世紀末の思想

問1

① 滑 

ア 統括
イ 割譲
ウ 枯渇
エ 潤滑

「同じ漢字」の正解は「エ」です。

② 故障

ア 点呼
イ 縁故
ウ 凝固
エ 宝庫

「同じ漢字」の正解は「イ」です。

③ 埋

ア 埋没
イ 埋葬
ウ 埋蔵
エ 枚挙

「同じではない漢字」の正解は「エ」です。 

問2

a 猶予はない

正解は「ウ」の「先延ばしできない」になります。

b なくもがな

正解は「エ」の「ないほうがよい」になります。

古文では、「終助詞」の「もがな」「もがも」「がな」「がも」「もが」などは、「願望」「希望」を意味します。主に「他への願望・希望」を示し、「~があったらなあ」「~があるとよいなあ」などと訳します。

たとえば、現在では、「言わずもがな」という言い方が残っていますね。これは「言わないほうがよい」「言わないのがよいなあ」といった意味でです。

本問での「なくもがな」は、形容詞「ない」に「もがな」がついているので、「ないほうがよい」「ないとよいなあ」といった意味になります。


さて、ここから、読解問題に入っていきますので、選択肢の比較検討が重要になってきます。

「間違いの選択肢」には「間違い」の理由があります。「間違い」の判断材料を整理しておきましょう。

選択肢の間違いを見抜く判断材料

①論点のミス(問いに答えていない)
  ◆傍線部内の主要な論点が、選択肢中に存在しない。
  ◆選択肢の主題(テーマ)や主語が、傍線部と異なっている。    
②事実のミス(本文との不一致)
  ◆選択肢中の話題が本文に存在しない。
  ◆選択肢中の情報が傍線部と対立している。 
③因果のミス(つながり方がおかしい)
  ◆本文中での「AゆえにB」を、選択肢では「BゆえにA」としている。
  ◆本文では因果関係になっていないものを「AゆえにB」と表現している。
④範囲・程度のミス(言い過ぎ・言い足りない)
  ◆本文では限定的な情報を、選択肢は他のものにも広くあてはめている。
  ◆「AとBとC」という明らかな列挙関係のひとつにしか言及していない。
⑤評価のミス(価値判断がおかしい)
  ◆本文ではプラス評価されているものを、選択肢ではマイナス評価している。
  ◆本文では+・-評価されていないものに、+・-評価をつけくわえている。

出題者が「誤答」を作成する際には、概ね①~⑤のパターンを使います。それらが複合的に混在することもあります。実際の問題を見ながら検討していきましょう。

問3

年齢のわからない女が店番をしており、私は妻の注文を伝えた。奥のものかげから動く気配がして、老人が出てきた。(A)まるで、ほこりをかぶった彫像が眠りから醒めて近寄ってくるようだったそして左手で儀式のように丁寧に妻の手を取り、目をつぶって、手首から指先へと自分の右の手のひらを滑らせた。それが挨拶でないことはすぐにわかった。老人は店番の女に声をかけて、なにやら細かな指示を出した。女があちこちの引き出しを開けて品物を指示どおりにそろえる。

「ほこりをかぶった」「眠りから醒める」という比喩から考えられることは、「しばらく動いていない」ということです。動いていないから、「ほこり」がたまるのです。動いていないから、「眠っている」ように見えるのです。

以上の解釈から、

「長い期間、動いていなかった物体が、動き出したように見えた」

という見解に近い解答を探しましょう。

選択肢検討

選択肢ア

◆「確かな技術の持ち主」が×です。

◆「ほこりをかぶった」という比喩から、「長い期間」は読み取れるので、「経験を積み」は、×にはしにくい部分です。しかし、「確かな技術の持ち主」は、この比喩からは読み取れません。そこが決定的な×です。

◆また、後半の「期待を高めている」は、文脈上、筆者の感情に適していると考えられますが、本問は「比喩の解釈」を問う問題なので、ここが合っていても設問の正否とは無関係です。

選択肢イ 正解

◆「かなりの高齢」「得体のしれない」という表現は、「ほこりをかぶった彫像(長い時間が経過している)」「眠りから醒めたようだ(次に何をするのかわからない)」というように、対応しているといえます。

◆後半の「意外性」がやや言い過ぎな印象もありますが、他の選択肢との比較のうえでは「イ」が最もよいです。

選択肢ウ

◆「ほこりをかぶった」ように見えているのであるから、あまり動いているようには見えていません。そのことと、「誇り高き職人」は対応しません。

◆もう少し後まで読めば、「素晴らしい手袋」を用意してくれる職人であることがわかるので、この老人そのものが「誇り高き職人」であることがわかりますが、少なくとも、この「動き出した瞬間」に「誇り高き職人だ!」と思ったわけではないので、この場面の解釈としては不適です。

◆また、「店が繁盛していた昔」も、本文にその話題がありません。

選択肢エ

◆「ほこりをかぶった」という表現から、「時代から取り残され」「仕事が少なくなっている」と言いたくなるのはわかります。しかし、「ように見えたことを強調する」ならよいのですが、「~なっていることを強調する」と書いてしまうと、「時代から取り残され」「仕事が少なくなっている」ことが「事実」ということになってしまいます。本文には、事実として仕事が少なくなっているとは書いていませんので、「話題なし」で、×です。

問4

娘と妻がイタリアから帰ってきた。
私「あの手袋屋は見つかったかい。」
妻「見つからなかったけれど、ローマでいちばん古い手袋屋さんで買い物をしたわ。」
私「じゃあ、あの老人には会えなかったわけだね。」
妻「お店が見つかったとしても、もう会えないかもしれないわ。すごい年でしたもの。」
 あの老人から私たちは買い物をした。しかし(B)本当は何を買ったと言えばよいのだろう。「思い出を買った」とも言えるし、「満足を買った」とも言える買い物をするという行動の今までの生活の中で全く知らなかった意味を経験したということが、ローマで買った手袋の価値であると思う。

〈傍線部B〉のように「言っている理由」が問われているので、「なぜか」の問題です。

さて、ただし、これは単純な「なぜか」ではありません。

「なぜか?」の問題の中には、「因果関係」をメインにしているというよりも、「意味内容」の説明を求めているものがあります。

たとえば、次のようなケースです。

みんなからもらったチューリップが咲いた。この花は僕の宝物だ

この傍線部に対し、「宝物といえるのはなぜか」と問われた場合、理想的な答案は次のようなものになります。

記述想定答案

友達からもらった花なので、「僕」にとってはかけがえのない大切なものだから。

黄色のラインマーカーの部分は、「宝物」の意味内容です。

違う例も見ておきましょう。

金がなくて、最低限の生活もできなかったとき、よしおの家にころがりこんだ。よしおは、いろいろ食わしてくれた。よしおは俺の恩人だ

傍線部に対して、「恩人といえるのはなぜか」と問われた場合、理想的な答案は次のようになります。

記述想定答案

筆者が生活に貧窮していたとき、筆者を家に住まわせ、食事の面倒もみたよしおは、筆者に情けをかけ、力をかしてくれた人だから。

黄色のラインマーカーの部分は、「恩人」の意味内容です。

「いえるのはなぜか」という種類の問題の場合、傍線部そのものに比喩的な表現が入っていることが多く、その意味内容を説明することが求められていることが多いのです。

単純な「なぜか」の問題と、「いえるのはなぜか」の問題は、次のように比較することができます。

単純な「なぜか」の場合、傍線部そのものの内容にふみこまないことはありうる。つまり、「理由」のみで答案が完成することはある。

一方、

「いえるのはなぜか」「いうのはなぜか」という種類の問題で、傍線部そのものの内容にまったくふれずに答案が完成するということはない。つまり、「傍線部そのものの説明」が重要であり、「前提」が補足の扱いになる。


さて、ここでの〈傍線部B〉は、傍線部の結論部分に「言える」とズバリ書いてありますし、問い方も「言うのはなぜか」というものです。

したがって、単純な「なぜか」の問題ではなく、意味内容を問う「なぜか」の問題であると判断します。そこで、傍線部そのものを説明する努力をします。さらに、「前提」を追加する姿勢を持ちます。

あの老人から私たちは(手袋の)買い物をした。しかし、本当は何を買ったと言えばよいのだろう。「思い出を買った」とも言えるし、「満足を買った」とも言える。

ということを具体的に言い直して、文末を「~から。」にすると、ひとまず次のようになります。

下書き

手袋だけではなく、思い出や満足を買ったともいえるので、この買い物で得た物が本当は何なのかについてうまく表現できないから。

ここに、「前提」となる情報を加えると、次のような〈記述想定答案〉になります。

記述想定答案

高齢の職人の儀式めいた寸法合わせに感動した妻と筆者は、手袋だけではなく、思い出や満足を買ったともいえるので、この買い物で得た物が本当は何なのかについてうまく表現できないから。

では、選択肢を見比べてみましょう。

選択肢検討

選択肢ア 

◆「不思議」が×です。老人の作業は、儀式のようではあっても、理に適っており、不思議とは言えません。筆者も、「挨拶でないことはすぐにわかった」と述べていますので、老人の作業は「手に合う手袋を選ぶため」であったことを、推定していたことになります。

◆「何を買ったのかわからない」という、核となる論点が存在していませんので、「問いに答えていない」という観点でも×になります。

選択肢イ

◆「互いに~吟味」が×です。「妻」は特に吟味していません。

◆「十分に満足できるものを買うことができた」ときっぱり言い切っているところが×です。「もの」は「手袋」を指していると考えられますが、「手袋だけを買ったわけではない」というのが、筆者の言いたいことなのです。したがって、「何を買ったのかわからない」という傍線部の主張と逆行しています。

選択肢ウ 

◆「手袋の価値」が小さいとは言っていませんので×です。

◆〈選択肢ア・イ〉と同様に、「何を買ったのかわからない」という、傍線部内の重要な論点に言及していませんので、「問いに答えていない」という観点でも×です。

◆「不思議」も、〈ア〉と同じ理由で不適です。

選択肢エ 正解

◆〈記述想定答案〉に最も近い選択肢は「エ」です。

問5

傍線部に「この」という指示語がありますので、指示語を解決する典型的な問題です。

「この」が何を指すのかを正確につかんでおきましょう。

 「買う」とは物を入手する手段である。このテーゼを私は正しいと信じて永年生きてきた。自分で満足できる物が手に入れば買い物は成功だと信じてきた。買い物という消費行動のこの観念からすれば、買い物をするという時間は無意味である。目的と結果の間に挟まる「(b)なくもがな」の中間過程にすぎない。そこでは消費行動は、目的と手段を分かつことができる文化に属している。これを技術の文化と言ってもいいが、本当はこうである。「目的と手段を分かつことのできる文化」の最も代表的な事例が技術文化なのである。そこでは「同一目的を達成する手段を最小限にせよ」という命法によって効率性が定義される。

 手袋を買いにローマへ行くのは、(C)この意味での消費行動ではない。それは、目的と手段を分けることのできない文化に属する行為なのである。ローマで手袋を買うことは、手袋を入手する手段であることは確かであり、しかも最も良い手袋を入手する方法であることもまた確かである。ここまでは技術型文化における価値である。しかし、その入手の手段が同時に充足であり、かけがえのない時間経験であり、思い出となるという価値は、「目的と手段を分かつことのできない文化」に属している。それは儀式というものが属する文化と同じである。

ここでは、〈技術の文化〉と〈儀式の文化〉が対比されています。キーワードで分けていくと、次のように区別できます。

〈技術の文化〉
◆目的と手段を分かつことができる文化
◆手段の時間は無意味
◆同一目的を達成する手段を最小限にせよ
◆効率性

〈儀式の文化〉
◆目的と手段を分かつことのできない文化
◆入手の手段が同時に
   ・充足
   ・かけがえのない時間経験
   ・思い出

この対比関係を軸に、選択肢を見比べましょう。

選択肢検討

選択肢ア

「目的と手段が一体化」が×です。これは「儀式」の側の論点です。

選択肢イ 正解

「物を入手する手段として買い物をする」というのは「技術の文化」の側の論点です。

選択肢ウ

「入手の手段が充足になる」が×です。これは「儀式」の側の論点です。

選択肢エ

「思い出や満足まで買う」が×です。これは「儀式」の側の論点です。

問6

〈問5〉と同様に、「技術の文化」⇔「儀式の文化」の対比関係で考えましょう。

儀式に【 D 】性はない。なぜ儀式で同じことを反復するのか、【 D 】という概念で考えれば「ムダ」の一語につきるし、儀式そのものが「ムダ」なのである。儀式が何のためにあるかという問いを出してみる。「何のため」というカテゴリーそのものが技術型文化によって定義されるのであれば、「儀式は無意味だ」という答えがはね返ってくる。その答えが間違っているのではない。「何のため」というカテゴリーが、技術型しかないと即断したときに間違いが発生するのである。

「儀式」と最も逆になるワードを当てはめればよいので、選択肢としては「エ」の「効率」が最もよいことになります。

問7

〈問4〉とは異なり、単純な「なぜか」の問題ですので、「前提」をしっかりつかまえにいきましょう。

儀式は何のためにという問いに儀式型文化の枠で答えを出せばどうなるか。答えは一つではないだろう。いま「思い出のためだ」という答えを考えてみよう。「この帯締めは○○デパートで買った」という思い出の価値はどこにあるか。(E)技術型文化の価値では、どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったかという消費行動は価値づけられない結婚式、葬式、地鎮祭、成人式などなどは、みな思い出のためにあるのだと言っていいだろう。思い出に価値があるからカメラという商品に対する消費行動が成り立つのであり、カメラを買う人はすべて写真家となって、将来作品を売るためだなどとは絶対に言えない。

そもそも、「なぜか」でも「どういうことか」でも、「主題(主語)」を取り違えないことが最重要です。まずは「そもそも何の話なのか」を常に意識しましょう。

選択肢は、すべて、「どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったかという消費行動は、~」という始まり方をしています。

しかし、傍線部では、その前に、「技術型文化の価値では、」と書かれています。

どうして、選択肢にするときに、この「技術型文化の価値では、」という主題を外したのでしょうか。

それは、ないほうが難しくなるからです。逆を言えば、あると簡単になってしまうからです。このように、問題を難しくするために、本来は書かれているべき主題を隠すことがあるのです。

したがって、どの設問においても、「主題を適切に補うと、正解に近づきやすくなる」と考えましょう。常に主題(主語)を考えるくせが大切です。

技術型文化の価値では、
どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったかという消費行動は
   ↓

【       】から、

   ↓

価値づけられない。

この論理図の【    】に入る情報を考えるのですが、「技術型文化の価値」が主題なのですから、【    】には、技術型文化からみた価値観が入るはずです。

選択肢検討 

選択肢ア 正解

「目的達成のための手段」「最小限にするのが望ましい」という論点は、「どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったか」ということを「技術型文化」からみた価値観です。

また、「最小限にするのが望ましい → から → 価値づけられない」という論理の流れは不自然ではありません。

選択肢イ

「どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったか」ということを「貴重な時間体験」とみなすのは、「儀式型文化」からみた価値観です。

また、「貴重だから→価値がない」というつながり方は論理的な整合性がおかしいので、×です。

選択肢ウ

「どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったか」ということを、「無駄だとは言えない」とするのは、「儀式型文化」からみた価値観です。

また、「充足であり、無駄ではないから→価値がない」というつながり方は論理的な整合性がおかしいので、×です。

選択肢エ

「どこで、いつ、誰と、どんな店員から買ったか」を「思い出に関わる」と考えるのは、「儀式型文化」のほうからみた価値観です。

問8

「転ばぬ先の杖」ということわざは、

「予め用心すること」
「事故を予測し、そのための準備をすること」

という意味です。

その意味では、「後悔先に立たず」ということわざと同じ意味になります。

たとえば、「雲が出てきたな。転ばぬ先の杖だから、傘を持って行こう」などという言い方をします。

とはいえ、このとき結局雨が降らなかったら、「傘を持ってきたけど、結局、転ばぬ先の杖にすぎなかったな」ということになります。

つまり、「転ばぬ先の杖」は、実際に転ばなければ、結果論としてみると、価値がなかったことになります。

(儀式型文化の枠で考えるならば……)結婚式、葬式、地鎮祭、成人式などなどは、みな思い出のためにあるのだと言っていいだろう。思い出に価値があるからカメラという商品に対する消費行動が成り立つのであり、カメラを買う人はすべて写真家となって、将来作品を売るためだなどとは絶対に言えない。

ところが

「思い出」の価値を技術型文化の枠で定義せよと言ったら、「転ばぬ先の杖」と言うよりほかには何もない。

「ところが」の前では、「(儀式型文化の枠では)思い出には価値がある」と述べています。

「ところが」で反転するので、技術型文化の枠では、「思い出には価値がない」と言っていることになります。

では、選択肢を見比べてみましょう。

選択肢検討

選択肢ア

「転ばぬ先の杖」の、ここでの文脈の意味に対応しません。

「事故を予測し、その準備をする」ということは、裏を返せば、「最も必要とまでは言えないもの」です。「あればあったで助かるもの」くらいの解釈が望ましいです。

また、「技術型文化の枠で定義せよといったら、 ⇒ 技術型文化の枠にはおさまりきらない」という因果関係はおかしいです。これでは、「定義せよ」と言っているのに、「定義できない」と答えていることになります。

選択肢イ 

「技術型文化の基準によらなければ測れない」という論点が、本文と逆になっています。

「思い出」は、むしろ、「儀式型文化」の基準で価値づけされるものです。

選択肢ウ 正解 

「技術型文化の基準ではあまり価値がない」という論点が、本文の主張と合致しています。

「転ばぬ先の杖」というのは、辞書的には、「トラブルを予測して準備しておくもの」ということですから、一般的には、もちろん意味や価値が「ある」ものです。

しかし、「真っ先に必要なもの」「必須のもの」とまでは言えません。

たとえば、ピクニックに行くときに、「おむすびだけでは足りないかもしれないな」と考えて「ソイジョイ」を持って行く場合、その「ソイジョイ」は「お昼が足りなかった時のためのもの」なので、「転ばぬ先の杖」です。この時、「最重要なもの」は「おむすび」であり、「ソイジョイ」は「おまけ」にすぎません。

筆者は、このように、「補足にすぎない」という意味で、「転ばぬ先の杖」ということわざを用いていると考えられます。

選択肢エ 

「とても価値あるもの」という論点が、本文と逆になっています。

「思い出」は、「技術型文化」ではなく、「儀式型文化」で価値づけされるものです。

したがって、「技術型文化」の枠で定義すれば、「とても価値あるもの」という論理は、本文の主張と矛盾しています。

問9

「実存」という語句の意味をおさえておきましょう。

事物(主に人間)の実際の存在を思想の中心におく哲学的立場を「実存主義」という。
「実存」というのは、「実際にこの世に現れている唯一の個体」のことをいう。

たとえば、「花の美しさ」について、「チューリップはピンクがいいよね」などとあれこれ会話するのは、「抽象的」「概念的」なことであり、それは「実存的ではない話」です。

一方で、実際の花を指差し、「これは美しい花だ」「そうだね」と述べた場合、それは「実存的な会話」です。

この言葉の意味は中学生には難しいので、もともと知っている必要はありませんが、「実」「存」という漢字の意味内容から、「実際に存在していること」という類推ができるとよいです。

手袋を買いにローマへ行くのは、「あの老人」との出会いを求めるからである。この出会いはいわゆる「実存的な出会い」ではない。

という部分は、

ローマで求める出会いは、「かつて手袋を買った老人そのものとの出会い」ではない。

と読解できます。

しかし、これだけでは何を言っているのか全然わからないので、後ろを丁寧に読んでいくことになります。

ポイント

A 。 しかし、B。
A ではなく B 。

という対比の構文の後に、Bを補足説明するものとして、

    C のだ。
    C のである。
    C のではないか。
つまり C 。
すなわち C 。

という構文があるとき、「C」は非常に重要です。

本文には、まさにこの構文があります。

「まさにあの老人」との出会いを求めるのではなくて、「あのような老人」を求めている。すなわち、手袋を選ぶという一つのことに、己の人生の年輪のすべてをささげたかけがえのない経験への敬意と、そのような年輪だけが与えることのできる奥行きのある充足を求めて手袋を買いにローマへ行く。

すこしかみ砕いて説明すると、筆者は、次のような経験を娘と妻にしてほしいと思っていることになります。

「かつて手袋を買った老人そのもの」と再会し、「お久しぶり!」などと言うのではなく、

①自分の仕事に人生のほとんどの時間をささげてきた人間に接し、そのかけがえのない経験に敬意を持つこと。

そして、

②そのような「時間の積み重ね(年輪)」だけが与えられる奥行きのある充足を得ること。

たとえば、みなさんが旅行先でお土産を買うことを想像してみるとよいでしょう。

信楽焼の茶碗を買うとします。

そこで百年くらい店番をしてきたと思われるような(一瞬置物かと思うような)おばあちゃんから、「ありがとう」と言われながら買い物をすることと、

帽子を逆にかぶってラップを口ずさみながら店番をしているような大学生アルバイトから「その茶碗千円! 質がいいよ当然! 長持ちするよ千年! 今日を逃したら売り切れるよごめん!」などと言われながら買い物をするのとでは、

仮に同じものを同じ値段で買ったとしても、「いい買い物をしたな」と思う気持ちに差がつくのではないでしょうか。

筆者が述べているのはそういうことです。

①その仕事に人生の大部分をささげてきたような、その「かけがえのない経験」に敬意を持つ

②そのような経験を持つものだけが与えることのできる「奥行きのある充足感」を得る

娘と妻に、この①②を果たしてほしいからこそ、筆者は、娘と妻に対して、「手袋を買いにローマに行きなさいよ」と勧めているのです。

以上のことから、正解を「書く」のであれば、次のような答案が成り立ちます。

記述想定答案

手袋を買いにローマへ行くのは、かつて買い物をした老人そのものと再会するためではなく、ある人間が、ある仕事に人生の大部分をささげてきたかけがえのない経験に敬意を持ち、そのような時間の積み重ねだけが与えられる奥行きのある充足感を得るためであるということ。

では、選択肢を見比べましょう。

選択肢検討

選択肢ア

◆「手袋を買うのが目的」が×です。「手袋自体」ではなく、その買い物をとおしての敬意と充足を求めているのです。

選択肢イ

◆「あの老人に会うのが目的」が×です。主張と矛盾します。

選択肢ウ

◆「かつて出会った老人に会い」が×です。主張と矛盾します。

選択肢エ 正解

◆正解です。

ただし、細かいことをいえば、本文では、一つのことに向き合ってきた職人の長い時間について「かけがえのない経験」と述べているのであり、その経験への敬意(の感情を持つこと)を求めていると読解するべきなのですが、短い選択肢にまとめすぎていて、本文で述べていることとは若干ずれています。

しかし、「ア」「イ」「ウ」が「もっと×」なので、結果的に「エ」が正解になります。

問10

「豊かさ」という表現が本文中に存在しないので、本文全体をとおしての主旨から判断していきましょう。

ポイントは、本文最終文の

人間を超えたかと思わせる年輪だけが他人に与えることができる充足感がある。

という箇所です。

「年輪」という比喩は、「時間の積み重ね」ということを述べているわけである。また、ここでの「充足感」というものが、「豊かさ」と同系統の語句であると判断できるので、書くのであれば、次のような答案が成立します。

ある人間が、ある仕事に向き合い続けた末の時間の蓄積だけが、人に与えられる充足感があり、それが豊かさの出発点である。

さて、この〈記述想定答案〉から鑑みると、「時間の長さ」という論点に言及している選択肢を正解にしたいものです。

すると、〈選択肢イ〉の「効率性」に注目することができます。

「効率性に還元」というのは、「無駄を省いて時間を短縮していくこと」ですから、「効率性に還元できない」というのは、「時間を短くすることができない」という意味で解釈することができます。

そのことから、〈選択肢イ〉は正解候補になります。

ただし、

〈選択肢ア〉〈選択肢ウ〉〈選択肢エ〉は、どれも筆者が〈儀式の文化〉の側で述べていることであるため、内容的にきっぱり×とは言えません。

〈選択肢ア〉〈選択肢ウ〉〈選択肢エ〉の選択肢に×をつける理由を細かく考えてみましょう。

選択肢ア

目的と手段を分かつことのできる文化の枠の「外」に豊かさがある

という説明は、場所の区別としては間違っていないのですが、「外にある」というだけでは、結局はどこに「豊かさ」があるのか説明していません。そのため、「豊かさそのものの性質」については語ることができていません。

たとえばこれが、

目的と手段が同時に充足をもたらす文化の「内」に「豊かさ」がある

という表現であれば、かなり〇に近い選択肢でした。

選択肢ウ

一つのことに人生をささげた経験への敬意があってこそ、「豊かさ」がわかる

という説明は、内容的に、「儀式の文化」の側に位置する情報です。また、「一つのことに人生をささげた」という表現で、「時間の蓄積(年輪)」について言及しているといえるので、〇にしたくなる選択肢です。

しかし、本文に、

敬意があるからこそ「豊かさ」がわかる

という因果関係がきっぱり書かれているわけではありません。「敬意がなければ豊かさはわからない」と述べられているわけではないのです。

したがって、〈因果関係の捏造〉と考えて、〈選択肢イ〉よりは劣る、と判断します。

選択肢エ

満足や充実を与えてくれる人との出会いを経験してこそ、「豊かさ」がわかる

という説明は、内容的には、「儀式の文化」の側に位置する情報ではありますが、「ウ」と同様に、

人との出会いを経験してこそ「豊かさ」がわかる

という因果関係がきっぱり書かれているわけではありません。「出会いがなければ豊かさはわからない」と述べられているわけではないのです。

したがって、〈因果関係の捏造〉と考えて、「選択肢イ」よりは劣る、と判断します。

また、〈選択肢ウ〉と〈選択肢エ〉は、「豊かさ」がわかるようになるための「前提」を説明している書き方になっていますがが、「豊かさそのもの」の性質を説明しているわけではありません

設問は、

「豊かさ」というものについて、どのように考えているか。

というものです。

これは、実際的には、「豊かさとは何か」と問うていることとほぼ同義なので、「豊かさを得るための前提(前段階)」について語っている〈選択肢ウ〉〈選択肢エ〉は「問いに答えていない」と判断することもできます。

以上、いろいろ述べましたが、

〈問10〉は、「豊かさ」という表現が本文中に存在しないことから、いろいろな解釈が成り立ってしまう問題であったといえます。そもそも、正解とみなされる「ウ」も、「とてもよい」とまでは言えない選択肢なので、「正解と言われればどれも正解に見える問題」であり、逆を言えば、「間違っていると言われればどれも間違っているように見える問題」であったといえます。

〈問10〉は、まちがっていてもあまり気にしないでおきましょう!