(一)「『ウレシソウ』に振舞うというジェスチュアに跳びかかる」

随想と評論の解答方針に違いはない。

評論と、随筆のあいだに、「解き方の違い」というものはありません。基本的な読解方針、解答方針は同じです。評論にも「随想のような出題」があり、随想にも「評論のような出題」があります。

実際、東京大学は第一問で文理ともに評論、第四問で文科のみに随想を出題しますが、「第一問」のほうで随想めいた作品が課題文になることも少なくありません。そもそも日本の評論はかなり随想めいた書き方をしますので、その境界線はくっきり引けないと考えましょう。

「まずは本文中から説明語句を探して、なければ自分の語彙力で解決する」という基本方針に違いはありません。原則的には、同じ方法論で解いていきましょう。

(一)「『ウレシソウ』に振舞うというジェスチュアに跳びかかる」とあるが、どういうことか、説明せよ。

まずは、傍線部(を含む一文)を複数の論点に分けましょう。

この際、主語も取り込んでおくことが基本作業です。

〈論点a〉 いいかげんな役者は(二流以下の役者は)
〈論点b〉「ウレシソウ」に振る舞うという
〈論点c〉 ジェスチュアに跳びかかる

〈論点a〉は傍線部にありませんが、「論理」の出発点は原則的に主語であるため、傍線が引かれていなくても主語は取り込む習慣をつけておきます。

「どういうことか」の問題の場合、主語が書かれていなくても得点に影響がない場合もあります。たとえば、設問が「このときの筆者の考えを説明せよ」などとなっていれば、主語が「筆者」であることは設問文によって自明になりますから、答案に書かなくても問題ありません。

ただし、通常の問題の場合、「主語があって減点される」ということはありませんので、基本的には入れておくくせをつけておきましょう。「主語を書き込むかどうか迷ったら書いておく」が原則です。

次に、答案に必要な情報を収集しましょう。

(ⅰ)いいかげんな役者は、嬉しさを表現する際
(ⅱ)明るい口調で、はずんだ調子で、声を張り上げるという
(ⅲ)パターンを想定し、
(ⅳ)そのとおりに振る舞うということ。

唐突に「ウレシソウ」と述べ始めても、何の話なのかわかりません。したがって、主題に    部を追加して、そもそも何の話をしているのかを規定しましょう。

すると、ひとまず次のような答案が完成します。

下書き

いいかげんな演技者は、嬉しさを表現する際、明るい口調で、はずんだ調子で、声を張り上げるというパターンを想定し、そのとおりに振る舞うということ。

例示のように見えるところも、並列関係で列挙されているものをすべて書き込むなら加点される可能性があります(論点言及)。もちろん、まとめて「一般化」するほうが理想に近いのですが、その作業が困難であれば、列挙されている要素を落とさないように入れておきましょう。「まとめて一般化」するなら、たとえば次のように書くことができます。

下書き②

いいかげんな演技者は、 嬉しさを表現する際、陽気な口調や身振りのパターンを想定し、そのまま振る舞うということ。

「明るさ・はずんで・張り上げる」という表現は、「陽気」などの語句で短くまとめることが可能です。

字数を考えると、まだ書けます。

対比の補足

傍線部問題の鉄則として、「傍線部を含む一文に対比が内在している場合は、補足事項として対比の相手を取り込む」という方法論があります。

傍線部(を含む一文)が、表現上「対比」を内在している場合、その「対比の相手」も答案に取り込む。

ただし、これはあくまでも補足であり、答案の核心ではないので、字数を圧迫しないように手短に書く。「対比の補足」は大胆に圧縮してよい。

この設問においては、傍線部を含む一文に、「よりも」という対比のラベルがあります。そのことから、「~ではなく、AはBなのである。」というように、答案にも「対比関係」を取り込んだほうがよいです。ただし、ここはあくまでも「補足」であり、「補足」のほうで字数をたくさん使用することは避けたいので、細かいことにこだわらず、わかりやすく書きましょう。

ハイレベル

いいかげんな演技者は、嬉しいということばの内実に身を置くのではなく、陽気な口調や身振りのパターンを想定し、そのまま振る舞うということ。

「補足」の部分こそ、「自分のことば」にしやすい(積極的にしてよい)場所であると考えましょう。大枠が合っていれば、もっと手短にしてかまいません。

トップレベルへの+α

最後に、傍線部内の「跳びかかる」という比喩的表現のニュアンスをもっと活かす工夫をしてみましょう。「ウレシソウな振る舞いのパターン」に「そのまま飛びつく」というニュアンスですから、

短絡的に
熟慮せずに
深く考えず

といった意味内容を追加できると、いっそうよい答案になります。

推奨答案

いいかげんな演技者は、嬉しさを表現する際、自分の状態を表現する言葉を選ぶ経緯をとらず、陽気な口調や身振りのパターンを想定し、短絡的にそのまま振る舞うということ。

*「跳びかかる」というニュアンスを積極的に出すためには、「考えなしに型にはまる」とか「短絡的に振る舞う」などと表現できるとよいです。

採点基準

いいかげんな演技者は、            ① 「二流以下の役者」なども可
嬉しいということばの内実に身を置くのではなく ①
陽気な口調や身振りの             ①
パターンを想定し、              ① 「典型的」なども可
短絡的に                   ① 「考えなしに」なども可
そのまま振る舞う(演じる)          ① 「型にはまる」なども可
ということ。

本当ならば、人間には、「うきうきする」とか「るんるんする」といった「感情」が先にあるはずですよね。

そういった何らかの「感情」を表現するために、「うれしい」という言葉がふさわしければ「うれしい」という言葉を使用することになります。

本当に「いい演技」というのは、役者がまずそういう「感情」になって、そのうえで、「うれしい」という「身振り」や「言葉」を表出するものです。

しかし、いいかげんな役者、二流の役者は、そういった「実際の感情」をつくることをせずに、「ここはうれしい場面だから、声を張り上げてはずんでみよう」というように、「うれしそう」に見える典型的な振る舞いの型にさっさとはまってしまうということです。

採点 4/6点

三流の役者は             ①
主人公が自分の状態を表現するために    (*注1)
選んだことばの内実に浸るよりも
    ①
感情に伴う                (*注2)
典型的な行動を            ①
積極的に演じる            ①
ということ。

(注1)緑色にした部分は「対比の論点」なので、こんなに字数を使うのはNG。「対比」は、傍線部の説明そのものではないので、もっとコンパクトにしよう。

(注2)の部分は、「嬉しいという感情に伴う」などというように、「嬉しい」という論点を入れられるとよかった。

典型的!!!

すばらしい!!!

「とびかかる」を、「積極的に演じる」と説明するのもすばらしいです!!