デューク

江國香織さんの小説「デューク」です。

問1

(a)無愛想(不愛想)

(b)雑踏

(c)喫茶

(d)閑静

(e)点滅

問2

(ⅰ)ア

いぶかしい」と書きます。意味は、「物事が不明であることを怪しく思うさま。疑わしい。」です。

(ⅱ)オ

「~ような」「ごとし」などがつくことによって、表現上、比喩であることがすぐにわかる比喩表現を「直喩法」といいます。

(ⅲ)イ

意味は、「好奇心から人と異なる行動をとること。物好きなこと」です。

問3 オ

正解の〈選択肢オ〉について、本文と選択肢の対応を考えてみましょう。

〈本文〉みょうに明るい声で「行ってきます」を言い、

〈選択肢〉強がって家を出た (言い換えOK!)

〈本文〉ドアをしめたとたんに涙があふれたのだった。
    泣けて、泣けて、泣きながら~

〈選択肢〉一人になると悲しみを抑え切れなくなった (言い換えOK!)

〈本文〉男の子が席をゆずってくれた。
    さりげなく私をかばってくれていた。

〈選択肢〉「少年」の思いやりのある態度 (言い換えOK!)

〈本文〉いつのまにか泣きやんでいた。
    気持ちがおちついてきた。

〈選択肢〉悲しみが幾分薄まってきた (言い換えOK!)

〈本文〉「コーヒーごちそうさせて」

〈選択肢〉このまま彼と一緒に過ごしたい (言い換えOK!)

「一緒に過ごしたい」とキッパリ書かれているわけではありませんが、「私」のほうから「コーヒーごちそうさせて」と言っているので、「このまま彼と一緒に過ごしたい」という心情は推論可能です。

この心情については、傍線部の直後もヒントになります。

〈本文〉
私たちは坂をのぼった。
坂の上にいいところがある、と少年が言ったのだ。

この描写をヒントに考えると、「少年がいいところがあると言ったから・・、私もついて行った」という文脈になります。「自分が・・・行きたいところ」ではなく、「少年が・・・行きたいところ」についていくということは、「少年そのもの」と一緒にいたい気持ちが行動に表れていると推論できます。

不正解の判断基準

選択肢ア

「どうしてよいのかわからなくなった」が「言い過ぎ」で×です。

泣いてはいますが、アルバイトに向かっているので、「どうしてよいのかわからない」とまでは言えません。

また、「お礼をすることがアルバイトより大事」が「根拠なし」で×です。コーヒーとオムレツをごちそうしている時点でひとまずお礼は果たしているので、「お礼」が「アルバイトを休む理由」にはなりません。

選択肢イ

「デュークの代わりとして愛する」が「根拠なし」で×です。「私」の視点において、この時点で「彼=デューク」の発想はまったくありません。

「悲しみから逃れられる」も「根拠なし」で×です。「悲しみから逃れたい!」という意志があるかどうかは、本文中から読み取ることができません。

選択肢ウ

「休む口実も思いつかない」が「根拠なし」で×です。「口実も思いつかない」というからには、それ以前に、「口実を考えようとしている描写」がなければなりません。しかし、「休もう! 口実を考えよう!」という思いや行動は本文中に示されていません。

選択肢エ

「楽しいことを見つけて気を紛らわそうとした」が「根拠なし」で×です。

また、「悲しみも癒え」が「言い過ぎ」で×です。「緩和」「薄まる」くらいの説明ならOKですが、「癒える」とまでは言えません。

また、「これから始まる新しい恋」が「言い過ぎ」で×です。少年に恋心を寄せている描写はこの時点では存在しません。

問4 エ

この問題は「問い方」に注意しましょう。

傍線部について、「この小説の中でどのような働きをしているか」と聞いているので、心情や人物像ではなく、「文章効果」にまつわる設問になっています。

私は泳げない。 → とつぜんぐんっと前にひっぱられ、~
私はどんどん泳いでいた。
~もうプールのまんなかだった。
三メートルほど先に少年~

見逃しがちですが、これは「不思議な現象」です。

「少年」が「私」の髪の毛をつかんで引っ張ったということか?

そうだとすると、「私」の髪の毛が3メートルほどあることになってしまいます。

だいたい、小説全体の雰囲気から考えて、ここだけそんなコントみたいな設定になるのは変ですね。

「少年」が「私」の髪をつかんで引っ張っているわけではなく、「何か不思議な力」によって、「私」は泳ぐことができた、ということですね。

ああ~。

そういうことなのか。

表現効果としては、この小説が「不思議な話」であることをほのめかしていることになります。

また、この少年が「不思議な存在」であることをほのめかしていることになりますね。

このように、「のちの展開に備えて、それに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと」「伏線」といいます。

くっきりと明示されていたら「伏線」にはなりません。それと気付かれないようにこっそり書かれていることが重要なのです。

たしかに、読者の立場からいうと、途中のあたりで「この少年って……もしかして……」ってなって、最後のほうで「この少年って……やっぱり、デューク?」って感じになるのが醍醐味だから、登場シーンとかで、「この席に座りなよ、ワンワン!」とか言ってたら台無しになるよね。

そうですよね。

「プールの出来事」の叙述は、「この小説」において「伏線」の働きをしています。

したがって、正解としては、〈選択肢エ〉の「少年が特別な存在であることを暗示・・している」という説明が最もよいです。

〈選択肢エ〉は、「神秘的な力によって」という説明がやや強引ですが、「泳げない私」が「糸でひっぱられるように泳ぐ」というシーンは、現実の物理法則を超えた力であるので、「神秘的」と説明することはぎりぎり可能です。

以上のことから、他の選択肢が「もっと×」なら、〈選択肢エ〉は十分正解になります。

不正解の判断基準

選択肢ア

「少年の指導によって」が「根拠なし」で×です。少年は泳ぎを「具体的に教えた」わけではありません。

選択肢イ

「泳ぎの嫌いな私」が「言い過ぎ」で△です。×にまではしきれない部分ですが、「泳げない」ことと「嫌い」は意味が十分に対応しているとは言えません。

また、「純真さを取り戻す」が「人物像のミス」で×です。「取り戻す」というからには、「私」が「純真ではない」様子がいったんは示される必要がありますが、「泣きながら電車に乗る」様子をみても、むしろ「私」は一貫して純真であると読解するほうが自然です。

選択肢ウ

「忘れていた水の感覚の素晴らしさ」が「根拠なし」で×です。「なつかしかった」という感想は、「プールの様子」に対して使われているだけであり、「私」が「水そのものの感覚」を忘れていたとは言えません。

「素晴らしさ」は、「泳ぐって、気持ちのいいことだったんだな」から読み取れそうに思えますが、ここでの「気持ちのいい」という感想は、「水の感覚」ではなく「泳ぐ」という行為に対してのものであるので、本文と対応しません。

選択肢オ

「擬似的に経験させられる」が「本文と矛盾」で×です。「私」は実際に泳いでいるわけですから、「擬似」ではありません。

以上の考察により、〈選択肢ア・イ・ウ・オ〉に決定的な×が入ります。

したがって、〈選択肢エ〉は本文で述べられていることに「最も近い」と考えられる。したがって、〈選択肢エ〉が正解です。

問5 ア

問い方(設問条件)には、常に注意をしなければなりませんが、この問題は特に注意です。

〈設問〉
「デュークはもういない。 デュークがいなくなってしまった」とあるが、この箇所が示している・・・・・「私」の心理状態はどのようなものか。

「この時」の「私」の心情が問われているわけではありません。

「この箇所が示している・・・・・・・・心理状態」が問われています。

ということは、「傍線部そのもの・・・・から読解できること」が解答の「核」になります。

 デュークが死んで、悲しくて、悲しくて、息もできないほどだったのに、知らない男の子とお茶を飲んで、プールに行って、散歩をして、美術館を見て、落語を聴いて、私はいったい何をしているのだろう。
 だしものは「大工しらべ」だった。少年は時々、おもしろそうにくすくす笑ったけれど、私はけっきょく一度も笑えなかった。それどころか、だんだん心が重くなり、落語が終わって、大通りまで歩いたころには、もうすっかり、悲しみが戻ってきていた。
 デュークはもういない
 デュークがいなくなってしまった

前後の文脈はもちろん大切ですが、「傍線部そのもの」から読み取れることが「解答の核」になります。

この傍線部そのものでは、「いない」「いなくなってしまった」と言っています。もちろん、選択肢の説明に「前後の情報」が補助的に入ってくることはありえますが、「解答の核」としては、「いなくなった」という表現そのものから読み取れることについて書かれていなければなりません。

そう考えると、〈選択肢ア〉の「喪失感」が「最もよい表現」だと言えます。

不正解の判断基準

選択肢イ

「何をしても気持ちが晴れない」が「本文と矛盾」で×です。少年といったプールや美術館で、いったんはある程度気持ちが晴れています。

ここは「悲しみ」が「もどってきていた」場面ですね。

選択肢ウ

「楽しい思いをすればするほど」が「本文と矛盾」で×です。直前の「落語」の場面では、「楽しい思い」をしていません。

「楽しい場所に行けば行くほど」であれば、本文に整合しているといえますが、「思いをしている」と言ってしまうのはNGです。

また、「腹立たしさ」という表現に注意しましょう。

たしかに「私はいったい何をしているのだろう」「私はけっきょく一度も笑えなかった」「心が重くなり」といった記述から、「自分に対する腹立たしさ」という解釈を導くことも可能ではあります。

しかし、設問条件は「傍線部が示している心理状態」というものです。「いなくなってしまった」という表現から、「腹立たしさ」は読み取れません。そう考えると、〈選択肢ウ〉には、傍線部そのものから読み取れる説明が存在しないことになります。

「腹立たしさ」という表現自体は、「補足事項」として入っているのであれば、×とはいえません。

選択肢エ

「少年の気持ちを大事にしようと努力」が「本文根拠なし」で×です。「努力」したと思われる箇所が見当たらないからです。

前半とのつながりで考えると「いらだっている」も×です。「私はいったい何をしているんだろう」といった箇所から、「いらだち」を読み取ることができないわけではありませんが、それは「少年と心が通い合わないから」ではありません。自分の行動に対するいらだちです。したがって〈選択肢エ〉は「因果関係のミス」ともいえます。

選択肢オ

「前向きに受け入れよう」が「本文と矛盾」で×です。直前に「もうすっかり、悲しみがもどってきていた」とあることから、「前向き」と判断することはできません。

また、〈選択肢ウ・エ〉と同様に、選択肢中の説明のどこにも、傍線部そのものから読み取れることがありません。

もしも、ここでの問いが、「このとき・・・・の心情は?」というものであったのならば、〈選択肢ア〉と〈選択肢イ〉を足したものが正解であると言えます。記述答案として長めに書けば、次のようなものになります。

記述想定答案

次々と楽しい場所に行く過程を振り返り、悲しみにそぐわない場所にいる自分に対して腹立たしく思ったことから、デュークの死に対する悲しみがよみがえり、「少年」といっしょにいてもなお、自分の中の喪失感をあらためて意識している心情。

京都大学などは、このくらい長く書く記述問題を出題します。

問6 ウ

この問題も、「この発言から読み取れる」とありますので、「解答の核」は、傍線部そのものから読み取れるものになります。

しかし、傍線部中に「それ」という「指示語」がありますので、その指示内容も含んでいる必要があります。

その点で、〈問5〉よりもやや発展したタイプの問題です。

「今までずっと、僕は楽しかったよ」
「今までずっと、だよ」
「僕もとても愛していたよ」

傍線部の直前にあるこれらの発言には、次のような違和感が残ります。

「今までずっと、僕は楽しかったよ」 
   「ずっと」? ⇒ 一日しかいないのに?

「今までずっと、だよ
       「だよ」? ⇒ わざわざ念押しをしているぞ!

「僕とても、愛していたよ」
 「も」? ⇒ 「私」のほうから「愛していた」なんて言っていないのに?

つまり、少年の発言は、「二人が長い時間をともに過ごしていたこと」が前提になっているのです。

また、「私」が「少年」を愛していたことが前提になっているのです。

そう考えると、「ズバリ!」の正解は〈選択肢ウ〉になります。

「ともに過ごした幸福な歳月を懐かしみ」が、「それだけ言いにきたんだ」の「それ」の指す内容に一致しています。

さらに、「じゃあね。元気で」という別れの言葉は、「惜別の気持ち」に対応しています。

「深い悲しみにこたえよう」という説明の部分はやや本文から読解しづらいのですが、「私」が悲しんでいることは事実であり、少年(デューク)がその悲しみに対して何とかしてやりたいと思っていることも推論可能です。

したがって、他の選択肢との比較のうえ、総合的に判断すると、〈選択肢ウ〉が正解になります。

不正解の判断基準

選択肢ア

◆「悔やみながら」が「話題なし」で×です。「少年」が「後悔している」と読解できる記述は存在しません。

◆「一日つきあってくれた」が「指示対象のミス」で×です。「少年」の発言の「今までずっと」は「今日の一日」を指している発言ではありません。だからこそ「だよ」と念を押しているのです。「ずっと」は「長い年月」を指していますので、「今までずっと」を「一日」ととらえてしまうのは誤りです。

選択肢イ

◆「あきらめかけながらなおも励まそう」が「話題なし」です。そもそも「励まそう」としているのかどうかも不明瞭です。仮にそうだとしても、「あきらめかけている」という記述は存在しません。

◆この選択肢は、「指示対象のミス」でもあります。〈選択肢イ〉は、「少年」の直前の発言を解答に活かしていないので、指示語の指す指示対象を把握しているとは言えません。

選択肢エ

◆「心が通じたことを喜び」が「指示対象のミス」である。〈選択肢ア〉と同様のことですが、「少年」の直前の発言には「今までずっと」とあるので、今日一日のことを意味しているわけではありません。

◆「また「私」に会えるだろう」が「本文と矛盾」で×です。「じゃあね」と対応しません。

選択肢オ

◆「一日のデートを通して」が「指示対象のミス」です。〈選択肢ア・エ〉と同様のことですが、「少年」の直前の発言には「今までずっと」とあるので、今日一日のことを意味しているわけではありません。

◆「「私」への愛着を断ち切ろうとするあきらめ」が「話題なし」で×です。

以上です!