(三)「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」

(三)「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」とはどういうことか、説明せよ。

傍線部前半は比較的簡単、傍線部後半は超難問、という設問です。

「この」という指示語があることからも、「推敲という意識をいざなう推進力」は、直前の内容をまとめればよいですね。

傍線部直前の、

白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けることが、おのずと推敲という美意識を加速させるのである。

という箇所と、その二文前の、

取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し続ける呵責の念が、上達のエネルギーとなる。

という箇所は、内容上、同じことを述べています。まずはこのことをおさえておきましょう。

さて、傍線部内の「推進力」と、直前の「加速」とは、意味上の対応が認められます。推進力があるから加速するのですから。

ということは、傍線部内の「推進力」というものは、「白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けること」から発していると読解することになります。

次に、「推敲」という語については、傍線部の語なので、「言い換え」または「補足」を目指します。

傍線部直後では、「推すか敲くかを逡巡する心理」と言い換えられていますので、そちらを使用しましょう。ただし、「推すか敲くか」という表現自体は、「推敲」の「物語」の中で悩んだ語であり、一種の例示表現ですね。実際には、「好きと言うか愛していると言うかで悩む」ことも、「嫌いと言うか憎いと言うかで悩む」ことも「推敲」という行為を意味するのですから、「推すか敲くか」という部分をこのまま書く必要はありません。

「上達のエネルギー」という内容を加味しつつ、まとめて書けば、「表現の向上を志して逡巡する心理」というようなまとめかたができます。

以上により、次のような下書きが成立します。

下書き

白い紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇文化を作り上げたということ。

ここまで書ければ、2、3点が入ると考えてよいです。

どんな文化なのか?

最大の問題は「〇〇〇〇文化」です。

この本文において、「文化」の話をきっぱりしている箇所が他のどこにもないのです。

これは困ったな……

この問題は、次の構造に気づくかどうかがカギになります。

この、推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くかを逡巡する心理は生まれてこないかもしれない。

 現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。……

 一方、紙の上に乗るということは、黒いインクなり墨なりを付着させるという、後戻りできない状況へ乗り出し、完結した情報を成就させる仕上げへの跳躍を意味する。白い紙の上に決然と明確な表現を屹立させること。不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。またそこには切り口の鮮やかさが発現する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。手の誤り、身体のぶれ、鍛練の未熟さを超克し、失敗への危険に臆することなく潔く発せられる表現の強さが、感動の根源となり、諸芸術の感覚を鍛える暗黙の基礎となってきた。音楽や舞踊における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様の意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。

「紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」

と述べた後で、

「もしも、無限の過失を受け入れ続けるメディアがあったら、推敲の意識は生まれないかも……」

と述べています。

その直後で、「無限の過失を受け入れ続けるメディア」の例として、「インターネット」の話が始まります。

この展開ですと、「インターネット」があると、「推敲の意識は生まれない」ひいては「紙を中心とした文化は生まれない」と述べていることになります。

その後、「インターネット」の話が終わったところで、「一方」という対比関係のラベルを置いて、「紙の上に乗るということは」という「紙の話」を再び始めます

「紙と対比するもの」として「インターネット」の話を出し、さらにそれを、「一方」という明確な対比のラベルでひっくり返し、「紙」の話に戻ってくるのですから、この段落は、内容上〈傍線部のある段落〉との関連性を強く持っていると言えます。

文章全体を大きな目で見れば、「インターネットの話」は、中心的論点である「紙の話」をより深めるための、「対比の補足」であるという見方もできます。

そのことから、「インターネットの話」をしている段落をいったん(  )に入れてみると、その前後では、内容上は、非常に近い話をしていることがわかります。

ただし、ここは傍線部からかなり遠いこともありますから、「長い字数」をかけるのは避けた方がよいです。

(そもそもそんなに入りませんし……)

「ここの論点も拾っていますよ」ということが示せる程度に、うまく圧縮して入れておきましょう。

以上の考察により、次のような答案が成立します。

解答例

白紙への消せない過失の累積を把握し続ける呵責の念が、表現の向上を志す逡巡の美意識を推し進め、未熟さを超克した潔さが感動の根源となる文化を作ったということ。  

黄色い線の論点は、「紙を中心とした文化」の説明です。

「インターネット」の話題がある段落の「次の段落の内容」になんとか言及したいですね。そこにある要点に言及できれば、いわゆる「書き賃」として部分点が入るかもしれません。