
現存する本は鎌倉時代初期に書かれたものとされていますが、「源氏物語」や「枕草子」にもその名称が見られるので、物語の原型は10世紀末にはあったとされます。平安時代に書かれた写本が現存していないのでしょうね。
「姫君」は継母に結婚を妨害され続けて、住吉に身を隠すことになります。求婚していた「少将」は、いなくなった姫君を探し求め、「初瀬の観音」にお参りにいきます。「初瀬の観音」というのは、「長谷寺」の十一面観音像のことです。この「初瀬詣で」というのは、「枕草子」や「源氏物語」にも登場する、霊験あらたかなお参りなのですね。
このとき「少将」は「中将」に昇進しているので、本文では「中将」になっています。
かくいふほどに、秋にもなりぬ。住吉には、月日の積もりゆくままに、いとどあはれさもまさり、「いかになるべき身にか」とおぼし嘆く。尼君もうち泣きて、「わらはは残り少なき身に侍る。めでたうあたらしき御ありさまを、かかるあさましき柴の庵の内に押し籠め奉りて、はかなくなり侍りなば、いかにならせ給ふべき御ありさまに」と言ひつづけて泣けば、姫君うち泣きて、「世にあり経んと思ふ身ならばこそ」とて、泣きつつ過ごし給ふ。
このように言ううちに、秋にもなった。住吉では、月日が経っていくうちに、ますます悲しみも増え、「どうなるはずの身の上であるのか」とお思いになり嘆く。尼君も泣いて、「私は(人生の)残りが少ない身でございます。すばらしくもったいない(姫君の)お姿を、このような粗末な柴の庵の中に押しこめ申し上げて、(私が)死んでしまいましたなら、どのようにおなりになる御身の上であるか」と言い続けて泣くと、姫君は泣いて、「この世に生き続けようと思う身であるならばともかく(そうではない)」と言って、泣きながらお過ごしになる。

「あたらし」は、「(真価が発揮されていなくて)残念だ」という意味合いの形容詞です。「価値があるのに、その価値が十分に知れわたっていない」ようなときに用います。そのため、「もったいない」などと訳すことも多いです。
ここでは、「姫君」が「もっと世間で評判を集めていいはずのご様子」であるのに、「隠れ住んでいる」ということが「あたらし」なのですね。
「尼君」は、自分が死んでしまったら姫君はどうなってしまうのか・・・ということを嘆いています。
それに対して、姫君は「世にあり経んと思ふ身ならばこそ」と言っていますね。
これは「未然形+ば」であるので「仮定条件」として訳します。「もし、私が世に生き続けようと思う身の上であれば・・・」ということです。
それを「こそ」で強調しているので、この「仮定条件」は「強い仮定」なのですね。「強い仮定」というのはつまり、「現実から遠く離れている」ということなのです。

ああ~。
要するに、「もしも私が世に生き続けようと思う身の上なら、あんたが嘆くのもわかるけど、私自身、そんなにこの世にあり続けようって思ってないから、どうなってもいいのよ」っていうニュアンスなんだね。

そうです、そうです!
そのように、「未然形+ばこそ」っていうのは、「そうであればいいけど(or悪いけど)、実際はそうじゃないよね」という意味合いで使われるのですね。
「~であればともかく」と訳すことも多いですね。

よく「~ばこそあらめ」って出てくるよね。

「~ばこそ」と「~ばこそあらめ」は同じだと思って大丈夫です。「ばこそあらめ」の「あらめ」が省略されたのが「ばこそ」だと考えましょう。
「行かばこそ」でも「行かばこそあらめ」でも、「行くのであればいいが(or悪いが)」「行くのであればともかく」などと訳します。
中将は長月のころ、長谷寺に詣で給ひて、七日籠もりて、また異ごとなく祈り申させ給ひけり。七日といふ夜もすがら行ひ明かして、暁方に少しまどろみ給ふに、やんごとなき女房の、うちそばみてゐ給へるを見給へば、わが思ふ人なり。
中将は九月ころ、長谷寺にお参りになって、七日間籠って、また他のことはなく【姫君の居場所を知る以外のことはなく】お祈り申し上げなさった。七日という日数、一晩中勤行して夜を明かして、暁のころ少しまどろみなさると、高貴な女房が、横を向いて座っていらっしゃるのを(中将が)見なさると、自分の思う人【姫君】である。

「やんごとなし」は、「とても高貴だ」「とても尊い」という意味になりますね。
「やむ + 事 + なし」ということで、「(推したい気持ちが)止まらない」というニュアンスです。
みなさんも「尊い」と思う対象がある場合、ライブに行ったり、グッズを買ったり、「推し活」を「やめにする」ことってなかなかできないですよね。それが「やんごとなし」です。
そういった「高貴すぎる・・・」「尊すぎる・・・」対象を「やんごとなし」と表現するのですね。
うれしく、「かく悲しきことを思はせ給ふらん。いかばかり嘆くとか知らせ給ふ」とて恨み給へば、姫君、「かくまでおぼしめすとは知り侍らず。御心ざしのありさま、ありがたく見侍れば、参りつるなり。今は帰りなん」とて立ち給ふを、「いかに、おはしどころを知らせさせ給へ」とて、袖をひかへ給へば、
(中将は)うれしく、「(どうして)このように悲しいことを思わせなさるのだろう。どれほど(私が)嘆くとおわかりになるか」と言ってお恨みになると、姫君は、「これほど(私のことを)お思いになるとはわかっていません。お心のありさま、めったにないと思いますので、参上したのである。今はもう帰ろう」と言ってお立ちになるのを、「もしもし、いらっしゃるところをお知らせください」と言って、(姫君の)袖をお取りになると、

ここ難しいんですよね・・・。
「思はせ給ふらん」の「せ」は「使役」です。「~せ給ふ」のセットの場合、たいていは「尊敬の助動詞 + 尊敬語」(いわゆる二重尊敬)になるのですが、ここは文脈上「使役」で解釈します。

もしもこの「せ」が「尊敬」だと、「これほど悲しいことを(あなたは)お思いになっているのだろう」と訳すことになるけど、そうすると、セリフの後半の「どれほど(私が)嘆くとおわかりになるか」という部分とズレてくるし、セリフのあとの「恨み給へば」ともズレてくるね。
この「せ」を「使役」で解釈すると、「どうしてこれほど悲しいことを(私に)思わせなさるのか」と訳すことになるから、そうすると、「どれほど私が嘆くとおわかりになるか」とも意味のズレがないし、「恨み給へば」とも無理なくつながるね。

そうですね。
「中将」は、「姫君」に対して、「なぜ私にこんな悲しい思いをさせるのか?」と「恨み節」を述べているのですね。
ここでの「らん」は「現在の原因推量」という用法で、「これほど悲しいことをどうして私に思わせなさるのだろう」と訳します。「現在起きている現象」の「理由」を推量しているのですね。

ああ~。
「らむ(らん)」は、「今起きていることそのもの」について推量していれば「現在推量」で、「今起きていることの理由」について推量していれば「現在の原因推量」だったな。

そうです、そうです。ここでは「姫君が中将に悲しい思いをさせている」ことは、実際に起きていることですね。
そのように「起きていることがわかっていること」に「らん」がついている場合、その「原因」を推量している使い方です。
セリフの後半の「いかばかり嘆くとか知らせ給ふ」の「せ」は「尊敬」です。「尊敬の助動詞 + 尊敬語」のセットで「二重尊敬(最高敬語)」になります。
「二重尊敬(最高敬語)」は、地の文であれば「天皇」とか「中宮」とか「藤原道長」とか、めちゃくちゃ偉い人に対して用いるものですが、「セリフ」の中であれば、それほど偉くない人に対しても用いることがあります。

ああ~。
セリフだと、相手をたてようとして、レベルの高い敬語を用いることがあるってことなんだろうね。

そうですね。
「セリフのなかの二重尊敬(最高敬語)」は、「普通の貴族の行為にもつくことがある」というのは覚えておきましょう。
そのあとにある「知らせさせ給へ」の「させ」も「尊敬」なので、「尊敬の助動詞 + 尊敬語」の「二重尊敬(最高敬語)」ですね。
わたつ海のそことも知らずわびぬればすみよしとこそ海人は言ふなれ
海の底ともわからずに嘆いていたところ、住むのによい「住吉」と海人は言うようだ。

「わたつみ」というのは、もともとは「わた」が「海」の意で、「つ」が連体修飾の助詞で、「み」が「神霊」を意味します。つまり、「海の神霊」ということですね。
時代が下ると、「わたつみ」で「ひとつのことば」のようになっていきます。
ここでは「わたつみ」の「み」に「海」の字をあてていますね。
まあとにかく、歌の中に「住吉」という単語が出てきました。「いらっしゃるところをお教えください」という質問に対する歌なので、「居場所」を示していると解釈することができます。

ああ~。
どこかわかんなくて嘆いていましたところ、海の人は「すみよし(住むのによいところ)」って言うようだ・・・
という歌で、中将は、「海の近くの・・・スミヨシ・・・住吉か!」とわかったんだね。
とながめ給ふと聞き、御返事するとおぼして、うちおどろき給ひぬ。「夢と知りせば」と思ふに、悲しさ言ふはかりなし。「ひとへに仏の御教へなり。住吉を尋ねん」とおぼして、明けぬれば出で給ふ。
と歌を口ずさむと(中将は)聞いて、お返事をするとお思いになって、(そこで)目をお覚ましになった。「夢と知っていたならば(目を覚まさなかったのに)」と思うと、悲しさは言いようがない。「ひとえに仏のお教えである。住吉を訪ねよう」とお思いになって、夜が明けたところで出発なさる。

小野小町の歌に、「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」というものがあります。「思いながら寝るから、あなたを(夢に)見るのだろう。夢と知っていたら、覚めなかったのになあ」という意味ですね。
中将が思った「夢と知りせば」というのは、この歌を指しています。

ヒット曲を口ずさんだようなものだな。
山城の泉川より、御供の人を帰して、むつましくおぼしめさるる随身、舎人童なるを具して行き給ふ。御供には人あまたあれども、帰すなり。「精進ついでに、住吉、天王寺へと思ふなり。このよしを申されよ」とのたまへば、「さらに候ふまじきことなり。京よりこそ参り給はめ。さらずは、みな御供にこそ参り侍らん」と申せば、「いかにかやうには申すぞ。深く思ふやうあり。とくとく帰れ」と、あながちにのたまへば、おのおの帰りぬ。
山城の泉川から、お供の人を帰して、親しくお思いになっている随身、舎人童である者を連れてお行きになる。お供にはたくさんいるけれども、帰すのである。「精進のついでに、住吉、天王寺へ(参ろう)と思うのである。このいきさつを(私の親に)申し上げよ」と(中将が)おっしゃると、「決してあってはならないことでございます。(いったん戻って)京からお参りください。そうでなければ、みな(このまま住吉・天王寺まで)お供に参りましょう」と申し上げると、「どうしてそのように申し上げるのか。(私は)深く思うことがある。早く早く帰れ」と、強引におっしゃると、(お供の者たちは)それぞれ帰った。

中将は、親しくしている「随身」と「舎人童」だけを連れて行こうとします。
ほかのお供もたくさんいるのですが、その人たちは帰すのですね。

まあ、「長谷寺」への「初瀬詣で」までは、貴族がお供をたくさん連れていることは珍しくないけど、姫君が隠れ住んでいる住吉に大量の人間がぞろぞろ行ったら、目立っちゃってやりづらいよね。

まあそうですよね。
ただ、お供の者たちも、すんなり帰ってしまうわけにもいきませんから、「いっかい京都に戻ってから再スタートしましょう」とか言うんですけど、中将は「早く早く帰れ」と言って、強引にお供の者たちを京に帰すのですね。

こりゃあ、すごすごと帰ってきたお供の者たちは、「なんで帰ってきたの?」と「中将の親」にしかられるだろうね。
まあ、何にしても、住吉まで行ったときに中将が姫君に会えるといいね。

続きとしては、無事に会うことができて、京に戻って、子どもも生まれて、姫君にいじわるしていた継母は不幸になる、といったストーリーです。

ディズニー的世界観!
(以下余白)