くり返しくり返しうそをつかなければならなかった

「なぜか」の問題です。

日本人と嘘

書籍は1978年刊行のものですが、現在に至るまで共通する重要なことが示されている論考です。

この本の中に、「子どもがうそをつく」ということの本質を、イソップ童話の「オオカミ少年」にたとえて説明した箇所があります。

「オオカミ少年」は有名な話ですが、話の概要は次のとおりです。

「嘘をつく子供」(うそをつくこども)とは、イソップ寓話のひとつ。「羊飼いと狼」または「オオカミ少年」というタイトルの場合もある。

羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が来た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。だまされた大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられてしまった。

wikipedia より

さて、「オオカミ少年」の話を土台にして、『日本人と嘘』の中では、以下の考察がなされます。

 子どもは、つねにおとなが考えているよりもおとなである。そして、いつも、おとなの仲間入りを願望している。一個の人格として認められることを切望している。それがふみにじられ、現実の子どもの位置にすえ置かれることに耐えられない。この少年の心理は、分析すれば右のごとくになる。彼にとって、「オオカミが来た」と叫ぶことは、おとなの社会に参加する通行切符をそのつど手に入れることであり、彼の存在が村民たちに認められることである。羊飼いをしている時間の、孤独なさびしさに耐えきれなくなったとき、彼は人間社会への復帰を、人間としての復権を切望して、「オオカミが来た」と何度も叫んだのである。

檜谷昭彦『日本人と嘘』

「オオカミ少年」の中では、少年が「オオカミが来た!」と嘘をつくことで大人が大騒ぎします。それを見て少年は面白がる様子が描かれています。

しかし、この少年には、そうせざるを得なかった切実な事情がありました。孤独だったのです。誰かに相手にしてほしかったのです。彼にとって、周囲の人々に相手にしてもらえる手段は、「オオカミが来た」と嘘をつくことだったのでしょう。

「相手にしてもらう手段」をもっといろいろ知っていれば、嘘をつかなくてもよかったのかもしれません。しかし、少年にとって、それが最も手軽であり、また唯一ともいえる方法であったのだと思われます。

傍線部

さて、ある学校は、次の部分に傍線を引きました。

 村人は、何度も「オオカミが来た」ということばに驚かされて、現場に飛んでいった。それはそのことばのなかに、現実の恐怖と、羊の損失という実在感があったからである。おとなたちの心のなかに、この情報を知らせた少年についての存在感はない。そしてこの情報がやがて虚報であると知ったとき、村人たちの心を占めていた、オオカミの群れへの恐怖と羊の損失という実在感は消滅する。
 しかしまた、右に説いたようにこの寓話をやや文学的にとらえれば、つまり、子どものうそという観点から解釈してみれば、なぜ少年がくり返しくり返しうそをつかねばならなかったかを、疑問としなかった結果であると読むこともできる。そう理解すればこの寓話は、子どものうそにたいするおとなの関心の希薄さを戒める物語として現代によみがえるのではないか。

実際には選択肢問題でしたが、今回はそれを記述問題として考えてみましょう。

〈問〉傍線部について、なぜ少年は「くり返しくり返しうそをつかなければならなかった」のか。理由を説明せよ。

「なぜか」の問題なので、結果(結論)に対して、前提がつながっていくように説明します。

理由には、主に、以下の4パターンがあります。

①原因 因果関係の「因」を答えるもの
②意図 目的を答えるもの
③論拠 なぜそういえるのかについての説明
④経緯 いくつかの前提を順序通り並べるもの

多くの場合、①なら①、②なら②を答えることになりますが、まれに、①と②が複合的に求められている問題があります。

そして、本問はまさにその①+②のパターンです。

論点収集

答案に必要な情報を集めていきましょう。

彼にとって、「オオカミが来た」と叫ぶことは、おとなの社会に参加する通行切符をそのつど手に入れることであり、彼の存在が村民たちに認められることである。

という部分は、「意図」にあたります。

「少年」は、「おとなの社会に参加したい」「存在を村民たちに認めてほしい」という目的があるゆえに、何度も「オオカミが来た」と叫ぶのです。

羊飼いをしている時間の、孤独なさびしさに耐えきれなくなったとき、彼は人間社会への復帰を、人間としての復権を切望して、「オオカミが来た」と何度も叫んだのである。

という部分は、「原因」にあたります。

「少年」は、「孤独」であり、そのさびしさに耐えきれなくなるからこそ、「オオカミが来た」と叫ばざるをえなくなったのです。

「人間社会への復帰を、人間としての復権を切望して」という部分は、前の部分の「おとなの社会に参加する」「彼の存在が村民たちに認められる」という表現と内容的には一致していますので、どちらを書き込んでも「論点」は拾えたことになります。

しかし、「復帰」「復権」という表現は比喩的であり、具体的なイメージをつくることのできない「ぼんやりした表現」なので、答案の構成要素としては不向きです。この論点に関しては、「おとなの社会に参加する」「彼の存在が村民たちに認められる」という表現のほうを採用したほうが、得点は高いと考えましょう。

下書き

少年は、羊飼いの孤独なさびしさに何度も耐えられなくなり、その都度、おとなの社会に参加する通行切符を手に入れ、自身の存在が村民たちに認めれるようにしたから。

修正点

上記の答案でほとんど完成していますが、「通行切符」は明らかな比喩です。

明かな比喩は答案に持ち込まない。

という原則にしたがい、その比喩が何を意味しているのかという「ほんとうのこと」のほうを書きましょう。比喩はただカットするのではなく、その比喩によって意味されている「実態」を書くことが大切です。

「通行切符」は、意味内容としては「そこを通るための資格・権利」ですから、「資格」とか、「権利」といった熟語にすることができます。その変換によって、比喩を回避したことになります。

本文中に「復権」という表現がありますので、「権利」のほうが本文との整合性があり、減点の危険が少ない表現であると言えます。とはいえ、意味としては 「資格」でも十分通じますから、同じ点数が入ると考えられます。

解答例

少年は、羊飼いの孤独なさびしさに何度も耐えられなくなり、その都度、おとなの社会に参加する権利(資格)を手に入れ、自身の存在が村民たちに認めれるようにしたから。

「何度も」という情報を答案に含んでおくのは重要なポイントです。傍線部には「くり返しくり返し」とありますから、この少年は「何度も」孤独なさびしさに耐えきれなくなったと読解するのが適切です。