今回は京都大学の問題を見てみます。(1)と(2)の傍線部がありますが、(1)に関しては、ずっと後ろまで読まないと答えられない問題であり、常識的な引用の範囲を超えてしまうので、ここでは取り扱いません。ただ、読解上の解説だけは書いておきます。
「おまえはじぶんが生きなければならないように生きるがいい」という言葉が、好きだ。ロシア革命直前のモスクワの貧民街に生きる人びとの真実を生き生きとえがきだしたロシアの作家レオニード・レオ―ノフの最初の長篇『穴熊』の第一部に出てくる、名もない帽子屋がポツンと呟く印象的な言葉だ。
長田弘『失われた時代』
この帽子屋は、生涯一日に一個の帽子をつくりつづけてきた。「おれはもう老いぼれだ、どこへゆくところがあろう? 慈恵院へも入れちゃくれねえ……おら血も流さなきゃ、祖国を救いもしなかったからなあ。しかも目の奴あ――畜生め――針を手にとりあげてみても、針もみえねえ……糸もみえねえ。だからさ、な、若えの、おら役にもたたぬところをいつも無駄に縫ってるんだ……(1)ただこの手、手だけがおれを欺さねえんだ……」
そして帽子屋は、レーニンの軍隊がクレムリン砲撃をはじめる前日のきびしく冷たい真夜中に「ふるくなった帽子のように」誰にも知られず、石造の粗末なアパートの隅でひっそりと死んでゆく。
ポーランドの小さな町オシフィエンツムからはじめた、失われた時代の、失われた人びとの、失われた言葉へのひとりの旅をつづけるあいだ、いつもわたしの胸の底にあったのは、若いレオーノフが鑑賞をまじえずに書きこんだ、その無名のロシアの帽子屋の生きかたの肖像だった。この帽子屋の生死には、(2)生きるということをじぶんに引きうけた人間に特有の自恃と孤独が、分かちがたくまざっていた。その「じぶんが生きなければならないように生きる」一個の生きかたこそ、わたしたちがいま、ここに荷担すべき「生きる」という行為の母型なのだと、わたしにはおもえる。
〈問〉傍線部(2)を、帽子屋のいとなみに即してわかりやすく説明せよ。
第一に、「自恃(じじ)」と「孤独」の辞書的意味を見ておきます。
自恃 自分自身をたのみとすること
孤独 仲間のないこと・ひとりぼっち
これらの語義は、ここから先の課題文を読んでいってもきっぱりとは書かれていません。もし、語義に該当するような説明があれば、そこを拾えばよいことになります。その観点で言えば、「孤独」は「誰にも知られず」「ひっそり」というところを拾えばよいでしょう。しかし、「自恃」はちょっと見当たりません。このような場合、傍線部内の熟語は、辞書的意味を援用して、答案に含めていくほうがよいと考えましょう。
〈解答例〉
一日一個の帽子を手縫いで作り続ける帽子屋が、自分がそう生きると決めた固有の生き方として、老いて目が見えなくなっても、自身の手をたのみに仕事を果たし続け、誰にも知られずひっそりと死んでいったということ。
「自身の手をたのみに」といった表現が、辞書的意味を援用した表現です。このように、傍線部内の「熟語」は、可能であれば「語義」のほうに言い換えたほうがよいと考え、それに該当する表現が課題文中になければ、辞書的意味を用いて説明してしまいましょう。
さて、ここでは読解上の補助的説明にとどめますが、傍線部(1)にまつわる問題は、「どういうことをいっているのか、わかりやすく説明せよ」というものでした。
傍線部(1)に関して、最も解読困難な箇所は「欺さねえ」です。本文では「だまさねえ」と読んでいます。
「欺さねえ」とはどのような意味なのでしょうか。ここを読むだけではさっぱりわかりません。しかも、この傍線部は「帽子屋の老人の発言」の内部に引かれています。いわば、「引用中」に引かれているのです。引用や例示を筆者が挙げる場合、「何か言いたいこと」があって挙げているわけですから、「例示や引用を出して終わり」ということはないはずです。必ず、筆者なりの「解釈」があるはずなのです。いわば、「引用や例示」を出してまで言いたかったことが、〈地の文〉のほうに書かれているはずなのです。このような場合は、もう少し先まで読み進めていって、前後関係の構文が似ているところがないかどうか探しに行きましょう。
先の引用には含めていませんが、課題文をずっと後ろまで読んでいくと、
「血も流さなきゃ、祖国を救いもしない」生に見えようと、ひとがみずからの生を〈生きるという手仕事〉として引きうけ、果たしてゆくかぎり、そこにはけっして支配の論理によって組織され、正当化され、補完されえないわたしたちの〈生きるという手仕事〉の自由の根拠がある、というかんがえにわたしはたちたい。〈生きるという手仕事〉は、それがどんなにひっそりと実現されるものであろうと、権力の支配のしたにじっとかがむようにみえ、しかもどんな瞬間にもどこまでも権力の支配のうえをゆこうとするのだ。
という箇所があります。
「血も流さなきゃあ、祖国を救いもしなかったからなあ」という箇所が、帽子屋のセリフの中にもありますから、(1)の傍線部を読解するうえでは、重要な箇所になります。
ここでは、〈生きるという手仕事〉は「権力の支配のうえをゆこうとする」とあります。つまり、帽子屋の、一日一個帽子を作り続けるような生き方は、権力から支配されているような生き方に見えても、実は逆に、権力から支配されない生き方であるのだと述べられています。これは、いったいどういう意味なのでしょうか。
たとえば、「子育て」を例にとってみましょう。「子育て」は、おむつをかえたり、食事をつくって食べさせたり、お風呂にいれたり、実に様々な〈手仕事〉を〈毎日〉必要とします。この作業は、子どもを育てるにあたって、どの国でも、どの地域でも、変わらず必要なことになります。ということは、自由主義の国でも、共産主義の国でも、社会主義の国でも、つまり、どのような社会体制に支配されていようとも、おむつをかえたり、食事をつくって食べさせたり、お風呂にいれたりすることは、「日常、不断にし続けなければならないこと」です。ということは、その〈手仕事〉は、社会体制の影響に左右されないという点で、社会の支配からは「自由」なのです。
また、たとえば、「たくさん稼げそうだから医者になりたい」という人がいた場合、それは「医者が高給を得る」という「社会体制」だから、それを目指していることになります。その人は、「医者が薄給」の世界では医者を目指さないでしょう。ということは、「社会の支配体制」が変われば、「生き方」そのものが大きく変化してくる可能性があります。その場合、その人の「生」は、ある意味で「社会体制に縛らられた不自由なもの」である、ということもできます。一方、「人命を救いたいから医者になる」という「意味づけ」を自分自身でしていればどうでしょうか。その場合、その人は、高給であろうが薄給であろうが、医師になるでしょう。そうであれば、「社会体制」からはある程度自由であると言えるでしょう。その人は、日本であっても、アメリカであっても、アフガニスタンであっても、インドネシアであっても、医者になるでしょうから。
多くの人は、このような「権力的支配の体制」に「欺されて」いるのです。
たとえば、
「日本では」→「弁護士の給料が高い」→「だから弁護士になりたい」
という理屈は、日本の社会体制の支配の中で「生」を決めていることになります。
逆のことを言えば、
帽子屋がチクチク縫って帽子を作り続けることは、「祖国」とは何の関係もなかった。だからこそ、「支配」からは自由であった。だからこそ、「自分の生を自分自身で意味づけた」と言えた。だからこそ、〈手仕事〉だけは「おれ」を「欺さ」なかった。
そのように考えることができます。
以上により、(1)は、次のような答案になります。
〈①の解答例〉
帽子屋にとって、日常のうちに不断の行為を自ら引き受け、果たし続けていく手仕事だけが、権力の支配に屈しない、支配から自由な行為であり、それゆえ手仕事は、権力にあざむかれることなく、自身の生を意味づけてくれるということ。
本当は、引用しなかったところを読まないとこの答案は作成できないのですが、読解の補助として示しておきます。
本ページの中心的な意義は(2)を解くことなので、(1)についてはあまり気にしないでください。

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