声の銀河系

問1

発酵(醗酵)

分節

隆盛 

問(B) (a) おか  (b) むさぼ 

問2 オ

 空欄は「前後の精読」を最も重要視。

遠くのものをいまここに電送してくるメディアは、
ものを歴史的な時間の流れからひき抜いて、
【    】を奪い、
アクチュアルな現在のなかに移しおく。
そのとき、作品は〈権威〉を失う。 

A   て、   B 
A (連用形)、 B


となっているとき、「AとBの関係」は密接であり、相互に大きなヒントになります。

前後の文脈から、【 空 欄 】には、「歴史的な時間の流れ」とは同系統で、「アクチュアルな現在」とは反意的な 語句が入るはずです。

しかし、この時点では、確信をもって✕にできる選択肢は〈選択肢エ〉の「権威」しかありません。

どうして、「権威」は✕にできるの?

直後に、「権威を失う」という表現があるからです。

【空欄】に「権威」を入れると、

メディアは、(ものの)権威奪う。そのとき、作品は権威失う

という関係になりますね。

というのは、トートロジー(同語反復)であり、この文脈では意味がない。たとえば、

 よしおは、かつ丼の、かつをひときれ食べる。そのとき、かつ丼は、かつをひときれ失う。

という文は、論理的に破綻しているわけではないが、前件   の内容が、すでに後件   の内容を語りきっているので、わざわざ後件   を繰り返す意味がないのである。
 さらに、「そのとき、作品は〈権威〉を失う」という文の直後には、「~から。」という「理由の文」までついている。もし、【空欄】に「権威」が入るのであれば、理由を後続させる必要はまったくない。理由は、表現と表現の間に、飛躍があるからこそ語られるのであるから、

 メディアは、(ものの)権威を奪う。 → そのとき、作品は権威を失う。
                (飛躍なし)
 
という、飛躍の存在しない文に理由をつける必要はない。
 例を挙げて考えてみよう。

 
ⅰ よしおは、きのこの山のチョコのところだけを食べた。
ⅱ そのとき、きのこの山はチョコのところを失う。
ⅲ (なぜなら)        からである。
  
ⅰ タマが子猫を産んだ。
ⅱ そのとき、子猫は生まれた。
ⅲ (なぜなら)        からである。

上に示した二つのケースにおいては、〈ⅰの文〉があれば〈ⅱの文〉をつけくわえる意味がない。また、仮につけたとしても、〈ⅰの文〉と〈ⅱの文〉の間に、疑問がさしはさまれる余地がなく、飛躍があるとは言えないので、理由を書く必要がない。ためしに      のところで何が言えるか考えてほしい。何も言うべきことがないはずである。
 したがって、【空欄】に「権威」が入ることはない。
 くどくど述べたが、いずれにしても、最初の【空欄】から答えを確定することはできないので、次の【空欄】で検証しよう。

① 口から口へと語り伝えられてゆく物語は、はるかなところに    をもっている。
② 物語の語り手たちは、空間的にも時間的にもはるかなところで起こった出来事を人びとに語り聞かせる。
③ それらの物語は、「~遠い国々の消息や、~過去の消息」の数々である。
④ すなわち語り手は、「かつて」「どこかで」生きられた経験を、
「いまここ」で生きている者たちにむけて伝達するのだ。

 この場面においては、正解はくっきりする。〈ラベルなし〉で、次の文に移っていくので、①≒②の関係である。②が①を後ろで補足的に支えるのである。そうであるから、【空欄】には、「空間的にも時間的にもはるかなところで起こった出来事」という表現に対し、意味内容が同じであり、かつ、表現的にはもっとコンパクトな語句が入るだろうと予測できる。「現在」からみて「はるかな空間/場所」の意味を持つ選択肢は〈5/起源〉しかない。したがって、〈5〉が正解。
実際にはこの問題は、ふたつめの【空欄】だけで正解を得ることができるので、そちらを先に入れて、ひとつめの【空欄】に代入して確かめる、という筋道のほうが有効である。

*「空欄は入れやすいところから入れる」が鉄則。
後ろの方が補充しやすい場合、前で困惑していては時間がもったいない。
 それぞれの空欄にそれぞれの選択肢群がついているときは別だが、本問のように、複数の空欄に「同じ語句」が入る場合や、複数の空欄に「同じ選択肢群」から「一つずつ」該当するものを選ぶ場合などは、簡易なものから考える。
 ただし実際には、空欄が複数あっても、そのどちらが簡単なのかをパッと見で判断することはできないので、まずは最初のものから考えていくことにはなる。答えが決着しきれない場合は保留して次をやる、ということである。

問4 ① 2  ② 3  ③ 1  ④ 2  ⑤ 3  ⑥ 1

 ① 「複製技術」は「近い」の属性。 ⇒ 2

 ② 「わたしたちの生の感覚」はどちらの属性も持ちうるので、「どちらともいえない」 ⇒ 3

 ③ 近さが「作品のアウラ」を破壊するのであるから、「作品のアウラ」自体は「近さ」とは逆であり、「はるかなもの」の属性。 ⇒ 1

 ④ 「アクチュアルという時制」は(注釈に従えば)「現実の時制」という意味であるから、「近さ」の属性。 ⇒ 2

 ⑤ 「出来事の伝達」は、仕事的な「物語」でも、メディアによる「情報」でも行われるので、どちらにもあてはまる。 ⇒ 3

 ⑥ 「物語」と「情報」が比較されているのであり、かつ、⑥の直後で「物語による経験の交換は、およそ瞬間性から最も遠い」と述べられているので、「はるかなもの」の属性。 ⇒ 1

問5 出来事 ~ を学ぶ

 相同表現さえ発見すれば、確信を持って決着できる問題である。最終段落には、こう書かれている。

 私はさまざまな出来事を「知る」けれども、そのどれひとつとして私の経験を「養う」ことはない。情報のスピードは、耳をすます時間を奪う。それは「経験という卵をかえす夢の鳥」を殺すのである。出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を。

「出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を。」という文は、直前文とラベルなしで接続しているので、直前文の〈補足説明文〉である。述語が省略されているが、それは、直前文と同じことを述べているからこそ、省かれているのである。すなわち、

出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を(殺すのである)。

という具合に、直前文と同じ述語が事実上存在しているのである。ということは、「出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間」こそが、「経験という卵をかえす夢の鳥」の具体的換言であると決着できるので、そこが正解となる。ただし、あわてて「出来事 ~ 夢の鳥」と書かないこと。設問は、「経験という卵をかえす」までの説明を問うているので、「~を学ぶ」までが対応箇所である。
 

問6

「30字」なので、論点は2つである。そして傍線部は「事件(情報)」と「消費者」で2つにできることから、それぞれの説明を論点とすればよい。

*〈論点〉の数は、字数から考察する。
 〈論点〉として扱うべきものは、傍線部の分析から判断する。

 したがって、
 「事件(情報)」とは、どのようなものか。
 「消費者となる」とは、どういうことか。
の2点を考えればよい。

解答根拠の特定として最大のポイントは、直前の「要するに」という〈まとめのラベル〉である。この「要するに」が、どこからどこまでをまとめているのかは判然としないが、「そして」が話題追加のラベルであるので、「要するに」が強く関係するのはやはり直前である。
したがって、「解答の強い根拠は直前文に存在する」という強い確信を持って精読する。

 次から次へと報道されていく情報は、私の記憶の貯蔵庫を空にしてしまう。
 (ラベルなし)  ↓
 出来事は凹凸を失って継起していく。
 (ラベルなし)  ↓
 私はさまざまな出来事を「知る」けれども、そのどれひとつとして私の経験を「養う」ことはない。
 (ラベルなし)  ↓
 情報のスピードは、耳をすます時間を奪う。
 (ラベルなし)  ↓
 それは、「経験という卵をかえす夢の鳥」を殺すのである。
 (ラベルなし)  ↓
 出来事を記憶し、あたため、そこから何かを学ぶ時間を。
     ◇
 そして(話題追加のラベル)
 ニュースはまた、「教え」すぎることによって物語のもつ知恵を失う。
 (ラベルなし)
 出来事は伝達されるやいなや 解釈をほどこされ、語りつくされてしまうからである。

      要するに(まとめのラベル)  事件(情報)の消費者となる。

 ところが、「要するに」の直前の2つの文だけでも、あわせて70字であり、解答ではこれを半分以下の30字にしなければならない。つまりこの設問は、「根拠はほとんど直前で間に合うけれども、入れるべき情報が冗長であるため、どうにかして圧縮しなくてはならない」という設問なのである。
本問は、「事件(情報)」と「消費者」に分解することができるので、それぞれ説明すればよい。
 
 「事件(情報)」とは、「伝達された途端、(自分以外の者に)解釈され、語りつくされてしまうもの」であると説明できる。〈対比項〉である「物語」は、「ゆっくりと記憶に蓄積され、時間の厚みのなかで発酵」するものであるので、そのことから考えても、ニュースによる情報は、「無時間的」「即時的」に取得されてしまうものである、という言及はしておきたい。 論点a
 「消費者」は、本来、経済における用語であり、「生産物を消耗する者」すなわち「買い物をして商品を使う側の者」を意味する。つまり消費行動には、「売り手」と「買い手」が構造化されていることになる。ここでは〈物品の売買〉の話をしているわけではないので、文脈に合わせて意味をつかまえる必要がある。ここでの「売り手」にあたるものは、「出来事をすぐに解釈して語りつくすニュース」であり、「買い手」にあたるものは、「伝達されたものを、知恵として成熟させず、ただ知るだけになっているわたしたち」のことである。 論点b
記述に関して、細かいことではあるが、「わたしたち」という語句は、そのまま解答に出さないこと。できるだけ客観化したうえで記述する。ここでは、「現代の人々」を全般的に意味していると判断できるので、「現代の人々」とか、「現代人」などと表現できるとベストである。そのような「客観化」がどうしてもうまくいかない場合は、「 」をつけてそのまま表記すればよい。

〈記述解答における主語表記の注意事項〉
① 評論・随想の「わたし」は、「筆者」と置き換えればよい。
② 評論・随想の「わたしたち」は、「人間」「近代の人々」「現代の人々」「日本人」などにできることが多い。文脈に合わせて規定する。
③ 小説の「わたし」は、登場人物としての「わたし」であるので、名前が明示されている場合は、名前のほうを用いる。名前が書かれていなければ、「父は」「弟は」などと、「立場」で書いてもよい。それも明瞭でなければ、「わたし」とそのまま表記してよいが、「 」をつけたほうがよい。ただし、選択肢問題では、「 」が付されずに「わたし」と書かれることもありうる。
④ 小説の「わたしたち」は、名前が明示されている場合は、名前のほうを用いる。名前が書かれていなければ、「親子」「兄弟」「姉妹」など、「立場(関係)」で書いてもよい。もちろん、その課題文の世界で、「親子」が「2グループ」出てきていれば、単純に「親子」と書くことはできないが、登場人物そのものが2人だけで、その二人が親子なのであれば、「親子」と書いてしまってよい。

以上のことから、次のような解答が成り立つ。

〈推奨答案〉
ニュース報道が、出来事に即時的な解釈をほどこし、語りつくしてしまうため、それを知るだけの現代人は、経験や知恵を育む契機を失った存在になるということ。74

本当であれば、このくらいきちんと書いたほうが、「説明」を果たしたことになるが、「30字」という制約があることからも、傍線部の表現に焦点化した説明にせざるをえない。そのため、傍線部の「外」に位置する「ニュース」や「わたしたち(現代人)」といった表現は、「30字バージョン」の答案からはカットしていくことになる。
「要するに」を中心視すれば、「ニュース報道」が、ある出来事を「すぐに」解釈し、語りつくしてしまう、という意味内容は、解答に取り込むべきことであると判断できる。ニュースは、わたしたちに、「考える時間」を与えてはくれないのである。だからこそ、わたしたちは、いわば「パッケージ化された商品」を購入するかのように、「解釈済みの情報」を「入手するだけの存在」になってしまっているのである。
以上のことから、まずは、次のような解答が成り立つ。

〈答案1〉
即時に解釈されつくした情報を、入手するだけの存在になること。30

〈答案2〉
伝達と同時に解釈された速報を、教わるだけの存在になること。29

「教わる」は、「知る」でもよい。要は、「じっくり時間をかけて考える」ということの逆の表現として本文で使用されている語句であれば、採点表の同じ場所に載っているはずであり、どちらかを書いても同じ点が入るはずである。
ひとまずはここまでが書ければ、〈4/6〉点が入ると見込めるので、十分に合格点が取れる。「記述の合格点は半分でよい」という「基本」を念頭に置き、試験本番では、常に「半分ちょっと上」を取りに行く姿勢を持とう。「6割GET」が本番中の方針である。
しかし、「6割」を狙いにいくためには、「満点水準」がどのくらいのものであるのかを、ある程度はイメージする必要がある。そのため、以下では、「自分で書ける必要はないけれども、満点水準を追求すれば、このように書けるとベスト」という答案例を示しておく。
「高得点領域」の論点を収集するために、傍線部の直後もきちんと見ていこう(そもそも、傍線部の後ろを見ないで解答するということは、いついかなるときもしてはならない)。

〈傍線部直後〉
ベンヤミンは、情報の大量普及とその消費者の大量出現を前にして、物語が語りつがれるような手仕事的な速度の世界の廃墟をみていたのだ。

「のだ文」になっているということは、この一文は、直前の文に対する「後置説明」であるといえる。ということは、ここは、傍線部自体を「説明」したものだとみなしてよい。すると、

わたしたちは事件(情報)の消費者となる。
       
物語が語りつがれるような手仕事的な速度の世界が廃墟となる(のだ)。

という関係が成り立っていることになる。細かいことは異なるけれども、「大きく」みれば同じことを述べているからこそ、「のだ」という締め方ができるのである。
また、「ような」という表現にも注目したい。「ような」という表現は、直喩法の「比喩部分」を終えるときの〈ラベル〉である。ということは、「比喩」を用いてまで「言いたいこと」が、「ような」の後ろに書かれやすいのである。つまり、「手仕事的な速度の時間」というのは、解答に絡めるべき重要箇所である、と考えられる。ところが、「手仕事的な速度の時間」という表現は、〈課題文未読の第三者〉にとっては、まだ理解不能な表現である。したがって、ある程度「わかる」表現に換言しなければならない。「手仕事的」という表現は、〈⑩段落〉の内容をうけながら、〈⑪段落〉で説明されている。「手仕事的」とは、「経験」を基盤とした、「時間の厚み」のなかで、「物語」と「私」との接点を構築していく作業なのである。迂回的に見ていこう。
たとえば、私たちは、『ドラえもん』という物語に接する。ドラえもんのセリフや、のび太の行動などは、基本的に「解説されない」ものである。「なぜドラえもんが○○と言ったのか?」「なぜのび太が△△をしたのか?」といったことは、「私たち」が「類推」するのである。どうしてそのような「類推」が成り立つのであろうか? ――それは、「私の人生」が、心のどこかでつながっているからである。明示的、意識的ではないにせよ、その物語の世界に「私」を何らかのかたちで設置するからこそ、「類推」が可能になってくるのであり、そうであるからこそ、「物語」は大きな意味を持つのである。「物語」は、時によって、「それを読んだずっと後になってから、それの意味がなんとなくわかる」という経験をもたらす。いや、優れた物語というものは、概してそのようなものだと考えたほうがよい。「接した瞬間にはその話の意味がすべてはわからないもの」こそが、「物語」であると言ってもよいだろう。読者の経験世界に持ち込み、時をかけて熟成させることによって、ふっと「腑に落ちる」ことがある。そういうものが、「物語」なのである。

本文に戻ろう。この傍線部で述べられていることは、以上のような「手仕事的な時間」の「逆」なのであるから、「出来事に対して、経験を伴って、ゆっくり考える時間がなくなった」ということなのである。
以上のことから、「高得点のための語句」として、「経験」という語句を取り込んでおけるとよい。それが「失われた」ということに言及できれば、「手仕事的時間の喪失」という論点の取り込みが、果たされたことになる。なおその際、「知恵」「経験」は、どちらを書いても許容される。本文では、「知恵」と「経験」は、ともに「物語」側の語句であり、「情報」とは反対方向にある語句であるため、「知恵が失われる」ことと「経験が養われない」ということは、文脈上ほとんど同じ意味である。  
ただし、傍線部の次の文で「重要論点」とみなした「手仕事的な時間」ということの「意味内容」をきちんと取っていけば、先ほど『ドラえもん』の例を挙げて見てきたように、「経験」という語のほうが、「一致度」が強い。

手仕事の時間 ≒ 経験の時間

なのである。そのように、「受け手」の「経験」を伴わせることで、「受け手自身」の「解釈」が生まれ、それが「生きた知恵」となるのである。あるいは、その構造そのものが、物語が含み持つ「知恵」なのであると言ってもよい。以上のことから、「経験」と「知恵」であれば、どちらかと言えば「経験」と入れておいたほうがよい。機械的に読んでみても、「経験」という語のほうが、繰り返し登場していることから、そう判断してよいだろう。〈圧縮〉をかければ両方入れることもできるので、その解答も示しておく。

〈推奨答案〉
経験や知恵を養わず、出来事の即時的解釈を知るだけになること。30

参考にするため、〈東進の答案〉も示しておこう。

〈東進の答案〉
経験を養わず、継起するさまざまな出来事をただ知るだけになる。30

〈東進の答案〉は、直前部の「伝達されるやいなや解釈をほどこされ、語りつくされてしまう」という論点がまったく入っていない。表現的に見ても、「要するに」の直前にある論点を無視するのは得策ではないのだが、何よりも内容的に見て、次のことが言える。
傍線部の「消費者」とは、「商品を買う者」ということであるため、「売り手」が存在するのである。「解釈」や「伝達」などという語句を入れておけば、「ある出来事」を「自分で見聞きした」のではなく、「売り手から与えられた」のである、ということを示せるが、〈東進の答案〉のように、「継起するさまざまな出来事をただ知るだけ」と書いてしまうと、「売り手(情報の伝達側)」の存在にまったく言及していないことになってしまう。つまり、〈東進の答案〉のような説明だと、「自分で直に見聞きした出来事」であってもいいことになってしまうのである。そうなると、「消費者」の説明としては未熟であると言わざるを得ない。「商品の製造者」の側が存在することを示すことが大切である。

問7 イ 2  ロ 2  ハ 2  ニ 1  ホ 2  ヘ 1

選択肢イ

主張と逆である。「(物語の)語り手は、「かつて」「どこかで」生きられた経験を、「いまここ」で生きている者たちにむけて伝達する」と説明されている。つまり、「物語の語り手」が表現するのは、「かつて」生きられた経験であり、「いまここ」の経験を語るわけではない。

選択肢ロ

「瞬時に伝達できる」が逆。それは〈対比項〉である「メディア・情報」の長所である。

選択肢ハ

「記憶の貯蔵庫を一旦空っぽにする必要がある」が逆。それは〈対比項〉である「メディア・情報」の説明である。そうであるばかりか、本文では「空にしてしまう」と、結果が述べられているに過ぎなく、「空にする必要がある」とまでは述べられていない。「物語」の再生のためには、記憶し、あたため、学ぶ時間を取らなければならないのである。

選択肢ニ

本文に一致する。

選択肢ホ

「マスメディアの速報性が、~物語を生み出す契機」が逆。物語を生み出すのは、「ゆっくりと暇をかけて記憶のなかに蓄積され、時間の厚みのなかで発酵してゆく」ような〈退屈の経験〉である。

選択肢ヘ

本文全体のテーマに一致。