行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である。

「どういうことか」の基本

基本的な作業を徹底すると答案化できる問題を見てみましょう。

設問

傍線部「行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅である」とあるが、それはどういうことか。

 住宅は「暮らし」の空間である。「暮らし」の空間が他の目的を明確にもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれることにある。何かを見つめながらまったく別の物思いにふけっている。食事をしながら、おしゃべりに興ずる。食器を洗いながら、子どもたちと打ち合わせをする。電話で話しながら、部屋を片づける。ラジオを聴きながら、家計簿をつける……。食事、労働、休息、調理、育児、しつけ、介護、習い事、寄りあいと、暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている。これが住宅という空間を濃くしている。
 住宅は、いつのまにか目的によって仕切られてしまった。リヴィングルーム、ベッドルーム、仕事部屋、子ども部屋、ダイニングルーム、キッチン、バスルーム、ベランダ……。生活空間が、さまざまの施設やゾーニングによって都市空間が切り分けられるのとおなじように、用途別に切り分けられるようになった。当然、ふるまいも切り分けられる。襖を腰を下ろして開けるというふうに、ふるまいを鎮め、それにたしかな形をあたえるのが住宅であったように、歩きながら食べ、ついでにコンピュータのチェックをするというふうに、(注意されながらも)その形をはみだすほどに多型的に動き回らせるのも住宅である。行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げているのが、現在の住宅であるかつての木造家屋には、いろんなことがそこでできるという、空間のその可塑性によって、からだを眠らせないという知恵が、ひそやかに挿し込まれていた。木造家屋を再利用したグループホームは、たぶん、そういう知恵をひきつごうとしている。

鷲田清一「身ぶりの消失」 センター試験

論点収集

それでは、解答に必要な論点を集めていきましょう。

前置き(前回の問題との連関)

ひとつ前の問題において、「人と人」の関係は〈核心的論点〉ではなく、やはり「人とモノ(家屋)」の関係こそが、〈核心的論点〉になるべきである、と述べたことには理由があります。それは、今回の問いにかかわる「最後の2段落」が、「住宅」についてまとめられていることです。

最後は「家の構造」の話なのです。ということは、その「呼び水」としての役割を果たすひとつ前の問題は、やはり「空間」を中心的話題にしていると考えなければ、段落同士の関係が「ぶつ切り」になってしまいます。

ここで、今回引用した段落の「始まり方」に着眼してみましょう。どちらも、なんのラベルも貼られずに、「住宅は~」と始まっています。もしも段落の冒頭に、

ところで
さて
いずれにせよ
しかしながら
とはいえ

といった、「前の段落との話題の区切り」を示すラベルが貼られていたら、もちろん「話題は切れた」と考えてよいことになります。しかし、何の論理記号も置かれなければ、話題は原則的には連結しています。この2つの段落では、どちらも、「住宅」という語を冒頭に置いています。重要でない語がそのような場所に来ることはありません。これは「話題」というよりも、この周辺部分の「主題」です。

その観点で遡れば、ひとつ前の問題も、「住宅」という「空間」を主題にして語るための「前座」と受け止めるべきでしょう。

倒置の修正

前置きが長くなり過ぎましたが、今回の〈問〉を解いていきましょう。

これは、

主題提示
 ↓
主題の概念規定結論の前提)
 ↓
結論の書き換え

という〈典型的手法〉で正解を構成できるスタンダードな問題です。

さて、傍線部の倒置を修正すれば、

現在の住宅は、行為と行為をつなぐこの空間の密度を下げている。

となります。

文の主題の確認

まず確認すべきことは主題(文のテーマ)です。主題は「現在の住宅」であり、これは絶対に答案に書き込まなければなりません。

曖昧な部分の確認

次にすべきことは、傍線部内の「意味不明なポイント」をきちんと説明表現に書き換えることです。ここで最も「意味不明」なのは「密度」です。

とりあえず「この」という指示語があるため、「前」を点検していくことになります。そうすると前段に「濃く」という、「密度」と対応する語が発見できます。これは、「密度(が高い)」の同義表現であると考えられます。

論と例の対応

さて、ここには、注視しなければならない構造がありあす。〈説明/例示/説明〉のサンドウィッチ構造です。

「暮らし」の空間が他の目的をもった空間と異なるのは、そこでは複数の異なる行為がいわば同時並行で行われることにある。

何かを見つめながらまったく別の物思いにふけっている。食事をしながら、おしゃべりに興ずる。食器を洗いながら、子どもたちと打ち合わせをする。電話で話しながら、部屋を片づける。ラジオを聴きながら、家計簿をつける……。食事、労働、休息、調理、育児、しつけ、介護、習い事、寄りあいと、

暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている。これが住宅という空間を濃くしている。

「濃く」という「密度」に対応する表現に着眼すると、「これ」という指示語をたよりに、「暮らしのいろいろな象面がたがいに被さりあっている」という情報を重要視することができます。

客観的説明表現の拾い出し

ただし、この表現が何を言いたいのか、いまいち不明瞭です。そこで、「サンドウィッチ構造」になっていることをたよりに、例示の始まる前を見ていくと、「複数の異なる行為がいわば同時並行でおこなわれる」と説明されています。

この論点を拾いましょう。同じ空間で、同時に複数の異なる行為を行うからこそ、「密度」は濃くなるのです。

では、現代の住宅では、なぜこの「密度」が下がってしまうのでしょうか。それは、「目的によって仕切られてしまったから」です。このことは、〈主題〉である「現代の住宅」の概念を規定するとともに、〈結論〉である「空間の密度を下げている」の「前置き」としても機能します。つまり、主語から見ても、述語から見ても、密接なつながりをもつ情報ですから、「主語と述語をつなぐ重要な論点」として拾うべきです。

対比の補充

答案には、最後に補足として、対比されている「木造家屋」の性格も取り込んでおけば完璧です。傍線部直後では、「木造家屋」の特性として、「いろんなことがそこでできるという空間の可塑性」が挙げられていました。「可塑性」とは、「いろいろなものにかたちを変えられること」です。

解答例

以上のことから、次のような解答が成立します。

目的に応じ仕切られた現在の住宅は、多様な行為を許容する空間の可塑性をもたず、同じ空間で同時に複数の異なる行為をするという濃密なふるまいが減少しているということ。

採点基準

現在の住宅          (ないと減点)
目的に応じ仕切られ           ②
多様な行為を許容する          ②
空間の可塑性をもたず          ②
同じ空間で同時に複数の異なる行為をする ②
濃密なふるまいが減少している      ②

正解の選択肢

実際の〈正解の選択肢〉も見ておきましょう。

現在の住宅では、仕事部屋や子ども部屋など目的ごとに空間が切り分けられており、それぞれの用途とはかかわらない複数の異なる行為を同時に行ったり、他者との関係を作り出したりするような可能性が低下してしまっていること。

唯一ひっかかるのが「他者との関係を作り出したりするような可能性」という表現です。「こんなこと言ってるかな?」と思いがちなところではありますが、前段の例示の中に「おしゃべり」「打ち合わせ」「話し」といったコミュニケーションを示す表現が出てきますので、「ここから作ったのだな」という根拠自体はあります。つまり、「解釈の入口」自体は本文にあるので、やや深読みの印象はあっても、この部分を×にはできません。

ただし、現在の住宅でもコミュニケーションがとれないわけではありません。目的ごとに用途が区切られているからといって、「他者関係の構築の可能性が低下する」とまでは言っていないのです。ここの論点はあくまでも「複数の行為を同時並行でおこないにくくなった」ということに尽きます。「他者関係が構築しにくくなった」というのは、この部分に関していえば「深読み」であり、解答には蛇足であると考えられます。

〈補足〉

解答作成者の中には、「別に……現在の住宅だって、電話で話しながら部屋を片づけたりするから、複数の行為を同時に行わないわけじゃないけどな……」と感じる人もいるでしょう。いや、むしろそう思う人のほうが多いかもしれません。しかし、鷲田は「密度」が「なくなった」と述べているわけではなく、「密度」が「下がった」と述べています。ここに注意しましょう。つまり「濃かったもの」が「薄く」なったのです。本文にはほんの少し、かすっている程度にしか言及されていないので、歴史的・文化的背景をふまえながら、解釈をしてみましょう。「解釈の入口」は「可塑性」です。

かつての木造家屋は、それこそ部屋を「何にでも使った」と言えます。「書斎」「応接間」「寝室」といった区別のない家屋が多かったからです。そこには、ただ「間」があるのです。したがって物理的な「間」の数が少ない家屋であると、「食事」も「就寝」も「団欒」も「勉強」も「読書」も「ままごと」もすべて同じ部屋でおこなった家も少なくありません。江戸の流れを引き継いだ東京下町の家屋もそういったものが少なくなりませんでした。

さて、現在のセパレートされた住宅とは異なり、ひとつの「間」を多様な用途使用する家は、そもそも行為が多くなるのです。ふとんを畳んで大きな風呂敷に包み、梁に吊り下げ、その下で膳を囲んだ家もあります。そのような家では、ふとんを畳み、包み、吊り下げ、膳を運び、また戻し、客が来れば座布団を出し、帰ればしまい、箱から書物を引っぱりだし、読み、また箱にしまい、夜になればふとんを下ろし、ひき……といった「作業」が、きわめて多くなります。もちろん「寝室」があり、「応接室」があり、「書斎」がある現在の住宅であれば、そういった一連の「作業」はだいぶ軽減していることになります。

そういった、かつての流れを汲んだ木造家屋では、今なお、「ちゃぶ台を壁に立てかけて、そこにふとんを敷く」といった作業をしています。テーブルを置きっぱなしでいい家屋とは異なり、そこでは毎日毎日「ちゃぶ台を上げる」という行為が生成されています。だからこそ、複数の行為が並行化するのです。行為がたくさんあるからこそ、

「ちゃぶ台の足を跳ね上げ、壁に立てかけるその勢いを利用し、押し入れからふとんを引っぱりだし敷くとともに、その反動を利用して赤ちゃんのおむつを取り替え、耳ではラジオから流れる明日の天気予報を聴き、明日が雨であることを知るやいなや、あんたー、玄関に傘出しておいてーと叫びつつ、赤ちゃんのおむつのマジックテープを貼っているまさにその右手の肘で、ラジオのスイッチを切る」

というような、「マルチタスク」が行われるのです。やることが多いから、「マルチタスク」にならざるを得ないということです。そして、なぜやることが多いのかというと、部屋が多用途であるから、すなわち部屋が可塑的であるからです。その部屋の「変身」に多くの行為を伴うため、「寝るときは寝室に行きベッドに横たわるだけ」という家屋よりも、同時にいろいろやらなければならないのです。ここでみたような、「母親が赤ちゃんのおむつのマジックテープをとめながら、その肘でラジオのスイッチを切る」といったような「身体技法」は、この「忙しさ」が生み出した「ふるまい」なのです。筆者は、こういった、家屋に促される「ふるまい」というものの「意味と価値」に着眼しており、そこで文章が終わります。

もちろん、ここまで細かくは書かれていないので、このようなことを解答に含むことはできませんが、時間さえあるのであれば、「読解」においては、このくらいのイメージを伴いつつ、解釈をすることも重要な営みです。本文にきっぱりとは書いていない事柄を答案に使用できないということを承知しつつも、読解においては、自分で例を考えながら読んでいくことは、とても大切な方法の一つです。