
『異文化理解』の解説です。
問1
① 隔
② 遡
③ 概念
④ 遮断
⑤ 穏
⑥ 悠久

「遡」は「にてんしんにょう」なのですが、普通の「しんにょう」で書いても正解です。
問2 エ

「一義的」ということばは、次の2つの意味をもちます。
(1) それ以外に意味や解釈が考えられないさま。
(2) いちばん大切な(本質的な・根本的な)意味をもっているさま。
(1)は、「意味がひとつに限定されている」ということであり、(2)は、「もっとも大切な意味・本質的な意味・根本的な意味」ということです。
「一義」の「一」を、「ひとつ(one)」という意味で使用していれば(1)になり、「一義」の「一」を「第一(first)」の意味で使用していれば(2)になります。
ただし、「第一義的」というように「第」がつくと、「一番最初に考える」とか「一番優先されるべき」という意味になるので、(2)の意味に限定されます。
したがって、(2)の意味に該当する〈選択肢エ〉が正解になります。
筆者は一般論として、「異文化を考える際に、私たちは空間的異文化を最も重要なものだと感じる」と述べています。
しかし、少し後ろで、「~が、実は時間についても、同じようなことが言えます」と主張しています。
つまり、筆者としては、「空間的に異質なところだけが異文化なのではなくて、時間的に異質なところも異文化なのだ」と言いたいわけですね。
問3 ウ

同じ段落で、「空間を隔てた場所は異文化」「時間的に遡ったところにある過去の文化は、現代人にとっては異質な文化」と述べられていますので、「空間的な異文化」も「時間的な異文化」も、「現在の自分」から見れば異質なものと言えます。
したがって、正解は〈選択肢ウ〉です。
不正解の根拠
選択肢ア
「根本的に異なっている」が〈話題なし〉です。このような主張は本文にありません。
選択肢イ
「時間的異文化」と「空間的異文化」のあいだに、重要性の優劣はありません。〈話題なし〉です。
選択肢エ
「空間的異文化」と「時間的異文化」の「関連」については述べられていません。〈話題なし〉または〈因果関係の捏造〉です。
選択肢オ
どちらの異文化も、筆者がタイで体験したものなので、「タイに存在する異文化の本質とは異なる」とは言えません。〈主張と矛盾〉で×です。
問4 ウ
その六ヶ月間の私は、人間であるという意味では以前と変わらぬまま過ごしたのですが、しかし社会的、文化的存在としてはまったく違いました。

「人間」という意味では以前と同じだが、「社会的・文化的存在」としては違う。
という「対比」があります。
「社会的存在・文化的存在」とは別の意味での「人間」ということは、「生物学的な人間」と考えられますので、〈選択肢ウ〉が正解になります。
不正解の根拠
選択肢ア
「漠然」がおかしいです。
選択肢イ
「神秘的」がおかしいです。
選択肢エ
筆者はタイに来る前は「僧」ではありませんから、「仏教僧としての生活」が「以前と変わらない」というのはおかしいです。
選択肢オ
筆者はタイでは「非日常の体験」をしていますから、「日常の時間の延長としての生活」が「タイでも変わらない」というのはおかしいです。
問5 オ

以前の私⇒(変化)⇒タイでの僧侶の私⇒(変化)⇒俗人に戻った私
日 常 非 日 常 日 常
ということを述べています。
つまり、「タイでの僧侶の私」は、「それ以前」とも「それ以後」とも違う存在であったということになります。
適合するのは〈選択肢オ〉であり、これが正解です。
不正解の根拠
選択肢ア
「完全に」が言いすぎです。再び「日常」の世界に戻りはしますが、「人間存在として100%もとに戻るわけではありません。
選択肢イ
本文では、「タイにいた時間」そのものを「境界の時間」と述べていますので、「二回越えた」という解釈はおかしいです。
〈選択肢イ〉の書き方だと、「筆者のもとの生活」と「タイの生活」の「あいだ」に境界線があることになってしまいますが、本文では、「タイの時間そのもの」が「境界の時間」であると考えられています。
選択肢ウ
「時間的にかなり長い時間を経て」が△です。本文では「六ヶ月」と書かれていますが、これを筆者が「かなり長い」とみなしているかどうかは判然としません。
また「境界性の獲得」という表現が抽象的で、説明としては何のことを言っているのかわかりません。
選択肢エ
「空間的異文化」に限定しているところが✕です。直前の段落には、「異文化の時間と空間について考えるときに重要なのは~」と書かれており、傍線部のある段落はその「エピソード(具体例)」としての役割を果たしています。ということは、この「タイの修行体験」のエピソードは、「空間的異文化」「時間的異文化」の両方に該当することを語っているはずです。したがって、〈選択肢エ〉のように「空間」に限定してしまうのはおかしいです。
さらに次の段落には「特に違っていたのは、そこに流れる時間でした」とありますので、タイのエピソードはやはり「時間的異文化」「空間的異文化」の両方について述べられていると考えられます。
問6 オ

ア 境界
イ 非日常
ウ 裂け目
エ 空白
というのは、どれも「狭間」の「言い換え」として成立していますが、「オ 儀礼」というのは、「狭間の時間」において実施される「行為」のことです。
したがって、〈選択肢オ〉だけが「言い換え」とみなすことができません。
「狭間の時間(境界の時間)」/「儀式」
というのは、身近な例でいえば
「放課後(帰りのHR後)」/「部活に行く」
という関係に近いです。
「放課後」と「帰りのHR後」は「言い換えの関係」と言えますが、「部活に行く」というのは、「その時間で行われる行為」のことなので、「言い換え」ではありません。
問7 エ

傍線部の直後にある「通過儀礼とは、~」という「定義文」を見逃さないようにしましょう。
そこには、「人生の節目節目に行われる儀式」と述べられています。
もう少し先を読むと、「個人としては連続していても社会的には一種の空白の時間」「文化人類学ではそれを境界の時間と呼んでいます」といった説明があります。
これらの説明に該当するものは〈選択肢エ〉で、これが正解です。
不正解の根拠
選択肢ア
「子どもから大人になる」というのは「具体例」の一つであり、ほかにも「結婚して夫婦になる」「卒業して社会人になる」という例が挙げられています。列挙されている具体例の「ひとつだけ」を抜き出すことは「まとめ不足」にあたります。

そもそも「具体例」というのものは、「主張」の「オプション」であり、「主張そのもの」ではありません。
もちろん、「答案」においても「オプション扱い」で書かれていれば✕にはできません。
また、「他の複数の選択肢」も同様に書かれていれば、「具体例が存在する」という理由のみで×にすることはできません。
しかし、この〈選択肢ア〉の場合は、
(1)本文で「例示」として挙げられていた情報のみで説明されている
(2)他の選択肢に「例示」が存在しない。
という2つの観点で、「選択肢のなかで表現上最も正解から遠い」と判断することができます。
選択肢イ
「それ自体に意味はなく」がおかしいです。

通過儀礼は社会の中で大きな意味を担っています。
選択肢ウ
「日常と非日常の橋渡し」がおかしいです。

「通過儀礼」を行っている時間は、「空白の時間」「境界の時間」と述べられていますので、「通過儀礼」を行う時間はそれ自体が「非日常」にあたります。
選択肢オ
「タイの僧院」の話も「通過儀礼」のひとつとして読むこともできますが、このエピソードだけを取り出して説明に使用することはNGです。

〈限定しすぎ〉で×ですね。
ある意味では、この「タイの僧院」のエピソードも「例」のようなものと考えることもできます。その観点では、〈選択肢ア〉と同様に、表現的にも正解から遠いです。
問8 イ

傍線部を伸ばして検討すると、「そういう境界の時間が実は生活の中にも設定できること」とあります。
「そういう境界の時間」というのは、「非日常の時間」のことであり、それを意図的に生活の中に入れることを、筆者は推奨しています。
選択肢の中で見比べると、〈選択肢イ〉が最も適合しています。
不正解の根拠
選択肢ア
「睡眠」は、もともとあるものなので、〈非日常〉とはいえません。
選択肢ウ
「運動」は、〈非日常〉とまではいえませんし、「毎日」も余計です。
選択肢エ
「三食」は、多くの人にとって普通のことなので、〈非日常〉とはいえません。
選択肢オ
「挨拶」は、社会的にみて普通のことなので、〈非日常〉とはいえません。
問9 A イ B ウ

【A】は、直後に「前に前に進む」とありますので、「直線的」が正解です。
【B】は、直前に「繰り返す」とあり、直後に「ぐるりと回ってくる」とありますので、「円環的」が正解です。
問10 オ

「キリスト教」という語句がそもそも本文中に存在しませんので、「合致していない」ものとしての正解は〈選択肢オ〉になります。
〈選択肢ウ〉が少し迷う選択肢ですが、本文では次のように述べられていました。
異文化の中に、非日常の時間が存在し、異文化を理解するうえで、非日常の時間を体験することは有効である。しかし同時に、そういう境界の時間は「生活の中」にも設定できる。
〈問8〉で問われていたことですね。
「非日常の時間(境界の時間)」は、「異文化」に存在する。しかし、普段の生活にも意図的に設定できる。
と述べているわけですから、「境界の時間」は、「異文化」だけではなくて、「普段の生活」にも作りうるということになります。
ということは、〈選択肢ウ〉の言い方は、筆者の述べていることと矛盾しないことになります。
ちょっと難しい選択肢ですが、〈選択肢オ〉のほうが「決定的に×」なので、「間違っている強さ」としては「オ」が勝ちます。「オ」はそもそも話題にも上がっていないことなので、「合致していない」ものとして最適なものは「オ」になります。

以上です!!
いよいよ次のプリントで、「応用演習プリント」はフィナーレです!!