7 弁内侍日記

作者である「弁内侍」は、この文中に出てくる「少々内侍」の姉です。

リード文に「帝」とあるのは「後深草天皇」のことです。「後深草」はわずか4歳で即位して、17歳で譲位しました。その間、実際の政治は、お父さんである「後嵯峨」が「上皇(院)」として執り行っていました。

したがって、「後深草」は、天皇としての実権はそれほど持っていないなかったことになります。

今回のエピソードも、「帝(後深草)」がまだ幼いころのことと考えたほうがいいでしょうね。

十五日、頭中将為氏参りたりしを、かまへて謀りて打つべきよし、仰せ言ありしかば、殿上に候ふを、少将内侍、「見参せん」と言はすれ、心得て、おほかたたびたびになりて、こなたざまへ参る音す。

十五日、頭中将為氏が参上したのを、必ず計画して(為氏の尻を)打つべき旨、(帝の)仰せ事があったので、(為氏が)殿上の間にお控えするときに、少将内侍が、「お会いしよう」と(使いに)言わせるが、(為氏は、少将内侍が何かたくらんでいるのを)理解して、(誘いが)ほとんど度々になって(ようやく)、こちら側へ参上する音がする。

「かまふ」という動詞は、「準備する・用意する・計画する」という意味ですが、こうして「かまへて」というかたちで副詞のように用いると、「必ず・ぜひとも・なんとかして」といった訳になります。実際、ここでの「かまへて」は分類上「副詞」になります。

「謀る」は「くわだてる・たくらむ」という意味ですが、「計略する・計画する」くらいで訳すことも多いです。

「打つべきよし」の助動詞「べし」は、そのままで伝わるので、「打つべき旨」といったように、そのまま訳出してかまいません。あえて訳せば、「打てとの旨」というように「命令」っぽく訳すことも可能ですね。

「よし」は、「理由・いきさつ・いわれ」など、いろいろな意味になりますが、このように形式名詞のように用いている場合、「こと」とか「旨」とかにしておけば十分です。

少将内侍が「見参せん(お会いしよう)」と、使いの者に言わせたのに、為氏は、何かを「心得て」、なかなか来なかったんだね。

そうですね。だから逆接の「ど」があるわけです。

「お会いしよう」と言わせたけれど(たくらみを)心得て、(声掛けが)およそ度々(複数回)になってから、こちらへやってきた、ということですね。

人々、杖持ちて用意するほど、何とかしつらん、御簾をちとはたらかすやうに、ちと見えし、かへりて少将内侍打たれぬ。ねたきこと限りなし。

女房たちが、杖を持って用意するあいだ、どのようにしたのだろうか、御簾を少し動かすように、少し姿が見えたとき、かえって少将内侍が打たれた。しゃくにさわることこのうえない。

「宮中」の話題で出てくる「人々」は、たいてい「女房たち」のことです。ここでも「女房たち」を意味していますね。

みんなで杖をもって、為氏の尻を叩く準備をしていたのですが、為氏は、御簾を少し動かすようにして、ほんのちょっと姿を現したところで、逆に少将内侍のことを打ってきたのです!

これには女房たちも少将内侍もびっくりだね。なにしろ打とうとしていたら打たれてしまったのだから。

そうですよね。

「ねたし」は、「いまいましい・しゃくにさわる」といった意味です。

日記の作者である「弁内侍」は、尻を打たれてしまった「少将内侍」の姉です。つまり、「少将内侍」側の人間なので、「為氏」の行動について、「しゃくにさわる!」と思っているのですね。

十八日よりは、内裏にはただ御所の様とて、打つべきよし仰せ言ありしに、十六日に三毬杖焼かれしに、誰々も参りしかども、頭中将ばかり長橋へも昇らで出でけり。

十八日からは、宮中は通常の御所のようになるといって、(それまでに為氏の尻を)打つべき旨の仰せ事があったところ、十七日に三毬杖が焼かれたので【陰陽師が短冊や扇を焼く行事があったので】、誰もが参上したが、頭中将だけは長橋【清涼殿に渡る廊下】へも昇らずに出て行った。

「御所」というのは、「天皇の住まい」を意味しますので、基本的には「内裏・宮中」を意味します。ただ、古文では「場所」が「そこにいる人そのもの」を意味することもあるので、「天皇」そのものを意味することもあります。

ここは「宮中」という場所を意味していると考えてOKですね。「ただの御所になってしまう」という意味で、要するに「普段の宮中になってしまう」ということです。

ああ~。

正月気分だから、誰かの尻を打ちまくるっていうお遊びができるけれど、通常業務に戻ってしまうと、もう尻を打ったりしていられないよね。

そうですよね。

だからこそ、18日になる前に、為氏の尻を打てという仰せ事を出しているのですね。

ところが、為氏は、警戒していたのでしょうね、清涼殿に渡る「長橋」にも近づかずに帰ってしまいます。

いかにもかなはでやみぬべかりしに、

どうやっても(為氏の尻を叩くのは)かなわずに終わってしまいそうだったとき、

「やみぬべかりしに」は、「やむ」+「ぬ」+「べし」+「き」+「に」です。

「やむ」は「終わる」です。

「ぬ」は、「完了」の助動詞ですが、「べし」の直前にあるので、「強意」と考えてもOKです。

「べし」は、ここでは「当然・予定」あたりで訳せますね。

終わってしまいそうだったとき、
終わってしまうはずだったとき、

といった意味になります。

ああ~。

為氏は警戒心をもって過ごしているから、「尻を打つ」というミッションは、達成できずに終わってしまいそうだったんだね。

十七日、雪いみじく降りたる朝、鳥羽殿へ院の御幸なりて、この御所の女房、参るべきよしありしかば、一つ車に勾当・少将・弁・伊予・侍従・四条大納言、乗り具して参りたりし、狭さ限りなし。衣の袖、袴の裾も、ただ前板にこぼれ乗りたり。道すがらの雪、今も降るめり。いとおもしろし。

十七日、雪がたいそう降っている朝、鳥羽殿へ院の御幸があって、この御所の女房が、参上すべきことがあったので、一つの車に、勾当・少将・弁・伊予・侍従・四条大納言が、乗り連れて参上した、(その車の中の)狭さはこのうえない。衣の袖や、袴の裾も、前板にこぼれ落ちたまま乗った。道中の雪は、今も降るようだ。たいそう趣きがある。

「鳥羽殿」というのは、天皇の別荘地です。「鳥羽離宮」ともいいますね。

「院」は「上皇」のことです。ここでは「後嵯峨」のことです。

「御幸(みゆき・ごこう)」は「院のお出かけ」のことです。「帝(天皇)のお出かけ」の場合、「行幸(みゆき・ぎょうこう)」と書くことが普通なので、「御幸」と書かれていたら、「院(上皇)」だな、と考えましょう。

院がお出かけするのですから、たくさんの人がお供をすることが普通です。ここでは、何らかの用事があって、帝にお仕えする女房たちが「鳥羽殿」に参上することになりました。

6人でひとつの牛車に乗ったので、ぎゅうぎゅうで狭かったのですね。袖や裾が、車からはみ出して、前板のところにはみ出したまま乗ったのですね。

なんだか楽しそうだね。

鳥羽殿の景気、山の梢ども、汀の雪、言ひつくすべからず。為氏打ちかねたることを聞かせおはしましたりけるにや、御所に、杖を御懐に入れて持ちて渡らせおはしまして、「これにて為氏今日打ち返せ。ただ今使ひにやらんずるを、ここにて待ちまうけて、かまへて打て」と仰せ言あり。少将内侍、用意して待つほど、思ひも入れず通るを、杖のくたくたと折るるほどに打ちたれば、御所をはじめ参らせて、公卿殿上人、とよみをなして笑ふ。「さもぞ憎う、持にせさせ給ふ」とて逃げ退きしもをかし。その後、北殿へ御船寄せて召すほどの晴れ晴れしさ、限りなし。入相打ちて後、還御なる。

鳥羽殿の景色は、山の梢や、汀の雪など、言いつくすことができない。為氏を打ちそこなったことをお聞きになったのであろうか、院は、杖を御懐に入れて持ってお渡りになって、「これで為氏を今日打ち返せ。ただ今(為氏を呼ぶ)使いを送るから、ここで待ちかまえて、必ず打て」という仰せ事がある。少将内侍が、用意して待つうちに、(為氏が)警戒心もなく通るところを、杖がくたくたに折れるほどに打ったので、院をはじめ申し上げて、公卿殿上人、どよめいて笑う。「これはしゃくにさわる。引き分けにしなさる」と言って逃げ退いたのもおもしろい。その後、北殿へ御船を寄せてお乗りになるときの晴れ晴れしさは、このうえない。入相(の鐘)を打った後、(院は)お帰りになる。

「~せおはします」というのは、「尊敬の助動詞」+「尊敬語」なので、いわゆる「最高敬語」です。

「御所に」という表現がありますね。基本的には「内裏・宮中」を指しますが、「天皇・上皇」を指すこともあります。

さて、この場面は別荘地である「鳥羽殿」でのことなので、この「御所」を、「内裏・宮中」と訳してしまうと、「宮中」と「鳥羽殿」で会話が成立していることになってしまい、無理があります。

そもそも「鳥羽殿へ院の御幸」と書いてあったわけですから、「院」が「鳥羽殿」に来ているのですね。そうすると、この「御所」は、「院(上皇)」を意味していると考えるほうがいいですね。

ああ~。

「為氏打ちかねたることを聞かせおはしましたりけるにや」っていうのは、「帝」が命じたことを遂行できていないことを「院」がお聞きになったのであろうか、ってことなんだね。

そういうことになりますね。

もともと「為氏の尻を打て」という「仰せ事」を出していたのは「帝」ですが、女房たちは2回ほど失敗しています。

そのエピソードを「院」がどこかで聞きつけて、「鳥羽殿」への「御幸」の際に、「ここに為氏を呼び出すからここで打て」という「仰せ事」を出すのですね。

ああ~。

あんなに警戒心をもっていた「為氏」が、「思ひも入れず通る」っていうのはそういうことか!

「帝」に呼び出されるんだったら、「もしかしてまた尻を・・・」ってなるけど、「院」に呼び出されたから、「何だろう?」って普通に来てしまったんだな。

ただかやうの御遊びばかりにてやみぬるも口惜しくて、御車に召すほど、御太刀の緒に結びつくる、少将内侍、

あらましの年を重ねて白雪の世にふる道は今日ぞうれしき

ただこのような御遊びだけで(御幸が)終わってしまうのも残念で、御車に(院が)お乗りになるとき、御太刀の緒に結びつける(歌)、少将内侍、

こうであるとよいという年を重ねて、白雪が降る道、この世で生きていく道を、今日うれしく思う

少将内侍は、とても楽しい時間を過ごしましたが、心残りもあったようです。

「鳥羽殿」の景色がすばらしかった描写がありましたよね。院の別荘地に貴族が集まっていて、景色がすばらしかったら、普通、何人かで歌を詠むんですよ。

「歌を詠みたかった」と書いてあるわけではありませんが、少将内侍は、院の御太刀の緒に歌を結び付けているわけですから、「歌を詠みたかった」という気持ちがあったことは類推可能です。

ああ~。

少将内侍は、「尻たたきゲームも楽しかったけれど、それだけじゃなくて歌会がしたかったな」と、残念に思ったわけだね。

(以下余白)

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