(二)「中世の教師は、逆説的にきこえるかもしれないが、教える主体ではなかった」とあるが、どういうことか、説明せよ。
「答案の骨格」は「主語・修飾語(特に目的語)・述語」である。
記述問題において、「答案において最も書かなければいけない部分」は、次の構造になります。
主語 修 飾 語 述語
何が どんなふうに どうだ
何が どういった 何だ
何が 何を どうする
何が 何に どうする

修飾語のなかでも特に
①「~を」となる文節
②「~に」の「~」の部分が目的地や目的物になる文節
を「目的語」といいます。
①私はうどんを食べる。
②あなたは公園に行く。
といったものです。
修飾語のなかでも、この「目的語」と呼べるものについては、いっそう注目する必要があります。解答の骨格になりやすいからです。
設問文自体に主語が書かれている場合などは、答案に主語を書かなくてもいい場合があるのですが、原則的には書き込むくせをつけておきましょう。
ただし、選択肢問題では、選択肢の字数を減らす目的で、主語を書かないケースも多々あります。そのため、選択肢に関しては、「主語がないから✖だ」とは考えないようにしましょう。
くり返しますが、答案で最も大切な要素は「主語・修飾語(特に目的語)・述語」です。まずはそれらをしっかりと説明できるようにしましょう。
それ以外の部分は、論理構造においては「補足」です。状況次第では、思い切って無視することも大切です。答案に表現するにしても、できるかぎり字数を少なくすることが大切です。
傍線部内の「逆説的に聞こえるかもしれないが」という部分は、文の成分でいえば「接続部」です。「主語」「修飾語」「述語」ではありません。つまり、「論理の骨格」ではありません。傍線部内にある以上、無視はしないのですが、この部分の言い換え表現がくっきり答案に表出しなくても問題ない部分だと判断します。
以上の考察により、まずは、「中世の教師は、教える主体ではなかった」という「論理の骨格」を言い換えられるようにします。
中世の教師は
「中世の教師は」という「主語」は、そのままでも意味がわかります。したがって、無理な「言い換え」はしなくても問題ありません。
そのまま書けばよいのですが、字数が許せば補足をします。
直前に、
中世の教師は、テクストを書き写し、解読し、注釈し、文書を作る人である。
という説明がありますので、
◆文書を読み書きする
◆文書の読解や作成を担う
◆文書に携わる
くらいの表現を付け加えられればベストです。
ただし、この設問は、「教師なのに教える主体ではなかった」という屈折した理屈を解読することが中心であり、「教師は自分の仕事をしていれば後継者が勝手に育った」という説明が「核心」です。そのため、「仕事の内容」まで踏み込む必要性は薄いです。
「文書」の論点は、字数が許せば入れておくという程度のものであり、なくても採点上は減点されないと考えられます。
教える主体ではなかった
「主体(動作をする側)ではない」ということから、では「客体(動作を受け取る側)」だったのか? というと、そういうわけではありません。
傍線部の直後に、
同様に中世の生徒も教えられる客体ではなかった。両者は、主体と客体に両極化する以前の、同じ仕事を追求する先達と後輩の関係にあり、そこには一種の学習の共同体が成立していた。
と説明されています。このことから、教師と生徒が、「主体(教える側)と客体(教えられる側)」に分かれるものではなく、「同じ仕事を追求する先達と後輩」に過ぎなかったことがわかります。
また、次の段落に、
教える側の、教えられる側に対する働きかけを、方法自覚的に主題化する教授学への必要性は弱い。
と述べられています。つまり、「自覚的に働きかけることはなかった」ということです。
この2つの論点を使用すると、次のような答案が成立します。
中世の教師は、文章を読み書きする仕事の先達に過ぎず、後輩としての生徒に対して自覚的に働きかけることをしなかったということ。
さらに、傍線部の直前に、「その意味では」という指示語がある点に着眼しましょう。
傍線部を含む一文に指示語がある場合、その意味内容を過不足なく答案に取り込む必要があります。
その職業を実施する過程の中に後継者を養成する機能が含まれていたということができる。
という意味で、「中世の教師は教える主体ではなかった」と述べているわけですから、
「仕事に打ち込んでいさえすれば、自動的に(勝手に・結果的に)後継者が育った」
ということになります。
下書き
職業実施の過程に後継者養成の機能があったという意味で、中世の教師は、文章を読み書きする仕事の先達に過ぎず、後輩の生徒に自覚的に働きかけることをしなかったということ。
以上が「答案の骨格」です。
傍線部の直後にある論点を「前提」として書くと、次のようになります。
「同じ仕事を追求」「学習の共同体」という「前情報」があったほうが、「教師」が「教えなかった」いきさつがくっきりしますので、いっそうよい答案になります。
下書き②
中世の教師と生徒は、学習の共同体で文書の仕事を共に追求する先達と後輩であり、そこで教師は、生徒に対して自覚的に働きかけることをせずに後継者を養成したということ。
答案の骨格としては、先ほどみた答案でほぼ完成です。本番であれば、このくらい書ければ十分です。また、選択肢問題でも、「骨格」を理解した時点で選びに行ってかまいません。
ただし、「骨格」以外とはいえ、傍線部のど真ん中にある「逆説的に聞こえるかもしれないが」をまったく無視するのも勇気がいることですので、あまり字数を割かずに取り込んでみましょう。
逆説的に聞こえるかもしれないが
さて、傍線部内の「逆説的に聞こえるかもしれないが」という部分は、「逆説」について答えることが中心になっている問題ではありませんが、「逆説」の意味を知っておくと、解きやすくなる問題です。
常識的な前提と、妥当な推論を経て、単純に予想される結論とは逆の結論が導かれる論理のこと
「単純に考えれば(表面的な理屈では)Aになるはずなのに、そうではない理屈によって、(Aとは対立する)Bという結果が導かれている」状態を、「逆説的な状態」といいます。
この文章においては、次のような「逆説」が起きていることになります。
中世の教師は「教える」ことをしなかった。
普通に考えれば、教えていないのだから、生徒は育たないはずである。
しかし、生徒は「後継者」であったために、教えられていなくても結果的に育っていった。
「中世の教師」は、「読み書きにまつわる自分の仕事に集中する存在」であり、「教えること」などをしませんでした。「教えない」のだから、単純な理屈では、「生徒」は「教育されない」ことになります。しかし、この場合では、「先達としての教師」の仕事を共同で担うことで、「生徒」は「後継者」として成長したことになります。
つまり、「教師は主体的に教育をしなかったが、共同作業を通じて生徒は後継者として養成され、結果的に教育的行為が成立していた」という「逆説的理屈」が通ることになります。
以上のことから、「教師の側が教えなかったにもかかわらず、生徒は結果的に育った」というように、「前半」と「後半」の理屈が表面的には逆になるように書くと完璧です。
ここまでできれば、「逆説的に聞こえるかもしれないが」という部分を、まったく無視したことにはならない答案になるので、減点しにくい解答になります。
解答例
中世の教師は、学習の共同体での先達に過ぎず、後輩である生徒に教育を施さなかったにもかかわらず、読み書きの仕事を共に実施する過程で、結果的に後継者を養成したということ。
中世の教師と生徒は、学習の共同体で同じ仕事を追求する先達と後輩であり、教師は文書を指導する立場でなかったが、職業実施の過程で意図せず後継者を成長させたということ。