ある課題文があり、その途中に傍線が引かれ、「どういうことか」または「なぜか」という問いが設置される形式が、現代文の典型的な問題です。
この際、「本文中の語句を用いる」のか、「本文中にはない語句を用いる」のか、という異なる二つの態度があります。これについては、指導者によって意見が分かれるところです。
意見が分かれる理由は、どのような答案を作成していくのか、という方向性の違いによります。
「自分のことば生成派」は、採点者がうなるような、秀逸な答案をつくろう、というスタンスです。
「本文の語句使用派」は、満点に届かなくていいから、部分点をもらい、合格点を超えよう、というスタンスです。
このように、やや対立的な二つのスタンスがありますが、合格していく受験生の再現答案を見る限りでは、後者が多いのは事実です。つまり、一般的には、本文の語句を使用していくほうが、部分点を得ていると言えます。なぜなら、「自分のことば」にしすぎてしまうと、かえって本文の意味とは遠ざかってしまい、「深読み」とみなされ、減点されることがあるからです。
しかし、その一方で、高得点を取っている受験生の再現答案を見ると、かなり柔軟に〈自分のことば〉を駆使していることがわかります。「本文の語句」のみを寄せ集めたように答案を作る方針ですと、たしかに〈論点を収集した〉という観点での部分点は取りますが、やはりそれは部分点の集合に過ぎず、「高得点」には至っていません。
さて、〈自分のことば〉と言っても、大きく分けると、次の4種類があります。
①圧縮
下書きが長くなったので、自身の語彙力で〈圧縮〉する。その際、〈課題文にない語句〉を生成する場合がある。
②一般化
具体的な事例が列挙されている部分が答案に必要であるとき、自身の語彙力で一気にまとめる。つまり〈抽象化〉であるが、この作業のことは〈一般化〉と呼ぶことが多い。
③比喩解読
答案に必要な論点の中に比喩的な表現が混入しており、その具体的な置き換えが課題文中に存在しないとき、自身の語彙力でその実態を書く。
④語義説明
傍線部内の難語の語句としての意味内容を、辞書的説明を援用して書く。
①については、次のような場合です。
〈課題文〉つまるところ、言語は一種の記号と判断してよいといえるのではないだろうか。
〈答案〉言語は一種の記号とみなせるということ。
このように「圧縮」する際には、自身の語彙力を駆使した調整は必要です。(特に「ひらがな」は削っていく姿勢が必要です)
②については、次のようなケースです。
〈課題文〉ある国、地方、地域といったまとまりの言語、建築、習慣、衣服、働き方、法律といったもののすべてが歴史に規定されている
〈答案〉ある社会集団の文化はすべて歴史に規定されている
この場合は、字数があればそのまま書くことができますが、欄からはみ出してしまうのであれば、「言語、建築、習慣、衣服、働き方、法律」といった長い部分は、思い切って「文化」などとまとめる必要があります。この場合は、「文化」という語句が本文になくても、そのように書き換えるべきです。この作業を〈一般化〉と呼びますが、難関国公立大学の中には、この〈一般化〉の力を見たいと繰り返し表明しているところもあるくらいです。
③④については、別記事で書きます。