白(三)(四)(五)

(三)

この、推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。

「この」という指示語があることからも、「推敲という意識をいざなう推進力」は、直前の内容をまとめればよい。

傍線部直前の、「白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けることが、おのずと推敲という美意識を加速させるのである。」という箇所と、その二文前の、「取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し続ける呵責の念が、上達のエネルギーとなる。」という箇所は、内容上、同じことを述べている。まずはこのことをおさえておこう。

さて、傍線部内の「推進力」と、直前にある「加速」とは、意味上の対応が認められる。推進力があるから加速するのである。ということは、傍線部内の「推進力」の説明としては、「白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けること」を使用することになる。

「推敲」は、傍線部内の語ではあるが、本文別箇所を参照しなくても意味がわかる語であるので、そのまま使用して問題ない。言い換えるのであれば、傍線部直後にある「推すか敲くかを逡巡する心理」を使用し、表現の向上を志して逡巡する心理などとすることができる。

以上により、次のような〈下書き ver.01〉が成立する。

〈下書き ver.01〉
白い紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、【               】文化を作り上げたということ。

最大の問題は「【       】文化」である。

この本文において、「文化」の「説明」をきっぱりしている箇所が他のどこにもないのである。

もしも、ここで私たちが、実際の社会生活をイメージしすぎて、「そうだよな、履歴書とか、合格証書とか、運転免許書とか、とにかく〈紙に記されたもの〉が、社会の中で中心的な役割を担っているよな……」と考えてしまうならば、それは「深読み」になってしまいますね

なんとか答案化できる根拠を探していこう。傍線部直後の、「もしも、無限の過失をなんの代償もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くかを逡巡する心理は生まれてこない」という箇所に強い意識を向ければ、これは、「紙がなかったら、逡巡する心理は生まれなかった」と言っていることになる。ということは、「逡巡する心理を伴う文化的営為」は、「紙から生まれた」と述べていることになる。

ということは、「紙を中心としたひとつの文化」とは、このように、「紙に対する逡巡の感情を元にして、派生的に成立していった文化」と述べることができる。ところがこの付近では、そういった文化の説明は、具体的にはまったく語られない。語られないどころか、直後からは「紙」とは対比される「インターネット」の話が始まってしまうのである。

しかし、さらに読み進めると、〈⑥⑦段落〉で「インターネットの話」をした後で、再び「紙の話」に戻ってくるのである。

 ~ 白い紙の上に決然と明確な表現を屹立させること。不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。またそこには切り口の鮮やかさが発現する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。 ~ 聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。

「紙と対比するもの」として「インターネット」の話を出し、さらにそれを、「一方」という明確な対比のラベルでひっくり返し、「紙」の話に戻ってくるのであるから、この〈⑧段落〉は、内容上〈⑤段落〉との関連性を強く持っていると言える。文章全体を大きな目で見れば、〈⑥⑦段落〉の「インターネットの話」は、中心的論点である「紙の話」をより深めるための、「対比の補足」であるという見方もできる。

たとえば、「歴代のアイドルのなかでキムタクが一番かっこいいと」いうことを主張するために、他のアイドルの話をあえてすることを考えてみるといいですね。

その際の「他のアイドルの話」は、「主張そのもの」ではなく、いわば「引き立て役」ということになります。

キムタクはかっこいい

  ↓

それにくらべてA・B・Cはそれほどでもない。

  ↓

キムタクはかっこいい。

本文での「インターネット」の話も、その役割に近い。そのことから、〈⑥⑦段落〉の「インターネットの話」をいったん(  )に入れて、〈⑤段落〉と〈⑥段落〉を接続してみると、内容上は、非常に近い話をしていることがわかる。そしてそこには、

その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。

と書かれている。つまり、「紙に表現をする」というときの逡巡する心理が、「紙媒体」という物理的制約を超えて、「紙を用いない表現活動」にまで影響を与えてきたのである。

「紙を用いた表現活動」が中心となり、その周縁にある「紙を用いない表現活動としての文化」に強い影響を与えていったのであるから、これを比喩的に「紙を中心とした文化」と述べていると読解することができる。

以上のことから、傍線部後半については、

紙に表現する際の意識が影響を与え、紙媒体を超え、あらゆる表現活動としての文化が発展したということ。

などと解答することがひとまずできる。

〈下書き ver.02〉
白い紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、その影響から、紙媒体を超えた表現活動としての文化を発展させたということ。

以上により、次の〈答案〉が成立する。

〈答案〉
白い紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、その影響が紙媒体を超えた表現活動に至る文化を発展させたということ。

〈さらに簡潔な答案〉
白紙に過失の痕跡を残す後ろめたさが、逡巡を経て表現を屹立させる美意識を推し進め、ひいては紙媒体を超えた表現文化の発展に寄与したということ。

〈論点チェック〉
白い紙             (ないと減点)
消せない過失の累積を把握し続ける  ① 「過失の痕跡を残し続ける」なども可
呵責の念              ① 「後ろめたさ」なども可
表現の向上を志す          ① 「表現を屹立させる」なども可
逡巡の美意識            ① 「推敲の美意識」も可 
紙媒体を超えた表現文化       ① 「諸芸術や武道に至る表現文化」なども可

(四)

断定しない言説に真偽がつけられないように、その情報はあらゆる評価を回避しながら、文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続けるのである。

「主語S」は「インターネットは」「インターネットの情報は」「インターネットの言葉は」といったものになる。文中に「ネット」と書かれているので、「ネットは」と書いてしまってもよい。

そのうえで、

(a)文体を持たないニュートラルな言葉で 
(b)知の平均値を示し続ける

という論点の意味内容をつかんでいこう。

「a:文体を持たないニュートラルな言葉」については、意味上、「書き手独自の特徴がない、どこにも属さない言葉」ということである。文中の、

世界の人々が同時に考える
あらゆる人々が加筆訂正
無数の人々の眼にさらされ続ける情報

といった論点をまとめよう。そうすると、

世界のあらゆる人が加筆訂正できる、偏りのない表現形態で、

などのように書くことができる。

「b:知の平均値を示し続ける」については、文中の、

皆が共有できる総合知
情報はある意味で無限に更新を繰り返している
無限に更新され続ける巨大な情報のうねり
変化する現実に限りなく接近し、寄り添い続ける
情報は常に途上であり終わりがない

といった論点をまとめよう。そうすると、

変化する現実に応じて、皆が共有できる総合知を、無限に更新し続ける。

などのように書くことができる。

「知の平均値」は、「あらゆる人々の知性が総合され、もっとも平均的な情報を表出したもの」であるといえる。

たとえば、インターネット上の百科事典において、「読売ジャイアンツ」の項目を「一人」が書けば、「日本プロ野球機構の最も強い球団であり、別名巨人軍である。なお、ジャイアンツに在籍したことのある選手の中で、最も魅力的な選手はクロマティである」などと、個人的な「思い」が存分に発揮されてしまう可能性がある。

しかし、このインターネット上の百科事典は、それこそ世界の無数の人々の目にさらされているので、「いや、最も魅力的な選手は松井だ」とか、「そもそも最も強い球団は埼玉西武ライオンズだ」といった「別の意見」が出てくるのである。

そういった「個人のつぶやき」がものすごい数で押し寄せてくると、「ジャイアンツに在籍したことのある選手の中で、最も魅力的な選手は長島・王・吉村・桑田・ガリクソン・上原・松井……」といったように、「個人」の意見は埋もれていくことになる。結果的に、最も得票数の多かった選手が、「現時点の調査で最も魅力的な選手」ということになるだろう。それが「集団の意見」として採用されることになる。

以上をまとめると、次のような〈下書き ver.01〉が成立する。

〈下書き ver.01〉
無数の人々の眼にふれ、変化する現実に応じたインターネットの情報は、あらゆる人が加筆訂正できる、どこにも属さない言葉で、皆が共有できる総合知を、現実に応じて無限に更新し続けるということ。

圧縮すると、次のような〈答案〉が成立する。

〈答案〉
インターネットの情報は、世界のあらゆる人が加筆訂正できるという、偏りのない表現形態で、皆が共有できる総合知を、変化する現実に応じて無限に更新し続けるということ。

〈さらに簡潔な答案〉
インターネットは、万人が加筆訂正できる偏りのない表現形態で、皆が共有できる総合知を、変化する現実に応じて無限に更新し続けるということ。

〈論点チェック〉
インターネットの情報は  (ないと減点) 「ネットは」などでも可
あらゆる人が加筆訂正できる   ①
偏りのない表現形態で      ①  
変化する現実に応じる      ①
皆が共有できる総合知を     ① 
無限に更新し続けている     ①

(五)

a 吟味

b 器量

c 真偽

d 回避

e 成就