デューク

問1

(ア)① 「訝しい」 意味は、「物事が不明であることを怪しく思うさま。疑わしい。」

(イ)⑤ 「~ような」「ごとし」などがつくことによって、表現上、比喩であることがすぐにわかる比喩表現を「直喩法」という。

(ウ)② 意味は、「好奇心から人と異なる行動をとること。物好きなこと」

問2 正解は⑤

 〈選択肢⑤〉について、本文と選択肢の対応を考えてみよう。

〈本文〉みょうに明るい声で「行ってきます」を言い、
     ⇒〈選択肢〉強がって家を出た (OK!)

〈本文〉ドアをしめたとたんに涙があふれたのだった。
泣けて、泣けて、泣きながら~
     ⇒〈選択肢〉一人になると悲しみを抑え切れなくなった  (OK!)

〈本文〉男の子が席をゆずってくれた。
さりげなく私をかばってくれていた。
     ⇒〈選択肢〉「少年」の思いやりのある態度 (OK!)

〈本文〉いつのまにか泣きやんでいた。
気持ちがおちついてきた。
     ⇒〈選択肢〉悲しみが幾分薄まってきた (OK!)

〈本文〉「コーヒーごちそうさせて」
     ⇒〈選択肢〉このまま彼と一緒に過ごしたい (OK!)

*「コーヒーごちそうさせて」というセリフのみで、「このまま彼と一緒に過ごしたい」という心情を推論するには、やや根拠が薄いと思われるが、これについては、傍線部の直後もヒントになる。

〈本文〉
私たちは坂をのぼった。
坂の上にいいところがある、と少年が言ったのだ。

〈POINT〉

* ~のだ。 ~のである。

といった文は、「前文を詳しく説明する」ための文である。まれに、「前文の理由」を示すこともある。
ここでは、「言ったからだ」と言い換えることができるので、「全文の理由」を補っていると考えることもできる。

そう考えると、「少年がいいところがあると言ったから、私もついて行った」という文脈になる。「自分が行きたいところ」ではなく、「少年が行きたいところ」についていくということは、「少年そのもの」と一緒にいたい気持ちが行動に表れていると推論できる。以上のことから、〈選択肢⑤〉の「このまま彼と一緒に過ごしたい」は「推論可能」である。

〈不正解の判断基準〉


「どうしてよいのかわからなくなった」が「深読みしすぎ(根拠のない解釈)」で×。泣いてはいるが、アルバイトに向かっているので、「どうしてよいのかわからない」とまでは言えない。
「お礼をすることがアルバイトより大事」も「深読みしすぎ」である。コーヒーとオムレツをごちそうしている時点でお礼は済んでいるので、「お礼」が「アルバイトを休む理由」にはならない。


「デュークの代わりとして愛する」が「深読みしすぎ」である。「私」の視点において、この時点で「彼=デューク」の発想はまったくない。
「悲しみから逃れられる」も「深読みしすぎ」である。「悲しみから逃れたい!」という意志は本文中に根拠がない。


「休む口実も思いつかない」が「深読みしすぎ」である。「口実も思いつかない」というからには、それ以前に、「口実を考えようとしている描写」がなければならない。しかし、「休もう! 口実を考えよう!」という思いや行動は本文中に示されていない。 


「楽しいことを見つけて気を紛らわそうとした」が「深読みしすぎ」である。このように考えた根拠が存在しない。
「悲しみも癒え」が「言い過ぎ」である。「緩和」「薄まる」くらいならOKだが、「癒える」とまでは言えない。
「これから始まる新しい恋」が「言い過ぎ」である。少年に恋心を寄せている描写はこの時点では存在しない。

問3 正解は④

 この問題は「問い方」に注意したい。傍線部について、「この小説の中でどのような働きをしているか」と問うているので、心情や人物像ではなく、「文章効果」を聞いていることになる。

〈本文〉
私は泳げない。 → とつぜんぐんっと前にひっぱられ、~
私はどんどん泳いでいた。
~もうプールのまんなかだった。
三メートルほど先に少年~

見逃しがちだが、これは「不思議な現象」である。つまり、この小説が「不思議な話」であることをほのめかしているのである。また、この少年が「不思議な存在」であることをほのめかしているのである。
このように、「のちの展開に備えて、それに関連した事柄を前のほうでほのめかしておくこと」を「伏線」という。くっきりと明示されていたら「伏線」にはならない。それと気付かれないようにこっそり書かれていることが重要である。

「プールの出来事」の叙述は、「この小説」において「伏線」の働きをしている。したがって、正解としては、〈選択肢④〉の「少年が特別な存在であることを暗示している」という説明が最もよい。
〈選択肢④〉は、「神秘的な力によって」という説明がやや強引だが、「泳げない私」が「糸でひっぱられるように泳ぐ」というシーンは、現実の物理法則を超えた力であるため、「神秘的」と説明することはぎりぎり可能である。以上のことから、他の選択肢が「もっと×」なら、〈選択肢④〉は十分正解になる。

〈不正解の判断基準〉


「少年の指導によって」が「事実のミス」で×である。少年は泳ぎを「具体的に教えた」わけではない。


「泳ぎの嫌いな私」が「言い過ぎ」で△である。×にまではしきれないが、「泳げない」ことと「嫌い」は意味が十分に対応しているとは言えない。
「純真さを取り戻す」が「人物像のミス」である。「取り戻す」というからには、「私」が「純真ではない」様子が示される必要があるが、「泣きながら電車に乗る」様子をみても、むしろ「私」は一貫して純真であると読解するほうが自然である。


「忘れていた水の感覚の素晴らしさ」が「事実のミス」である。「なつかしかった」という感想は、「プールの様子」に対して使われているだけであり、「私」が「水そのものの感覚」を忘れていたとは言えない。「素晴らしさ」は、「泳ぐって、気持ちのいいことだったんだな」から読み取れそうに思えるが、ここでの「気持ちのいい」という感想は、「水の感覚」ではなく「泳ぐ」という行為に対してのものであるため、本文と対応しない。


「擬似的に経験させられる」が「事実のミス」である。「私」は実際に泳いでいるわけであるから、「擬似」ではない。

以上の考察により、①②③⑤に決定的な×が入るため、④は本文で述べられていることに「最も近い」と考えられる。したがって、④が正解。

問4 正解は①

 やはり、「問われ方」に注意しなければならない。

〈設問〉
「デュークはもういない。 デュークがいなくなってしまった」とあるが、この箇所が示している「私」の心理状態はどのようなものか。

*この時の「私」の心情ではない! ⇒ 傍線部そのものから読解できることしか正解にならない。

 本文を見ていこう。

〈本文〉
デュークが死んで、悲しくて、悲しくて、息もできないほどだったのに、知らない男の子とお茶を飲んで、プールに行って、散歩をして、美術館を見て、落語を聴いて、私はいったい何をしているのだろう。
 だしものは「大工しらべ」だった。少年は時々、おもしろそうにくすくす笑ったけれど、私はけっきょく一度も笑えなかった。それどころか、だんだん心が重くなり、落語が終わって、大通りまで歩いたころには、もうすっかり、悲しみが戻ってきていた。
 デュークはもういない。
 デュークがいなくなってしまった。

前後の文脈に引きずられすぎないこと!
この傍線部そのものでは、「いない」「いなくなってしまった」としか言っていない。もちろん、選択肢の説明に「前後の情報」が補助的に入ってくることはありうるが、「正解の核心」としては、「いなくなった」という表現そのものから読み取れることについて書かれていなければならない。

 ⇒ 「喪失感」と述べられている〈選択肢①〉が正解

〈不正解の判断基準〉


「何をしても気持ちが晴れない」が「心情のミス」である。少年といったプールや美術館で、いったんはある程度気持ちが晴れている。ここでは「悲しみ」が「もどってきていた」のである。


「楽しい思いをすればするほど」が「心情のミス」である。直前の「落語」の場面では、「楽しい思い」をしていない。「楽しい場所に行けば行くほど」であれば、本文に整合しているといえるが、「思いをしている」と言ってしまうのはNG。
 「腹立たしさ」もNG。たしかに「私はいったい何をしているのだろう」「私はけっきょく一度も笑えなかった」「心が重くなり」といった記述から、「自分に対する腹立たしさ」という解釈が導けないこともないが、問いが「傍線部が示している心理状態」というものであることに着眼したい。「いなくなってしまった」という表現から、「腹立たしさ」は読み取れない。すると、選択肢中の説明のどこにも、傍線部そのものから読み取れることがないことになる。


「少年の気持ちを大事にしようと努力」が「深読みしすぎ」である。「努力」したと思われる箇所が見当たらない。
「いらだっている」もNG。「私はいったい何をしているんだろう」といった箇所から、「いらだち」を読み取ることができないわけではないが、それは「少年と心が通い合わないから」ではない。自分の行動に対するいらだちである。また、傍線部そのものから「いらだち」は読み取れないので、〈選択肢③〉と同様に、選択肢中の説明のどこにも、傍線部そのものから読み取れることがないことになる。


「前向きに受け入れよう」が「心情のミス」である。直前に「もうすっかり、悲しみがもどってきていた」とあることから、「前向き」と判断することはできない。また、〈選択肢③④〉と同様に、選択肢中の説明のどこにも、傍線部そのものから読み取れることがないことになる。

もしも、ここでの問いが、「このときの私の心情は?」というものであったのならば、①と②を足したものが正解であると言える。長めに書けば、たとえば次のような解答である。

〈記述想定答案〉
次々と楽しい場所に行く過程を振り返り、悲しみにそぐわない場所にいる自分に対して腹立たしく思ったことから、デュークの死に対する悲しみがよみがえり、「少年」といっしょにいてもなお、自分の中の喪失感をあらためて意識している心情。

問5 正解は③

〈問4〉のパターンの発展的問題である。「この発言から読みとれる」という問い方をしているものの、傍線部に指示語があるため、「発言」の意味内容は傍線部の外側にある。

〈本文〉
「今までずっと、僕は楽しかったよ」
「今までずっと、だよ」
「僕もとても愛していたよ」

 これらの発言には、次のような違和感が残る。

「今までずっと、僕は楽しかったよ」
     ?  
       「ずっと」? ⇒ 一日しかいないのに?

「今までずっと、だよ」
         !  
          「だよ」? ⇒ わざわざ念押しをしているぞ!

「僕もとても、愛していたよ」
  ?  
   「も」? ⇒ 「私」のほうから「愛していた」なんて言っていないのに?

つまり・・・

少年の発言は、「二人が長い時間をともに過ごしていたこと」が前提になっている。
また、「「私」が「少年」を愛していたこと」が前提になっている。

すると・・・

「ズバリ!」の正解は〈選択肢③〉である。「ともに過ごした幸福な歳月を懐かしみ」が、「それだけ言いにきたんだ」の「それ」の指す内容に一致している。

さらに・・・

「じゃあね。元気で」という別れの言葉は、「惜別の気持ち」に対応している。

「深い悲しみにこたえよう」という説明の部分はやや本文から読解しづらいが、「私」が悲しんでいることは事実であり、少年(デューク)がその悲しみに対して何とかしてやりたいと思っていることも推論可能なので、×にはならない。したがって、他の選択肢との比較のうえ、総合的に判断すると、〈選択肢③〉が正解になる。
〈不正解の判断基準〉


「悔やみながら」が「心情のミス」である。「少年」が「後悔している」と読解できる記述が存在しない。
「一日つきあってくれた」が「指示対象のミス」である。「少年」の発言の「今までずっと」は「今日の一日」を指している発言ではない。だからこそ「だよ」と念を押しているのである。「ずっと」は「長い年月」を指していると考えるのが適当なので、「今までずっと」と「一日」ととらえてしまうのは誤り。


「あきらめかけながらなおも励まそう」が「心情のミス」である。そもそも「励まそう」としているのかどうかも不明瞭である。そうだとしても、それをあきらめかけている記述は存在しない。
また、この選択肢は、「指示対象のミス」でもある。〈選択肢②〉は、「少年」の直前の発言を解答に活かしていないため、指示語の指す指示対象を把握しているとは言えない。


「心が通じたことを喜び」が「指示対象のミス」である。〈選択肢①〉と同様であるが、「少年」の直前の発言には「今までずっと」とあるため、今日一日のことを意味しているわけではない。
「また「私」に会えるだろう」が「心情のミス」である。「じゃあね」と対応しない。


「一日のデートを通して」が「指示対象のミス」である。〈選択肢①④〉と同様であるが、「少年」の直前の発言には「今までずっと」とあるため、今日一日のことを意味しているわけではない。
「「私」への愛着を断ち切ろうとするあきらめ」が「心情のミス」である。「愛していたよ」と対応しない。

問6 正解は③

特定の傍線が引かれているわけではなく、文章全体にわたる問題であるため、消去法のみで選択肢を考察する。

〈選択肢吟味〉

a 〇
本文と一致している。

b × 
「一日の出来事が「私」の夢であった」が「事実のミス」である。たとえば本文の最後に、「はっと目覚めたらソファーの上だった」などの記述があれば、「夢」と考えてもよいが、そのようなことが一切書かれていないので、「現実に起きた不思議な話」と考えるのが適当である。

c ×
「現実にはありそうもない経験を重ねる」が「事実のミス」である。たしかにプールの場面では不思議なことが起きていたが、その他の場面では特に不思議なことは起きていない。その点で、「重ねる」とまでは言えない。したがって、「幻想の中に救いを求める」も誤りである。本文の全般は現実的な話であり、「幻想」は特に出てこない。

d 〇 
本文と一致している。
「泣いて、泣いて」や「悲しくて、悲しくて」などの表現がある。プロの作家に対して「一見稚拙」という説明は言い過ぎである気もするが、結果的には褒めているので問題なし。

e ×
「新たな恋の始まりを効果的に示唆」が「事実のミス」である。少年(デューク)は走り去ってしまうのであり、最後に別の現実の男性が出現するわけでもない。

f 〇
本文と一致している。

g ×   
「サスペンス」がおかしい。「サスペンス」とは「小説や映画・ドラマ等の作品で受け手側に不安感や緊張感を与える事を主軸・主体に置いたもの」の意味だが、『デューク』の世界観には整合しない。
「スリリング」もおかしい。「スリリング」は「主に恐怖からくる緊張感のあるさま」の意味だが、『デューク』の世界観には整合しない。

(以下余白)