語」と「情報」が比較されているのであり、かつ、⑥の直後で「物語による経験の交換は、およそ瞬間性から最も遠い」と述べられているので、「はるかなもの」の属性。 ⇒ 1
問4 出来事 ~ を学ぶ

類似表現さえ発見すれば、決着できる問題です。最終段落には、こう書かれていました。
私はさまざまな出来事を「知る」けれども、そのどれひとつとして私の経験を「養う」ことはない。情報のスピードは、耳をすます時間を奪う。それは「経験という卵をかえす夢の鳥」を殺すのである。出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を。
「出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を。」という文は、直前文と「ラベルなし(接続詞などの論理の標識なし)」で接続しているので、直前文の〈後置説明文〉であるといえます。述語が省略されていますが、それは、直前文と同じことを述べているからこそ、省かれているのです。
つまり、
出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を(殺すのである)。
という具合に、直前文と同じ述語が事実上存在しているのです。
ということは、「出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ」という部分が、「経験という卵をかえす夢の鳥」の具体的換言であると読解できますので、そこが正解となります。
問6
傍線部を伸ばすと、「要するに」というラベルがあります。
また、傍線部そのものが「のだ文(後置説明文)」になっています。
ということは、この傍線部(b)は、直前部分を統括しているといえますので、直前の「ニュースの話題」のところをまとめることが「答案の核」になります。
ニュースはまた、「教え」すぎることによって物語のもつ知恵を失う。出来事は伝達されるやいなや 解釈をほどこされ、語りつくされてしまうからである。
〈論点a〉事件(情報)
「事件(情報)」については、「伝達された途端、(自分以外の者に)解釈され、語りつくされてしまうもの」であると説明できます。
〈対比項〉である「物語」は、「ゆっくりと記憶に蓄積され、時間の厚みのなかで発酵」するものであるので、そのことから考えても、ニュースによる情報は、「無時間的」「即時的」に取得されてしまうものである、と言えます。
〈論点b〉消費者
「消費者」は、本来、経済における用語であり、「生産物を消耗する者」すなわち「買い物をして商品を使う側の者」を意味します。

現代文で「消費」という語が出てくると、たいてい悪い意味です。
なぜなら、「生産」に対して「消費」は「ただ使って失わせるだけ」の行為であるからです。ここでも、「ニュースを聞く側」は、「何も生みださず、ただ情報を消耗しているだけ」なのですね。筆者はそういう意味で「消費者」と述べています。
「要するに」の前の部分をみると、本来生みだされるべきものは「知恵」です。それが生成されずに、ただ情報を教わっているだけという方向で答案化できるとよいでしょう。
以上のことから、次のような〈下書き〉が成立します。
〈下書き〉
ニュース報道が、出来事を即時的に解釈し、語りつくしてしまうため、それを教わるだけの現代人は、知恵を育む契機を失った存在になるということ。

本当であれば、このくらいきちんと書いたほうが、「説明」を果たしたことになるのですが、「30字」という制約があることからも、傍線部内にある論点のみで答案化しましょう。つまり「核」だけの答案にします。
そのため、もともと傍線部の「外」に位置していた「ニュース」や「わたしたち(現代人)」といった表現は、「30字以内」の答案からはカットします。
「核」だけの「端的な答案」にすると、次のようになります。
〈解答例〉
知恵を伴わない、出来事の即時的な解釈を教わるだけになること。30
伝達と同時に 解釈された情報を知るだけで、知恵を育てないこと。30
〈採点基準〉⑧点
即時・ただちに・すぐに・速・~やいなや ② *「すぐに」という論点
解釈される ② *「語りつくされる」も可
教わるだけ ② *「知るだけ」なども可
知恵が失われる ② *「知恵がない」という主旨なら可
問7 イ 2 ロ 2 ハ 2 ニ 1 ホ 2 ヘ 1
選択肢イ
主張と逆です。本文では「(物語の)語り手は、「かつて」「どこかで」生きられた経験を、「いまここ」で生きている者たちにむけて伝達する」と説明されています。つまり、「物語の語り手」が表現するのは、「かつて」生きられた経験であり、「いまここ」の経験を語るわけではありません。
選択肢ロ
「瞬時に伝達できる」が逆です。それは〈対比項〉である「メディア・情報」の長所です。
選択肢ハ
「記憶の貯蔵庫を一旦空っぽにする必要がある」が逆。それは〈対比項〉である「メディア・情報」の説明である。そうであるばかりか、本文では「空にしてしまう」と、結果が述べられているに過ぎなく、「空にする必要がある」とまでは述べられていない。「物語」の再生のためには、記憶し、あたため、学ぶ時間を取らなければならないのである。
選択肢ニ
本文に一致する。
選択肢ホ
「マスメディアの速報性が、~物語を生み出す契機」が逆。物語を生み出すのは、「ゆっくりと暇をかけて記憶のなかに蓄積され、時間の厚みのなかで発酵してゆく」ような〈退屈の経験〉である。
選択肢ヘ
本文全体のテーマに一致。