歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ。

 歴史の問題が「記憶」の問題として思考される、という傾向が顕著になったのはそれほど昔のことではない。歴史とはただ遺跡や史料の集積と解読ではなく、それらを含めた記憶の行為であることに注意がむけられるようになった。史料とは、記憶されたことの記録であるから、記憶の記憶である。歴史とは個人と集団の記憶とその操作であり、記憶するという行為をみちびく主体性と主観性なしにはありえない。つまり出来事を記憶する人間の欲望、感情、身体、経験を超越してはありえないのだ。
 歴史を、記憶の一形態とみなそうとしたのは、おそらく歴史の過大な求心力から離脱しようとする別の歴史的思考の要請であった。歴史は、ある国、ある社会の代表的な価値観によって中心化され、その国あるいは社会の成員の自己像(アイデンティティ)を構成するような役割をになってきたからである。歴史とは、そのような自己像をめぐる戦い、言葉とイメージの闘争の歴史でもあった。歴史における勝者がある以前に、歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ
 あるいは情報技術における記憶装置(メモリー)の役割さえも、歴史を記憶としてとらえるために一役買ったかもしれない。熱力学的な差異としての物質の記憶、遺伝子という記憶、これらの記憶形態の延長上にある記憶としての人間の歴史を見つめることも、やはり歴史をめぐる抗争の間に、別の微粒子を見出し、別の運動を発見するcキカイになりえたのだ。量的に歴史をはるかに上回る記憶のひろがりの中にあって、歴史は局限され、一定の中心にむけて等質化された記憶の束にすぎない。歴史は人間だけのものだが、記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている。

〈問〉傍線部「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ」とあるが、どういうことか、説明せよ。

まずは傍線部の論理関係を分解しましょう。

〈論点a〉歴史そのものが、 
〈論点b〉他の無数の言葉とイメージの間にあって、 
〈論点c〉相対的に勝ちをおさめてきた       
〈論点d〉言葉でありイメージなのだ

a・b・c・dのうち、「特にどこ」を説明するのが大切でしょうか。

〈論点a〉

そのままで特に問題ありませんが、「そのもの」は字数を4つぶんも使ってしまいますので、「自体」などと言い換えたほうが圧縮できます。

私は「歴史とは」と書くことをおすすめします。

どうしてかというと、「歴史そのものが」というのは、「歴史それ自体」の説明なわけですから、「定義の文」と言えますよね。

通常、「定義の文」というものは、「○○とは~」と書きます

この設問の答案においても、「歴史とは」と書き出せば、「定義の文」を作っていることになるので、「歴史そのものが」と言っていることと同じ意味になります。

〈論点b〉

「無数」「言葉」「イメージ」といった単語がありますが、「無数」「言葉」「イメージ」は、特に比喩でもなく、課題文と無関係に意味が伝わる表現であるので、特別に言い換える必要性は薄いです。そのままでも問題はありません。ただ、字数の関係で、「イメージ」を「表象」などに言い換えるのは「OK」です。

「傍線部内の語句は、言い換えてしまうとかえってわかりにくくなる一般的な表現以外は言い換える」という「原則論」がありますが、「無数」や「言葉」といった語句は「言い換えてしまうとかえってわかりにくくなる一般的な表現」ですから、がんばって言い換える必要なありません。

後述しますが、〈論点b〉を説明することは、この設問においての「重要項目」ではありません。「重要項目」でない部分は、あまり時間をかけずに処理してしまったほうがいいですね。

〈論点c〉

傍線部の中で最も「わかりづらい」部分がここです。ここをしっかり説明することが、この答案の部分点を上げていきます。

まずは「相対的」についてです。「相対的」と言うからには、何か「比べるもの」があったことになりますね。傍線部の中にも書かれているように、「比べる相手」は「他の言葉やイメージ」です。

比喩的なのは「勝ちをおさめてきた」です。「歴史」は「人間」ではありませんから、「勝つ」という動詞をあてはめるべき主語にはなりません。つまりここは「擬人法」になっているわけです。

「歴史が~勝ちをおさめてきた」という「擬人法」について、「擬人法」を取りはずした表現で書く必要があります。この部分の意味内容を説明している相同表現を探しに行きましょう。

さて、傍線部は「~のだ」で終わっているので、次の法則がはたらきます。

ポイント のだ文

~A~。
~B~のだ。

という構造の、AとBの関係は、次のどちらかである。

① A ≒ B (同一内容の関係)
② A ← B (BがAの理由となる関係)

*多くの場合は①である。

この法則にあてはめると、傍線部の直前の

歴史とは、そのような自己像をめぐる戦い、言葉とイメージの闘争の歴史でもあった。

という文は、傍線部と同一内容の文であるといえます。ただ、「勝ち」の言い換えとみなせる意味内容がありませんね。ここには「そのような」という指示語がありますので、もう一つ前にも強い注意を払いましょう。

歴史は、ある国、ある社会の代表的な価値観によって中心化され、その国あるいは社会の成員の自己像(アイデンティティ)を構成するような役割をになってきたからである。

ここは超重要箇所(答案の核となる箇所)ですね。

この部分こそが、「勝ち」の意味内容を説明している部分だと言えます。

冒頭から述べられている「歴史」の話に当てはめてみましょう。

「書かれたこと、書かれなかったこと、あったこと、ありえたこと、なかったこと」といった、画定できない曖昧で巨大な領域に広がる「出来事」の中から、「これ!」と選択したものの集合体が「歴史」なのです。

具体的に考えてみましょう。

歴史においては、支配者が自分に都合のいいように歴史をつくりかえることは、よく指摘される現象ですね。その地域のその時代において、好意的に解釈される「歴史」を望むわけです。

たとえば、近代以前の多くの国では「戦争に勝つこと」が誇りになっていて、「連戦連勝だった」という歴史が採択されました。仮に「負け」と判断してもよい戦が過去にあったとしても、「いや、あれはかくかくしかじかで負けではない」などと理屈をこねたり、事実そのものを隠したり、嘘をついたりして、「連戦連勝だった」という歴史にしてしまうことすらあります。そしてその作り上げられた歴史によって、「わが国は連戦連勝の強い国家なのだ!」などという「自己像」が形成されていきます。

このことについて、「国」を「貴族の家」で置き換えてみましょう。貴族の子どもジョン・エリック・ホフマンは、「お父さんのジョセフは偉かった」「そのおばあさんのエリナも偉かった」「ホフマン家のご先祖様はみんなみんな偉かった」と教育されます。つまりその「貴族の家の歴史」は、「すごく立派な歴史」として子どもに伝えられ、「だからジョン、お前も立派になりなさい」と言われるのです。ジョンはそうして、「立派な自分」を手に入れようとがんばります。立派な歴史に裏付けられた、アイデンティティの形成です。つまり、「自己像の形成」というのは、「採用されてきた歴史」によって、「現在(ひいては未来)の自分」を基礎づけようとすることなのです。

しかし、よく考えると「立派な人」しかいなかったはずはありませんね。「立派じゃない人」もいっぱいいたはずなのです。ジョセフのお兄さんのマッコリや、エリナのお爺さんのセバスは、ダメダメ人間だったかもしれません。このような人は「歴史」にはなかなか登場しません。歴史はこのように、後代のセンスで勝手に取捨選択されてしまうものであり、その選択基準は「共同体の価値観」によるのです。

このように、傍線部における「勝ちをおさめてきた」という比喩表現は、「残すべき歴史として採用された」ということです。そのことから、答案には、「残された」「選抜された」「選ばれた」などといった表現があるといいですね。

さらに言えば、その歴史によって「その社会やその成員たち」が自己像を形成してきたということまでを含んで「勝ち」と表現していると判断できます。歴史をベースとすることで、「その時代」の「生き方」が決まっていくわけです。

「織田信長はかっこいい男だった」という「歴史」は、私たちが、織田信長のかっこいいエピソードばかりを集めて「採用」した歴史です。そのことによって、私たちが、「織田信長のようにかっこよく生きたい!」「織田信長のような生き方がかっこいいんだ!」などと「自分の生き方を設定」するとしたら、そのときこそ本当にその歴史の「勝ち」なのです。

以上の考察により、次のような解答が成立します。

解答例

歴史とは、国や社会の代表的価値観によって中心化され、集団の自己像を構成するうえで、無数の言語と表象の中から、選び取られたものであるということ。

「選び出された」とか「採用された」とか「選抜された」などと表現すれば、傍線部内の「勝ち」という表現に少し「寄せる」ことができますね。

「言語と表象」という表現も、2回目を「もの」などと形式名詞にしてしまえば、2回書く必要はなくなります。

ハイレベル答案への+α

以上の答案が書ければ十分ですが、「中心化」という語句については、改善の余地があります。

というのも、ここにポンッと「中心化」と書かれていても、何のことかわからないからです。

つまり、「比喩的」であるといえます。

そのため、時間に余裕があれば、「中心化」を説明表現に言い換える工夫をしてみましょう。

こういう「答案に必要だと思われるのだけれども、やや比喩っぽい語句」ってありますよね。

こういう語句の処理については、

◆何も書かないと「論点不在」で減点
◆そのまま書けば減点なし
◆うまく言い換えれば①点加点

というイメージで臨むといいですね。

「これ答案に必要だよな……でも、比喩っぽい気がするな……」と思ったら、「言い換えて書く」がベストなんですけれども、時間がないのであれば「そのまま書く」という手段でいきましょう。

文脈的に判断すれば、ここでの「中心化」は、「重要視」などと言い換えることができます。

たとえば野球チームなどでは「イチローがチームの中心だ」などと言いますね。「中心に据える」というのは、「最も重要な存在として扱う」ということです。

ここでは、「ある言葉やイメージ」が、「集団の自己像」を構成していくうえでの「核」とされたという意味で解読できます。

たとえば、うちの中学校のスローガンは「真面目がかっこいい」です。これは「言葉」ですね。「実際の真面目な先輩」がいたとしたら、後輩はその先輩にあこがれて、目指すようになります。これは実際の「像」ですから、「イメージ」だといえます。

推奨答案

歴史とは、国や社会の代表的価値観により重視され、集団の自己像を構成してきたものであり、他の無数の言語と表象を退けて、優先的に選び取られたものであるということ。

「勝ち」のニュアンスをもっと出すためには、「優先された」などの表現があるといっそうよいですね。

採点基準 ⑥点

歴史自体が(歴史とは) (ないと減点)
国や社会の代表的価値観に   ①
重視され           ① 同趣旨なら加点(中心化のままは加点なし)
                 「中心化」に言及していないものは減点
集団の自己像を構成      ①
他の無数の言語と表象  (ないと減点)
を退けて           ① 「比べて」など、「相対」のニュアンスがあれば加点
優先的に           ① 「最もよいもの」など、「勝ち」のニュアンスがあれば加点
選び出された         ① 同趣旨なら加点