(一)「「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理」

(一)「「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理」とはどういうことか、説明せよ。

結論から言うと、この設問の答案には、「詩」「紙」「白紙」などという語句は出しません

どうしてそうすべきなのか、考えていきましょう。

「傍線部を含む一文」を確認すると、こうなっています。

これは「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理に言及する問題である。

普通の問題は、このように傍線部を伸ばして、「一文」の論理を再構成していくと、正解にかなり近づきます。

今回の問題でも、それについては同じことです。

傍線部に対しては、その傍線部を拡大し、「一文」を確認することがファーストステップですが、今回の傍線部は最後まで引かれていません

傍線が文の述語(述部)に引かれているわけではないので、漫然と一文を説明してしまうと、「答えるべきこと」がズレてしまうのです。

具体的に言うと、この文の主語である「これ」は、傍線部を飛び越えて「言及する問題である」に係っているのであり、傍線部の内部に係っていくわけではありません

もしもこの「指示語」が「この」「このような」といった、連体詞的・・・・な指示語であれば、そのまま傍線部に係っていくことになるので、直前との密接性は高いことになります。

ところが、この部分については、「これは、」であり、「は」でいったん切れていることになります。つまり、指示対象と傍線部との密接性が、「この」「このような」などに比べると、比較的弱いということになります。

たとえば、次のような例を考えてみましょう。

ジャクソンは、「グローブはいつも時間をかけて磨いている」と述べた。
これは、一流のスポーツ選手に共通する心理に言及する問題である。

主語である「これ」は、直前の「ジャクソンの発言」を指しているものの、青線部分に関しては、ジャクソンの話だけをしているわけではないことがわかります。

青線部分の「スポーツ選手」というところが、仮に「他の分野で活躍している人間」であっても、文章の意味は通るはずです。

つまり、この文構造における、青色部分は、ジャクソンの話そのものではなく、一流のスポーツ選手全般や、活躍している人間全般の話に拡大されるのです。

場合によっては、この青色部分では、「棋士」や「画家」の話がされることすらあるでしょう。

〈設問一〉を解くにあたってまず重要なのはこの理解です。


「これ」という指示語に着眼するあまり、直前部のみで解答を作成してはならないということです。

とはいえ、直前部分は、文章理解のうえで当然重要です。

ここで言いたいことは、「直前だけで安易に解答化してはならない」ということであり、「軽視してよい」というわけではありません。

「これ」の内容を確認しましょう。

いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せるかもしれない。しかしながら一方で、推すにしても敲くにしても、それほどの逡巡を生み出すほどの大事でもなかろうという、微差に執着する詩人の神経質さ、器量の小ささをも同時に印象づけているかもしれない。

傍線部直前の「これ」は、たしかにこの部分を指しています。

しかし、繰り返しになりますが、ここは〈解答の核心〉ではありません。

傍線部を再確認すると、「人間の心理」とあります。話が大きいですね。しかし、「これ」の指す内容は、「詩人」の話に矮小化されています。

つまりこの部分は、「完成・定着という状態を前にした人間の心理」の「例示」として挙げられている話なのです。ここでは「詩人」の話が語られていますが、筆者の主張を伝えることさえできれば、「絵画」の話でも、「書道」の話でもよかった箇所なのです

例示は「主題」でも「主張」でもありません。

そのため、解答の〈核心〉にはなりません。

例示がある場合、その「前」あるいは「後」、場合によっては両方に、その例示を挙げてまで言いたかった主張があるはずです。〈解答の核心〉はそちらになります。探しに行きましょう。

この「詩人」の話は、〈②段落〉冒頭から始まっているので、〈②段落〉のほとんどすべてが例としての役割を果たしていると考えられます。したがって、段落をはみ出し、〈①段落〉や〈③段落〉の内容から、〈論点〉を取り出してくる必要があります。

A 〈 例 示 〉 A´          

例示がある場合、その直前・直後は「同じ話」になりやすい。「A≒A´」である。ただし、どちらかはカットされることも多いため、必ずそうなるわけではない。

また、文章展開の基本は「抽象⇒具体(Topic sentence → Supporting detail)」の順序になるので、「例示によって言いたいこと」が前か後ろかどちらかにしか書かれていない場合、基本的には前に書いてあることが多い。

以上のことから、基本的には、「もっと前」に着眼しましょう。

白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆な定着をおのずと成立させてしまうので、未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露されてはならないという、暗黙の了解をいざなう。


ここでの「意識」「了解」という語は、「心」の状態であるのですから、傍線部の「心理」と対応しています。答案にはこれらの語句を使用することができます。

下書き答案

言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末に際し、人間は、未成熟で吟味の足りないものを発露してはならないと暗に意識するということ。

もしも、一文全体に傍線が引かれていたら、この答案がほぼ正解となります。しかし、先ほど見たように、傍線は、

「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理

という部分のみに引かれているので、傍線部直前の例示である「詩作」に限定してしまうことは避けましょう。その意味で、主題を「言葉」にしてしまうことも避けるべきです。

課題文を最後まで読んでいくと、「書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道」などと、言語にはとどまらない「表現活動」が示されています。

さらに、「音楽や舞踊における『本番』という時間は、真っ白な紙と同様」と述べられています。さらには「武芸(弓)」の話まで出てきます。筆者はそれらの話題も、「表現を完成させる際の人間心理」の例として扱っています。つまり、課題文全体を読んだうえで述べれば、「定着・完成を前にした人間の心理」の話題は、「言葉」の話題に限定されるべきではないのです。

以上のことから、「完成あるいは定着」という論点が「何について」述べられているのかというと、それは言語活動にとどまらず、あらゆる表現活動・・・・・・・・における表現行為」を全般的に意味していると読解したほうが適当です。その典型的な「例」として、筆者は「推敲」の例を挙げたのです。

だからこそ傍線部における「完成」あるいは「定着」という表現には、「 」が付いている、と考えられます。

「 」は、「素直に読まないでほしい」という筆者からの合図なんですよ。

少なくとも傍線部内に「 」があるときは、何かの意図があって「  」が付いていると考えるべきです。


しかも、ここでは傍線部が引かれ、問われていることの内部に「 」があるのですから、単なる強調ではなく、いったん立ち止まってよく考えなければならない「完成・定着」であると言えます。

さて、前段落の〈①段落〉でも、次の段落の〈③段落〉でも、「完成・定着」は、「白い紙に書くこと・印刷すること・押印すること」などを意味しています。

しかし、〈②段落〉においての「完成・定着」は、「白い紙がどうのこうの」という限定的な話題なのではなく、もっと幅の広い「表現行為全般」を意味しています。そういう「意味あいの違い」があります。そうでなければここにだけわざわざ「 」を付ける意味は薄いですよね。

以上の考察から、この設問に答えるにあたっては、「白い紙」「書く」という語句のみならず、「言語」「言葉」といった語もできれば出さないほうがよいと考えます。

下書き

人間は、表現の不可逆な定着を成立させる際、未成熟で吟味の足りないものを発露してはならないと暗に意識するということ。

なお、傍線部の終了地点は「体言(名詞)」まで引かれていますが、「どういうものか」ではなく「どういうことか」と問われているので、ある種の運動・状態・行為が問われていると考えると、「用言化」して書くことができます。つまり、「動詞化」「形容詞化」「形容動詞化」して解答してよいということです。

本番では、ここまで書ければ次の問いに進んでよい水準ですが。字数としてはもうちょっと書くことができるので、時間に余裕があるのであれば、〈補充〉を考えてみましょう。

例示から客観表現を抽出する。

先に「詩人」の話は安直に使用しない、と述べましたが、「これ」という指示語があることからも、まったく関わっていないわけではありません。「詩」「白紙」「書く」といった具体的すぎる表現を避けたほうがよいのは先に述べたとおりですが、「直前の論点そのもの」を無視することはできません。〈補充〉として「使える表現」がないか探してみましょう。

「詩人」の話として限定されてしまうものではなく、人間の表現行為全般にあてはまる論点があれば、積極的に答案に使用したいところです。「例示的内容」の中に埋まっている「客観表現」を探すのです。

たとえば、この「詩人」の例を、「画家」にしたとても、「写真家」にしたとしても、「逡巡する」「微差に執着する」といった「客観表現」は、そのまま使用可能です。つまり、これらの表現は例示的な話題のなかにあるものの、一定の客観性を保っているのです。

以上により、次のような答案が成り立ちます。

解答例

人は、表現の不可逆な定着を成立させる際、微差に執着し、逡巡するほど、未成熟で吟味の足りないものを発露せぬよう暗に意識するということ。

「白」「白紙」「紙」などの語句を使用せずに答案化したいですね。