(二)「落語家の自己はたがいに他者性を帯びた何人もの他者たちによって占められ、分裂する」とはどういうことか、説明せよ。
この問題は「隠れ指示語の問題」である。

傍線部と直前の文が「接続詞・副詞」といった「目印」がない状態でつながっており、その「直前文」に「指示語」があります。
こういう構文の場合、「傍線部そのものに指示語がある」ケースと同じ扱いになります。
指示語が指している内容を過不足なく表現しましょう。
指示語の対象を表現し、傍線部を言いかえると、次のような答案になる。
〈ひとまず答案〉
落語家の自己は、根多のなかの人物に瞬間瞬間に同一化し、おたがいがおたがいの意図を知らない複数の他者として現れた状態で維持されるということ。

さらなる得点向上のために、次の①②を考えてみましょう。
+αのためのその①
「分裂」というからには、「かわるがわる複数の人間になる」という説明では足りない。
「昨日は熊さんで、今日ははっつあん」という程度であれば、それは「分裂」というよりもただの「変化」である。
そうではなく、落語を演じている落語家の「自己」は「5秒前は熊さん」で、「今ははっつあん」で、「10秒後はまた熊さん」という「目まぐるしい状況」がずっと続くのである。
「複数の他者がいくつも現れた状態でキープされている」からこそ「分裂」といえるのである。その点で、本文中にある「維持」は重要なキーワードである。解答に取り込みたい。
その際、「維持」という語はそのまま答案に書き込んでよい。傍線部外の「熟語」を答案に使用する場合は、特に言い換えずにそのまま使用して問題ない。
+αのためのその② 主語(主題)のさらなる規定(限定)
先ほどの答案と、傍線部の主語を見比べてみよう。
〈傍線部〉落語家の自己は
〈答案〉落語家の自己は
同じである。ここに「説明不足」が発生している。
現実の事例で考えてみる。たとえば、立川志らくは「落語家」だが、志らくはいつもいつも複数の他者を同時に抱え込み、分裂しているのだろうか? 「ひるおび」でコメントする際に、「なあ八つあん。なんだい、熊さん」などと話しているだろうか?
そんなことはない。「ひるおび」で話しているときの志らくは、「志らくとしての志らく」である。
あくまでも、「落語を演じているときの志らく」こそが、「複数の他者を同時に内在させている存在」なのである。
このように、主題(主語・主部)の概念を、文脈に合わせて適切に定義したほうが、より説明的になる。
解答例
ひとり芝居を演じる落語家の自己は、根多のなかの人物たちに瞬間瞬間に同一化し、互いが互いの意図を知らない複数の他者として現れた状態で維持されるということ。

〈ポイント〉主題・主語の範囲指定(概念規定)
「今、何の話?」というテーマを示す役割を果たすのが主語(主部)です。
傍線部の主語は輪郭がぼんやりしていることが多いので、「今、この話です!」と範囲をくっきりと示すと、論点が明確になります。
今回の問題で言えば、「落語家」の話をしているのではなく、「一人芝居としての落語を演じている際の落語家」の話をしているので、そのことをきちんと書くほうがよいですね。
参考(再現答案)
芝居を演じる落語家は、根多のなかの複数の人物に代わる代わる同一化し、互いの意図を知らない複数の他者として、そこに現れ続けているということ。