落語の国の精神分析

(一)

傍線部は、「このこころを凍らせるような孤独」です。

分解すると、

①この/②こころを凍らせるような/③孤独

となります。

①が指示語であり、②が比喩です。そこをしっかりと説明することで基礎点を取りましょう。

直前の部分を見ておきます。

 多くの観衆の前でたくさんの期待の視線にさらされる落語家の孤独。たったひとりの患者の前でその人生を賭けた期待にさらされる、分析家の孤独。どちらがたいへんかはわからない。いずれにせよ、彼らは自分をゆさぶるほど大きなものの前でたったひとりで事態に向き合い、そこを生き残り、なお何らかの成果を生み出すことが要求されている。それに失敗することは、自分の人生が微妙に、しかし確実に脅かされることを意味する。客が来なくなる。患者が来なくなる。

主語(主題)

さて、ここでは「落語家」と「精神分析家」が、どちらも「主語」になります。それぞれ説明していくと、主語がたいへん長くなりますね。

〈ポイント〉 完全枚挙 か 一般化

同じ価値をもって並んでいる複数のものを答案に出すときは、
① 複数のものを書ききるか、 (完全枚挙)
② 抽象化してまとめる。   (一般化)


どちらでもよいが、文字数の都合上、②になることが多い。

同じ価値をもって並んでいる複数のものは、片方を書いて片方を書かないという手段はとりません。

書くなら両方書きます。あるいは、一気にまとめます。

この設問であれば、以下の①②のどちらかで主語をつくりましょう。

①完全枚挙
観衆の期待の視線にさらされる落語家も、患者の人生を賭けた期待にさらされる分析家も、~

②一般化
落語家も分析家も、観衆や患者からの期待に応え、~
(落語家も分析家も、自分に期待をかける他者からの要求に応え、~)

②の書き方は、落語家と分析家の特徴を、共通項を抽出するかたちでまとめています。

①と②の書き方は、採点上の優劣はありません。ただし、解答欄から推察される制限字数を鑑みると、東大であれば②の書き方が推奨されます。京大であれば①でも書くことができます。

こころを凍らせるような

主語(主題)は設定できたので、「こころを凍らせるような」という比喩を解除しましょう。

「こころを凍らせるような」という語感からイメージできることは、「恐ろしい」「ぞっとする」といったニュアンスです。それが表現されている箇所を探しましょう。

 多くの観衆の前でたくさんの期待の視線にさらされる落語家の孤独。たったひとりの患者の前でその人生を賭けた期待にさらされる、分析家の孤独。どちらがたいへんかはわからない。いずれにせよ、彼らは自分をゆさぶるほど大きなものの前でたったひとりで事態に向き合い、そこを生き残り、なお何らかの成果を生み出すことが要求されているそれに失敗することは、自分の人生が微妙に、しかし確実に脅かされることを意味する。客が来なくなる患者が来なくなる

「落語家も、分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、客や患者が来なくなるという点で自分の人生が脅かされる」と説明されています。

この「自分の人生が脅かされる」という論点に言及できれば、「こころを凍らせるような」という比喩を解除したことになります。

孤独

最後に「孤独」です。「孤独」は、「客観語」であるので、語そのものは、そのまま書いても問題ありません(減点されません)。

「語」を言い換えるよりも、「たった一人で観衆や患者の期待に応えなければならない」という内容面の補充のほうが重要です。

つまり、「設問と傍線部以外を読んでいない第三者」に対して、「本文ではどういったことを孤独とみなしているのか」という実態を追加することが大切なのです。

以上により、次のように書くことができれば、十分合格点です。

合格答案

落語家も、分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、客や患者を失い、自分の人生が脅かされるという孤独のこと。

続いて、〈上位合格答案〉についてもふれておきます。

「設問」が「どういうことか」となっている点に注目してみましょう。

「孤独」は「体言」ですから、普通は「どういうものか」と問われるはずです。しかし、ここでは、「~ことか」と問われています。つまり、「動作・状態」で答えるような問い方になっているのです。

これは、「述語化してよい」または「述語化してほしい」というメッセージであると考えましょう。

このような設問の際、多くの場合、「体言」を「述語化」したような表現が本文中に存在します。

その観点で本文中から探すと、「たったひとり(で事態に向き合う)」といった表現があります。これが「孤独」の「動作・状態」的表現であると判断できます。

上位合格答案

落語家も分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、客や患者が来なくなり、自分の人生が脅かされるという事態に、一人で向き合わねばならないということ。

こうすることで、「孤独」という語が答案から消えました。

先ほど、課題文の別個所を参照しなくても意味が通じる客観語は、内容を追加することのほうが大切であり、「語そのもの」は言い換えなくても減点されないと述べましたが、それはあくまでも「減点されない」ということにとどまっているので、加点をねらいにいくなら「言い換え」をしたほうがよいです。この答案内での「一人で向き合う」という表現は、「孤独」の言い換えとして適切ですので、いっそうの加点が見込めることになります。

では、時間に余裕があれば、「さらに追加点」の志を持ち、表現の吟味をしましょう。

答案内の「観客や患者」と「客や患者」は、同内容の表現であり、それぞれに加点はつきません。つまり、情報の量としてもったいないので、次のように「論点追加」をして充実した答案を目指します。

トップレベル答案

落語家も分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、対価を得る相手を失い、自分の人生が脅かされるという事態に、一人で向き合わなければならないということ。

〈採点基準〉⑥
落語家も分析家も、             (ないと減点)
観衆や患者の期待に応え、             ②
成果を生み出すことができなければ、        ①
対価を得る相手を失い、              ①
自分の人生が脅かされるという事態に、       ① 
一人で向き合わなければならない          ①
ということ。

〈参考〉卒業生の答案

落語家も分析家も、過剰なほどに注がれる他者からの期待にさらされながら、何らかの成果を生み出すという要求に、自身の人生を守るため、たった一人で応えているということ。

5/6レベル!

「自身の人生を守るため」がやや抽象的ですが、他はGOOD!

(二)

この設問のポイントは、

指示語や接続語といった「つなぎことば」が「ない」部分は、基本的に同一内容とみなす。

ということです。     

 しかも落語という話芸には、他のパフォーミングアートにはない、さらに異なった次元の分裂の契機がはらまれている。それは落語が直接話法の話芸であることによる。落語というものは講談のように話者の視点から語る語り物ではない。言ってみれば地の文がなく、基本的に会話だけで構成されている。端的に言って、落語はひとり芝居である。演者は根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化する。根多に登場する人物たちは、おたがいにぼけたり、つっこんだり、だましたり、ひっかけたりし合っている。そうしたことが成立するには、おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者としてその人物たちがそこに現れなければならない。落語が生き生きと観客に体験されるためには、この他者性を演者が徹底的に維持することが必要である。(イ)落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する私の見るところ、優れた落語家のパフォーマンスには、この他者性の維持による生きた対話の運動の心地よさが不可欠である。それはある種のリアリティを私たちに供給し、そのリアリティの手ごたえの背景でくすぐりやギャグがきまるのである。

傍線部の直前には、「つなぎことば」が何もありません。

ということは、傍線部(イ)の文と、その直前の文は、原則的に同一内容です。

さて、その直前の文に、「この」という指示語がありますから、この問題は結局「指示語問題」なのです。

得点のほとんどは、「この他者性」の「この」の指している部分を過不足なくまとめることで得られると考えましょう。

合格答案

落語家の自己は、根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化し、おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者として現れた状態で維持されるということ。

「分裂」というからには、「かわるがわる複数の人間になる」という説明では足りません。「複数の他者が現れた状態でキープされている」からこそ「分裂」なのです。その点で、「維持」は重要なキーワードとして答案に取り込みましょう。

〈ポイント〉
傍線部「外」の「熟語」のうち、傍線部と明らかに密接にかかわっている「熟語」は、積極的にそのまま(熟語のまま)答案に組み込む。

「キーワードの指摘」が設問意図に含まれている場合があるので、傍線部の「外」の熟語は、熟語のまま書いてかまいません。

ただし、脈絡なく答案に書き込むだけでは得点になりません。今回の場合、「複数の人間性を保つ」というニュアンスで「維持」を使用できると、加点が見込めます。

では、〈上位合格答案〉を検討しましょう。

「どういうことか」の問題は、「述部」を説明していくことが最重要ではありますが、それだけで高得点になるほど甘くはありません。

「傍線部の主語」と、「先ほどの答案の主語」を見比べてみましょう。

〈傍線部〉落語家の自己は
〈答 案〉落語家の自己は

まったく同じです。ここに「説明不足」が発生しています。

「落語家」も「自己」も、比喩ではなく、客観的な語ですから、言い換えたくてもなかなか難しいものです。

先ほど、傍線部内の語は、原則的には言い換えたほうがいいということを述べましたが、さすがに、「それ以上わかりやすく言い換えるのは不可能な言葉」というものは存在します。たとえば、「落語家」をそれ以上簡単に言い換えるのは非常に困難ですね。

このような語を「説明」する場合には、言い換えというよりは、「補足」のほうに意識を向けてみましょう。

現実の事例で考えてみます。

たとえば、立川志らくは「落語家」ですが、志らくはいつもいつも複数の他者を同時に抱え込み、分裂しているのでしょうか?

「ひるおび」でコメントする際に、「なあ八つあん。なんだい、熊さん」などと話しているのでしょうか?

そんなことはありません。「ひるおび」で話しているときの志らくは、「志らくとしての志らく」です。

あくまでも、「落語を演じているときの志らく」こそが、「複数の他者を同時に内在させている存在」なのです。

この設問での「落語家」も、単なる落語家ではなく、「落語を演じているときの落語家」を意味しています。

このように、主語(主題)の概念を、文脈に合わせて適切に定義したほうが、より説明的になります。

上位合格答案

ひとり芝居を演じる落語家の自己は、根多のなかの人物たちに瞬間瞬間に同一化し、互いが互いの意図を知らない複数の他者として現れた状態で維持されるということ。

〈採点基準〉⑥

ひとり芝居を演じる             ①
落語家の自己は、           (ないと減点)
根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化し、   ②
互いが互いの意図を知らない複数の他者として ②
現れた状態で維持されるということ。     ①

主題・主語の範囲指定(概念規定)について

「今、何の話?」というテーマを示す役割を果たすのが主語です。

傍線部の主語は輪郭がぼんやりしていることが多いので(だからこそ問題になるので)、「今、この話です!」と範囲をくっきりと示すと、論点が明確になります。

今回の問題で言えば、「落語家」の話をしているのではなく、「一人芝居としての落語を演じている際の落語家」の話をしており、そのことは同段落内にきっぱりと書かれているので、そのことをきちんと書くほうがよいということになります。

(三)

ここから先の問題(三)(四)(五)は、やや趣向を変えて、〈卒業生①〉の答案を提示し、それを修正する過程で「上位合格点」を考察します。

卒業生①の答案

人間は自己のなかの自律的に作動する 複数の自己によって本質的に分裂されており、それらと、同一化するなかで新しい自己が形成されるということ。68

2/6点

*前半はOK!

後半には加点されません。

「錯覚」への言及がないことが残念なところです。「錯覚」のままでも書いておいたほうが減点のリスクが低くなります。もちろん「言い換え」ができるほうが得点は高まります。

実際、この問題は、傍線部内の「錯覚」について、

「思い込み」などと書ければ +1点
「錯覚」のままは加点減点なし
「錯覚」を無視しているものは -1点

という基準になっている可能性があります。

「どのような錯覚」なのかについては必ずふれ、「錯覚」という熟語そのものについては、できれば言い換える。困ったらそのまま書く。少なくとも無視はしない。

という判断をしたいところです。

また、傍線部の直前に、「それらとの対話と交流のなかに」という論点があります。これを落とさないようにしましょう。

基本に立ち返ってみます。

〈答案のコツコツポイント〉

答案作成者の仕事は、(a)傍線部と(b)設問しか見ていない第三者に、できるだけイメージしやすい説明を届けることです。

ただし、いくらイメージしやすいといっても、「例示」まで書き込んではなりません。なぜなら、「例示」は、「別のものでもよかったもの」であるからです。

さて、そう考えると、傍線部の直前にある「対話と交流のなかに」というのは、「ひとまとまりの私という錯覚」が生まれる環境なのであるから、答案には出しておいたほうがよい論点です。

さらに、「それらの」という指示語の指示対象を拾い、「自己の中で自律的に作動する複数の自己」という論点も必要になります。こちらは書けています。

上位合格答案(採点基準)

人間は              (ないと減点)
自律的に作動する複数の自己によって  ①
本質的に分裂されているが、      ① *
それらの対話、交流のなかで      ① 
個人としての欲望と思考をもつ     ①
一人の自律的な人間であると      ①
思い込む               ① 「錯覚」のままは加点減点なし
                     「錯覚」への言及がないものは減点①点

*の部分は、逆接構文になっていないと減点の可能性があります。

「ひとりの個性的な欲望と思考をもつ自律的なひとつの存在」という表現は、課題文の最終文から持ってきています。

おそらく、模範解答のレベルでは、

「統合された一つの自我を持つと思い込んでいる」とか、
「一貫した自我を持つ人間存在であると誤認している」とか、
「統一された一人格であるという誤った自覚をもつ」など、

本文にない語彙を用いて説明することが期待されていると考えられています。

したがって、「自我」とか、「一人格」などといった「文中にない語句」を思いつくのであれば、もちろん使用してかまいません。

とはいえ、この「ひとまとまりの私」については、その説明が、課題文の最終文で登場しているのですから、そこをそのまま使用することも合理的な最適解です。

東大は、最終的には自身の語彙力で言い換えてほしいと考えています。

そうであるからこそ、解答欄は60字~70字くらいで作成されています。

しかし、「自身の語彙力」というのは、本文に話題がないことを自由に作文していいというわけではありません。「本文に長々と書かれているものを端的に言い換えられるとよりよい」ということに過ぎないのです。

したがって、わざわざ「端的」にしなおさなくても、解答欄に入るのであれば書き込んでしまえばよいのです。

解答欄は80字くらいまで書けるのであるから、上手に使用すればよいのです。

ただし、120字問題に関しては、自身の語彙力で圧縮しないと答案が完成しないケースが多いので、(五)だけは「自分のことば」が必須になることが多くなります。

〈卒業生②〉の答案 5/6点 (*本番80点の卒業生です)

実際は、自己のなかには自律的に作動する複数の自己が存在しているが、それらと対話や交流をおこなううちに、一つにまとまった自我が存在するように思われてくるということ。

*「自我」という説明はGOOD!
*前半に「分裂」という語があればパーフェクト!

(四)

〈卒業生①〉の答案 3/6点

精神分析家は患者の心の一部分に同化することを通じて、患者を理解しようとするため、患者の自己の複数の部分に同化した結果、分析家の自己が分裂するということ。76

*本文では、「精神分析家の仕事も」というように、「も」がついているので、念のため、「落語家同様」という付言をしておけるとよいです。

*また、「患者の心の一部分に同化する」という情報と、「患者の自己の複数の部分に同化」という情報が、そもそも重複しているので、「複数」という論点がある後者を活かし、前者はカットしたほうがよいです。

*また、〈⑨段落〉には、「そうして自分でないものになってしまうだけでは、精神分析の仕事はできない」と書かれているので、そこに続く論点も拾っておきたいところです。そこでは、

分析家はいつかは、分析家自身の視点から事態を眺め、そうした患者の世界を理解することができなければならない。

と書かれています。

つまり、「分裂」している「複数の自己」のなかには、最終的には「分析家自身の自己」も入っていなければならないのです。そのことも含めて、答案が完成します。

〈卒業生①〉の修正答案 (採点基準)

精神分析家の仕事は、          (ないと減点)
患者の理解のために、            ① 「理解」がないものは加点なし
患者の複数の自己に同化するとともに、    ① 「複数」がないものは加点なし
分析家自身の視点も必要になる点で、     ① 
落語家同様、                ①
多様な自己に分裂しているということ。    ② *

*部分は、「彩られている」の言い換えとして、分裂している自己が「多彩」「多様」「豊富」であることが示せればよい。

〈卒業生②〉の答案 4/6点

精神分析家の仕事も落語家同様、精神分析を行ううちに分析家自身が患者の自己の複数の部分に同時に同化することを、患者の理解に利用するということ。

(五)

この設問は、普通に解説したうえで、〈卒業生①〉〈卒業生②〉の答案を示します。

最終段落を確認します。

⑨  もちろん、そうして自分でないものになってしまうだけでは、精神分析の仕事はできない。分析家はいつかは、分析家自身の視点から事態を眺め、そうした患者の世界を理解することができなければならない。そうした理解の結果、分析家は何かを伝える。そうして伝えられる患者理解の言葉、物語、すなわち解釈というものに患者は癒される部分があるが、おそらくそれだけではない。分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる(オ)生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいるのだろう。自分はこころのなかの誰かにただ無自覚にふりまわされ、突き動かされていなくてもいいのかもしれない。ひとりのパーソナルな欲望と思考をもつひとりの人間、自律的な存在でありうるかもしれないのだ。
                

第一に考慮しておくべきことは、「解答者のすべき仕事は、傍線部と設問しか見ていない人に伝わるように書くことである」という前提です。

その前提で考えると、傍線部直前の、

分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる

という表現は、「生きた人間」を詳しく修飾している部分なのですから、そこを入れたほうが、傍線部そのものがいっそうわかりやすくなります。

次に、傍線部直後の「のだ文」に着眼しましょう。「のだ文」は、その前の部分の「追加説明」または「理由説明」になります。

ここでは、

分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる(オ)生きた人間としての分析家自身のあり方こそが、患者に希望を与えてもいるのだろう。自分はこころのなかの誰かにただ無自覚にふりまわされ、突き動かされていなくてもいいのかもしれない。ひとりのパーソナルな欲望と思考をもつひとりの人間、自律的な存在でありうるかもしれないからだ。

というように、「のだ」を「からだ」と言い直すことができます(言い直しても趣旨が変化しません)。そのため、最終文は、傍線部の「理由」を示しているとみなすことができます。すると、「理由」としては、

理由a.自分(患者)はこころのなかの誰かにただ無自覚にふりまわされ、突き動かされていなくてもいいかもしれないから。

理由b.ひとりのパーソナルな欲望と思考をもつひとりの人間、自律的な存在でありうるかもしれないから。

という論点を入れたいということになります。

「120字問題」は、一字一句に拘泥するのではなく、「入れるべきだ」と考えた論点そのものを落とさないように、思いっきり圧縮してかまいません。そうしないと120字に入らないのです。

「120字問題は積極的に自分のことばを使用する」と考えておきましょう。

以上のことから、答案はひとまず次のようにまとめることができます。

下書き

患者に同化した分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる生きた人間としての分析家に接することで、患者自身も、心内の複数の自己の間で惑わされなくてよい、統合された個としての自律的な人間でありうるという望みを持つから。97

*「こころのなかの誰か」というのは、「分裂した自己」「複数の自己」を意味しているので、そのように書き換えています。

*「ふりまわされ、突き動かされていなくてもいい」という表現は、「惑わされなくていい」とか、「混乱しなくていい」といった表現で短くできます。

*「パーソナルな欲望と思考」は、一気に短くすれば「個性」などとできます。

*「ひとり」「ひとつ」といった表現は、「分裂」と対立する表現であることから、「分裂」の対義語を用い、「統合された唯一の自己」などと表現することができます。

 

次に、問題には、「落語家との共通性にふれながら」とあるので、答案の前半に落語のことを書けばよいことになります。「希望」というキーワードをヒントにさかのぼると、〈⑦段落〉の最後には次のように書かれていました。

落語を観る観客はそうした自分自身の本来的な分裂を、生き生きとした形で外から眺めて楽しむことができるのである。分裂しながらも、ひとりの落語家として生きている人間を見ることに、何か希望のようなものを体験するのである。

このことを前半部に入れると、次のような答案が成立します。

下書き②

複数の登場人物に分裂しつつも、一人の落語家として生きている人間を見ることで、観客が希望を体験するように、分裂から一瞬立ち直って自分を別の視点からみることができる生きた人間としての分析家に接することで、患者自身も、心内の複数の自己の間で惑わされなくてよい、統合された個としての自律的な人間でありうるという望みを持つから。142 

*このように、最後の「120字問題」は、「これが必要だな」という論点を収集していくと、150字くらいになってしまいます。エッセンスを失わないように、さらに圧縮して答案を仕上げましょう。

推奨答案

複数の人物に分裂しつつも一人の人間として生きる落語家から観客が希望を見出すように、患者に同化した分裂から立ち直り自分を客観視できる生きた人間としての分析家に接することで、患者自身も、統合的かつ自律的な一個人でありうるという望みを持つから。119

〈採点基準〉8点
複数の人物に分裂しつつも          ①
一人の人間として生きる落語家から      ①
観客が希望を見出すように、 (ないと減点)
患者に同化した分裂から立ち直り       ②
自分を客観視できる             ①
生きた人間としての分析家に接することで、  ①
患者自身も、         (ないと減点)
統合的かつ自律的な一個人でありうるという  ①
望みを持つから。              ①

〈卒業生①〉の1回目の答案 4/8点

落語家が                                  OK!
a.自分自身の複数の自己の分裂を楽しんで演じるように           ①
分析家は                                  OK!
b.患者の自己の複数の部分への同化による                 ①
c.分裂から立ち直って                          ① 
d.分析家自身の視点から事態を眺め                    ①
患者の世界を理解することができるので、 
分析家こそが患者の期待にそうことができるから。 *「期待」という言葉自体はGOOD!        

〈卒業生①さん〉の書き直し答案 6/8点 

観客が、          OK!
自己の分裂を楽しんで演じる  ① *分裂しつつも、一人の人間として生きる落語家 と書きたい。
落語家を見て        OK!
満足感を味わうように、    ① 
患者の自己の複数の部分への同化により生じる ①
自己分裂から回復し、     ①
自己を客観視できる      ①  スーパーベリーグッド!!
分析家の姿に        OK!
患者は、勇気をもらい、   (表現悪くないが、本文根拠が薄いので加点減点なし)
個人的な欲や思考をもつ  *「個」よりも「一人」「一つ」といった「統合」の論点を強調したい。
自律的存在に近づくから。 ① *自律的存在に近づく望みをもつから。 などとするとよい。

〈卒業生②〉の答案 5/8点

落語家も分析家も                      OK!
根多や精神分析の過程で                  減点なし加点なし
a.自律的に作動する複数の自我を抱えるが、         ①
b.分裂しながらも分裂から立ち直って            ①
c.自分を別の視点から見ることができるその存在そのものが  ①
d.ひとまとまりの自我の存在を期待させるから。       ②

参考

*次に示す「東進」の答案のように、まずは「落語家」について書いて、その次に「分析家」
について、傍線部問題に答えるように書くほうが、伝わりやすい答案になります。

〈東進の答案〉7/8点
a.自己を分裂させつつ一人の人間として生きる      ① 
落語家を見て                     
b.観客が楽しむのと同様、               ① 
c.複数の自己に分裂した患者内部と同化して生じた    ① 
d.分裂を克服し、自身の視点を回復した         ① 
分析家を見て        
患者も、
e.自己を対象化し、                  ①
f.自律的な存在として統一性を持つ自己を        ②
見出しうるから。

「いえるのはなぜか」のタイプの問題であるので、「希望」の論点も入れておいたほうがよいでしょう。

そのため、最後の部分は、「見出す期待をもつから」などとすれば完璧です。