かんけりの政治学

問1 

(ア)恒常的 ①恒例  ②貢献  ③振興  ④均衡  ⑤小康 

(イ)変換  ①勧誘  ②寛大  ③鑑定  ④帰還  ⑤換気 

(ウ)多寡  ①豪華  ②負荷  ③寡黙  ④貨物  ⑤過分 

(エ)猛然  ①猛火  ②妄想  ③網羅  ④本望  ⑤消耗 

(オ)交錯  ①昨日  ②作為  ③削除  ④索引  ⑤錯誤

問2 

「複数オニ」や「陣オニ」 ⇔  隠れん坊

の対比を把握させたいという問題です。

へえー。

問題に「○○させたい」なんていうのがあるのか?

大前提として、「問題」というのは、「読めてますか?」っていうことを確認するためにあるんですね。

ですから、たとえば

【前半】で「A⇔B」の「対比」が起きていて、【後半】で新たな「C」が登場して、「A&B⇔C」の「対比」がはじまる

といったちょっと複雑な文章構造になっている課題文であれば、最初のほうの問題で「A⇔B」の「対比」がわかっているかどうかの問題を出すというのは「常套手段」なんです。

その観点でいうと、「良問」というのはある意味で「読解のサポート」なんですよ。いい大学のいい問題は、その設問を解く「ため」に該当箇所をしっかり読むと、自然とその箇所の理解が深まるように設計されています。

核心は何?(要はどういうこと?)

「複数オニ・陣オニ」には、「普通の隠れん坊」の持っていた「本質」が「ない」ということです。

「程度」が違うという水準ではなく、「質」がそもそも違っているということです。

答案に必要な論点(情報)は何?

 傍線部直前に、

 隠れん坊が子どもの遊びの世界から消えること
    は、
子どもたちが相互に役割を演じ遊ぶことによって自他を再生しつつ社会に復帰する演習の経験
    を
 失うということである。

という一文があります。

「……である」という構文は、一種の「定義文」だと考えましょう。

しかも、傍線部と接続詞なしでつながっているので、傍線部と同内容であると判断できます。

〈ポイント〉

~A~。(論理関係のラベルなし)~B~。

の場合、AとBは原則的に同内容である。

以上をふまえて、記述でざっくり書けば、次のようになります。

〈下書き〉
複数オニや陣オニは、隠れん坊には存在していた、自他を再生させつつ社会に復帰する演習の機能が失われているということ。

「複数オニ」や「陣オニ」の説明は、次の段落から始まるので、それを補うと、答案はほぼ完成します。

「複数オニ」の演習の主題は裏切り
「陣オニ」は「自分だけ助かればよい」ゲーム(本質をいいつくした説明)

とあるので、それらの論点を答案に取り込むと、次のような〈推奨答案〉が成立します。

〈推奨答案〉
複数オニは裏切りが、陣オニは自分だけ助かることが主題となる点で、隠れん坊には存在していた、自他を再生させつつ社会に復帰する演習の機能が失われているということ。

すると、最も近い選択肢は③になります。

「裏切り」「自分だけが助かればよい」という別々の説明を、「仲間のもとに戻ることが想定されていない」とまとめて書いています。内容的には問題ないので、本文の主旨に整合しているとみなせます。

〈選択肢③〉
「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない点で、従来の隠れん坊の本質であった、社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっているということ。

不正解の判断基準

「いくつもの役割を相互に演じ遊ぶ」が〈根拠なし・話題なし〉で×です。

「苛酷な身体ゲーム」も〈根拠なし・話題なし〉で×です。

「オニに捕まった者も助かる契機が与えられている」のは「かんけり」の説明であるため、〈逆〉で×です。

また「擬似的な死の世界から蘇生する」のは、むしろ「隠れん坊」のほうの説明なので、〈逆〉で×です。

「自由を制限するさまざまなルール」が〈根拠なし話題なし〉で×です。「さまざまなルール」があることは書かれていますが、それが「自由を制限する」かどうかまではわかりません。

なお、この設問は、対比項である「隠れん坊」のほうの性質を説明することが〈核心〉であり、「複数オニ」「陣オニ」のほうの説明は「オマケ」です。

にもかかわらず、「複数オニ」「陣オニ」のほうの説明に字数を割きすぎてしまい、肝心の「隠れん坊の説明」が出てきません。傍線部直前の論点が解答に出てこないという点で、〈核心不在〉の観点でも×と考えることができます。

⑤ 

「従来の隠れん坊の本義であった、相互の役割を守りつつ競い合う」という説明が〈根拠なし話題なし〉で×です。

本文で述べられている「隠れん坊の性質」は、「自他を再生させつつ社会に復帰する演習の経験」ですから、その説明とも一致していません。

また、「隠れた者も途中でオニに転じることになっている」のいうのは「複数オニ」の説明であり、「陣オニ」では必ずしもそうなるわけではないので、「一般化失敗」で×です。

主語を「複数オニや陣オニは、~」と並列的に書き、「複数オニ」と「陣オニ」にいっぺんに言及するのであれば、両者に共通する性質をまとめなければなりません

問3

「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」  「人生ゲーム」

という「類似」の関係つかむことが、まず重要です。

核心は何?(要はどういうこと?)

「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」の延長線上に、「人生ゲーム」があるということです。

答案に必要な論点(情報)は何?

〈傍線部A〉以降を解答領域とみなして読んでいくと、

「複数オニ」 =  主題は「裏切り」
「陣オニ」  =  自分だけが助かればよいゲーム (本質を言いつくした説明)
「高オニ」  =  演習課題は「人より高い位置に立つこと」「より高みをめざすこと」

と、各段落にそれぞれの遊びの性質が説明されています。

そしてまた、〈傍線部B〉の直前段落に、

「人生ゲーム」、金を操作することによって人生の階段を上昇することを争うゲームである

とあります。

「…は~である」型の定義文であると言えます。

そのままこの表現を解答に生かせればよいのですが、「人生の階段を上昇する」という表現は比喩的なので(「人生の階段」などというものは実態的には存在しないので)、周辺の情報をヒントに「比喩でない表現」に直さなければなりません。

人生の修羅場をくぐって他人を蹴落としながら
成功の頂点は億万長者 ~ 地位・職業が位階づけられて配列されている

という表現から、「階段を上昇する」というのは、「他人を蹴落とし(つまり自分だけが)、大金を手にし、高いと見なされている地位や職業に上る」ことを意味していると考えられます。

したがって、記述で書くなら、次のようになります。

〈下書き〉
他者を裏切る「複数オニ」自分だけが助かろうとする「陣オニ」高みに立つことを目指す「高オニ」といった遊びの延長に、財産の多寡や、地位・職業の位階を上昇することを争う「人生ゲーム」があるということ。

「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」のそれぞれの特徴を書くのであれば、それらすべてに言及しなければなりません。列挙されているものに対してひとつひとつすべてに言及することを「完全枚挙」といいます。下書きではそういう書き方をしていますが、本問では、「人生ゲーム」のほうの説明も求められているので、いちいちすべてを書いていくことは困難です。

そこで、次のように圧縮するとよいでしょう。

〈推奨答案〉
他者よりも優位であることを競う「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」の延長に、財産の多寡や、地位・職業の位階を上昇することを争う「人生ゲーム」があるということ。

このように、具体的な現象や出来事が複数あるときに、それぞれの特徴に共通することを一気にまとめて一般的な説明表現にすることを、よく「一般化」とよびます。

最も近い選択肢は③であり、これが正解です。

〈選択肢③〉
「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」において他者と競走してより優位に立つ経験をもつことが、社会的成功を利己的にめざすことを目的とした「人生ゲーム」へとつながっていくということ。

不正解の判断基準

「他者からの不信感を払拭するすべを学ぶ」が〈根拠なし話題なし〉で×です。〈逆〉であるともいえます。

また、「金銭によって運営される市民社会を模した」という説明も、「階段を上昇」という比喩を説明できていないので、〈核心不在〉になります。

② 

「他者から疎外される寂しさに耐える」が〈根拠なし話題なし〉で×です。

また、「孤独に対処する」も〈根拠なし話題なし〉で×です。

「他者への不安と信頼の間での振る舞い方を身につける」が〈根拠なし話題なし〉で×です。

「他者とともに形成する社会秩序の不安定さを感じとる」が〈根拠なし話題なし〉で×です。

選択肢後半は、内容的に誤っているわけではありませんが、「階段を上昇」の比喩を説明している表現とはみなせないので、〈核心不在〉であるともいえます。 

問4

「ここで子どもたちはどのような状態にあるか?」という設問ではありますが、内容的には「どういうことか」に限りなく近い問題です。

そのため、「飽きることに飽きてしまう一瞬が子どもたちを訪れる」のという傍線部の内容を説明することが、答案の方針作りになります。

核心は何?(要はどういうこと?)

ゲームに飽きて、次のゲームに行くという連鎖の構造に飽きてしまうことで、他者を打ち負かす管理社会の構造そのものに飽きてしまい、その秩序の外側に出ていきたくなっている状態ということです。

答案に必要な情報(論点)は何?

傍線部を含む一文を精読しましょう。

しかし、とことんまで飽きたとき、ふと、飽きることに飽きてしまう一瞬が子どもたちを訪れる。

「とことんまで飽きたとき」を説明するには、「飽きる」という語句が繰り返されている「傍線部直前の情報」が必要です。

一方、「飽きることに飽きる」を説明するためには、傍線部の後ろの情報にも気を配らなければなりません。

これは、一文が「しかし」という逆接から始まっていることからもうかがえます。

傍線部自体の説明の〈核〉を作るためには、「前」よりも「後ろ」が重要だということです。

すると、

だが、飽きることの煉獄から戻ってくるとき、子どもたちは管理社会のコスモロジーそれ自体に飽きているのだ。

という一文に着眼できます。

傍線部を含む一文と構文が酷似していることに気づくことができれば、この問題への大きなアドバンテージになります。

ここを使用すると、次のような下書きが成立します。

〈下書き〉
次々に飽きさせる商業主義の世界観によるゲームを続けるうち、子どもたちは、管理社会のコスモロジーそれ自体に飽きてしまうという状態。

しかし、上記の答案は、「管理社会のコスモロジー」という部分がまだ抽象的で、説明として未熟です。

ここを解決して、答案を完成しましょう。

再び、傍線部の直後を精密に読んでみましょう。

密室で、とにかく他人を打ち負かすありとあらゆるゲームに熱中していた子どもたちが、(それに飽きて)思い出したように外へ出てくることがある。そのときボールがあれば、三角ベースやサッカーが始まることもあるだろう。何もなくからだだけあるとき、「陣オニ」や「高オニ」が思い出されるだろう。だが、飽きることの煉獄から戻ってくるとき、子どもたちは管理社会のコスモロジーそれ自体に飽きているのだ。「陣オニ」や「高オニ」に同構造のコスモロジーを感じ取れば、子どもたちのからだは急速に熱中度を失う。

〈問2〉で考えたことを思い出しましょう。「陣オニ」や「高オニ」は、「自分だけが、他者よりも優位であることを目指す」ゲームでした。

つまり、次のようなことです。

子どもたちは、玩具産業の商業主義的な策略にのってしまい、「ひとりでできるゲーム」に興じます。

「ゲームA」に飽きても、「ゲームB」が発売されます。

「ゲームB」に飽きても、「ゲームC」が発売されます。

その連鎖なのです。

さて、これらのゲームの特徴は、「ひとり」でやるものです。「ひとり」でやるゆえに、「対戦相手」に「勝つ」ことを目指すゲームになっています。

それが傍線部の直後にある、

密室で、とにかく他人を打ち負かすありとあらゆるゲーム

という説明です。

ここでは、子どもたちは、社会(ここでは玩具会社)によって、「ひとり」で「他人を打ち負かす」ゲームに興じ続ける状態に「押しとどめられている」と言えます。まさに、「管理」されているということです。その「管理」に、子どもたちはついには飽きてしまうのです。

さて、その管理社会のコスモロジーとになるのが、次段落から説明されていく「かんけり」です。

「かんけり」は「管理社会のコスモロジーに蹴りを入れる」ゲームであると説明されています。

(注)では、「缶を蹴ると、つかまった仲間を逃がすことができる」と説明されています。

それらの情報から、「かんけり」は、「管理社会のコスモロジー」とは「対比」されるものであり、「仲間を救うゲーム」であると読解することができます。

そこから対比的に考えてみても、「管理社会のコスモロジー」というものは、「他者と競争し、他者よりも優位を目指すことを強制されている状態」であるといえます。

子どもは、〈傍線部C〉の時点で、そのことに飽きてしまっているのです。

以上の考察から、次のような答案が成立します。

〈推奨答案〉
次々に飽きさせる商業主義の世界観によるゲームによって、飽き続ける構造自体に飽き、また、他者よりも優位であろうとする管理社会のコスモロジーに飽きてしまうという状態。

最も近い選択肢は②であり、これが正解です。

〈選択肢②〉
次々に売り出される室内ゲームに魅力を感じなくなった子どもたちは、管理社会のコスモロジーを他の遊びにも感じ取ったとき、別のコスモロジーに基づいた遊びに向かう可能性を手にすることになる。

記述なら「ちょっといまいちだなあ・・・・」という印象の残る説明ですが、内容的には本文どおりであり、他の選択肢に比べれば優位性があることから、②が正解です。

ここでいう「別のコスモロジーに基づいた遊び」というのは、「かんけり」のことですね。

不正解の判断基準

「戸外での遊びを思い出す」が〈対比のミス〉で×です。

本文では、

「陣オニ・高オニ」   ⇔   「かんけり」
(管理社会のコスモロジー)    (別のコスモロジー)

という対比があります。

その点で、「対比されているもの同士」を「戸外の遊び」とひとくくりにしてしまっている点がおかしいです。

一緒にしてはいけないものを一緒に語ってしまっているのです。

①と同じ理由で、「戸外の遊びにも飽きてしまった」がおかしいです。「戸外の遊び」に飽きているならば「かんけり」にも魅力を感じないはずです。

また、「他人を打ち負かすことの繰り返しを自省」も〈根拠なし話題なし〉で×です。

何よりも③には、キーワードである「管理社会のコスモロジー」が、唯一書かれていません。

「管理社会のコスモロジー」という表現そのものはなくてもよいのですが、「同じ意味内容になる表現」が入っている必要はあります。

「飽きる」を説明している箇所が見当たらないので、〈核心不在〉で×です。「離脱している」という説明がありますが、それは「飽きる」の言い換えとみなすことはできません。

また、「あらたなコスモロジーが内包された遊び」を「楽しめる」とまでは述べられていません。本文では「出会う場合がある」と言及されているに過ぎないでの、〈言い過ぎ〉で×です。

「もはや遊びへの熱意を失ってしまっている」が〈根拠なし話題なし〉で×です。

「遊びそのもの」への熱意が失われたわけではなく、「管理社会のコスモロジー」側の遊びに興味を失っているのです。

問5 

さて、この傍線部には倒置が起きているため、倒置のないかたち(S→O→Pの順序)に置き換えてから考えてみましょう。

隠れた者は 囚われた者を アジールの方、市民社会の制外的領域に 奪い返して帰ってくる。
〈主語S〉 〈目的語O ①〉    〈目的語O ②〉          〈述語P〉

               

単純な「なぜか」の問題は、

①「前提となる項(S・O)を説明する」
②「S・Oから述語Pに至る飛躍を埋める」

という作業が必要です。

①と②を「どちらから先に考えた方がいいか」については、設問によって変化しますので、その都度やりやすいほうから考えましょう。

「結論につながりうる情報で①を説明していくと、結果的に②も達成していた」ということもよく起きます。

「項(主語・目的語)」を説明したところで、結論に飛躍なくつながっているのであれば、②も同時にできていたことになります。

意味内容としては、「市民社会の領域」から、「アジール」のほうに奪い返すのですから、「隠れた者」にとって、「市民社会」は〈マイナス-〉のものであり、「アジール」は〈プラス+〉のものである、という理解ができます。したがって、

① 「隠れた者」は「アジール側」の人間であること。 
② 「囚われた友」は、「市民社会側」につかまっていること。
③ 「隠れた者」にとっては、「市民社会」がダメな場所であること。 
④ 「隠れた者」にとっては、「アジール」がよい場所であること。

といった〈4ポイント〉で、説明のほとんどは達成できたことになります。①②③④の内容説明としては、概ね以下のワードを使用すればよいでしょう。

(a)市民社会 → 管理社会/利己的/競争社会
(b)アジール → 市民社会から離れた場所/避難所/安堵感/相互的共同性に充ちたコスモス
(c)隠れた者  → 友を助けようとする者(ほかの人を救おうとするの/仲間を助けなくちゃ)
(d)囚われた友 → 市民社会に管理されている仲間

 以上の考察により、次のような解答が成立します。

〈推奨答案〉
隠れた者は、利己的な競争を本質とする市民社会の管理下に囚われた仲間を救うため、相互的共同性に充ち、安堵感をもたらすアジールまで避難させようとするから。

すると、最も近い選択肢は④になります。

〈選択肢④〉
隠れた者にとって、   *主語の提示
かんを蹴って友を助ける行為は仲間との連帯感に基づくものであり、  *「隠れた者」の説明
競争で相手を蹴落とす社会から逃れることが、  *「市民社会」の説明
安らぎのある共同性のなかに居続けることを意味するから。  *「アジール」の説明

「囚われた友」の説明として「管理されている」などの説明がほしいのですが、他との比較のうえでは最も的確に〈論点〉に言及している選択肢が〈選択肢④〉です。なお、〈選択肢②〉を検討するとことで後述しますが、「管理」は「必須」といえるほどのポイントではないので、なくても大きな問題はありません。

ポイントは「安らぎ」です。これは本文にある「安堵感」の「書き換え」とみなせます。記述ならそのまま「安堵感」と書けばよいのですが、選択肢はこのような「書き換え」をすることが多いのです。

このような場合に、「安らぎなんて言葉あったかなあ?」と、本文をつぶさに点検しにいくことは、時間のロスになってしまいます。正解に必要な決定的な「語」は、選択肢では「表現上は」書き換えられていることが少なくないので、「語」のレベルでこだわり過ぎず、「意味内容」をつかんでいきましょう。

不正解の判断基準

「仲間を哀れむ思いの高まり」が〈話題なし〉で×です。

「かんを蹴って友を助ける行為はかんを蹴ることそのものに対する喜びに根ざしており」が〈因果関係の捏造〉で×です。実際には「助けなくちゃ」と思うから助けるのですね。〈選択肢②〉は、この部分を正誤判定するだけで除外できます。

さて、「市民社会」を「窮屈」と表現している箇所についてですが、この「窮屈」は、推論的に「管理」の内実を説明したものと判断することができるので、「窮屈」という「語そのもの」にかんしては×ではありません。むしろ、きちんと「管理」に言及しようとしているので、何も言わないよりは、説明努力が果たされていると言えるでしょう。

しかし、ここで注意したいことは、傍線部の段落の先頭に、「もう一つつけ加えていう」と書かれているところです。つまり、「管理の象徴であるかんを蹴る」をいう話は、傍線部のある段落に対して、細かく言えば「ひとつ前」の話題なのです。もちろん、大きな流れでは「同じ話題の流れ」に乗っているので、「管理」の話は解答にあったほうがよりよいのですが、「なくても〈核心〉は揺らがない」と考えるべきです。

ここでは、囚われた仲間を奪い返そうとする「隠れた者」が、「ほかの人を救おうとする」「仲間を助けなくちゃ」と言っていることに着眼すべきです。
(これこそが「もう一つつけ加えられた論点」なので・・・)。

「アジール」の側にいる「隠れた者」が、「救う」「助ける」という意識を持っていることに筆者は注目しているわけですが、ということは、対比項である「市民社会」は、「救う」「助ける」という意識とは〈逆〉の社会であると読解できます。

そこで〈問3〉で問われていたことに遡って考えると、「市民社会」とは、「他者を蹴落とそうとする利己的な社会」なのですね。このように、本文ですでに述べられてきたことを根拠にして〈対比関係〉をあぶりだせば、

アジール 救う・助ける  ⇔  市民社会 競争する・蹴落とす

ということになります。

ざっくり言えば、「他人を蹴落とす意識を基盤とする市民社会」から、「他人を助ける感覚を基盤とする避難所」に奪い返すのです。

傍線部の中に、そもそも「市民社会」「アジール」という〈対比関係〉にある語が両方とも入っているのですから、「対比」が明確になるかたちで解答を構成できたほうが高評価になります。

以上の理由により、「市民社会」の内容の説明としては、論点が追加される前の話題である「管理」をキーポイントとするよりも、論点が追加された後の話題である「救う・助ける」の対比として、「競争する・蹴落とす」という情報を取り込めた方が、説明の成熟した答案となります。

「相互的共同性を強いる」が〈逆〉で×です。

また、「多様な人生のあり方をみつめ」も〈話題なし〉で×です。

「一人で生きる孤独への不安」が〈話題なし〉で×です。

「私生活主義を温存する社会」は×とまでは言えませんが、〈選択肢④〉における「市民社会」の説明に比べると劣るため、相対的に△です。

おまけ

なお、「アジール」とは、次のような場所です。

聖域,平和領域を意味するドイツ語。英語ではasylum。ギリシア語の〈不可侵〉という語asylonに由来するアジールの制度は人類最古の法制度のひとつであり,特定の空間,人物,時間とかかわった人間が一時的に,あるいは持続的に不可侵な存在となる状態あるいはその場を示している。アジールの歴史は社会と法の構造,宗教と道徳のあり方によっていくつかの段階に分けられる。まず宗教的・呪術的な段階においては,ユダヤ教の祭壇やギリシア・ローマの神殿,ゲルマンの森などの神聖な場所や物と接触した人間が不可侵な存在となる状態を意味し,その場所に逃げこんだ者の人格や逃亡の理由は問われないし,動物でさえも保護される。
(『世界大百科事典』より)

これは、ヨーロッパで言えば「サンクチュアリ」の発想に近いものです。ビクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』という小説では、ジプシーの女性が、宗教施設であるノートルダム寺院に駆け込んで、迫害から免れる場面が出てきます。『ノートルダムの鐘』というディズニー映画でも、このあたりのシーンはきちんと描かれています。ノートルダム寺院は「サンクチュアリ」であり、政治的な迫害などが入ってくることができない場所なのですね。

日本でも、場合によって「寺社」が「アジール」の役割を果たしていた。たとえば喜多院に「どろぼう橋」というものがあります。

昔、この橋は、一本の丸木橋であったといわれ、これは、そのころの話である。ここ喜多院と東照宮の境内地は御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、 川越半の町奉行では捕まえることができないことを知っていた一人の盗賊が、町奉行の捕り方に追われ、この橋から境内に逃げ込んだ。しかし、盗賊は寺男たちに捕らえられ、寺僧に諭され悪いことがふりかかる恐ろしさを知った。盗賊は、厄除元三大師に心から罪を許してもらえるように祈り、ようやく真人間に立ち直ることができた。そこで寺では幕府の寺社奉行にその処置を商家の奉公先を世話されると、全く悪事を働くことなくまじめに一生を過ごしたという。
(喜多院設置の看板より)

この逸話は、まさに「アジール」の機能を寺社が果たしていたことを示していますね。

なお、喜多院は、岡が働き始めたときに、「ここが川越の地か……よし、これからの運勢を確かめるぞ!」とおみくじを引いたら「凶」であった場所です。

そしてその1年後、「去年のはリハーサルだ! これが本番だ!」とおみくじをひいたら「凶」であった場所でもあります。

二年連続で「凶」だったんだね。

その後はおみくじを引いていないので、岡にとっての喜多院は「おみくじ凶率100%」の場所です。

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問6 

①②/③④/⑤⑥がそれぞれ同一のカテゴリーなので、正解がたとえば【⑤と⑥(同一カテゴリーから2つ正解)】などとなることはまず考えられません。

そのくらいの予測をたてつつ、消去法で考えましょう。

選択肢吟味

「同種の研究がいかに数多くなされてきたかを示すために」ではありません。

「筆者の論とは反対の立場」ではありません。筆者は藤田省三の論を、自分の論を裏付けるための下敷きにしています。

本文に整合しています。正解です。

「大人と子どもの考え方の違いを浮き上がらせるため」ではありません。

「隠れん坊・かんけり」の本質を表す比喩として「市民社会・管理社会」を取り上げている、という関係がです。本文では「市民社会・管理社会」の本質を表すための比喩として、「隠れん坊・かんけり」を出しています。

本文に整合しています。正解です。

以上です!