2008年センター試験小説 夏目漱石 『彼岸過迄』
この年のセンター試験は、私が「明治の小説が出るぞー」と言い続けていて、本当に明治期の小説が出題されるという、クリティカルヒットの年でした。だからどうということもないのですが。
問1 しつこいようですが、小説の意味問題は、辞書的意味をベースに文脈判断します。文脈に合っているようでも、辞書的意味から外れていればアウトなので、気をつけましょう。
(ア) 正解は④
「名伏し難い」は「名付けることが難しい」という慣用表現で、こなれた言い方をすれば「なんとも言い表せない」ということであり、辞書的意味としてズバリ④が正解です。他の選択肢は辞書的意味にありません。
①「言い当てる」が×です。「名伏」は「名を当てること」ではなく、「名をつけること」言い換えれば「表現すること」の意味です。
②「不可能」が言いすぎです。「難い」は「難しい」ということですから、「可能ではない」とまでは言っていません。
③と⑤はともに「名付ける(表現する)」の意味から離れすぎています。
(イ)正解は④
「眉を暗くした」というのはあまり一般的な慣用表現ではありません。これ以外で見たこともないので、慣用表現というよりは、漱石の造語的な、一種の詩的表現なのだと考えます。「暗く」ということから、何らかのマイナス感情が含まれているでしょうから、それを踏まえて文脈判断します。辞書的意味がベース、辞書的意味が基本、と言ってはいますが、このように文脈で判断するしかない問題もあります(きちんと辞書に載っている言葉でも、その意味をまったく知らなければ、この問題と同様に、文脈判断していくしかありません)。さて、前後の感情表現をおさえると、
(高木に対して)嫉妬心を抱いて、誰にも見えない腹の中で苦悶
↓
(僕に対する遠慮だろうと推察して)ますます眉を暗くした。
↓
今の気分では~厭であった。
という流れになっています。「ますます」という言葉から考えると、直前の「嫉妬心」「苦悶」という感情が高まっている様子だと解釈できます。「厭」という言葉も、ほぼ同じ感情だとみてよいでしょう。正解の④は、「不愉快」という言葉で「嫉妬心」「厭」という感情をうまく拾っていますし、「眉」が暗くなるということは、それが表情に出ているということだと判断できますので、「くもらせた」という解釈も妥当です。
(いやなことがあった時のちびまる子ちゃんの、眉毛の上に縦線が数本入って、「ズーン」という効果音とともに、「まる子は、不快であった」というナレーションが流れているような状況でしょう。「はまじ、あんたって人は、ほんとにダメな奴だねえ」《(ナレーション)まる子は、もうこれ以上言っても無駄だと思った》のような。)
①「迷惑」は直前の「嫉妬心」とは異なる感情なので、「ますます」というつながりが不適当になります。
②「心配」が、①と同じ理由で×です。「ますます」があるので、直前で心配をしていなければおかしい文脈になりますが、そのような描写はありません。
③「不審」に思っているような文脈が前後から読み取れません。また「顔色を変えた」程度だと、「暗く」という文意が説明しきれていません。「暗く」は明らかにマイナスですが、「顔色が変わる」ことは、場合によっては「明るい方向」に変わる可能性もあります。(「さっきまで泣いていたケンちゃんの顔色が変わり、急に陽気に笑いはじめた」などという表現も可能です。)
⑤「不安」は、不正解にはしづらいのですが、直後の「厭」を判断材料にすれば、やはり④の「不愉快」のほうが意味的に近く、妥当です。
(ウ)正解は②
「気のおけない」は入試超頻出なので、おさえておきたい慣用句です。しかしながら、誤解されやすい慣用句としてクイズ番組などでも問題としてよく採用されるので、まさかセンターで聞いてくるとは思っていませんでした。意味は「心を許せる」「遠慮のいらない」ということです。
「気のおけない」という表現は「ない」という語感が強いので、「油断できない」「心を許せない」などと解釈する誤解が多いのですが、そもそも「気をおく」という言葉が「気づかう」という意味なので、「気をつかわなくていい」という意味になります。「気のおけない間柄」というのは、「(細かい配慮などの)気をおかなくてもいい間柄」ということになります。正解はズバリ②
問2 正解は②
「この男は~人となったのだ」と「評したかった」と言っていますが、心の中で実際に「評している」わけですから、これを「行為」だと考えます。きっかけは、「高木」が、あまりも上手に、円滑に、人間関係をつくっていくからでしょう。そのことに対して何らかの感情を抱き、「交際場裏で生まれ育ったような男だ」と批評しているわけですね。
【きっかけ】二人の容貌が既に意地のよくない対照を与えた。
様子とか応対ぶりとかになると更に甚だしい相違を自覚
彼は自由に遠慮なく、しかもある程度の品格を落とす危険なしに己を取り扱う術を心得ていたのである。
彼は十分と経たないうちに凡ての会話を僕の手から奪った。
↓
【心情】 羨ましかった(次段落冒頭)
(話をするのを聞いて)及ばないと思った(次段落冒頭)
僕を不愉快にするには充分(次段落二行目)
↓
【行為】 交際場裏で生まれ育ったような男だ(という批評)
次段落二行目には、「けれどもだんだん彼を観察しているうちに~」という逆接の接続詞があり、やや場面が転換していくため、傍線部Aにおける心情を拾うには、この「けれども」の前までで決着をつけなければなりません。正解の選択肢②には、本文にある「不愉快」の言い換えとみなせる「不快」がありますし、本文「術を心得ている」「会話を僕の手から奪った」などの該当箇所として、「人づきあいに長けている」「会話を支配する」などが表記されています。
①「家族のように親しげに周囲の人の名を呼ぶので→羨ましく思っている」という因果関係が不成立、あるいは「言いたりない」です。「羨ましい」という心情は、次段落冒頭にありますが、そこには、「彼の容貌を見た時から既に羨ましかった」と書かれています。つまり、「僕」が「高木」を「羨ましい」と思ったのは、まずその姿かたちに対してです。たしかに、「親しげにふるまうこと」も「羨ましい」と感じた一要因でしょうが、「容貌が既に羨ましい」とズバリ書いてありますので、選択肢で「容貌」のほうを落としてしまうのは不適当です。ただし、「容貌」のことが書かれていればそれで正解になるのかというと、そうではありません。この設問は、「この高木ってー野郎は、交際場裏で生まれ育ったんじゃねーの、ケッ」というような批評の裏付けとなる心情を答える問題なので、「高木が交際に長けていることに対する僕の心情」を拾ってこなければなりません。その観点では「羨ましい」は、「会話の仕方」よりは「容貌」に対するコメントだと解釈するのが妥当なので、正解には「及ばないと思った」か「不愉快」のほうの心情がほしいです。
③「おしつけがましい」が話題なしです。次段落「けれども」の後の「劣勢の僕に見せつけるような態度」を「おしつけがましい」と読み取れないこともないですが、「けれども」以降は、(ほんの少しですが)時間の経過があり、場面が転換しているので、傍線部Aにおける心情ととるのは不適当です。また「うっとうしく」も、「不愉快」の言い換えとしては、やや言い換えすぎで△です。
④「完全無欠」が言いすぎで△です。「憎らしい」も、「不愉快」の言い換えとしては強くしすぎで△。「けれども」の後、「だんだん観察しているうちに」という経緯を経て、「憎み出した」という描写が出てきますが、「憎い」と思うまでには時間が経過しており、傍線部Aそのときの心情とするには不適当です。
⑤「自分をよく見せる作為的な振る舞い」が話題なしです。交際の仕方が上手であるとは書いてありますが、それが「自分をよく見せるため」の「作為的」なものであるとまではズバリ書かれているわけではありません。「けれども」の後には、「高木」の態度を「僕」が「作為的」と受け止めていると読解してよさそうな描写が出てきますが(それでも「疑い」に過ぎませんが)、③④と同様に、「けれども」以降は場面が違うと判断するので、傍線部Aの瞬間の心情に対する正解の根拠になりません。
問3 正解は⑤
「この」という指示語があるので、指示内容を必ずおさえます。
たまには綺麗な顔と綺麗な着物の所有者になってみたいと考える。
しかし ⇔
その顔とその着物がどうはかなく変化し得るかをすぐ予測して、酔いが去って急にぞっとする人の浅ましさを覚える。
↑
この酒に棄てられた淋しみ
「この」という指示語は、「綺麗な顔や着物」が、「はかなく変化すること」つまり「綺麗ではなくなっていくこと」を予測し、ぞっとする感情を指しています。「浅ましさ」と「淋しみ」は、似たような感情だと考えてさしつかえないでしょう。
また傍線部内の、漢文でおなじみの「~をして」という表現にも注目します。これは「○○をして△△しむ」で、「○○に△△させる」という使役の句法そのままの表現で、昭和期までは一般的に使われていました。今でも使う人はいますし、私もけっこう好きで使います。「娘をして買い物に行かせしむ」であれば、「娘に買い物に行かせる」という意味になります。「しむ」の部分が使役の助動詞であり、漢文ではここはほとんど「しむ」ですが、古文では「す」「さす」という使役の助動詞もあるので、「○○をして△△す(さす)」という表現をすることもあり、同じ意味になります。「僕をして執念く美しい人につけまわらせない」は、「せ」の部分が使役の助動詞「す」であり、「僕に、執念深く美しい人につけまわらせないものは、淋しみの障害である」となります。通常文として書けば、「淋しみの障害によって、僕は、執念深く美しい女の人につけまわらない」となります。
ここまで見ると、正解は⑤しか残りません。そもそも、指示語「この」の指示内容が書かれているのは⑤しかありません。
①の前半は傍線部のやや前に書かれていましたが、後半の「どのように女性に対したらよいかわからない」がはっきりと書かれている箇所はありません。
②「表面的」が不適です。「美しさ」がいずれ変化していくとは言っていますが、「その瞬間の美しさそのもの」を表面的と否定しているわけではありません。
③「素直に認める感性を失ってしまった」が話題なしです。認めることができないのではなく、「美しい」と認めても、すぐに酔いがさめてしまうと書かれています。
④「欲望を抑えなければならない」が話題なしです。「抑えるべきだ」というよな自律的・道徳的な問題ではなく、欲望自体が冷めてしまうのです。
選択肢をすべてながめてみると、指示内容が入っている選択肢が⑤だけであったことがわかります。センターの難易度としては「易」にあたる問題です。
問4 正解は②
この設問は直前が最大のヒントです。
自分の所有でもない、また所有にする気もない千代子が原因で、この嫉妬心が燃え出したのだと思った
≒ 時、 (同価値の並列)
僕はどうしても僕の嫉妬心を抑え付けなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。
「~時、~」という構造になっているので、「時」の直前と直後は「同価値の並列」です。文意が同じという意味ではありません。文章を読む上で、同じくらい価値のある部分同士なんですよ、ということです。
~であり、~
~であって、~
~時、~
~場合、~
~ならば、~
~すると、~
~(連用形)、~
などの構造になっているとき、これらの言葉の直前直後は、同じくらい価値の高い部分になります。したがって、前か後ろに傍線部や空欄があるときは、必ずその片側を最大のヒントにしてください。正解の選択肢②には、「恋人と意識したこともない千代子」とあり、直前の部分を反映しています。また、「そうした感情を制御しない限り、自分を卑しめることになる」という部分は、傍線部の言い換えとして妥当です。
①「千代子に高木と比較された」が話題なしです。「僕」と「高木」を比較しているのは、他ならぬ「僕自身」であり、千代子ではありません。この小説をずっと読んでいくと、たしかに千代子が「僕」と「高木」を比較するような場面がちらほら出てくるのですが、この問題において抜き出された部分の中では、そのような記述はありません。小説はたいてい、書かれていない前と後ろがありますが、抜き出された部分だけが正解の根拠になります。
③「千代子を愛しているのではないか」が、直前の内容に矛盾します。「僕」は「千代子」を「所有にする気もない」つまり愛する意志がないのです。
④「千代子を恋人として扱う高木」が話題なしです。高木は誰に対しても社交的なのであり、千代子を特定的に恋人として扱っているような描写はありません。
⑤「あまりに臆病」が話題なしです。「恋というものにあまり関わってこなかった」ということは書かれていましたが、「女性に対して臆病」であるとまでは言っていません。またこの選択肢は、「時」の直前部分をまったく反映していません。最大のヒントなるべき場所の話題である「千代子」への言及がひとつもないので、その点でも不適です。
問5 正解は①
典型的な指示語問題ではありませんが、「僕の占い」という言葉は、直前を指示しています。その意味で、「占い」の内容をきちんと踏まえている選択肢を正解候補としたいところです。
叔母はこの場合を利用して、もし縁があったら千代子を高木に遣るつもりでいるくらいの打ち明け話を、僕ら母子に向って、相談とも宣告とも片付かない形式の下に、する気だったかもしれない。
↓
迂遠い母はどうだか(わからないが)、僕は~予期していたのである。
↓
叔母がまだ何も言い出さないうちに、姉妹は帰って来た。
僕が
(1)僕の占い
(叔母が千代子を髙木に遣るつもりだと打ち明けるかもしれない)
(2)の的中しなかった
(叔母が何も言い出さないうちに姉妹は帰って来た)
のを、
→ (3)母のためには喜んでいたのは事実
同時に
→ (4)僕をもどかしがらせたのも嘘ではない。
傍線部Dには、右に記した(1)(2)(3)(4)の要素があります。問題は、「この部分」での心情を問うものなので、理想的には(1)~(4)のすべての要素の言い換え表現が、正解の選択肢にはほしいところです。傍線部そのものの「説明」とか、傍線部における「心情」などを問うものは、選択肢にその言い換えが「あるか/ないか」を判断することが大切です。
②「母の驚きや同様に配慮した伯母」が話題なしです。
③「内心では高木が千代子の結婚相手になるのもやむを得ないと考えている母」が話題なしです。また、「髙木と比べると千代子の結婚相手として劣る」とくっきり考えているかどうかも、本文からは読み取れません。
④「母の抱いた印象が「僕」と髙木とを比較した結果でもあることに不満を感じている」という話題が本文にありません。
⑤「高木と千代子に縁談が持ち上がっている」が話題なしです。この書き方だと、「縁談」が事実であり、その事実を伯母が明かさなかったかのように解釈されますが、「高木と千代子の縁談話でも持ち出すんじゃないかな」というのはあくまでの「僕の予想」なので、不適です。また「母を欺く」もやや言いすぎです。千代子への思いは、「結婚しない」とはっきり決めているわけでもなく、その自分自身のどっちつかずさにじれったい思いをしているのです。
問6 正解は②と④
「表現の特徴」とはなっていますが、実質は例年どおりの内容正誤問題です。全体を踏まえて消去法で決着をつけましょう。
①「僕の心情の描写よりも」が不適です。むしろ「僕の心情」こそが事細かに描写されています。
②正解です。「回顧」は第四段落に書いてあります。
③「混乱が整理されないまま未だに続いている」が不適です。第四段落には、「落ち着いた今の気分で回顧」とあります。また、同じく第四段落の最後「僻み根性だとすれば~嫉妬が潜んでいたのである」という表現も、「混乱・未整理」というよりは、理路整然であり、冷静であるととらえたほうが妥当でしょう。
④正解です。「嫉妬」「苦悶」など、「漢語や概念的な言葉」は確かに出てきます。
* 大事なことなので寄り道しますが、「概念」というのは、「個々の共通項を抽象し、それ以外を捨象したもの」つまり、「それぞれの個体の共通する部分をあつめてイメージにしたもの」のことです。言い換えれば、「例外的なものはいったん無視してまとめた、だいたいのイメージ」のことです。たとえば「犬の概念は?」と聞かれたら、「ワンと鳴いて、人間によくなつき、雪が降ったら庭をかけまわる動物」などと言うことができます。もちろん、ワンと鳴かない犬や、人間にちっともなつかない犬や、雪が降ってもコタツでまるくなっている犬もいるでしょう。でもそういう少数派の犬はいったん無視です。「概念」は「多数派を混ぜただいたいのイメージ」のことであり、言い換えれば、「マジョリティ・ミックス・イメージ」なのです。さて、では「嫉妬」とか「苦悶」といった言葉はなぜ「概念的」と言えるのでしょうか。それは、多くの人が似たように味わう気持ちだからです。「嫉妬」という言葉を聞いて、かなり多くの人が、「ああ、ああいう気持ちのことかな」とイメージすることができます。「嫉妬」という言葉を聞いて、大多数の人が、イメージとして共有できるということは、その言葉が「概念的」であることを意味しています。
ですから、「恋」なども概念的な言葉です。よしおくんが、なんだかいつもよしこさんのことが気になってしまい、「なんだろう、この気持ち」と思っている時に、友達のよしのすけくんに、「よしおくん、それ、【恋】だよ」と言われたとします。その時、その「恋」という言葉は、「概念」です。大多数の人が味わう感情の共通項をあつめたマジョリティ・ミックス・イメージである、「なんだか特定の人が気になっちゃって、勉強も手につきません、いかんともしがたいです」というような感情を、「恋」という記号で表現しているのです。
上智大の過去問題には、「彫刻も文学も音楽も現代では概念が成立しえない(それぞれの世界がもっと狭かった過去では、自明の統一としての概念は成立していた)」というような文章がありました(@加藤周一)。それは、彫刻も文学も音楽も、種類があまりにも多様になりすぎていて、マジョリティ・ミックス・イメージを持てるほどの多数派が認められない状態であるということになります。数え切れない「少数派」が世界中で乱立している状態なのです。先ほどの犬の例で述べれば、雪が降り始めた時に、ポチは元気に庭をかけまわり、プックルはコタツでまるくなり、ボロンゴは布団をかぶって寝てしまい、ゲレゲレは雪だるまをつくることだけに執着しているような状態では、「雪が降ったときの犬」という概念は成立しなくなります。
⑤「罵られた」→「出来事をそのままには受け取ろうとしない」という因果関係がおかしいです。「罵られた」という言葉は、傍線部(イ)の少し後ろにありますが、直前の千代子の言葉は「相変わらず偏屈ね貴方は。まるで腕白小僧みたいだわ」というものです。「偏屈」という言葉は決してほめ言葉ではないので、「罵られた」という表現は、むしろその言葉をそのままに受け取っていると言えるでしょう。たしかに千代子は笑いながら言っているので、「罵られた」は言いすぎな気もしますが、セリフの中身自体は悪口を言っていることに変わりありません。
決定的には、「ユーモア」が不適です。「ユーモア」という言葉は、辞書的には「気の利いた、上品なこっけい味」というプラスの意味であり、マイナスの意味では用いません。人を幸せな気分にさせるのがユーモアなのです(反対に、話の途中で持ち上げておいて、オチでおとしめて、暗い気持ちにさせるのは「ブラック・ユーモア」と言います)。笑いながらの千代子の発言を「罵られた」と述べることなどは、「上品なこっけい味」ではないので、ユーモアとは言えません。
傍線部(ウ)の少し前にある、「幸いにして」という心情についても、「僕」は「高木」と玉突きをしたくなかったわけですから、「ビリヤードなんて知らなくってよかった、付き合わなくてすむぜ」というように考えていたと解釈するのが妥当です。ですから、「幸いにして」という感情は、「ああよかった」という「率直な感想」であり、ユーモアというわけではないでしょう。
⑥「会話を僕の手から奪った」という表現は傍線部Aの直後にありますが、「奪った」に相当する主語は「高木」であり、もともと「人」なので、「擬人法」とは言えません。また、「抽象的」が逆です。「抽象的なものごとをわかりやすく説明」となっていますが、どのエピソードももともとは抽象的ではなく、「実際にあった具体的な出来事」です。