教師と生徒のこの難しさ

傍線部内に「この」という指示語があるので、指示内容を取り込むことになります。

 ラニョーやアランのように「帰依」されることは教師冥利につきる。だから教師はどうしても、子どもの中に自分のミニチュアを見たがる。とりわけ学問好きの教師は、自分と似た学問好きの生徒を依怙ひいきして、しかもそれを正当なことだと考える。教師的人間像を普遍的な理想的人間像であるかのように思いなして、それを子どもにおしつける。そしてそれを受けいれない子どもに、だめな人間というレッテルをはってしまう。しかし、子どもが教師的人間像を受けいれることは、生徒の大部分が教師後継者ではなくなった近代の大衆学校では、ごく限られた範囲でしか通用しない。
 教師と生徒のこの難しさ~

まずは、「この」という指示語の指す内容を過不足なくまとめてみましょう。

下書き

子どもが教師的人間像を受けいれることは、生徒の大部分が教師後継者ではなくなった近代の大衆学校では、ごく限られた範囲でしか通用しないということ。

しかし、これでは、あまりにも直前を抜き出しただけであり、答案として不安が残ります。

実際、この答案では、設問意図の重要な箇所を見抜いていないと考えられます。

この設問における出題の意図を見抜くポイントは、次の3つです。

着眼点

① 傍線部が一文全体に引かれていない。
 (傍線部が「部分的」に引かれていても、「一文」には着眼する。)

② 傍線部の結語が「難しさ」という体言だが、「どういうことか」と問われている。
 (普通の設問ならば、「どういうものか」と問うべきである。)

③ 傍線部が、段落の先頭にある。
 (本来であれば、答案の核心は同段落内にある。)

その観点で傍線部のある同段落内を見渡すと、

教師と生徒のこの関係の難しさに対処するために、近代の教育の諸技術が工夫された

子どもの自発性を尊重しつつ、なお大人が意図する方向へ子どもを導こうとする誘惑術まがいの教育の技術を発達させる動機には、やはり、後継者見習いの関係が成り立ちにくくなったという事情が投影している

というように、傍線部を含む一文の内容と同じことが繰り返されていることがわかります。

書き方としては「赤字」と「青字」が逆になっていますが、「赤字」と「赤字」そして「青字」と「青字」は意味内容として同じことを述べていますね。

後継者見習いの関係が成り立ちにくくなったという事情に対処するために(対処することを動機として)、近代は、教育の技術を発達させてきたのです。

構文的に見て、この「後継者見習いの関係が成り立ちにくくなった」という情報は、「(教師と生徒のこの関係の)難しさ」と内容的には同じことを述べています。そのくらい一文全体が似ています。

したがって、この「後継者見習いの関係が成り立ちにくくなった」という箇所を、答案に必須の論点としてみなすことにしましょう。

さて、そうは言っても、「この」という指示語を強く意識すればするほど、「この」よりも後に書かれている内容を、解答に取りこんでよいものだろうか? という疑念が湧きますね。そう思うのも無理はありませんが、そのような人は、次のルールにも気を配りましょう。

ハイレベルポイント★体言の用言化

傍線部が「体言」まで引かれ、傍線部の体部分がその「体言」に係っていく(体言を修飾している)場合、答案では、その「体言そのもの」を具体的に置換する姿勢があるとよい

そもそも、「~~○○(体言)」とあるが、それはどのようなものか? と問われた場合、その体言の意味内容にふみこんだほうが、より説明的なのです。

たとえば「~という気持ち」とあるが、それはどのようなものか? と問われている場合、「~という切なさ」とか、「~という心細さ」といったように踏み込んで説明したほうが、ただ「気持ち」とくり返すよりも「攻めた答案」になります。

今回の設問でも、答案の文末を「~という難しさ。」というように「繰り返し」で答えても悪くはないのですが、「攻めの答案」にはなりません。

しかも、今回の設問は、

「~な難しさ」とあるが、それはどのようなことか?

というように、傍線部の結語が「体言」であるにもかかわらず、「どのようなことか?」と問われているのです。ちょっとおかしいですよね。

このように、「傍線部の結語が体言」なのに「どういうことか?」と問われている場合には、次の①②のどちらかの手段で答案化しましょう。

文末の工夫

① ~が難しいということ。
 というように、体言を用言化して、述語のように記す。

② ~困難であるということ。(困難のこと。)
 というように、体言を体言で言い換えて「~こと」を付ける。

これはどちらの方法でも大差ありません。「なじむ」ほうを採用しましょう。

さて、この問題にこの感覚を当てはめると、先ほど確認した「後継者育成の関係が成り立ちにくくなった」という箇所は、ぜひともほしい論点です。

なぜなら、「成り立ちにくくなった」というのは「成り立ち難くなった」ということであるからです。ここを答案に使用すれば、「難しさ」を用言化して説明したことになるのです。

合格答案

生徒の大部分が教師後継者ではなくなった近代の大衆学校では、子どもが教師的人間像を受けいれることは、限られた範囲でしか通用せず、後継者見習いの関係が成り立ちにくいということ。

ひとまず本番の時間内にここまで書ければ、十分合格点圏内です。

しかし、この答案には次の不満点が残ります。

不満点

①「限られた範囲」という表現が、具体的でなく、伝わりづらい。

②論点の重複が多い。
(圧縮すれば、別の論点を入れることができる)

それらの不満を解決していきましょう。

「限られた範囲」というのは、文脈上、「教師を目指している生徒の範囲」ということです。代入すると、次のようになります。

少しよくなった答案

生徒の大部分が教師後継者ではなくなった近代の大衆学校では、子どもが教師的人間像を受けいれることは、限られた教師後継者以外には通用せず、後継者見習いの関係が成り立ちにくいということ。

「教師」「後継者」などの語句が何回も出てくるので、それらを重複とみなし、圧縮していきましょう。すると、次のような答案ができます。

少しよくなった答案の重複部分をカットした答案

近代の大衆学校では、教師後継者ではない大部分の子どもは、教師的人間像を受けいれないので、後継者見習いの関係が成り立ちにくいということ。

これでほぼ完成でよいのですが、逆に短くなりすぎてしまいました。

東大の場合、70字を超えてかまいませんので、他の論点を拾って、答案を充実させることができないか考えてみましょう。

「他の論点」といっても、このような場合で重要になるのは、「答案に対して密接につながる前提」があるかどうかです。あれば、コンパクトに補充しておきましょう。

その観点で、傍線部の前々段落を読むと、傍線部段落の前々段落には、「工場の技師、商社のセールスマン、あるいはふつうの社会人を志望する」と書かれています。

例示的な部分なので、そのまま書くわけにはいかないのですが、「技師・セールスマン・ふつうの社会人」を目指すという表現は、つまり、「近代の学校に通う生徒は多様な職業を目指している」ということを意味しています。

このことは、まさに、「大部分の生徒が教師後継者ではなくなった」ことの「前提」であると言えますね。「大多数の生徒が多様な職業を志望する」からこそ、「教師を志望する生徒は少ない」のです。

以上のことから、その「前提」をコンパクトに補充して、答案を完成させましょう。

ハイレベル答案

生徒が多様な職業を志望する近代の大衆学校では、少数の教師後継者しか教師的人間像を受けいれないため、後継者見習いの関係が成り立ちにくいということ。

ちょっとしたコツを話します。

この答案における「多様な職業を志望する」という部分は、「傍線部内の論点の言い換え」ではありませんね。いわば「オマケ」です。

こういった「オマケ」の部分には多くの字数を費やさないことが鉄則ですので、自ずと「本文にはない表現」で記述する必要も出てきます。

「オマケ」の部分こそ、ある程度「自分のことば」にしてよい場所なのです。

「傍線部そのもの言い換え」は、極力「本文に存在する語句を組み合わせる」方針を立て、「前提」とか「対比の相手」といった「オマケ」の部分は、意味内容を変えずに「自分のことば」で短くするという姿勢を持てるといいです。

とにかく、答案の構想が85字くらいになってしまって、「ああ、これは小さい字でも入らないな」となったら、「オマケ」を「自分」で「短く」という方針を貫けるといいですね。

採点基準


生徒が多様な職業を志望する        ②
(教師後継者ではない は①点)

近代の(大衆)学校では、       (ないと減点)

教師的人間像を受けいれる子どもは少なく、    ②
(多くの子どもは教師的人間像を理想化or普遍化せず)

後継者見習いの関係が成り立ちにくいということ。 ①