このこころを凍らせるような孤独

東大二次試験の国語では、文科80点より上に行くには非常に高い壁があり、容易には突破できません。誤解を恐れず言えば、国語で80点を超えるようにするためには、やや偏った学習をする必要があり、しかも、それをしてもなかなか届かないので、学習時間を他の科目に回したほうが総合的な得点力は上がります。一般論としては、国語は70点を突破すればよいとされています。

ただ、80点を取るような答案がどういうものなのかについて知っておくことは、当然ながら70点を取るための学習には効果的なので、80点を超える得点者がどういった答案を書いているのかについて見ておこうと思います。

例題は、東大2014年第一問(一)です。

 いざ仕事をしているときの落語家と分析家の共通するものは、まず圧倒的な孤独である。落語家は金を払って「楽しませてもらおう」とわざわざやってきた客に対して、たった一人で対峙する。多くの出演者の出る寄席の場合はまだいいが、独演会になるとそれはきわだつ。他のパフォーミングアート、たとえば演劇であれば、うまくいかなくても、共演者や演出家や劇作家や舞台監督や装置や音響のせいにできるかもしれない。落語家には共演者もいないし、みんな同じ古典の根多を話しているので作家のせいにもできず、演出家もいない。すべて自分で引き受けるしかない。しかも落語の場合、反応はほとんどその場の笑いでキャッチできる。残酷までに結果が演者自身にはねかえってくる。受ける落語家と受けない落語ははっきりしている。その結果に孤独に向かい続けて、ともかくも根多を話し切るしかない。
 分析家も毎日自分を訪れる患者の期待にひとりで対するしかない。そこには誰もおらず、患者と分析家だけである。私のオフィスもそうだが、たいてい受付も秘書もおらず、まったく二人きりである。そこで自分の人生の本質的な改善を目指して週何回も金を払って訪れる患者と向き合うのである。分析料金はあまり安くない。普通の医者が一日数十人相手にできるのに対して、七、八人しか会えないので、一人の患者からある程度いただかないわけにはいかないからだが、たいてい高いと思われる。真っ当な鮨屋が最初は高いと思えることと似ている。そういう料金を払っているわけであるから、患者たちは普通もしくは普通以上に稼いでいる。社会では一人前かそれ以上に機能しているのだが、パーソナルな人生に深い苦悩や不毛や空虚を抱えている人たちである。こういう人たちに子どもだましは通用しない。単なる慰めや励ましはかえって事態をこじらす。そうしたなかで、分析家はひとりきりで患者と向き合うのである。何の成果ももたらさないセッションもすくなくない。それでもそこに五十分座り続けるしかない。
 多くの観衆の前でたくさんの期待の視線にさらされる落語家の孤独。たったひとりの患者の前でその人生を賭けた期待にさらされる、分析家の孤独。どちらがたいへんかはわからない。いずれにせよ、彼らは自分をゆさぶるほど大きなものの前でたったひとりで事態に向き合い、そこを生き残り、なお何らかの成果を生み出すことが要求されている。それに失敗することは、自分の人生が微妙に、しかし確実に脅かされることを意味する。客が来なくなる。患者が来なくなる。
 おそらく(ア)このこころを凍らせるような孤独のなかで満足な仕事ができるためには、ある文化を内在化して、それに内側からしっかりと抱えられる必要がある。濃密な長期間の修業、パーソナルで情緒的なものを巻き込んでの修業の過程は、それに役立っているだろう。落語家の分析も文化と伝統に抱かれて仕事をする。しかし、そうした内側の文化がそのままで適用することは、落語でも精神分析でもありえない。ただ根多を覚えたとおりにやっても落語にはならないし、理論の教えるとおりに解釈をしても精神分析にはならない。観客と患者という他者を相手にしているからだ。

〈問〉傍線部(ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

まずは、高得点者の再現答案から示します。

〈高得点者答案〉
落語家も分析家も、他者からの過剰な期待にさらされつつ、何らかの成果を生み出さなければ自分の人生が脅かされるという事態に、たった一人で向き合っているということ。

非常に上手なまとめ方です。本問においては、5/6点くらい取っていると考えられます。

なぜ5点入るのか、あと1点足りないのはどういう部分なのかについて、考えてみましょう。

傍線部内をとりあえず3つに区別すると、

この (指示語)
心を凍らせるような (比喩)
孤独 (客観語)

という分け方ができます。まずこの時点で「基礎方針」が2つ確認できます。それは、次の2つです。

①指示語は指示対象を過不足なく書く。
②比喩はたとえられている実態のほうを書き、比喩表現そのものは答案から除外する。

まずは、主語(主題)を特定しましょう。長く書けば次のようになります。

観衆の期待の視線にさらされる落語家も、患者の人生を賭けた期待にさらされる分析家も、

短くまとめれば次のようになります。

落語家も分析家も、観衆や患者からの期待に応え、~

主語(主題)は設定できたので、「こころを凍らせるような」という比喩を解読していきましょう。

「こころを凍らせるような」という語感からイメージできることは、「恐ろしい」「ぞっとする」といったニュアンスです。それが表現されている箇所を探しましょう。

傍線部(ア)の直前には、こう書いてあります。

いずれにせよ、彼らは自分をゆさぶるほど大きなものの前でたったひとりで事態に向き合い、そこを生き残り、なお何らかの成果を生み出すことが要求されている。それに失敗することは、自分の人生が微妙に、しかし確実に脅かされることを意味する。客が来なくなる。患者が来なくなる

ここをまとめれば、「心を凍らせるような」のニュアンスを答案に出すことができる。取り急ぎ「孤独」という客観語をそのまま書くとすれば、次のような答案が成立する。

〈解答例 下書き①〉
落語家も、分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、客や患者を失い、自分の人生が脅かされるという孤独のこと。

この水準で半分くらいの得点になります。東大二次の場合、現代文は半分得点できれば合格点になるので、本番でここまで書ければ十分です。

ここから、〈高得点者の再現答案〉に近づけていきましょう。

「設問」が「どういうことか」となっている点に注目してみます。「孤独」は「体言」であるので、普通は「どういうものか」と問われるはずです。しかし、ここでは「~ことか」と問われています。つまり、「動作・状態」で答えるような問い方になっています。これは、「述語化してよい」というメッセージだと考えましょう。

このような設問の際、多くの場合、その「体言」を「述語化」したような表現が本文中に存在します。探してみましょう。

いずれにせよ、彼らは自分をゆさぶるほど大きなものの前でたったひとりで事態に向き合い、そこを生き残り、なお何らかの成果を生み出すことが要求されている。それに失敗することは、自分の人生が微妙に、しかし確実に脅かされることを意味する。客が来なくなる。患者が来なくなる。

ここに、「たったひとり(で事態に向き合う)」という表現があります。これこそ、「孤独」の「動作・状態」的表現であると判断できます。

「どういうことか」の問題は、「結論部分」の説明表現は「結論部分」に置く(対応をわかりやすく書く)という基礎作業があるので、それにしたがうと、次のような答案が成立します。

〈解答例 下書き②〉
落語家も分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、客や患者が来なくなり、自分の人生が脅かされるという事態に、一人で向き合わねばならないということ。

〈高得点者の答案〉と、概ね一致していることがわかります。

ただ、「観衆や患者」「客や患者」と、同じ情報が二回繰り返されているので、字数を圧迫してしまいもったいない状態です。ここを詰めれば、また違う論点を入れることができ、いっそう充実した答案にできます。たとえば、次のようにしてみましょう。

〈解答例完成版〉
落語家も分析家も、観衆や患者の期待に応え、成果を生み出すことができなければ、対価を得る相手を失い、自分の人生が脅かされるという事態に、一人で向き合わなければならないということ。

観衆や患者が来なくなると、どうして人生が脅かされるのかというと、報酬が得られなくなるからです。第一段落にも第二段落にも、「客は金を払う」という話題が繰り返されていることからも、「客の払う金」は無視できない論点です。つまり課題文では、

(A)「期待に応え、成果を生み出す」ということに失敗する
(B)お金を払ってくれるはずの客が来なくなる
(C)人生が脅かされる

という理屈がとおっていることになります。

〈下書き②〉の時点では、(B)の論点が抜けています。それを補ったほうが、いっそう「理屈の流れがわかる答案」になります。

そこから遡ってみると、〈高得点者の答案〉は、「対価」「報酬」といった観点の情報があれば、満点水準になったと考えられます。

なお、東大文科の二次試験の国語は、

評論 40点
古文 30点
漢文 30点
随想 20点

と推測されています。今回、分析の対象にさせていただいた〈高得点者〉の答案については、古文や漢文にも明確な失点があったので、それらを勘案し、他の受験生たちの再現答案ともすり合わせて検討すると、

評論 30/40点
古文 20/30点
漢文 20/30点
随想 10/20点

くらいの得点構成であったと推察されます。

漢文がもう少し高くて、そのぶん評論がもう少し低かったかもしれませんが、それでも評論で25点は超えていたと考えられます。

評論で25点を取るためには、

(一)4/6点
(二)3/6点
(三)3/6点
(四)4/6点
(五)11/16点

といったような点の取り方をしなければなりません。分母の配点もあくまでも推測にすぎませんが、〈高得点者〉はこういった点数の取り方をしていると考えられます。

また、近年、東大の評論は設問数を減らしているので、字数制限のない、いわゆる「二行問題」は、8点くらいの配点になっているとも考えられます。すると、いよいよ「部分点」の重要性が増してきます。一つの問いを空欄で提出してきてしまうと、大打撃になってしまいます。

別の記事にて、〈高得点者〉の答案について、(二)(三)(四)(五)の部分点の取り方を見て行きたいと思います。