(五)「その骨を依り代にして帰国する霊を迎えたいという「思い」は、国家だけではなく、民衆のなかにもあったとみるべきであろう」

(五)「その骨を依り代にして帰国する霊を迎えたいという「思い」は、国家だけではなく、民衆のなかにもあったとみるべきであろう」とあるが、なぜそのように言えるのか、100字以上120字以内で述べよ。

この問題は、とても難しいのですが、次のように考えてほしいです。

(四)でも言及したことですが、「いえるのはなぜか」というタイプの問題は、「原因」を聞いているというよりは、「傍線部の説明と、そのように判断できる根拠(=論拠)」を聞いています。

そのため、まずは「傍線部そのものの具体的言い換え」が大切です。

そのうえで論拠(傍線部のように判断できる根拠とみなせるポイントを答案に取り込む必要があります。

つまり、「単純ななぜか」とは異なり、「いえるのはなぜか」の問題は、「傍線部そのものの具体化+そう判断できる根拠」で答案が完成することが多くなります。

ということは、「いえるのはなぜか」の問題は、「どういうことか」に近い問題なんだな。

区別しておくと、

「どういうことか」は「傍線部の具体化」

「いえるのはなぜか」は「論拠(判断の根拠)の取り込み+傍線部の具体化」

「なぜか」は「前提の説明+前提の説明」

という感じになります。

「どういうことか」と「なぜか」のあいだに位置しているのが「いえるのはなぜか」の問題だと考えられますね。

そういう意味で、「いえるのはなぜか」の問題を解くときは、単純な「なぜか」に比べると、「どういうことか」を解答するときに近い作業になります。

とはいえ、あくまでも「なぜか」の問題ですから、文末を「~から。」にすることを忘れないように意識しましょう。


さて、傍線部にある「思い」というものを、よりくわしく具体化してみましょう。

「国家」にとっては、「政治的に利用しよう」という「思い」がありました。だからこそ、「霊魂が乗り移るもの」として「遺骨を集めたい」と考えたのですね。

「民衆」にとっては、近代国家の成立以前から、「霊の目」を意識した「生きている後ろめたさ」があったので、その慰霊のために、「遺骨を集めたい」と考えたのですね。

まずはそのことが書ければ、〈合格答案〉の水準には持って行くことができます。

〈合格答案〉
霊魂が乗り移るものとして遺骨を収集し、霊を慰めようする思いは、政治的に利用する目的で国家に存在したが、同じ思いは、霊の視線を意識した後ろめたさゆえに、民衆にも存在していたから。

これだと、ほとんど「どういうことか」に対する解答みたいだね。

「いえるのはなぜか」に対する解答の骨格は、「どういうことか」に対する解答とけっこう似たものになります。

けれども、「なぜか」と問われている以上、何らかの「根拠(判断の根拠)とみなせる論点」を解答に取り込むことが大切です。

筆者が、このように、「遺骨を収集したいという思いは民衆にもあった」と判断した根拠は、どこにあったのでしょう。

「民衆の側が、国家の儀礼行為を信仰に組み込んでしまった」

軍事国家がなくなったあとも、遺骨の収集活動がなくならなかった」

といった事実が「判断の根拠」なんじゃないかな。

こういった事実を論拠にして、「もともと民衆にはそういう思いがあったんだ」と言っているんじゃないかな。

それが、まさに傍線部の前後に書かれていることでしたね。

遺骨を収集したいという「思い」が、「国家」にしかないのであれば、その活動を考案した軍事国家がなくなったときに、「遺骨の収集行為」もなくなってよかったはずです。

しかし、遺骨の収集活動は、依然として残り続けました

国家だけではなく、そもそも「民衆」の側に、「遺骨の収集」を積極的に許容する「思い」があったからこそ、軍事国家解体のあとも、この慰霊行為は残り続けたのです。

そのことから、

「民衆の側が、国家の儀礼的行為を信仰に組み入れてしまった」とか、

「軍事国家がなくなったあとも、遺骨収集の活動が存在し続けた」といった情報を

「論拠(判断の根拠)」として取り入れることができると、パーフェクトな答案になります。

解答例

国家は、政治的に利用する目的で、霊魂が乗り移る遺骨を収集して霊を慰めようという思いを持ったが、そもそも民衆のほうに、霊の視線を意識した後ろめたさがあったため、その信仰心に組み込む形で、軍事的国家の解体後も遺骨収集が存在し続けたから。

答案内の順番として、

「傍線部そのものの説明」と「そう判断した根拠(=論拠)」は、どちらを先に書いても大丈夫です。意味がわかる日本語になっていれば、どちらを先に書いても大丈夫です。

参考(再現答案)

骨を依り代とした死者への慰霊行為は、元来戦前の国家が意図的に作り出した儀礼だが、戦後非政治的状況においても同質の慰霊行為がうかがえるように、霊への負い目を浄化しようとする民族的信仰に合致し、民衆の信仰に組み込まれ自然なものとなっているから。