
東大の「2行問題(13.4cm×2行の解答欄)」における推奨字数は70字程度です。
(一)
傍線部では、「死者は消滅などしない」と述べているわけであるから、肯定文として書けば、
死者は実在している(生きている)ということ。
というかたちになる。

傍線部が否定文である場合、肯定文として書くとどうなるか考えてみましょう!
原則的に、「どういうことか」という問題で、「~ではないということ」という答案は書かないようにします。
ただし、本文で述べているとおり、生物学的に生きているわけではないので、「どういう意味で生きていると言えるのか」ということに踏み込んでおかなければならない。
本文①段落には、
先行者は生物学的にはもちろん存在しないが、社会的には実在する。
という対比がズバリ書かれているわけであるから、この論点を使用し、次のような〈核心〉を作ることができる。
〈核心答案〉
死者は、生物学的には存在せずとも、社会的に実在している(生きている)ということ。

たいていの場合、「どういうことか」という問題においては、傍線部の各要素をひとつひとつ換言していけば、必要な部分点を得られる答案になります。
しかし、この設問(一)は、非常に傍線部が短いですね。
その場合、傍線部をはみだし、関連する論点を拾って、「答案の補充」を心がける必要があります。
その際の「補足」としては、
① 主題(主語)をいっそうくわしくする(定義・概念規定)
② 対比を加える(~ではなく)
③ 論拠を加える(~ため)
という3点に気を配ります。
先ほどの「核心答案」に、すでに「対比」がありますので、①と③について見ていきましょう。
では実際に「説明」していこう。
主題である「死者」をあと一段階くわしくしていくにはどうすればよいだろうか。
この段落では、「死者」の言い換えとして「先行者」という語句が登場する。何度も繰り返し登場することからも、「先行者」は、筆者にとって重要な語句である。
筆者は、「死者」を、「動かないもの・いないもの」と捉えているのではなく、「先に行っている者」と捉えているのである。したがって、
先行者としての死者は、~
死者は先行者であり、~
などと付け加えられるとよい。
なお、「先行者」というのは、「時間の流れを先に行った者」という意味である。本文中では、強調的に「過去こそ先行者の世界」と書かれている。そもそも「こそ」で強調されているところは重要構文の一つである。
先 ≒ 過去を
行 ≒ 生きた
者 = 者
なのである。

「先行者」または「過去を生きた者」というフレーズは、どちらかを答案に入れておきたいです。
では次に、「結論部」の「消滅などしない(実在する・生きている)」とは、どういう意味でそう言えるのかについて見ていこう。つまり、「論拠の補充」である。
傍線部の直後には、
親・子・孫は似ており、消滅せずに受け継がれていく何かがある~名、記憶、伝承の中にも、死者は生きている。
と書かれている。
このことから、答案に、
a.親・子・孫の中に死者は生きている
b.名、記憶、伝承の中に死者は生きている
などと書きたくなる。しかし、それは間違いである。
もう少し読み進めてみよう。
親・子・孫は相互に似ており、そこには消滅せずに受け継がれていく何かがあるのを実感させる。失せることのない名、記億、伝承の中にも、死者は生きている。もっと視野を広げれば、現在の社会は、すべて過去の遺産であり、過去が沈殿しており、過去によって規定されている。
と書かれている。
「もっと視野を広げれば」と述べているのであるから、「親・子・孫」「名、記憶、伝承」といった話題は、やや視野が狭いものということになる。いわば、例示的な部分である。
「親・子・孫」は、たとえば「祖父母・曾孫・姪や甥」などと拡大して考えることが可能であるし、「名、記憶、伝承」は、たとえば「歌、記録、言語、生活習慣」などと拡大して考えることが可能である。つまり、視野を広げて考えれば、我々の生きるこの社会全体が、死者が残していったものであり、その意味で、「社会」の中に死者は生きているということになる。
さらに言えば、〈①段落〉には、
先行者がたとえまったくの匿名性の中に埋没していようとも、先行者の世界は厳然と実在する。
と書かれている。「匿名」とは特定の名前がないことであり、しかもその中に「埋没」しているのであるから、この先行者は「名」が残っていないことになる。しかし、それでも「厳然と実在する」と述べられている。ということは、「名、記憶、伝承」というのは、あくまでも「先行者」が現在に残っている「あり方」の「一例」であって、そういった「名、記憶、伝承」として残っていなかったとしても「実在」する、と主張されていることになる。

以上の考察により、「親・子・孫」「名、記憶、伝承」という例示的表現は、答案には書き込まなくてよいと判断します。
論拠の補充
では、「②論拠の補充」は、どこの部分を使用すればいいだろうか。
その観点で本文を読むと、「社会的に実在する」と筆者が言い切った後に、
先行者は今のわれわれに依然として作用を及ぼし、われわれの現在を規定しているからである。
と、書かれている。
「死者が社会的に実在する」といえるのは、「現在のわれわれに作用を及ぼす」からであり、「われわれの現在を規定している」からなのである。ここが「論拠の補充」として使用できる部分である。
以上により、次のような答案が成立する。
〈ひとまず答案〉
過去を生きた先行者としての死者は、生物学的には存在せずとも、今のわれわれに依然として作用を及ぼし、われわれの現在を規定しているという点で、社会的に実在するということ。

「ひとまず答案」が完成しましたが、この答案はまだ未熟です。
「われわれ」が何を指すのかわからないからです。
これを解決するためには、文脈上「われわれ」が何を意味するのか客観化すればよい。
小説や随筆であれば、「 」をつけて本文中の言葉であることを明示すればよいが、評論の場合は、客観表現に修正することを心がけよう。
「われわれ」を文脈に沿って客観的に表現するなら「現在の生者」などとするのがよい。「生者」は、本文中にも存在する言葉なので、これを使用するのが最善である。「現成員」などでもよいだろう。
以上のことから、次のような答案が成立する。
解答例
先行者としての死者は、生物学的には存在せずとも、過去から連続する現在の生者に作用を及ぼし、現在を規定しているため、社会的に実在するということ。

「連続」または「共同」という論点を入れたいのは、次のような理由です。
もう少し先を読んでいくと、次のような複数の重要構文が発見できる。
③名、記憶、伝統、こうした社会の連続性をなすものこそ社会のアイデンティティを構成するのであり、社会を強固にしてゆく。言うまでもなくそれは個人のアイデンティティの基礎であるがゆえに、それを安定させもする。したがって、個人が自らの生と死を安んじて受け容れる社会的条件は、杜会のこうした連続性なのである。
③段落では、「こうした」という要約系指示語のあとに、「連続性」という語が2回出てくる。
「社会」というものが、「過去を生きた先行者と現在の生者との連続性によって成立している」ということに言及できると、答案の充実度がいっそう増すことになる。
(二)
まずは〈核心〉を作ろう。

(一)のように、傍線部そのものが短い場合は、〈論拠〉や〈対比〉といった「補充」を多めに入れていかなければならないのですが、この(二)くらいまで傍線部が長ければ、傍線部内のパーツの換言だけでどうにかなる場合が多いですね。
(a)人間 は
(b)自分が死んだあともたぶん生きている人々 と
(c)社会的な相互作用を行う。
という構造である。
(a)と(b)は、取り換えることが可能なので、論理学的にはどちらも「主語」の扱いになる。
ひとまず、(a)の「人間」について、もうちょっと説明できないか考えてみよう。
「もうひとつの主語」のほうに、「自分が死んだあともたぶん生きている人々」とあるのであるから、そことの対比で考えれば、(a)の「人間」は、すでに話題にされている「先行者(先に生きる者)」のことであると判断してよい。
さらに、傍線部周辺には、
以上のような過去から現在へという方向は、現在から未来へという方向とパラレルになっている。(イ)人間は自分が死んだあともたぶん生きている人々と社会的な相互作用を行う。ときにはまだ生まれてもいない人を念頭に置いた行為すら行う。
と書かれている。つまり、ここまでの〈①②段落〉の話題が、「過去から現在へという方向」の話であったことに対し、この〈③段落〉では、その「過去⇒現在」の方向は、「現在⇒未来」にも当てはまると述べているのである。ここでいう「パラレル」とは、
過去 ⇒ 現在
〈線①〉
現在 ⇒ 未来
〈線②〉
上記の〈線①〉と〈線②〉が「平行」になっているということである。つまり、「過去と現在」の関係性が、同じように「現在と未来」にも認められるということである。
傍線部で話題にされていることは、〈線②〉の関係のことなので、
(a) 先行する現在の生者
(b) (a)の死後もたぶん生きている未来の生者
ということになる。

では、次に、「作用」とは何かを考えよましょう。
「現在から未来」への作用を説明する語句は、わりとスムーズに見つけられるだろう。傍線部の2行後に「働きかける」と書いてあるからだ。これは「作用」の換言表現である。
死を越えてなお自分と結びついた何かが存続すると考え、それに働きかける。
その存続する何かに有益に働きかける
ここは解答のカギになる。ただし、「何か」という表現が曖昧である。文脈上、この「何か」は、「未来の社会/未来の生者」のことである。したがってそこは明確に代入し、
死後も自分と結びついた社会が存続すると考え、未来の生者(or未来の社会)に有益に働きかける
などと解答できればよい。
以上のことから、次のような〈ひとまず答案〉が成立する。
〈ひとまず答案〉
現在の生者は、死後も自分と結びついた社会が存続すると考え、未来の生者に有益に働きかけるということ。

しかし、この答案は未熟です。
傍線部には「相互」と書いてあるのに、「相互」を説明していないからです。
「現在⇒未来」のことだけを解答化しても、「相互」を説明しきったことにはなりません。
「未来から現在(未来の生者から現在の生者)」に及ぼされる作用について、何らかの論点を拾ってこなければなりません。
では、それは何か?
見逃してしまう可能性もあるが、傍線部の2行後には、ズバリ「意義」と書いてある。つまり、想定上の「未来(の社会・生者)」からは、「意義」が与えられるのである。それこそが「相互作用」である。
一見するとおかしいことと思うかもしれない。まだ生まれていない人間まで、こちら側に意義を与えてくるとは、奇妙なことだ。しかし、次のように考えてみよう。
私たちは、過去の遺産に対して、「ありがとう」と思うことがある。言語も、生活環境も、習慣も、周囲の人々も、社会のすべては、過去の誰か(先行者)がいたおかげで、ここにあるのだから。そのことを「現在―未来」の関係に当てはめれば、「未来の生者たち」も、「現在の生者たち」に対して、「ありがとう」と思うであろうと推察されるのである。その推察に基づき、私たちは、未来へ働きかけることそのものに「意義」を見出すのである。
つまり、未来の生者という〈相手〉が存在することによってはじめて、「意義」が生成されるわけであるから、ここでの「意義」は、未来の生者から与えられたようなものである。したがって、この解答において「意義」は相当重要である。これがないと、「相互作用」を説明しきったことにならない。
以上のことから、次のような答案が成立する。
解答例
現在の生者は、死後も自分と結びついた社会が存続すると考え、未来の生者に有益に働きかけることに意義を見出すということ。
(三)
「なぜか?」という理由説明問題の〈最優先作業〉は「直接理由を探すこと」である。
つまり、「傍線部の結論領域に直接かかる理由を説明すること」である。
理由説明問題は、
①「直接理由」を探し、答案の〈核〉とする。
②「主語」や「目的語」といった〈前提〉をしっかり書く。
*「主語」や「目的語」に、比喩的表現が混入しやすいので、「説明表現」にする。
という作業で答案が完成する。
〈その1〉 直接理由を探そう!
ここでは、傍線部(ウ)の一文が、「~ということである」と表現されていることに着眼する。
* ~のである。
~ということである。
~わけである。
といった文末表現の文は、「後置説明文」である。
つまり、直前の文の「言い換え」だと考えられる。
(まれに直前の文の「理由」になることもある。)
ということは、次のような同義関係が成り立つ。
〈 文A ≒ 文B 〉
A 先行者は象徴を通じてその実在性がはっきり意識できるようにされなければならない。
B 先行者の世界は、象徴化される必然性を持つということである。
ということは、〈文A〉の直前にある「それゆえ」という〈因果のラベル〉は、〈文B〉に直接係っているとみなしてよいことになる。

ということは、「それゆえ」の直前の「社会は真に安定し、強力であり得る」という情報は、傍線部に対する直接理由であると判断してよいことになります。
さらに、その直前には「あってこそ」という〈因果のラベル〉がある。「あってこそ」は、「あるからこそ」と置換可能な表現なので、直前には何らかの理由が示されていると考えてよい。
以上のことから、次のような「ひとまず答案」が成立する。
〈ひとまず答案〉
先行者の世界が象徴化されることで、 (傍線部)
縦の連続性(or伝統)が生じるからからこそ (理由①)
社会は真に安定し、強力であり得るから。 (理由②)
となる。まずこれが書ければ、半分くらいの得点が入ると見てよい。
なお、「なぜか」の問題については、主語や目的語をしっかり説明するくせをつけておいたほうがよい。

「なぜか」の問題は、「前提」を説明するものだからです。
多くの場合、「主語」や「目的語」は「前提」です。
ここでも、「先行者の世界」とただ繰り返すのではなく、「先行者としての死者の世界」などと、情報の付け加えができるとよい。
〈その2〉「主語」や「目的語」に比喩的表現が混入しやすいので、それらを説明する。

「先行者の世界」「縦」「象徴化」あたりの語句が、説明不足ですね。
「先行者の世界」は、具体的には「死者の世界」なので、「死者」という語句を使用しておきたい。
「縦」は、具体的には「歴史を先に行っている者」と「現成員」の関係である。たとえば学校生活でいえば「先輩後輩関係」である。俗にこういう関係を「縦社会」などと言うこともある。つまり「縦」とは、「先に生きた者」と「今(未来)を生きる者」の「つながり」の性質のことである。
要するに、「縦」という表現は「比喩」なのである。過去と未来が「縦」につながっているという表現は、年表的世界観による「図表」的イメージにすぎない。したがって、「縦の連続性」は、「先行者と現成員との連帯」などと説明できるとよい。
次に「象徴化」である。「象徴化」とは、「知覚しえないものを知覚可能なもので代替的に表現すること」である。たとえば「極楽」は、我々にとって知覚することが不可能であるが、それを「曼荼羅」や「極楽図屏風」などを通して「イメージ」することはできる。そのとき「曼荼羅」や「極楽図屏風」は、「極楽」の「象徴」である。まずは、以上のような概念的意味がわかっているかどうかが重要である。
では、その「象徴」の意味として機能する表現は、本文にあるだろうか?
本文の表現を用いれば、傍線部2行前の、「表現され、意識可能な形にされ、それによって絶えず覚醒される」という部分が、まさに「象徴」の説明にあたる。「絶えず覚醒される」という箇所は、「象徴」の〈辞書的意味〉に含まれるかどうかは迷うが、並列的に書かれているものを一つだけ抜かすのは変なので、「覚醒」という語句まで解答に含みこんだほうがよい。
以上のことをふまえ、〈論点〉を区別すると、
現成員との連続性を持つものとしての先行者の世界 (「先行者の世界」の説明)
表現され、意識可能な形にされ、絶えず覚醒される (「象徴化」の置換説明)
社会は真に安定し、強力であり得る (「なぜなら~」に該当する直接理由)
というようになる。つなげれば答案になる。
解答例
先行者としての死者の世界が、意識可能な形で表現され、絶えず覚醒されることで、死者と現成員と連続性が生まれ、社会は安定し、強力になるから。
(四)
第一に、次の「原則」をおさえておきたい。
〈超重要〉
仮説・仮定法・条件法は、構造的に因果関係と近似する。
~x~すれば、~y~
~x~ならば、~y~
という構文は、
x するからこそ y
x であるからこそ y
と言い換え可能であるケースが多いということである。
たとえば、「よしおが帰ってきたら夕ご飯にしましょう」という「仮定文・条件文」において、「よしおが帰ってくる」ことは、「夕ご飯にする」ことの「前提」である。
「ただいまー」とよしおが帰ってきて、実際に夕ご飯を食べた後になれば、この一節は「よしおが帰ってきたから夕ご飯を食べた」ということになる。つまり、「仮定法・条件法」と「因果関係」というのは、非常に似ている関係なのだ。

現代文において、「理由」が問われているときは、
から・ため・ので・よって・により・ゆえに・それゆえ
といった「因果のラベル」を探すことが重要ですが、
同様に、
すれば・ならば・するなら・なるなら
といった「仮定・条件」のラベルにも注目しておきましょう。
その観点で、傍線部(エ)のある段落の先頭を見ると、
若い個体に道を譲らないなら、集団の存続は危殆に瀕する。
という、否定文としての条件文がある。これは、肯定的に反転させれば、
若い個体に道を譲るなら、集団の存続は危殆に瀕することを回避できる。
若い個体に道を譲るからこそ、集団は存続しうる。
などと書き直すことができる。
この〈段落先頭部分〉の「年老いた個体が順次死んでいき、若い個体に道を譲る」というのは、まさに傍線部の「他者のために死の犠牲を払う」ということと同義であるので、ここは、「傍線部と密接な関係を持つ因果文」だと結論付けることができる。その観点で、「集団が存続する」というのは、非常に重要な論点である。
一方で、傍線部の直前には、「ゆえ」というラベルがある。
人は死を選ぶのではなく、引き受けざるを得ないものとして納得するだけであり、生を諦めるのである。それは他者の生を尊重するがゆえの死の受容である。これは、他者の命のために自分の命を失う人間の勇気と能力である。(たとえ客観的には杜会全体の生がいかに脆い基盤の上にしか据えられていなくとも、また主観的にそのことが認識されていても、それでも)(エ)他者のために死の犠牲を払うことは評価の対象となる。
(たとえ~ても、それでも)の部分は、「ても」「でも」が逆接表現であることから、筆者の主張に含めるべきポイントではないとみなし、無視する。
すると、文脈的には〈傍線部エ〉の直前に、
生を諦めることは、他者の生を尊重するがゆえの死の受容であり、そのことには、人間の勇気と能力が必要となる。
という説明が存在することになる。
以上のことから、「勇気と能力」というのは、非常に重要な論点になる。
そう考えると、この問題には、次のように、「直接理由」とみなせる論点が二通り存在することになる。
他者のために死の犠牲を払うことが、集団を存続させるから。(→評価される)
他者のために死の犠牲を払うことは、勇気と能力が必要だから。(→評価される)
つまり、この設問には、〈最重要論点〉が2つあるのである。
そのため、それにいたる「前提」も二通り書けるとよい。それぞれの「直接理由」に論理がつながり得るかたちで、「他者のために死の犠牲を払うこと」を説明してみよう。
解答例
他者の生を尊重し、自らの生に執着せず、後継者に役割を譲り退くという、勇気と能力を必要とする犠牲的な死の受容によって、集団は存続されうるから。
自らの生に執着せず死を受容することには勇気と諦めが必要であり、その能力を発揮し、他者の生を尊重し、役割を譲り退くことで、集団は存続されるから。
(五)
全体の主旨を踏まえる必要があるが、原則的には傍線部問題である。
大きく分ければ5ポイント
先行者の世界に関する表象 〈a〉
の基礎にある世俗的一般的価値理念と、 〈b〉
来世観 〈c〉
の基礎にある宗教的価値理念との間には、 〈d〉
通底するないし対応するところがある 〈e〉
それぞれどうすればよいか?
a 先行者の世界に関する表象 ⇒ 具体的説明をする。
b.世俗的一般的価値理念 ⇒ 語句自体はそのままでも伝わるが、文になじませる努力をする。
c.来世観 ⇒ 補充の説明をする。
(来世はそのままでよい。傍線部内の語句なので、言い換えるべきか?といったん迷うが、「来世」と意味内容が同じで、かつ「来世」以上に説明的な語句は本文中にないので、そのまま用いるという判断でよい)
d.宗教的価値理念 ⇒ 語句自体はそのままでも伝わるが、文になじませる努力をする。
e.どのような点が似ているのか ⇒ 根拠の補充
以上の論点をまとめると、次のような答案が成立する。
解答例
世俗一般の社会に存在する、死者の世界の象徴化に価値をおく理念と、宗教において、来世を信じ、犠牲を価値とする理念は、社会が強力に安定し続けるために、先行者の世界と生者の世界を連帯させ、命を継承させるという共通した機能があるということ。
(六)
a.沈殿
b.厳然
c.要請
d.従容
e.克服