記述問題の心がまえ

究極の答案と至高の答案

山岡さん! 記述問題の心がまえを教えてよ。

いいだろう。

課題文に目を通すことは当然のこととして、
同じくらい大切なのは「問いを読むこと」だ!

そんなの、あたりまえじゃない!

いや、試験本番という緊迫した場面だと、みんな浮き足立っていて、この作業が正確にできなくなるんだ。

「なぜか?」と聞かれているのに、「~ということ。」なんて答えてしまう。

そんなことを、きみだってしょっちゅうやっているだろう。

失礼ね。

たとえば、「なぜか?」と聞かれていたって、「傍線部のようになったのはなぜか?」と問われることと、「傍線部といえるのはなぜか?」と問われることは、解答において期待されていることが違う。方針を立ててから解答の構成を思考するべきなんだ。

そうかしら。

ふむ。ある問題が「10点満点」であると仮定して、どこにどのくらいの点が入るかを考察しよう。例として、センター試験の問題を見てみよう。

 身体がその生身で直接に生きる世界とは別に、ことばがそれだけで独自に開く世界がある。そのことを人は「ことばの宇宙」と呼んできた。もとよりそれは一つの比喩である。ことばがまったく身体の世界からの支えなしに、それだけで成り立つということは、本来ありえない。
 身体が生きる世界を離れ、それとの関係の一切を断ってしまったところでは、個々のことば自体が意味をなさない。だいいち、語り出す声は身体から発する息の音であり、書きつけた文字は身体の仕草の痕跡である。この身体を出入りする息、身体の紡ぎだす仕草ぬきに、ことばはありえない。これはあまりに当たり前のことである。
 しかしそれだけではない。ことばで語り出す世界の中身そのものが、この生身で生きる世界を離れては、根を失う。雪を肌に受けて震える身体、その下で冷たい冬を過ごす身体をぬきには、[yuki]はただの音声にすぎないし、「雪」の文字は意味不明の模様にすぎない。あるいは風の音を聞き、それが頬に触れる感触をもつ身体を離れては、[kaze]はただの無意味な音声以外のものではなく、「かぜ」はただの無意味な綴りでしかない。ことばはすべて、どこかで身体の世界に根ざしているこれもまた自明の理である。

浜田寿美男『「私」とは何か』

〈問〉傍線部「ことばはすべて、どこかで身体の世界に根ざしている」とはどういうことか、説明せよ。

まず、どんな問題でも、傍線部があったら、〈項〉と〈結論〉を確認することが大事だ。

〈項〉って何?

ざっくり言うと、「述語に直接係っていく前提」のことだ。

たとえば、「僕が歩く」であれば、「歩く」という述語に直接係っていくものとして、「僕が」という主語があることになる。

「よしおが公園に行く」であれば、「行く」という述語に直接係っていく前提として、「よしおが」と「公園に」があることになる。

この場合の「行く」は、〈項〉を二つ持っているので、〈二項述語〉と呼ぶんだ。

ということは、〈三項述語〉なんていうのもあるの?

ある。

「よしおが、トムに数学を教える」

という文であれば、「教える」は、「よしおが」「トムに」「数学を」という3つの項を持っていることになる。この場合の「教える」は「三項述語」だね。

日本語の文は、たいていが「一項~三項述語」だ。

「述語」には、前提としての〈項〉がある。まずはその意識が必要だ。

「述語」からさかのぼって、直接係っていく前提を確認しよう。多くの場合、それは〈主語〉や〈目的語〉だ。

〈項〉+〈述語〉というセットによって、文は文として成り立つと考えておこう。

たとえば、「栗田さんが会社を休んだ」であれば、〈述語〉は「休んだ」だ。その「休んだ」という述語が「文意」を持つものとして成立するためには、「誰が休んだのか?」「どこを休んだのか?」という〈前提〉が必要だろう。それが〈項〉だ。

だから、傍線部があったら、

何がーどうする(どうだ)
何がー何にーどうする(どうだ)
何がー何をーどうする(どうだ)
何がー何にー何をーどうする(どうだ)


といった〈項〉+〈述語〉を確認しよう。それが答案の〈骨格〉になる。

「どういうことか」の問題であれば、「述語」は必ず説明するものとして、その前提として、「が(は)」「に」「を」を伴う〈項〉には言及するようにしよう。

答案においては、その〈骨格〉には何らかのかたちで言及されなければならない。そうでなければ論理が破綻するからだ。

ただ、単純に「なぜか?」と問われた時は、結論の直前までが問われているのだから、基本的に「どうする(どうだ)」は書かないのだけれど、それはまた別の機会に話そう。

また、「どういうことか?」と問われた時に〈何が〉を書かなくていい場合もあるけれど、例外的なものだから、これも別な機会に話そう。

わかったわ。「どういうことか?」という問いに対しては、原則的に、傍線部を含む一文の〈項〉+〈述語〉に言及するということね。

そうだ!

ただ、そのまま書けばいいってわけじゃない。問題になっている以上、何かしらの理由で「説明が必要」なはずなんだ。だから、本文の別の場所の表現を用いて、傍線部よりも「もっと説明的」に換言する必要がある。

もちろん、〈項〉+〈述語〉がそもそもすでに「説明的」ならば、言い換える必要はない。

でも、そもそも「説明的」であるならば、傍線部を引いて「説明せよ」と問う意味がないね。つまり、

何がー何にー何をーどうする(どうだ)

のうち、少なくともどれか一つは、「言い換えなければならない表現」になっているはずなんだ。

蛇足かもしれないが、「どういうことか?」という問題においては、最も言い換えなければならない部分は、たいていの場合〈述語〉だ。そこに一番配点が高くつくケースが多い。

一方、「なぜか?」の場合、言い換えなければならない部分は〈項〉になることが多いね。

さて、言い換えの主な作業は、

「比喩表現」は、たとえではない実態に言い換える!
「多様な解釈が可能な語」は、文脈に沿って一意に限定する!
「概念語(抽象的な熟語など)」は、語義にふみこんで説明する!


といったものだ。

すべて、できるだけ本文の別箇所の表現を利用しよう。言い換えが存在しなければ、辞書的意味を用いて説明しよう。

今回の傍線部の「ことばはすべて、どこかで身体の世界に根ざしている」というのは、

ことばはー身体の世界にー根ざしている

という〈骨格〉を持っているな。これを説明的に換言することこそが解答の〈核心〉だ!

一番わけがわからない表現は「根ざしている」だな。これは〈比喩〉だ。だって、「ことば」が俺たちの身体に根をはって、樹みたいに生えているわけではないからね。

直前の例示的表現の中に、「身体が関わらなければ無意味」と書かれているわけだから、これを反対側から書けば(対偶として書けば)、「身体が関わることで意味をなす」などと説明することができる。「無意味」の逆なんだから「意味がある」「意味をなす」「有意味」などと書けばいいね。

記述問題であれば、「意味」という語句は絶対に書きたい。そのくらい重要な語だ。

さらに、「根ざしている」というからには、単純に「関わっている」と説明するよりも、

「ことばの意味は、身体が基礎となる」
「身体を基盤として意味が出る」
「身体があってこそことばに意味が出る」
「身体があってはじめてことばは意味をなす」などと書けるとよりよいね。

では、「ことば」はどうだろう?

例示でもないし、比喩でもない。十分に客観的な語句だから、このまま書けばいいわ!

いいだろう!

ただし、「一般的な語句」は、簡単に通じるぶんだけ、意味が広くなりすぎていないか注意したほうがいい。

特に、日本語では「主語をしっかり書かない」というくせがあるから、書いてあったとしても、ぼんやりした書き方になっていることが多い。代名詞や指示語なんかも、主語になりやすいね。

でも記述問題では、この〈主語〉が曖昧だと、一文の論理において、主題(テーマ)の明確化ができていないことになってしまう。厳しく言えば、テーマの設定につまずいていることになりかねないんだ。

たとえば、現代と江戸の対比の文章で、江戸の話をしている段落に傍線部が引かれているとしよう。

「そこでは、人は地産地消をしていたのである」といった具合に傍線部があるとする。このとき、傍線部の主語は「人」だな。しかし、「人」っていうのは実に多岐にわたる言葉じゃないか。富井係長も人だし、大原社主も人だ。縄文人も人だし、ヨーロッパ人も人だ。キムタクも人だし、俺も人だ……チッ。

なんで舌打ちしたの?

まあとにかく、この場合の「人」は、明らかに「江戸の人」を指している。それ以外の「人」は意味していないんだ。このように、前後関係から、限定が可能な場合には、「江戸の人」などと限定的に書くなどして、主語の概念を規定する必要がある。この一文のテーマをぼかさずに、くっきりと明らかにするんだ。

問いに戻ろう。ここでは、前段落の内容を受けて、「だが、それだけではない」という〈論点追加〉の形式で話が進んでいく。逆接ではないことに注意しよう。これは「それだけじゃないよ」と述べているのだから、「追加」だ。

前段落は、「ことばの生成過程」の話だったな。ことばがこの空間に生まれ出るときには、身体が物理的に必要だ、という話題だった。たとえば俺が「この豚バラ肉はできそこないだ。食べられないよ」と言ったとしよう。この表現がこの地上に存在することができたのは俺のおかげだ。俺の身体が言葉を生成したんだ。その意味で、「ことばの生成には身体が必要だ」と言える。

でもそれだけじゃない。君が、「豚バラ肉」ということばを聞いて、すぐにすんなりイメージすることができたのは、豚バラ肉を食べたことがあるからだ。いや、豚バラ肉そのものでなくたっていい。それっぽいものを食べたことがあるから、近いものをイメージできるんだ。

そういう「身体の基盤」がなければ、たとえ「生成されたことば」があるとしたって、イメージに結びつかないという点で、ことばは無意味になってしまう。この傍線部の段落で述べているのはそういうことだ。

ということは、この段落で述べている「ことば」というのは、「ことばによってイメージされる意味内容のことを意味していると考えなければならない。

以上のことから、この解答の〈核心〉は、次のように書くことができる。

〈核心〉
ことばによってイメージされる意味内容は、身体を基盤にして意味を持つということ。

なんとなくわかったわ! 

「比喩解読」「主題の規定」「概念語の意味説明」ね。

今回は「概念語の意味説明」はなかったけど、「比喩解読」と「主題の規定」は必要だったわね。

「すべて」「どこかで」といった、本文とは無関係に理解できる語句は、出題者にとって「説明してほしい」と考えている部分とは考えにくい。だからそのまま書いてもいいし、無視してもいい。

ただし、方法論としては、自分のことばでいいから、「言い換える習慣」をつけておくほうが無難だ。様々な問題をこなしていく中で、「これは言い換えるべきかな」「これは言い換えなくてもいいかな」と考える時間のほうがもったないからだ。「基本は言い換える」という姿勢でいるほうがいい。

今回は、次のような答案が書ければ〈ぎりぎり合格答案〉だ。

〈ぎりぎり合格答案〉
どのようなことばであっても、ことばによってイメージされる意味内容は、身体と何らかの接点を持ち、それを基盤とすることで意味を持つということ。 

ただ、この答案だと、傍線部の直前にある話題をあまりにも拾っていないね。

ここで、傍線部内の「どこかで」についてちょっと考えてみよう。

雪を肌に受けて震える身体、その下で冷たい冬を過ごす身体をぬきには、[yuki]はただの音声にすぎないし、「雪」の文字は意味不明の模様にすぎない。あるいは風の音を聞き、それが頬に触れる感触をもつ身体を離れては、[kaze]はただの無意味な音声以外のものではなく、「かぜ」はただの無意味な綴りでしかない。

この部分を受けて、筆者は「ことばはすべて、どこかで身体に根ざしている」と述べている。

こことの関わりで考えると、ある個人の「経験」や「感覚」といったものの記憶によって、ことばの「意味内容」が生成されるといえる。

すると、「どこかで」というのは、「その人」の人生経験の総体の「どこか」に接触しているという意味でとらえることができる。個人個人がかつて経験した何らかの感覚をもとにして、その人特有の仕方で「ことばの意味内容」は理解されるんだ。

そう考えると、次のように書くほうが、答案はずっとわかりやすくなる。

〈合格答案〉
どのようなことばであっても、ことばによってイメージされる意味内容は、個々人がかつて経験した何らかの感覚をもとに想起されるという点で、身体を基盤として意味を持つということ。

〈採点基準〉⑩点
どのようなことばであっても、(ないと減点) *「ことばはすべて」のままでも可
ことばによってイメージされる意味内容は ②点
人が経験した感覚をもとに想起される  ②点
身体を基盤として意味を持つ ④点

「完璧」ではないが、十分合格圏内に入る答案だ。

この解答を作ったのは誰だあっ!

山岡さん、何か来たわ!

士郎、この大たわけが!

それなりな答案を書いてはいるが、制限字数が100字もあるわりには、冗漫な部分が多すぎる。特に前半がだめだ。

ふん、雄山……。言いたいことはわかるさ。

【論拠】や【対比】の補充はどうしたのか?ってことだろ。傍線部を含む一文の論理関係を整理整頓して答案に再構成することは必須の作業だからな。そりゃあ、俺だって論理関係を構築するための【補充】をしたかったさ。

けれど、この段落には、結論に至る【論拠】も、明確な【対比】もない。

たしかに、「〇〇は、~であるため、□□ということ」というように、【論拠の補足】をしたり、「〇〇は、~ではなく、□□ということ」というように、【対比の補足】をしたりすれば、より説明が親切・丁寧になることは明白だ。

ただ、それはあくまでも「~によって」「~から」「~のため」などという【論拠表現】がある場合や、「~である一方、~」といったように、対比が認められる場合だろう。

傍線部が存在する段落に、そういった表現はない。だから、【論拠の補足】や【対比の補足】は、今回に関しては必要ない。本文にないことを書くわけにはいかないからな。

わあっはっはっはっはっ!

これは大笑いだ!

では聞こう!

「対比」は本当にないのか?

し、しまった……。そうか……。「広い文脈」か。

おれはもしかして、もう少し長い、段落と段落のつながりで、何か見落としているのか?

言われてから気づいて、それでどうしたと言うんだ。お前は試験会場でも、誰かに何かを言ってもらうつもりか?

「ことば」について、さきほど、お前自身が説明していたではないか!

音声や文字のように、物理的な現象として立ち現れる「ことば」も、「身体」によって生成される。

しかしそれだけではなく、その「ことば」によってイメージされる意味内容も、想像する人間の「身体」と何らかの関わりを持つ。

この段落と段落のあいだに、「対比」があるではないか。

もちろん、制限字数が50字程度であれば、余計な対比項目を入れる必要はないが、100字という長い制限字数を考えると、明示されている対比は補足として入れたほうが、いっそうわかりやすい答案になるのではないのか?

そのとおりだ……。たとえば、

音声や文字としてのことばが身体によって生成されるだけではなく、ことばによってイメージされる意味内容はすべて、~

という主語にしたほうが、いっそう、わかりやすい答案にできる……。

その通りだ。

そのほうが内容の詰まった答案になるであろう。

しつこく繰りかえすが、50字くらいの問題であればそこまで情報を入れることはできない。しかし、100字もあるのだから、冗漫なことをだらだら書くよりも、対比の補充ができたほうが、傍線部で述べていることがわかりやすくなるはずだ。

さらに言おう。

「どこかで」に関しても、お前は詰込みが甘い。

「どこかで根ざす」というからには、「ぴったり」根ざしているわけではなかろう。これは、「一見根ざしていないように見えながらも、よく見ると根ざしていた」と解釈すべき表現ではないのか?

もちろん、そんなことが本文のどこにも書いていなければ、解答に書くわけにはいかぬ。書いていないことを書いてしまっては、主観的な読みにすぎないと、審査員から一笑に付されてしまう。

しかし、本当に書いてはいないか? 士郎。

あ……。まさか……。

そうだ! この前の前の段落だ!

そこには、「生身の身体が生きる世界とは別に、もう一つの世界を立ち上げる」という「ことばの宇宙」の話題があるではないか!

このときの「イメージ」こそ、「どこかで根ざしている」というべき現象なのではないか。そうだろう。たとえば、目の前で雪が降っていて、それを「雪」と呼ぶようなときは、どこかで根ざしているどころか、まさにぴったりと根ざしているではないか。

「どこかで」というからには、よくよく見ると、かすかに根ざしていた」という現象として、理解されるべきではないのか。

そう考えれば、この「ことばの宇宙」の話題を、解答に取り込むことができたほうが、「どこかで」に深く言及したものとして、解答の質がよりいっそう充実するはずだ。

このような、〈核心〉以外の部分は、正直に言って加点は低い。採点基準に上がっていない可能性すらあるだろう。しかし、だからといって無視してよいのか? 

だめだ……。

たしかに、優先順位としては、〈核心〉を構成することが最も重要だ。

しかし、文章には段落から段落への「流れ」がある。俺は、「大きな流れ」を見落としていたのか……。俺が、浅はかだった……。

いいえ! 山岡さんは間違っていないわ!

海原さんは大切なことを忘れている。それは「試験時間」よ!

少ない試験時間内で、細部の要素まで解答に取り込もうとするのは無茶よ!

知ったような口を利くな! 小娘が!

時間が少なければ、ぎりぎりまであがいてあきらめればよいだけのこと!

〈至高の解答〉を狙いにいって最終的に書けないことと、初めから無難な解答しか目指さないことは、天と地ほども違うことだ!

おまえらの憧れる大学が、そんなチャレンジスピリットのない人間を欲すると思うのか!

わしの答案は、こうだ。

〈上位合格答案〉
文字や音声としてのことばが身体で生成されるだけでなく、ことばで想像される意味内容はすべて、当人がどこかで経験した感覚に依拠するゆえ、現実と別世界を想像する場合すら身体を基盤にして意味を持つということ。

〈採点基準〉⑩点
文字や音声としてのことばが身体で生成されるだけでなく、 ①点
ことばで想像される意味内容はすべて、   ②点
当人がどこかで経験した感覚に依拠するゆえ、②点
現実と別世界を想像する場合すら      ①点
身体を基盤にして意味を持つということ。  ④点

(負けた……。その通りだわ……。記述答案の、鬼のような人……。)

ちなみに100字ぴったりだ。

(今回は負けたが、いつか書いてやる。〈究極の解答〉をな……。)

まとめ

実際の入試では、

a.指示語や比喩の解読に5割
b.論理関係の再構築に3割
c.対比や因果の補充に2割

の得点が入ると考えるといいですね。〈c〉は、字数に余裕があればできることなので、制限字数が短めなら〈a〉〈b〉のみで答案を構成します。

〈a〉〈b〉のみ、すなわち〈項〉+〈述語〉にしぼって〈核心〉を構成するだけでも、〈情報点〉としては8割くらい入ります。

その情報を論理的に記述することができれば、そのまま8割の得点になりますが、多くの受験生は、「余計なことを書いてしまう」「漢字をミスしてしまう」「主語と述語がねじれている」などのエラーで減点されます。すると、多くの受験生の得点が6割程度に落ち着きます。

いずれにせよ、選択肢問題ならば、中心的な論点を収集するだけでも、あとは選択肢を見比べることで正解を導けます。「書くなら……」という姿勢で正解を考察することはもちろん重要なのですが、あまり細かいことまで気にせず、〈核心〉となる〈骨格〉を考えたら、それに沿った選択肢を選びにいきましょう。