
「なぜか」の問題です。
自然と人間
さて、今回は、〈対比の語句を裏返して利用する〉というテーマで学習したいと思います。
たとえば、
英語は論理的である。しかし、日本語はそうではない。
という意見があるとします。傍線部の説明を求められた際、
日本語は非論理的である。
と書くことは可能です。
このように、傍線部の説明が周囲に不足していると思われる場合にも、「対比」されている内容の表現を「裏返して利用」すると、説明がうまくいくことがあります。
例題を見てみましょう。
午前零時に東京の本郷を歩いていたヤドカリは、二時間後には湯島にさしかかっていた。その方角で歩いていけばまもなく上野、その先が浅草、そして東京湾に入る。そうか、ヤドカリは歩いて海に帰るつもりなのか。アスファルトの上でため息をつきながら、しかしその歩みは速かった。迎え入れてくれる海を目ざして、迷うことなく道を急いでいた。それはヤドカリの自由への逃走であった。
内山節『自然と労働』
あの汚れた東京湾より、もう少しマシな海に連れていってやりたいと僕は思い始めていた。(ア)何度か躊躇した後で、そのヤドカリを拾い上げた。家に連れて帰った。自由への逃走を挫折させられたヤドカリは、ひどく落胆してしまったようであった。餌も食べずに箱の隅でしょんぼりしてきた。
〈問〉傍線部「何度か躊躇した」とあるが、それはなぜか、説明せよ。
〈作業1〉「なぜ」が直接係るところを確認する。
「なぜ」の問題は、どこを「ゴール」にするのかを確認します。多くの場合、それは述語です。ここでは、「なぜ躊躇したのか?」と言えますので、「躊躇した」に至る理屈の道筋を答えることになります。
日本語論理では、「主語」や「目的語」といったものが、「述語の前提」として同程度の価値を持ちますので、「主語」や「目的語」の内容をくわしく説明すると、自ずと「なぜか」の正解になることも少なくありません。したがって、「なぜか」の問題は、「述語」の前提を探しつつ、それが「主語」や「目的語」と密接なつながりを持っているかについて気を配っておけるとよいです。
さて、この傍線部の論理関係はこうなります。
「僕(筆者)」 は 「ヤドカリを拾い上げること」 を 「躊躇した」
① ② ③
〈作業2〉〈結論〉に直接つながる〈理由〉を探す。
「躊躇」は「決心がつかずぐずぐずすること」ですから、なぜ決心がつかなかったのかを考えます。
なぜ「拾い上げること」の決心がつかなかったのでしょうか?
それは、その「拾い上げる行為」によって、「ヤドカリの自由への逃走」を中断させてしまうからです。せっかく自力で〈自由への逃走〉をしているのに、人間の手でその行為を邪魔してよいのか、という葛藤があったのです。
そのことがわかるのが、傍線部の直後の「挫折」という語句です。
「(ヤドカリを拾い上げることで)ヤドカリが自由への逃走をしていることを挫折させてしまうかもしれないから」
などと書くことができれば、〈直接理由〉の〈論点〉として得点が入ります。このように、最優先すべきキーワードは「挫折」です。
「挫折」とほぼ同じ論点として、「落胆」「しょんぼり」「気落ち」といった表現が文中に存在します。このうちのどれかを使用していれば、「ヤドカリにとってのマイナス点」を説明したことになります。ただし、「しょんぼり」は口語的なので、このまま使用することは避けたほうがよいでしょう。
〈作業3〉さらにその前提を探す。
「ヤドカリを挫折させてしまうかもしれない」という思いだけでは、「躊躇」という感情にはそのままつながりません。
「ヤドカリを拾うと、自由への逃走を挫折させてしまうことになるから。」というように、拾うことによるマイナス面にのみ言及してしまうと、筆者は、ヤドカリを拾わずに、あっさりと通り過ぎたほうがよかったことになってしまいます。
「躊躇」というからには、「どうしようかな……」という戸惑いの内容にふれなければならないのです。
その観点で本文を読むと、「あの汚れた東京湾より、もう少しマシな海に連れていってやりたい」という心情が確認できます。ここに言及すれば、
〈前提①〉汚れた東京湾より、もう少しマシな海に連れていってやりたい
〈前提②〉それはヤドカリの自由への逃走を挫折させてしまうことになるかもしれない
・・・だから、躊躇した(決心がつかなかった)
という論理が成り立ちます。
以上の考察によって、次のような解答が成立します。
解答例
筆者が、東京湾よりきれいな海へ連れていくために、ヤドカリを拾い上げてしまっては、ヤドカリが海を目指す自由への逃走を挫折させてしまうかもしれないと思ったから。
〈採点基準〉
筆者が、 (ないと減点)
東京湾よりきれいな海へ連れていくために、 ② 「マシな海」のままは①点
ヤドカリを拾い上げてしまっては、 ② 「ヤドカリの邪魔をする」なども可
ヤドカリが海を目指す自由への逃走を ② 「自由への逃走」のみは①点
挫折させてしまうかもしれないと思ったから。 ② 「落胆」「気落ち」なども可
〈注意点①〉
「挫折」は、「躊躇」したその瞬間には、意識になかった語句ではなく、解答に使用するには、時間の前後関係が逆になるのではないか、という疑問がわくかもしれません。しかしこう考えてみましょう。ヤドカリ自身が、「俺、落胆したよ」とか「マジで気落ちした。マジショック」などと発言しているわけではありません。これは、筆者から見て、そのように見えているだけなのです。ということは、「躊躇」した理由として、「落胆(気落ち)させてしまうかもしれない」という予感が含まれているのであり、そうであるからこそ、家に連れ帰ったヤドカリが落胆していたように見えたと読解するができます。もしも、「ヤドカリにとって幸福な心情を招く行為に違いない」と筆者が確信していたのであれば、「躊躇」する理由がなくなります。さっさと拾い上げてしまえばよいのですから。拾い上げる行為が、ヤドカリにとって一面の不幸を呼ぶと思ったからこそ、筆者はどうしようか迷ったのです。したがって、「挫折」「落胆」「気落ち」といったマイナス面の論点は、「躊躇」した時点で想像していた感情として判断し、答案に書き込んだほうがよいでしょう。
〈注意点②〉
答案において、「マシ」という表現は使用しないほうがよいです。話し言葉(俗語)であるからです。「汚れた東京湾よりマシ」というのであるから、「東京湾よりきれい(清潔)」などと説明することが可能です。対比されている語句が本文にあれば、それを裏返して記述することが許されます。

対比されている語句をうまく利用してまとめよう。