四面楚歌

紀元前202年に、「垓下の戦い(がいかのたたかい)」という戦いがありました。

項羽こうう」のいる「楚軍」と、「劉邦りゅうほう」のいる「漢軍」による「楚漢戦争」の末期にあたる戦いです。

どんな戦いなんだ?

楚漢戦争が長く続くことで、楚軍は食糧不足におちいっていました。

一方、漢軍は劉邦の負傷があり、また劉太公(劉邦の父)が楚軍に捕らわれていました。

そのため、楚も漢も戦いを終わらせたいと思っていました。そんななか、漢軍からの申し出により、天下を二分することで合意がなされました。

平和が訪れるのだね。

楚軍は本拠地に帰ろうとしましたが、劉邦の部下が「楚軍は弱体化しているので、やっちまいましょう」と言い出したこともあり、漢軍は約束をやぶって楚軍を追いかけます。

マジかよ。

約束破りに気がついた項羽は漢軍へ反撃するのですが、すでに大きな被害を受けていた漢軍は城の中にひきこもったのです・・・

項王軍壁垓下。

項王の軍垓下に壁す。
(こうおうのぐんがいかにへきす。)

項王の軍は、垓下に砦を造って立てこもった。

「壁」は、「とりで」「陣営」「城壁」などを意味する名詞ですが、ここでは動詞のようにはたらいているとみなし、「駐屯する」「陣営を置く」といった意味になります。ここでは「砦を造って立てこもった」と訳しました。

兵少食尽。

兵少なく食尽く。
(へいすくなくしよくつく。)

兵士も少なく、食糧も尽きた。

もとは楚軍のほうが強かったのですが、垓下の戦いがはじまることには、漢軍が40万くらいで、楚軍が10万くらいだったといわれています。

この砦に立てこもったころには、楚軍の兵はもっとずっと少なくなっていたでしょうね。

食料もないとなると、もはや風前の灯だなあ。

漢軍及諸侯兵、囲之数重。

漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。
(かんぐんおよびしよこうのへい、これをかこむことすうちようなり。)

漢軍および諸侯の兵が、これを何重にも囲んだ。

「之」は「砦に立てこもっている項王軍」のことですね。

夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、

夜漢軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰はく、
(よるかんぐんのしめんそかするをきき、こうおうすなわちおおいにおどろきていはく、)

夜、漢軍が、四方で楚の歌を歌っているのを聞き、項王はそこでとても驚いて言うには、

??

なんで漢軍が楚の歌を歌ってんの?

そもそもこの戦いの舞台は「楚」の国の中なんですね。「漢軍」が「楚」に入ってきているのです。

「漢軍」はどんどん形勢を優位にしていきますから、「楚」の兵士たちもだいぶ「漢軍」のほうに取り込まれていったもおかしくありません。

実際にはこれは「漢軍」の作戦で、「漢」の兵士に歌わせていたとされていますが、「項羽」は「楚の兵が取り込まれたのかな」と思うでしょうね。

「漢皆已得楚乎。

漢皆已に楚を得たるか。
(かんみなすでにそをえたるか。)

「漢はすっかりすでに楚を手に入れたのか。

ああ~。

思っちゃってるね・・・

みーんな漢のものになっちゃたのかあ・・・

って思ったでしょうね。

なにしろ周囲を取り囲んでいる敵がみんな楚の歌を歌ってるんですから。

これむしろ「勇気づけてくれてる?」って思わないのかな。

エール交換的なやつですか??

そう思えたなら元気出たでしょうね。

是何楚人之多也。」

是れ何ぞ楚人の多きや。」と。
(これなんぞそひとのおおきやと。」と。

これはなんと(漢軍のなかに)楚の国の兵が多いことよ」と。

疑問や反語を表す「何~也」の形が主に形容詞を述語にとり、「詠嘆」を表すことがあります。ここも文脈上「詠嘆」ですね。

項王はすっかり「楚の人が漢軍に取り込まれて歌ってんだな。すげえたくさんいるなあ・・・」って思っているね。

前述したように、実際には漢軍の作戦だったようですが、楚の国の言語の発音とかも一生懸命練習したらしいですね。

漢軍かわいいね。

決戦前に合唱のレッスンにいそしんでたんだ。

「テノールちゃんと歌って!」とか言ってたんでしょうね。

「項羽先生! 放課後練習、テノール帰っちゃいました!」とかね。

項王則夜起飲帳中。

項王則ち夜起ちて帳中に飲す。
(こうおうすなはちよるたちてちようちゆうにいんす。)

項王は、(そこで)夜起き出して、本陣で飲んだ【宴をひらいた】。

「則(すなはチ)」は、多くの場合は上に「レバ」があって、「~ならばそのときは~」と訳すことが多いです。俗に「レバ則」と呼んだりします。

ここでは「レバ」がないので「仮定条件」のような訳にはならないのですが、これは直前の場面で項羽が「周囲を取り囲んでいる漢軍に楚人がこんなにいるんだなあ」と凹んだことを「前提」にしていると考えるといいですね。

この場合は訳出しなくてもいいのですが、あえていうなら「そこで」くらいになりますね。

有美人、名虞。

美人有り、名は虞。
(びじんあり、なはぐ。)

女官がいて、名前は虞(といった)。

項羽の愛妾で、「虞美人」という人がいたのですね。「美人」は女性の役職名と考えられているので、女官と訳しています。

ヒナゲシのことを虞美人草っていうよね。

この垓下の戦いにおいて虞美人は死亡するわけですが、その虞美人の墓にヒナゲシが咲いたという伝説があります。

常幸従。

常に幸せられて従ふ。
(つねにこうせられてしたがふ。)

いつも寵愛されて一緒にいた。

項羽に愛されていたわけですね。

駿馬、名騅。

駿馬あり、名は騅。
(しゆんめあり、なはすい。)

名馬もいて、名前は騅(といった)。

項羽のお気に入りの名馬が「スイ」という名前だったんだね。

常騎之。

常に之に騎す。
(つねにこれにきす。)

(項王は)常にこれに乗った。

よほどお気に入りだったのでしょうね。

於是項王乃悲歌忼慨、

是に於いて項王乃ち悲歌忼慨し、
(ここにおいてこうおうすなはちひかかうがいし、)

そこで項王は悲しく歌い、激しく心をたかぶらせ、

「是に於いて(ここにおいて)」は、前回の試験範囲にもありましたね。

「そこで」と訳します。

自為詩曰、

自ら詩を為りて曰はく、
(みづからしをつくりていはく。)

自分で詩を作って言うには、

はあ~。

最期になるかと思って渾身のリリックをリリースし始めたんだな。

まあそうですね。

力抜山兮気蓋世

力山を抜き気世を蓋ふ
(ちからやまをぬききよをおほふ。)

(私の)力は山を引き抜き、気力は天下を覆いつくしていた。

かつての項羽はものすごい勢いだったのですね。

時不利兮騅不逝

時利あらず騅逝かず
(ときりあらずすいゆかず。)

(しかし今は)時勢は有利ではなく、騅も進まない。

「スイ」もグイグイ進めなくなっちゃったんだな。

騅不逝兮可奈何

騅の逝かざる奈何すべき
(すいのゆかざるいかんすべき。)

騅が進まないのをどのようにしようか、どうにもできない。

スイから降りて歩いていけば?って気はするよね。

まあずっといっしょにいたから、一心同体のようになっていたんでしょうね。

虞兮虞兮奈若何

虞や虞や若を奈何せんと。
(ぐやぐやなんぢをいかんせんと。)

虞よ、虞よ、お前をどうしようか、いや、どうにもできない。

まあ敵に包囲されているわけだから、無事にはすまないよね。

歌数闋、美人和之。

歌ふこと数闋、美人之に和す。
(うたふことすうけつ、びじんこれになす。)

歌うこと数回、女官もこの歌に合わせて歌う。

そうしたら、虞美人は絶妙のコーラスをきめてきたんですね。

「虞や虞や若を奈何せん」

ってところも抜群のコーラスを合わせてきたのかな。

自分のこと歌ってるフレーズを歌うの恥ずかしかっただろうね。

ああ~。

まあそこは項羽のソロパートじゃないですかね。

項王泣数行下。

項王泣数行下る。
(こうおうなみだすうかうくだる。)

項王は涙を幾筋か流した。

泣きながらのシャウトですよ。

こりゃあ感極まったね。

左右皆泣、莫能仰視。

左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。
(さゆうみななき、よくあおぎみるものなし。)

側近は皆泣いて、(項王を)仰ぎ見ることができる者はいなかった 。

「能」は「(うまく)できる」という意味です。

否定を伴って「不能(あたはず)」というかたちで使われることも多いのですが、ここでは肯定文であり「よく」と読みます。

みんなうつむいて泣いていたり、涙をふいたりしていたから、項羽のほうを見られなかったんだな。

この「垓下の戦い」において、漢軍が勝利し、「楚漢戦争」は終結します。