「ウレシソウ」に振舞うというジェスチュアに跳びかかる

随想と評論の解答方針に違いはない。

随想の問題を扱います。

さて、評論と、随筆のあいだに、「解き方の違い」というものはありません。基本的な読解方針、解答方針は同じです。評論にも「随想のような出題」があり、随想にも「評論のような出題」があります。

実際、東京大学は第一問で文理ともに評論、第四問で文科のみに随想を出題しますが、「第一問」のほうで随想めいた作品が課題文になることも少なくありません。そもそも日本の評論はかなり随想めいた書き方をしますので、その境界線はくっきり引けないと考えましょう。

ただ、「評論」に出てくる「具体物」が、「取り換え可能な例示」であることが多いことに対して、「随想」に出てくる「具体物」は、「そもそものテーマとなっている」ことが多くなります。それがあったからこそ、筆者はものを考え始めるので、「取り換え不可能な出来事」になります。したがって、随想のほうが、答案がより具体的になりやすい傾向があります。

また、「随想」のほうが、「きっぱりした説明語句」が課題文中に存在しないことが多くなるので、そのぶん解答欄において、いわゆる〈自分のことば〉を使用する領域が若干大きくなりがちです。

とはいえ、「まずは本文中から説明語句を探して、なければ自分の語彙力で解決する」という基本方針に違いはありません。原則的には、同じ方法論で解いていきましょう。

傍線部問題の基本方針

①傍線部の「内実」を意味する具体的な論点を収集する。
②傍線部そのものの表現を言い換える。
  (a)指示語は対象を書く。
  (b)比喩的表現は実態を書く。
  (c)多義語は文脈に即して限定する。

では、例題を見てみましょう。

 二流の役者のセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸ろうと努力する。たとえば、チェーホフの『三人姉妹』の末娘イリーナの第一幕の長いセリフの中に「なんだってあたし、今日こんなに嬉しいんでしょう?」(神西清訳)という言葉がある。女優たちは、「どうもうまく『嬉しい』って気持ちになれないんです」といった言い方をする。もっといいかげんな演技者なら、なんでも「嬉しい」って時は、こんなふうな明るさの口調で、こんなふうにはずんで言うもんだ、というパターンを想定して、やたらと声を張り上げてみせる、ということになる。「嬉しい」とは、主人公が自分の状態を表現するために探し求めて、取りあえず選び出して来たことばである。その〈からだ〉のプロセス、選び出されてきた〈ことば〉の内実に身を置くよりも、まず「ウレシソウ」に振舞うというジェスチュアに跳びかかるわけである。

竹内敏晴『思想する「からだ」』

傍線部「『ウレシソウ』に振舞うというジェスチュアに跳びかかる」とあるが、どういうことか、説明せよ。

まずは、傍線部(を含む一文)を複数の論点に分けましょう。

この際、主語も取り込んでおくことが基本作業です。

〈論点a〉いいかげんな役者は(二流の役者は)
〈論点b〉「ウレシソウ」に振る舞うという
〈論点c〉ジェスチュアに跳びかかる

〈論点a〉は傍線部にありませんが、「論理」の出発点は原則的に主語であるため、傍線が引かれていなくても主語は取り込む習慣をつけておきます。

「どういうことか」の問題の場合、主語が書かれていなくても得点に影響がない場合もあります。たとえば、設問が「このときの筆者の考えを説明せよ」などとなっていれば、主語が「筆者」であることは設問文によって自明になりますから、答案に書かなくても問題ありません。

ただし、通常の問題の場合、「主語があって減点される」ということはありませんので、基本的には入れておくくせをつけておきましょう。「主語を書き込むかどうか迷ったら書いておく」が原則です。

次に、答案に必要な情報を収集しましょう。

(ⅰ)いいかげんな演技者は、嬉しさを表現する際
(ⅱ)明るい口調で、はずんだ調子で、声を張り上げるという
(ⅲ)パターンを想定し、
(ⅳ)そのとおりに振る舞うということ。

唐突に「ウレシソウ」と述べ始めても、何の話なのかわかりません。したがって、主題に    部を追加して、そもそも何の話をしているのかを規定しましょう。

すると、ひとまず次のような答案が完成します。

合格答案

いいかげんな演技者は、嬉しさを表現する際、明るい口調で、はずんだ調子で、声を張り上げるというパターンを想定し、そのとおりに振る舞うということ。

例示のように見えるところも、並列関係で列挙されているものをすべて書き込むなら加点される可能性があります(論点言及)。もちろん、まとめて「一般化」するほうが理想に近いのですが、その作業が困難であれば、列挙されている要素を落とさないように入れておきましょう。「まとめて一般化」するなら、たとえば次のように書くことができます。

いいかげんな演技者は、 嬉しさを表現する際、陽気な口調や身振りのパターンを想定し、そのまま振る舞うということ。

「明るさ・はずんで・張り上げる」という表現は、「陽気」などの語句で短くまとめることが可能です。

字数を考えると、まだ書けます。

対比の補足

傍線部問題の鉄則として、「傍線部を含む一文に対比が内在している場合は、補足事項として対比の相手を取り込む」という方法論があります。

傍線部(を含む一文)が、表現上「対比」を内在している場合、その「対比の相手」も答案に取り込む。

ただし、これはあくまでも補足であり、答案の核心ではないので、字数を圧迫しないように手短に書く。「対比の補足」は大胆に圧縮してよい。

この設問においては、傍線部を含む一文に、「よりも」という対比のラベルがあります。そのことから、「~ではなく、AはBなのである。」というように、答案にも「対比関係」を取り込んだほうがよいです。ただし、ここはあくまでも「補足」であり、「補足」のほうで字数をたくさん使用することは避けたいので、細かいことにこだわらず、わかりやすく書きましょう。

ハイレベル答案

いいかげんな演技者は、嬉しさを表現する際、自分の状態を表現する言葉を探すのではなく、陽気な口調や身振りのパターンを想定し、そのまま振る舞うということ。

「補足」の部分こそ、「自分のことば」にしやすい(積極的にしてよい)場所であると考えましょう。大枠が合っていれば、もっと手短にしてかまいません。

トップレベルへの+α

最後に、傍線部内の「跳びかかる」という比喩的表現のニュアンスをもっと活かす工夫をしてみましょう。「ウレシソウな振る舞いのパターン」に「そのまま飛びつく」というニュアンスですから、

短絡的に
熟慮せずに
深く考えず

といった意味内容を追加できると、いっそうよい答案になります。

トップレベル答案

いいかげんな演技者は、嬉しさを表現する際、自分の状態を表現する言葉を選ぶ経緯をとらず、陽気な口調や身振りのパターンを想定し、短絡的にそのまま振る舞うということ。

「跳びかかる」というニュアンスを積極的に出すためには、「考えなしに型にはまる」とか「短絡的に振る舞う」などと表現できるとよいです。

採点基準 ⑤点

いいかげんな演技者は、        (ないと減点) 「二流の役者」も可
嬉しさを表現する際、         (ないと減点)
自分の状態を表現する言葉を探すのではなく  ①
陽気な口調や身振りの            ①
パターンを想定し、             ① 「典型的」なども可
短絡的に                  ① 「考えなしに」なども可
そのまま振る舞う(演じる)         ① 「型にはまる」なども可
ということ。

本当ならば、人間には、「うきうきする」とか「るんるんする」といった「感情」が先にあるはずですよね。

そういった何らかの「感情」を表現するために、「うれしい」という言葉がふさわしければ「うれしい」という言葉を使用することになります。

本当に「いい演技」というのは、役者がまずそういう「感情」になって、そのうえで、「うれしい」という「身振り」や「言葉」を表出するものです。

しかし、いいかげんな役者、二流の役者は、そういった「実際の感情」をつくることをせずに、「ここはうれしい場面だから、声を張り上げてはずんでみよう」というように、「うれしそう」に見える典型的な振る舞いの型にさっさとはまってしまうということです。

選択肢なら……

いいかげんな演技者は、嬉しい演技をするときに、その心境に至るいきさつを深く考えず、朗らかに見える定型的な行動をすぐにとってしまうということ。

記述問題よりも選択肢問題のほうが「ざっくり」言い換える傾向がありますね。

チャレンジ答案

演技者は「嬉しい」表現をする際に、心からその感情を表すのではなく、体の動きや言葉で表現をしているということ。2/5

二流の役者は嬉しいというセリフに対して、そのセリフが選ばれたプロセスを考えずにそのセリフの感情を推測し、それを振る舞っているということ。4/5

役者や演技者が舞台上で上手に演じるには感情を推測して自分の中に浸ろうとしたりする事よりも感情そのものを演じる事を捨てるのが重要であるということ。1/5

「嬉しい」というのは主人公がとりあえず選び出したことばなのに、役者がとりあえず「嬉しい」ような動作を想定して、声を張り上げて見せているということ。3/5

女優はそのセリフを吐かせている感情を推測し、その感情に浸ろうと努力し、セリフの中のその言葉が選ばれた理由を考える前に、その感情の動作から役に入るということ。2/5

嬉しいという言葉は自分の状態を表現するためにからだが探し次に発される言葉だから、最初にからだで次に言葉という順番で中身に身を置かれるという事。1/5

嬉しい気持ちになってその感情を表に出すのではなく、ただ「嬉しそう」という動作をするということ。1/5

本来、感情とは激烈に行動している〈からだ〉の中を満たし溢れているなにかを、外から心理学的に名付けているのに二流の役者は表上の感情にすぐ跳びかかるということ。2/5

話の状況もよく考えずに「嬉しい」という時はこうだろうなどと声の明るさや口調のパターンを想定し、とにかく声を張り上げてみせるといったいい加減な演技をすること。3/5

「嬉しい」と言う時の感情を考えて言い方を変えるのではなく、「嬉しい」という言葉の通りに、感情を考えずにいい加減な演技者は演技をするということ。2/5

主人公の「嬉しい」という言葉の中に、主人公のどのような思いが込められているかなどの台詞の内実を考えもせずに、ただ表面だけを取り繕った演技をしているということ。3/5

演技をするということは、その感情と同じ状態の気持ちになるのではなく、その感情の時のしぐさがどのようなものになるかを探して、それを体で表現しようとすること。1/5

主人公が自分の状態を表現しようとして、とりあえず選び出した「嬉しい」という言葉が使われるパターンを想定し、自分の思う嬉しいときの感情そのものを演じること。2/5

女優のように、ことばの内実から嬉しいという気持ちになろうとするのではなく、口調などの見た目からパターンを想定して嬉しそうに見せるということ。2/5

いいかげんな演技者は、感情を自分に取り込もうとせずパターン化しているということ。1/5

本当の「嬉しい」という気持ちではなく、ただ単に声を張り上げて、見ている人に「ウレシソウな人」に見えるジェスチェアをするということ。1/5

劇で役者が嬉しい時のシーンを演じる時には、嬉しいと感情をこめて言うのではなく、嬉しいというジェスチャーを意識すること。1/5

役柄の人物の内にある感情から派生した言葉の本質を理解しようとせず、その感情になった場合を自分なりに、決まったパターンを想定して表面的に表現しようとすること。3/5

言葉の本当の意味や、中身を知ろうとするよりも、言葉の外見から感情の状態を推測するため、「嬉しい」は取り敢えず選んだ言葉であり、本意を知らずに体で表現しようとするから。1/5

嬉しいという感情を思い起こし、実際にその感情になるのではなく、自分で嬉しいという感情がどういうものか、を決めてそれを振る舞いとして表現すること。1/5

演じている役の「嬉しい」という感情を、内面的に表現するよりも、その「嬉しい」という感情をやたらと声を張り上げたりして、明るく振る舞うということ。3/5

セリフで嬉しい気持ちにならなければならないのに嬉しいと思えず、自分の状態を表現するために選び出された言葉ではなく体を使って表現するということ。2/5

取りあえず選び出して来たことばで演技をするのではなく、「ウレシソウ」を自分の中で感じとり、振舞うというジェスチュアに跳びかかることが大事だということ。1/5

本来重要な、主人公が自分の状態を表現するために「嬉しい」という言葉を探し選んだプロセスと内身に重きを置かず、言葉の意味だけに目をつけて体現しようとすること。3/5

「嬉しい」ということばの感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸り表現をする為、「嬉しい」ということばの内実を考えられていないこと。1/5

「嬉しい」とは自分を状態を表現する言葉であり、言葉に寄り添って考えるたり感情に浸ろうと努力するより、実際に体を動かす方が正しい表現に辿り着けるということ。1/5

嬉しいという感情になったプロセスや中身を気にせず、ただただ「嬉しい」という言葉を切り取って人々が思い浮かべる嬉しそうな仕草、口調で演じるということ。3/5

内面として〈ことば〉の感情をかき立てようとするよりも、表面的に〈からだ〉で表現しようとする方が想像しやすく取り掛かりやすいため、そちらの方を重点的に考えること。1/5

「嬉しい」という気持ちを表すためにセリフとして選ばれた「ことば」の内実に身を置き、根本から自分自身の気持ちを変えるのではなく、最初に行動で役の状態を表しはじめるということ。2/5

「嬉しい」は自分の状態を表現するためにとりあえず選び出して来たことばでありその〈からだ〉や〈ことば〉の内実に身を置き浸ろうとするより身振り手振りからがよいこと。1/5

嬉しいとは主人公が自分の状態を表現するために探し求め取り敢えず選んだ言葉であり嬉しい時の口調や言い方のパターンを想像すること。1/5