(二)「慰霊団の現地での慰霊行動は、私には十分に理解できるものである」

(二)「慰霊団の現地での慰霊行動は、私には十分に理解できるものである」とあるが、なぜ「十分に理解できる」のか、説明せよ。

「なぜ十分に理解できるのか?」に対して、根拠となる「理由」を探していくのであるが、ここでは「対比」に注目したい。

④段落・⑤段落には、「理解できない外国人」の例が出てくる。

④段落の最後には、

このような慰霊の仕方、遺骨の収集は、日本人ならば少しも奇妙な振る舞いではないのである。

と書かれている。それと対比されるように、⑤段落の後半には、

日本文化のコンテキストに位置づけて解釈できない異文化の人が、その姿を見て奇妙な感じを抱くのは当然のことであろう。

と書かれている。

ここをまとめると、次のような下書きが成立する。

下書き

遺骨を収集するといった慰霊団の慰霊行動は、日本文化のコンテキストに位置づけて解釈すれば、少しも奇妙な振る舞いではないから。 

さて、「なぜか?」の問題であっても、「不明瞭」な点は少しでも具体化をはかろう。

大原則として、「採点者は、傍線部と設問しか見ていない」と仮定しておきましょう。

先ほどの〈合格答案〉だけを見ると、「日本文化のコンテキスト」って何? という「さらなる問い」が生まれてしまう。

したがって、「日本文化のコンテキスト」を、「どういうことか」のつもりで具体化してみよう。

「コンテキスト」は「コンテキスト」のままでもよいが、辞書的意味に換言するのであれば、「文脈」「背景」のことである。すると、「日本の文化的背景」などと書くこともできる。「日本文化の文脈」でもよい。

さて、では、「日本の文化的背景」とはどのようなものであるかといえば、

⑤段落の最後には、

~この光景に対する「私たち日本人」と「彼ら」との受け取り方の違いに、日本文化の特徴、とりわけ日本人の「霊」への信仰の特徴が示されている。

と書かれている。「特徴」というからには、これこそ「日本の文化的背景」に相当する。このことから、

日本に特徴的な、霊を信仰する文化的背景

などと説明することが可能である。

以上により、次のような下書きが成立する。

解答例①

遺骨を収集し、供養するといった慰霊団の慰霊行動は、日本独特の霊を信仰する文化的背景に位置づけて解釈すれば、少しも奇妙な振る舞いではないから。 

「コンテキスト」というカタカナは、傍線の内部にあるわけではないので、「コンテキスト」のままでも問題ありません。

「背景」などと言い換えるのは、あくまでも「字数圧縮」のためです。

こういった「言い換え」よりも、「霊を信仰する」という具体的内容」に踏み込むほうが重要だと考えましょう。

では、最後に「高得点答案」を考えておきましょう。

「なぜか」に答える際の本質論になりますが、原因やきっかけを問う「なぜか」の設問(単純ななぜかの問題)は、多くの場合、「結論」が成り立つためには、「前提」が2つ必要になります。

俗に言う、「三段論法」です。

例を2つ考えてみよう。

〈例その1〉

① ペンギンは飛ぶことができない鳥である。
② ゲレゲレはペンギンである。
→ 「①は真」「②は真」ゆえに「ゲレゲレは飛べない」という結論が成り立つ。

この場合、「ゲレゲレが飛べないのはなぜか?」と問われた場合、

ペンギンは飛ぶことができない鳥だから。

と答えても、論点が片方しかないので、得点は半分である。一方、

ゲレゲレはペンギンであるから。

と答えても、論点が片方しかないので、得点は半分である。この場合、

ゲレゲレはペンギンであり、ペンギンは飛べない鳥であるから。

と答えるのが正しい。

〈例その2〉

① よしおが父を怒らせるようなことをした。
② 父は怒りのあまり自身の暴力を制止できない。
→ 「①は真」「②は真」ゆえに「よしおは叩かれた」 という関係性になる。

ここで、「父」が「よしお」を「叩いた」のはなぜか? と問われた場合、

よしおが父を怒らせ、その怒りのあまり父は暴力を制止できなかったから。

などと答えるのが正しいということになる。

このように、「理由・前提」を問う「なぜか」の問題は、多くの場合、「三段論法」を組み立てることで答案が完成します。

ただ、「三段」と考えるとちょっとややこしくなるので、難しく考えずに、「前提が2つあることが多い」くらいに考えておきましょう。

さて、設問に戻ろう。

この傍線部には、「主語が2つある」ことに着目したい。

主語① 慰霊団の現地での慰霊行動は
主語② 私には

「なぜか」の問題で、「主語に言及しない」ということはありえません。

2つあるのであれば、2つとも説明することが大切です。

こういう問題は「チャンス」である。

なぜなら、「主語が2つある」という点で、すでに「前提となる論点」が二つ確保されているからである。

主語① を具体的に説明し、
主語② を具体的に説明すれば、

その「2つの前提」によって、自ずと結論までの「道」ができてしまうことも少なくないのだ。

実際に、この問題に対する高得点答案の〈最後のパーツ〉「私が日本人であるから」である。

「私」≒「日本人」であるからこそ、「私」は、慰霊団の行動を奇妙に思わないのである。

以上により、次のような答案が成立する。

解答例②

遺骨を収集し、供養するといった慰霊団の慰霊行為は、日本人である筆者から見れば、霊を信仰する日本独特の文化的背景に相応するものであり、奇妙ではないから。

細かい話ですが、

私(私たち)

という表現は、記述答案では極力避けましょう。可能な限り客観化したほうがよいのです。ここでは、「筆者」とすればよいですね。

文脈次第では、「人間は」「日本人は」などとする場合もあります。

*小説などの出題で、「私」としか書きようがない場合は、「  」を付して書くようにしましょう。

参考(再現答案)

日本人である「私」は、生存した慰霊団の人々が戦死者に哀れみや申し訳なさを抱え、常に背負う彼らの目を安らかにするための慰霊行為を受け入れられるから。