(三)「ひとまとまりの「私」という錯覚」

(三)「ひとまとまりの「私」という錯覚」とはどういうことか、説明せよ。

「錯覚」という体言までの傍線部であるのに、「どういうことか」と問われている。

これも(一)と同じように、「述語化」して書けるとよい。

この問題は、傍線部内の「錯覚」について、

「思い込み」などと書ければ 加点
「錯覚」のままは加点減点なし
「錯覚」を無視しているものは 減点

という基準になっている可能性がある。

「どのような錯覚」なのかについては必ずふれ、「錯覚」という熟語そのものについては、できれば言い換える工夫をしよう。

〈ひとまず答案〉
人間は自己のなかの自律的に作動する 複数の自己によって本質的に分裂されており、それらと、同一化するなかで新しい自己が形成されるように思い込むということ。

傍線部の直前に、「それらとの対話と交流のなかに」という論点がある。これを落とさないようにしたい。

傍線部の直前にある「対話と交流のなかに」というのは、「ひとまとまりの私という錯覚」が生まれる環境なのであるから、いわゆる「前提(背景)」答案には出しておいたほうがよい。さらに、「それらの」という指示語の指示対象を拾い、「自己の中で自律的に作動する複数の自己」という論点も必要になる。

解答例

人間は、自律的に作動する複数の自己によって本質的に分裂されているが、それらの対話や交流のなかで、一貫した自我を持つ存在だという誤った自己意識を持つということ。

大学側が想定している「模範解答」のレベルでは、

「統合された一つの自我を持つと思い込んでいる」
「一貫した自我を持つ人間存在であると誤認している」
「統一された一人格であるという誤った自覚をもつ」

など、本文にない語彙を用いて端的に説明することが期待されていると考えられている。

したがって、「自我」とか、「一人格」などといった「文中にない語句」を思いつくのであれば、使用したほうがよい。

ただし、「自身の語彙力」というのは、本文に話題がないことを自由に作文していいというわけではない。「本文に長々と書かれているものを端的に言い換えられるとよりよい」というように考えよう。

参考(再現答案)

実際は自己のなかには自律的に作動する複数の自己が存在しているが、それらと対話や交流をおこなううちに一つにまとまった自我が存在するように思われてくるということ。