(五)「矢を一本だけ持って的に向かう集中に中に白がある」とはどういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。

傍線部問題でありながら、「論旨をふまえながら」という付帯条件があるので、
A 本文全体の論旨に言及する。
B 傍線部に応答する。
という両方のことをしなければなりません。
傍線部への応答的解答の中に、「論旨」を織り交ぜて書いていってもよいし、「論旨」を前提として書いたうえで、傍線部に応答するという表現をしてもよいです。
後者であれば、〈A:前提〉と〈B:応答〉を2つの文に分けてもかまいません。ただし、傍線部自体の説明において、本文の論旨そのものとかぶってくる論点があるので、重複を避けながら書く必要があります。
また、設問はあくまでも傍線部に対する説明を求めているので、「論旨」のほうを優先しすぎないことが大切です。「矢」という語をまったく使用せず、「一度きりの行為であることを強く自覚したうえでの決意」といったように、抽象化・一般化した書き方を提示している〈予備校の解答例〉がありますが、それらはやや応用的な書き方であり、受験生がこれを目指すと、かえって失点する危険が出てきます。
もしも、この設問が、
① 「ここで筆者はどういうことを言いたいのか」という「ぼかした」問題である。
② 弓道の話題が傍線部の「外」にあり、傍線部内の指示語でそこを指している。
といったものであれば、「弓道そのものの話題」から、一段階次元を抽象化して書いたほうがよいでしょう。しかし、本問は、傍線部そのものが「弓道」の話をしており、それそのものの説明が求められているのですから、「弓」「矢」「的」といった語をまったく使用しないほうが変です。
さて、本文全体で述べられてきたことは主に4点です。
① 白は、「完成」「定着」の際の、逡巡する(推敲する)感受性である。
② 「推敲(逡巡)の感情」があるから、表現を向上させようとする。
③ 紙がなければ、「推敲(逡巡)の感情」は生まれなかった。
( ⇔ インターネットは無限に未完のメディアであり、「逡巡」はない。)
④ 紙に対する「推敲(逡巡)の感情」を基盤として、諸芸術や武道など表現行為が発展した。
①②③④に言及しつつ、傍線部に答えればよいことになります。あるいは①②③④をコンパクトにまとめてから、傍線部に応答すればよいです。
しかし、この字数の中に「論旨」を詰め込むのであるから、ある程度は自身の語彙力で「圧縮」する必要があります。具体的には、「熟語化」の能力も問われていると考えたほうがよいです。その際、比喩的な表現で圧縮することは避けましょう。それではポエムになってしまいます。
たとえば、〈ある予備校の解答例〉には、「白が鮮やかな輝きを放つようになる」という表現がありますが、何を言っているのかわかりません。比喩的で、読み手に解釈を強いる表現は加点されません。
設問に戻ります。
論旨を「前提」としたうえで、傍線部に「応答」すると、次のような答案が成立します。
推奨答案
白は、個人の表現の痕跡を残す際の逡巡と覚悟の感受性であり、紙媒体を超え、空間への表現行為にまで影響を与える。その美意識は、二の矢への依存心を退けて射るような、行為の不可逆性を自覚したうえで洗練を極めようとする決意の中に見出されるということ。
*「矢」「射る」といった具体的話題に言及しつつも、「弓道」の話題が例示的であることを考慮し、それによって何が言いたいのか、という「主張」のほうを重要な論点として書き込んでいます。

評論の最後の字数指定の設問(いわゆる120字問題)には、次の注意点があります。
① 本文全体を俯瞰する要約的観点が必要
② 傍線部問題であることを忘れない
③ ある程度「自分のことば」にせざるをえない(してよい)
他の設問に比べて、「要は」という視点で答案を仕上げていく必要が出てきます。
そのため、本文には存在しない表現を生成してコンパクトにまとめる場合が多くなります。
他の設問では、傍線部周辺に「キーワード」があることが多く、その「キーワード」をそのまま取り込むことも多いのですが、この「120字問題」は、「キーワードを拾う」というよりは、「要はこういうこと」という観点で、自分が理解した内容を自分のことばで編集することが多いということです。