問1
「さりぬべき~」は、逐語訳すれば「そうであるはずの~」という意味になりますが、慣用的に「ふさわしい~」「適切な~」と訳すことが多いです。
「さり」は「さ + あり」なので指示語です。したがって、「さり」の内容を補って訳しましょう。

たとえば、自分の子どもが結婚してもよい年齢になると、親は「さりぬべき相手」を探したりするのですね。「結婚するのにふさわしい相手」「結婚するのに適切な相手」ということです。

ああ~。
ということは、ここでは、「退屈な時に読むのにふさわしい物語」とか「暇なときに読むのに適切な物語」などと訳すといいだな。

そうですね!
最もよい選択肢は「4」です。「つれづれなり」という形容動詞の意味が反映されているのは、「3」「4」であり、「適切な」「ふさわしい」の意味が反映されているのは「4」「5」です。両方に言及できているのは「4」ですね。

問2
「大斎院」が「退屈でございますから、(こんなとき読むのに)ふさわしい物語はございますか?」とお尋ねになったところ、「上東門院(彰子)」が「御草子」を取り出しなさって、「どれを差し上げるのがよいか」などと、お選びになるのですね。
正解は「2」です。

「已然形 + ば」が「相手に投げかける行為」である場合、「ば」の直後は「投げかけられた相手」の行為が始まりやすいというルールがありますね。

じゃあ、状況的に、「上東門院(彰子)」か「紫式部」の行為になるよね。
「彰子」or「紫式部」はどうやって判断するの?

「せ給ひて」「せ給ふに」というように「二重尊敬(最高敬語)」がついていますよね。そのことから、「上東門院(彰子)」の行為であると判断します。

問3
「みな目馴れてさぶらふに」の「みな」は、「御草子ども」を指しています。つまり、「それらの御草子」は「見慣れてございますから」と述べていることになります。
正解は「3」です。

丁寧語「さぶらふ」に着目しましょう。
これは、「あります・おります・ございます」「~です・~ます・~ございます」と訳します。
さて、選択肢は、
1 読み飽きておりますので *「丁寧語」の訳し方 OK
2 見る目がおありなので *これは「尊敬語」の訳し方 ✕
3 読みなれたものですので *「丁寧語」の訳し方 OK
4 つまらないものなので *敬語が入っていないので ✕
5 読み込んでいらっしゃるので *これは「尊敬語」の訳し方 ✕
となっていて、「丁寧語」として訳しているのは「1」「3」なので、このどちらかが正解です。
文脈上、「みな」は「御草子など」を指していますから、「3」が正解になります。

・・・「1」にしちゃった。

物語りを求めてきたのは「大斎院」一人なので、それに対して「みんなはこれらの物語を見慣れている」とするのはちょっとズレますね。
それに、「1」の選択肢が正解だとすると、「みな」は「大斎院(やその周囲の人)」を指していることになりますね。
そうであれば、「目馴れさせ給ひてさぶらふに」といったように、尊敬表現があるほうが自然です。
「3」のように、「主語」が「御草子」になるからこそ、尊敬語をつけなくてもいいのですね。その観点でも「3」が正解です。


問4
「心ばせ」は、「心」を相手に「馳す」ということなので、他人のことを思いやる気持ちや態度を意味します。
訳としては、「気配り」「心配り」「気遣い」「心遣い」「気立て」といったものになりますね。

もしも「漢字二字で記せ」という問題であれば、「配慮」「気質」「性格」などがいいですね。

話ズレるけど、「こころばへ」っていう名詞もなかったっけ?

あります。「心延へ(こころばへ)」は、「心」が「その外側に延長されてにじみでてくる」というニュアンスです。
訳は「こころばせ」とほとんど一緒ですね。
問5
「それも歌詠みの筋なれば、殿いみじうもてなさせ給ふ」における「歌詠みの筋」は、「和歌に精通している家系・家柄」という意味になります。
「已然形 + ば」は、「確定条件」ですから、「伊勢大輔も和歌に精通している家系なので、」と訳します。その「前提条件」から考えると、「いみじう」は「とてもよい」というポジティブな意味で使用されていると考えるほうが自然ですね。
「もてなす」は、「取り扱う・待遇する」ということなので、「とてもよく取り扱いなさる」という意味合いになります。
最も近い選択肢は「1」であり、これが正解です。

「2」の「とても」、「3」の「大変」は、「いみじう」の意味としてはOKです。ただし、「2」は「推薦」が読み取れないですし、「3」は「きびしく」が読み取れないです。
「4」の「お世話をなさった」は、「もてなす」の意味としてOKですが、「熱心に」が読み取れません。「いみじ」を「熱心」と訳すことはありませんので。
「5」は「実に冷たい」が読み取れません。

殿(道長)は、自分の娘である彰子の周辺に、教養ある女性をたくさん配置したんだね。

そういうことですね。
和泉式部・赤染衛門・紫式部・伊勢大輔といったリアル作家たちがそろって彰子に仕えました。
優秀な作家たちを家庭教師としてつけているような感じですね。

いまふうに言えば、
吉本ばなな・川上弘美・絲山秋子・綿矢りさ
なんかが周辺にいつもいる感じだよね。
問6
「取り次ぎつる程もなかりつるに、いつの間に思ひつづけけむ」とありますね。「取り次ぐ時間もなかったのに」という「前提」がありますので、そこから考えると、「そんな時間はなかったのに、いつのまに(こんなにすばらしい歌を)考え続けたのだろう」と思っていることになります。
「思ふ」の内容は「和歌」なので、「2」が正解です。


昔の奈良の八重桜が、今日は九重に美しく咲いている・・・
という歌ですね。
「奈良」との対応で考えると、「今日」は「京」が掛けられているといえます。
「九重」は「宮中・皇居」を意味しますね。
「にほふ」は、古文では「見た目」のことをいうことがほとんどです。
「丹(に)」「秀(ほ)」に、反復・継続を意味する「ふ」がついて、動詞化したものが「にほふ」なので、「赤い色がひときわ秀でている」といった意味合いなのですね。
したがって、「香っている」と訳すのではなく、「美しく(色濃く)咲いている」と訳すほうがよいです。

まあたしかに、そもそも桜ってそんなに香りを楽しむものじゃないよね。

問7
「やさしかりける人」の「やさしかり」は、形容詞「やさし」の連用形です。超重要語です。

「やさし」は、「痩す」という語から成立しました。
もとは「身も細るほどつらい」「やせてしまうほど気が引ける」といった意味です。
たとえばですが、「超大物」と会わなければならないときなどは、その態度において、「失敗が許されない状況」になりますよね。緊張のあまり「身も細るほどつらい」「やせてしまうほど気が引ける」状況です。
そういう場合、一挙手一投足に「ミス」がないように、「繊細で」「つつましい」態度になりますよね。そのことから、「やさし」は「繊細だ」「つつましい」「ひかえめだ」という意味でも用いられます。
さらに、そういう「繊細でつつましい態度」は、隅々にまで気をつかった美しい動作になりますので、「優美」で「風流」に見えますよね。そのことから、「優美だ」「風流だ」という意味にもなります。

そうすると、辞書的意味としては、選択肢「3」の「情趣を解する人」も、「5」の「控えめな人」も正解候補になるね。
「情趣を解する」っていうのは「風流」と同じことだし、「ひかえめ」は「つつましい」と同じことだもんね。

文脈的な正解を考えると、「5」の「控えめな人」がいいでしょうね。
というのも、この夫の行動として、「石山に籠りて音せざりければ」という箇所があります。「逢ひ始めたりける頃」というのは、「結婚して通うようになった頃」という意味ですが、そんなときに「夫」は、近江にある石山寺に籠って連絡をしてこなくなったわけです。
それに対して、伊勢大輔が、「せめて連絡くらいほしい」という和歌を詠む展開になるのですね。
これって、「たいそう情趣を解する人」だったら、連絡くらいしますよね。

ああ~。
「ひかえめな人」だからこそ、情熱的な歌を送ってくるとか、そういう行動に出ないわけだな。

そうですね。
新婚なのに妻に連絡もしないで石山寺に籠っているというのは、どちらかというとあまり女性へのアプローチなどに長けていない、ひかえめでつつましい性格であると解釈したほうが妥当です。
したがって、正解は「5」です。
問8
「音せざりければ」の「音」は、「評判」「噂」「消息」「連絡」「訪れ」のことです。ここでは文脈上「連絡がなかったので」と解釈するのがいいですね。
正解は「4」です。

「音」の意味としては「1」の「噂にのぼらなかった」もあてはまりますし、「2」の「訪ねてこなかった」もあてはまりますが、伊勢大輔が送った歌が「せめて連絡だけでもほしい」という内容になっているので、ここでは「4」の「便りがなかったので」を正解とするのが、最も因果関係に無理がないです。

この「音せざりければ」の内容がわかれば、さっきの「問7」を「ひかえめな人」と判断できるね。
問9
「かたからめ」の「かたから」は、形容詞「かたし」の未然形です。「難し(かたし)」と書きます。漢字のとおり、「難しい」という意味ですね。
「め」は、推量の助動詞「む」の已然形です。「みるめこそ」に「こそ」がありますので、結びが已然形になっています。
正解は「4」になります。

さて、ここは、「こそー已然形、~」という構文になっていますね。これは重要構文なので覚えておきましょう。
「こそー已然形」があって、うしろに文脈が続いていく場合、「〇〇は △△だが、~」というように、「逆接」で訳すのが一般的です。
したがってここは、「あなたにお目にかかることは、近江の海では難しいだろうが、~」というように、逆接の文脈で訳しましょう。

そして、下の句には、よく見かける「だに」があるね。

そうですね!
下の句に「だに」があることから、「せめて吹き通るだけでもしてよ、志賀(から)の浦風」という意味になります。
「会うことは難しいだろうけれども、せめて志賀の浦風が吹き通うだけでもしてよ」と歌っていることになります。
「会う」ことは「難しい」「けれども」、「せめて〇〇だけでもしてほしい」という文脈から考えると、「手紙だけでもほしい」「便りだけでもこっちへ吹き飛ばして」と述べていることになります。

この「みるめ」っていうのは何なの?

「みるめ」は、「海松布」と書きまして、「海藻の一種」のことです。
近江の海というのはおなじみの琵琶湖のことなんですが、琵琶湖は淡水の湖なので、ワカメとかコンブみたいな海藻はありません。
ここは、「海松布(海藻の一種)」と「見る目」の掛詞になっていますね。

ああ~。
「海松布(みるめ)を近江の海で採る(見つける)のは難しいが・・・」
という表現で、「近江にいるあなたを見るのは(あなたに会うのは)難しいが・・・」と言っているわけなんだな。

すばらしい和歌ですよね・・・
ここは、和歌の内容を設問にしてほしいところでしたね・・・
問10
「いとど歌おぼえまさりにけり」の「歌おぼえ」は、「歌の(名手としての)評判」ということです。「おぼえ」は「おぼゆ」が名詞化したものであり、「思われること」を意味します。「世間」からの「思われ方」であれば「評判」と訳します。ここでは「評判」がいいですね。
「天皇(あるは天皇クラスの偉い人)から思われること」を意味することもけっこうあります。その場合、「寵愛」「信望」などと訳します。中宮などに用いていれば「寵愛」、家臣などに用いていれば「信望」というイメージです。
なお、「いとど」は、「いと + いと」であり、「程度の大きさがより強化される(より進行する)ことを意味します。「いっそう」「ますます」などと訳します。
「まさる」は「勝る(増える)」でも「優る(優れる)」でも訳せるものが多いです。この文の場合は、どちらかというと「勝る」ですね。「歌人としての評判がますます上がっていった」と訳します。

正解は「1」です。
問11
「見まゐらせけるに」は、「見る + まゐらす + けり + に」です。

「本動詞」として用いる場合、「まゐる」が「参上する」で、「まゐらす」は「差し上げる」って意味になるというのをどこかで学んだな。

「まゐる」のほうが使われ方が多いですね。「差し上げる」の意味で用いることもありますよ。
一方、「まゐらす」は、本動詞で用いる場合、「差し上げる」の意味でほぼ確定ですね。
「まゐる」も「まゐらす」も、補助動詞として用いる場合には、どちらも「(お)~し申し上げる」と訳します。
「見る」は、通常の「見る」という意味意外に、「会う」「結婚する」といった意味もあります。
「まゐらす」は、本動詞の場合は「差し上げる」と訳します。ここでの使い方のように、「補助動詞」であれば、「(お)~し申し上げる」と訳します。
つなげると、「お会い申し上げたところ」といった訳になりますね。

「1」は、「お目にかける」という訳し方がおかしいですね。それは「見る」ではなくて「見す」の意味です。
「2」は、たしかに「見る」に「結婚する」という意味はあるのですが、「おすすめする」と訳出する要素がありません。
「3」は、「占う」がおかしいです。
「5」は、「くださった」という訳がおかしいです。「まゐらす」は「謙譲語」なので、「(お)~し申し上げる」という訳になります。「くださる」という表現は、「動作主」に敬意を示している表現になりますので、これは「尊敬語」の訳し方です。傍線部内に「尊敬語」は存在しないので、尊敬表現で訳すのはおかしいです。
問12
「たびたりけるに」は、「たぶ + たり + けり + に」です。
「たぶ」というのは、「賜ぶ・給ぶ」と書きます。「たまふ」がつまったものだと考えられているので、意味も「たまふ」と同じものだと考えてOKです。本動詞であれば、「お与えになる」「くださる」と訳します。
さて、「君見れば~」の歌は、「伊勢大輔」が「一の宮(白河院)」のことを歌っているものだと解釈できます。「君」と言っていますし、「万代のよはひ」も、「先々の時代もずっと続く年齢」という内容であり、天皇を賛美するような表現です。普通の人に対して、「君」とか「万代のよはひ」などと表現することはありません。
そうすると、次のように整理できます。
(一の宮が)「鏡を見よ」とて、たびたりけるに、(伊勢大輔が)たまはりて、「君見れば~」
「鏡」を「いただいて、歌を詠んだ」のが「伊勢大輔」の行為になりますので、その直前の「に」で「主体変更」が起きていると考えると、「鏡をお与えになった(くださった)」のは、「一の宮(白河院)」のほうであると解決できます。
正解は「2」です。

このように、接続助詞「に」も、「已然形 + ば」と同じように、次のような関係をつくりやすいです。
AがBに投げかける行為 に、 Bの行為
必ずこうなるわけではありませんが、可能性は高めです。
接続助詞「を」「が」「ど」なども似たような性質をもちますが、特に「ば」と「に」のときに起こりやすいですね。
(以下余白)